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ゲームセット

「いえいえ。奇跡ではなく、ただの『呪術』ですよ。」


 漆黒の剣士が、兜の下の口元でふっと笑いながらそう言った瞬間。


 リオナの脳内で、何かが決定的な音を立ててパチンと弾け飛んだ。


(……じゅ、呪術……?)


 その二文字が鼓膜を震わせた瞬間、周囲の空気が一気に凍りついた気がした。


 呪術師。


 それは徹底した秘匿主義のもと、歴史の闇で幾度となく大量虐殺を引き起こしてきた歩く天災。


 子供を泣き止ませるための怪談として語られながら、魔王が現れる以前から世界を震え上がらせてきた狂気の者たち。


 ドクン、と心臓が跳ねた。


 その瞬間、幼い日の、すべてを焼かれ、奪われたあの日の光景が、最悪の鮮明さで脳裏に逆流する。



 暗いローブに身を包み、内側のバケモノを押しとどめるかのように全身を無数の分厚いベルトで縛り上げた、異様な男。その瞳の奥には、じっとりと血のような赤光を宿す呪術師の影。


 怯える幼い自分へ向けて、死そのものが形を取ったかのような冷たい手が、ゆっくりと伸びてくる。


 そして、その指先が頬に触れようとしたあの瞬間までの光景が、激しい耳鳴りとともに脳内を駆け巡った。



 息ができない。息をしろ、呼吸を止めるな……。

 もう、あの苦しみは嫌だ。


 後ろに視線をうつせば、ついさっきまで瀕死から生還した喜びで騒いでいた地場クランの戦友たちが、歩く天災を前に全員、白目を剥いてガタガタと震え、完全に腰を抜かしていた。


 呪術師は、気まぐれに人を殺す怪物だ。


 スタンピードの魔物を一掃したのも、ただ自分の獲物を魔物に奪われたくなかったから、先に皆殺しにしただけ、という可能性すらある。


 傷ついた人間を殺すのはお気に召さず、わざわざ呪術で元気な状態に戻してから、一番苦しむ方法で殺す。


 そんな狂気の可能性だって、十分にあり得る。


 呪術で殺されるのは地獄だ。

 全身がじわじわと爛れ、燃え上がり、最後には炭になる。


 あの痛みが全身に行きわたり、死ぬまで続くと考えれば、ただ焼け死ぬのとは比べものにならない。


 なら、どうする?

 ひとりでスタンピードの魔物を更地にした歩く天災と戦う?

 勝ち目など、万に一つもない。


 ならば――。


 呼吸が浅くなる。


 ……自刃しかない。

 あの地獄の苦しみを全身に味わって死ぬくらいなら。


 せめて後輩のふたりだけは、そんな最期を迎えさせるわけにはいかない。

 私の手で――。


「ははは!誤解しないでください、私は呪術師じゃありませんよ!この呪術は、旅の途中、私を襲ってきた呪術師を返り討ちにして、秘匿を奪ってやったのですよ!!ワッハッハ!」


 からりとした、乾いた空気を吹き飛ばすような豪快な笑い声が響き渡った。


 あまりにも人当たりが良く、陽気で、先ほどまで自刃を覚悟するほど追い詰められていた自分の思考が、まるで悪い冗談だったかのように感じられるほどに。


 あれほど震え上がっていた恐怖が、一瞬で現実味を失っていく。


 混乱で頭が追いつかない。

 この声、この態度、どう見ても、さっき想像していた怪物とは噛み合わない。



「見てください。この折れた直剣。本当は立派な刀身があったのですが、呪術師たちとの戦いで折られてしまいまして。ボコボコにして折れた責任を取らせて、呪術を教えてもらいました。」



 あまりの超展開とパワーワードに、リオナの脳が完全にフリーズした。


 後ろの戦友たちも、涙目としずくの垂れた鼻水のままカチコチに固まっている。


「「「え……? 呪術師を、ボコボコに、返り討ちにして、奪った……?」」」


 全員の声が綺麗にハモった。


 だが……納得である。

 納得せざるを得ない。


 何しろ目の前の男は、たったひとりでスタンピードを迎撃してしまった規格外の存在なのだ。


 いくら恐ろしい呪術師相手だろうが、ボコボコにして身ぐるみ剥いで秘匿を暴くことくらい、このお方なら朝飯前だろう。


 何より、その言葉に敵意は一切ない。

 リオナも、後ろの武芸者たちも、彼の明るく朗らかな声色から、


”この人は悪い人ではない”


