深淵の闇を、少しだけ押し返した。
空間の裂け目から降り立った少女。
黒翼がゆっくり広がる。
その瞬間。
周囲の空気が、重く沈んだ。
川の水面が凍りつく。
花々が萎れる。
リリィが震えた。
「こ、怖いですぅ……」
レオナですら笑っていない。
ゼルヴァは剣へ手をかけた。
「……六王級か」
少女は静かに春を見つめていた。
紅い瞳。
感情が読めない。
でも。
どこか寂しそうだった。
春は結衣を庇うように前へ出る。
「誰だ、お前」
少女は少し首を傾げた。
長い黒髪が揺れる。
そして。
静かな声で答える。
『深淵六王・第三位』
『“黒翼のアリア”』
空気が震える。
その名前だけで、森がざわめいた。
ミアの顔色が悪い。
「六王の中でも最悪クラスだよ……」
エリシアも険しい顔になる。
「感情侵食型」
「心を壊す魔法を使います」
結衣は思わず春の服を掴む。
怖い。
今までの敵と、格が違う。
だが。
アリアは春から視線を外さなかった。
まるで。
ずっと探していたものを見るみたいに。
『……綺麗』
春が眉をひそめる。
「は?」
アリアは小さく呟く。
『世界樹の光』
『そんな優しい光、まだ残ってたんだ』
その声は、どこか悲しかった。
結衣は少し違和感を覚える。
敵なのに。
憎しみだけじゃない。
むしろ。
羨ましそうだった。
その時。
第二の鍵が反応する。
──パァァ……
水色の光が、春と結衣を包んだ。
アリアの瞳が揺れる。
『……その力』
『二人で共鳴してるのね』
春は剣を握る。
「何が目的だ」
アリアは静かに笑った。
でも。
その笑顔は壊れそうだった。
『確かめに来たの』
『“愛”なんてものが、本当に世界を救えるのか』
結衣の胸がドキッと鳴る。
愛。
その言葉だけで、顔が熱くなる。
レオナが小声で言う。
「もう告白みたいな空気なんだよなぁ……」
「黙って!」
結衣が真っ赤になる。
だが。
アリアは笑わなかった。
ただ静かに、春たちを見ていた。
そして。
ぽつりと呟く。
『昔は、私も信じてた』
その瞬間。
空気が変わる。
黒い羽根が舞う。
空が曇る。
アリアの周囲から、深淵の闇が溢れ始めた。
でも。
その瞳には涙みたいな光があった。
『だけど全部、壊れた』
春は少し目を見開く。
この人も。
苦しんでる。
そう感じた。
アリアはゆっくり手を上げる。
すると。
無数の黒羽が空へ広がった。
『見せて』
『あなたたちの“絆”を』
『壊れるのか』
『それとも、本物なのか』
次の瞬間。
黒羽が嵐みたいに襲いかかる。
──ザァァァァ!!
春が叫ぶ。
「結衣!!」
結衣も杖を構える。
「うん!!」
だが。
アリアの魔法は、今までと違った。
羽が触れた瞬間。
春の頭へ、嫌な声が流れ込んでくる。
《お前なんか必要ない》
《また一人になる》
《誰も最後まで隣にいない》
春の動きが止まる。
「っ……!」
過去の記憶。
孤独。
否定された言葉。
全部が蘇る。
結衣も苦しそうに胸を押さえた。
《どうせ嫌われる》
《重いって思われる》
《一緒にいたら迷惑》
「やっ……」
結衣の瞳に涙が浮かぶ。
心を直接壊してくる魔法。
アリアは静かに見つめていた。
『それが人の弱さ』
『愛なんて、すぐ壊れる』
春は歯を食いしばる。
苦しい。
心が折れそうになる。
だが。
その時。
春の手へ、暖かい感触が触れた。
結衣だった。
震えながら。
それでも、春の手を握っている。
結衣も怖いはずなのに。
離さなかった。
結衣は涙目のまま言う。
「……一人じゃない」
春の瞳が揺れる。
結衣はぎゅっと手を握る。
「私は、隣にいるから」
その言葉が。
深淵の闇を、少しだけ押し返した。