 と本能で理解していた。


 むしろ、あえて「ボコボコ」などという物騒な単語を柔らかい冗談として選び、場の緊張をほぐそうとしてくれている気遣いすら感じられる。


 つまり、この規格外にとんでもない強いお方は呪術師ではないということ……。

 限界まで張り詰めていた緊張の糸が、音を立ててぶち切れた。


「よ、よがっだよぉぉおおお……! 本当に、本当に助かったぁ……っ!」


 リオナはその場に膝から崩れ落ち、地面に突っ伏して大号泣した。


「うぉぉぉおおおおん!! いぎでるよぉーーーー!!」

「うっぐっ……ひっくっ……たしゅかったぁ……」


 全員で大号泣しながら膝をつく、まさに生還フェスティバルの開催である。


 命が助かっただけでなく、二度と冒険者に戻れないほどの重傷すら、跡形もなく癒えているのだ。


 張り詰めていた感情の堰が、完全に決壊していた。


 だが、リオナは、誰よりも早く涙を拭った。

 震える呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がる。


 涙の跡を残したまま、リオナの瞳には強い光が宿っていた。


 顔には爛れひとつなく、滑らかな肌が戻っている。

 頬を動かしても、もうどこも引き攣らない。痛まない。


 その当たり前のようでいて、彼女にとっては救済に等しい感覚が、

 胸の奥で静かに熱を灯していく。


 ―――十数年ぶりに、表情を自由に動かせる。

 その事実だけで、胸が震えるほどの解放感があった。


「お救いいただき……本当に、本当にありがとうございました。あの絶望的な状況のなか、貴方さまの助力がなければ、わたくしたちは……。いえ、わたくしたちの命だけでなく、あの邪悪な軍勢が街へ雪崩れ込み、数え切れぬほどの無辜の民が犠牲になっていたでしょう……。」


 リオナは深く一礼し、背筋を伸ばして凛とした声で告げた。


 その姿は、泣き崩れていた先ほどとは別人のように、誇り高く、美しかった。


「わたくし、Aクラス冒険者クラン『白花の槍(しらはなのやり)』のリーダーを務めております、リオナ・エルド・スピカと申します。その……お差し支えなければ、我がクランの恩人として、お名前を伺ってもよろしいでしょうか……?どうしても、救ってくださった方に、正式にお礼を伝えたいのです。」


 口にした瞬間、ふと冷静さが戻ってきた。


 自分の気持ちが、あまりにも先走っている。


 そう直感する。


「……あ、いえ!もしお立場上、明かせない御事情があるのでしたら、決してご無理にはっ!!!ただ、どうしても……命を救ってくださった方に、誠心誠意、お礼だけでもお伝えしたくて……っ」


 言いながら、リオナは胸の奥で静かに息を整えた。

 礼を尽くしたい、その想いだけは揺るがない。


 だが、押しつけにならぬよう、相手の事情を尊重しながら、

 それでも逃したくない一瞬を掴むための落としどころを探るしかない。


 これはただの感謝ではない。

 十数年前、呪術で身体を壊され、声すら出せず、助けられ……、

 お礼を言うという当たり前の行為を逃し、

 ずっと胸に刺さり続けてきた後悔に、ようやく終止符を打つための一歩。


 いま、助けられ、五体満足で立っている、

 その奇跡のような状況が、どれほど貴重かをリオナは知っている。


 だからこそ、今回だけは絶対に逃したくない。


 これは、悪夢にケリをつけるための儀式。

 奪われた過去に、ようやく終わりを告げるための清算の儀式。


 多少強引でもやり遂げろ、強くそう自分に言い聞かせた。


「あっはっは!リオナ殿、そんなに身構えないでください。私はただの流浪の剣士ですよ。そのような、明かせぬ事情を持つような高貴な出ではございません。ただの修行中の身でしてね。剣の極致を目指す、しがない求道者のようなものです。名前は――イガラシ、と申します」


「イガラシ、さま……。」


 その名を口にした瞬間、胸の奥がじんわりと温かく満たされていくのを、リオナははっきりと感じた。


 ――お名前を聞けた。

 ただそれだけのことが、心の底から嬉しい。


 これほどの御方であれば、本来なら家名のひとつやふたつ、当然あるはずだ。


 だが、彼は名乗らなかった。

 いや、名乗れなかったのだろう。


 思い返せば、いくつも気づきがあった。


 冒険者かと尋ねたとき、彼はわずかに言い淀んだ。


 神殿騎士かと問うたときには、答えを避け、代わりに御業は呪術と明かした。


 そして、呪術師ではないとだけは明確に否定した。


 ――もし、だ。

 彼が神殿騎士であり、極秘任務の途上で、たまたま自分たちを見かねて介入したのだとしたら?


 任務の性質上、身分を明かせないのは当然だ。

 だからこそ、曖昧な返答を選び、必要以上の情報を避けていたのではないか。


 もちろん、本当に神殿騎士ではない可能性もある。

 だが、身分を明かしたくないという一点だけは、揺るぎなく読み取れた。


 それでも――

 そんな状況でありながら、イガラシという名を明かしてくれた。


 たとえそれが本名の一部であれ仮名であれ、

 自分の願いを汲んで、応えてくれたという事実が、胸に沁みる。


 ならば、その想いは最大限に尊重しなければならない。

 これ以上、彼が明かしたくないものには踏み込まない。


 ただ、明かしてくれた名に対して、誠心誠意の礼を返すだけだ。


 その対価に見合うものは、必ず支払う。

 命を救われた恩に報いる覚悟は、とうにできている。



 そして――

 あの日からずっと笑顔を奪われ、一度も笑えなかったというのに、

 今のリオナは、自分でも気づかぬまま、自然と柔らかな笑みを浮かべていた。






 自然と、とめどなく――顔いっぱいに笑顔がこぼれた。


 すべてを焼かれ、

 奪われたあの日から、

 一度たりとも笑顔を作ったことがなかった女の子。


 しかし、元々はたくさんにっこりと可愛らしく笑う、

 表情豊かな女の子だったのだ。


 もう、その素顔を知る人間はこの世には誰もいない。

 しかし、誰ひとり知ることのない、その「女の子」が、


 今、戻ってきたのだ。


 目の前に立つ、この心優しき剣士に救われて。


笑顔取り戻せてよかったね(´;ω;`)


と、リオナの救いを求める物語はここで終止符が打たれました。

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