二死
理不尽を蹴飛ばせなかった自分の無力さが、あの冒険者の戦友たちを死に追いやったのだ。
長く苦しんで死ぬよりは、介錯してやる方が慈悲なのかもしれない。
そう思う自分もいる。
だが、それでも自分にはできない。したくない。
ぐちゃぐちゃに渦巻く感情に胸を締めつけられながら見つめていると。
「えっ……?」
ピクリとも動かず、完全に虫の息だったストーンガードやヴァルホルンの前衛メンバーたちが、次々と身を起こし始めたのだ。
彼らは自身の身体をまさぐり、負っていたはずの致命傷が綺麗に塞がっていることを確認し、信じられないという顔でお互いを見合っている。
漆黒の剣士が、次々と倒れ伏した前衛の元へ行き、小さな光をかざす。
すると、死にかけていた者たちが嘘のように起き上がっていく。
リオナは戦慄した。
先ほどから探知魔法で彼の一挙手一投足を監視している。
だが、一切、魔法を行使した気配がない。
魔力の揺らぎが、まるで存在しない。
いや、そもそも…ここでリオナは決定的な異常に気づいた。
あの剣士が、探知に引っかからない。
このフィールドにいる冒険者たちの微弱な魔力はすべて把握できている。
広域走査は、息絶えかけた者の魔力すら拾い上げている。
なのに。
あの剣士だけが、まるで“存在しない”。
直接視界に入れて、ようやくそこにいると認識できるほどだ。
そして、視界に捉えてもなお、魔力の揺らぎは皆無。
「魔力を使わずに、死の淵から蘇らせるほどの回復力を齎す御業……。」
思い当たるのは一つしかない。
『奇跡とは』
神性因子を触媒とすることで著しく大幅、かつ望外な性能向上が発生する魔導を一系統にまとめたもの。
通常の奇跡の使い手は、自身の魔力を“呼び水”として神性因子を借り受けるため、相応の魔力消費が伴う。リオナはそう理解していた。
だが、あの剣士は違う。
魔力の揺らぎが一切ない。
もしや、ある程度以上の使い手であれば、呼び水すら不要なのだろうか。
神性因子を、魔力の媒介なしで直接引き寄せている……?
そんな芸当が可能だとすれば、それはただの奇跡の使い手ではない。
これほどの絶技たる武芸と、奇跡の御業を併せ持つ存在など、世界でも限られている。
神殿騎士。
それも、ただの神殿騎士ではない。
冒険者で言えば特級冒険者に比肩するほどの実力を持つ、最高位の『上級神殿騎士』。
特級冒険者が常識外れの怪物揃いであるように、上級神殿騎士の中にも、単独で軍勢を蹂躙する者がいても不思議ではない。
そして、神殿という巨大組織の最強戦力である以上、その装備が常識外れであっても当然だ。
神性を帯びた武具や、術式を秘めた聖具。
探知を遮断するような特殊効果を持つ装備が与えられていたとしても、むしろ自然な話である。
目の前の剣士は、まさにその領域にいる。
「……ねえ、エルドの。あの大恩人、誰?」
「Aクラスのお知り合いとかか?」
気がつけば、死の淵から生還した戦友たち全員が、リオナの背後に集まっていた。
誰も命を落としていない。
彼らは皆、畏敬の念を込めて剣士を見つめながら、一番格上であるリオナに「代表して話しかけてこい」と無言の圧をかけてきていた。
(いや、私だって知らない……。)
内心でぼやきながらも、ここはリーダーとして、最初の言葉として深く感謝を伝えなければならない。
戦闘が終わり、死地で張り詰めていた極限の緊張が解けると同時に、リオナの左頬に、焼け焦げるような激痛がじわじわと戻ってきた。
呪いの爛れが、先ほど激情に任せて表情を歪めた拍子に裂け、血が滲んでいるのだ。
だが、この命の恩人に対して、痛みを理由にいつもの能面で接するわけにはいかない。
どれほど顔が引きつろうとも、礼を尽くすべき相手が目の前にいる。
「あ、あの……!助けていただき、ありがとうございました……!」
必死に、引き攣る頬を動かして笑顔を作ろうとする。
激痛で声が震えた。
失礼のないよう、言葉を選びながら相手の素性を探る。
「もしや……ギルドが追加の増援として遣わしてくださった、最高位の冒険者さまで……いらっしゃいますでしょうか?」
問いかけに応じ、剣士は兜の面の下半分をカチャリと外した。
露わになったのは、20代とおぼしき青年の口元。
(もしかして、彼も私と同じように……顔に呪いや傷を負っていて、それを隠しているのかしら?)
だとしたら、少し親近感が湧く。
リオナは前髪で爛れを隠しているが、完全に隠しきれてはいない。
痛みを感じる度合いは人それぞれだ。圧倒的な強者である彼もまた、人知れず傷を抱え、仮面をつけて生きているのかもしれない。
「冒険者?いえ、違いますよ。」
青年の声は、どこか穏やかだった。
だが、答える前に一瞬だけ、何かを言い淀んだような奇妙な間があったように見えた。
冒険者ではない。
つまり特級冒険者ではない。
あの回復の奇跡と剣技。
やはり上級神殿騎士の可能性が高い。
だが、それならなぜこんな辺境の森にたったひとりで?
神殿は組織で動くのが基本だ。
いったい裏で何が動いているのか。
思考の海に沈みかけたその時。
激戦の余波で、爛れを隠すために固めて流していたリオナの髪が、はらり、と解け落ちた。
いつもなら即座に直すところだが、疲労と極度の集中、そして痛みのせいで対応が遅れた。
醜く赤黒く引き攣れた呪いの痕が、無防備に晒される。
ハッとして顔を伏せようとしたリオナの目の前に。
いつの間にか近づいていた漆黒の剣士が、下から優しく掬い上げるように手のひらを差し出していた。
それはまるで、夜会でレディをエスコートする紳士のような、ひどく自然で洗練された所作だった。
その手袋の上には、ふわり、と。
宙にぽつんと浮かぶ、小さくて優しい橙色のかがり火が灯っていた。
(あたたかい……。)
優しい炎が近づいた瞬間、リオナの左顔面を支配していた慢性的な激痛が、嘘のようにスッと消え去った。
痛みがなく、身体の奥底からぽかぽかとした陽だまりのような温もりに包まれる感覚。
こんな穏やかな身体の状態になったのは……あの日、呪いによってすべてを奪われる前の日以来だった。
「あえ!?」
「エ、エルダー!顔!爛れが!」
背後から、メルとリナが素っ頓狂な声を上げた。
「え……?」
悪ふざけをするような子たちではない。
ふたりのただならぬ驚愕の声に、リオナは恐る恐る、自分の顔の左側に手を伸ばした。
ザラザラとした硬い肉芽も、引き裂かれた傷口も、何もない。
指先が触れたのは、本来の自分の、すべすべとした滑らかな肌だった。
押しても痛くない。
突っ張りもしない。
完全に、元の肌に戻っている。
(嘘……っ、綺麗に、治って……!?)
リオナは息を呑んだ。
ずっと、ずっと、本当はこのために冒険者として泥水に塗れて活動してきたのだ。
ギルドの最高位である『特級』になれば、昇格時にたったひとつだけ特権が認められる。
その特権を使って、どんな手段を用いてでも爛れの治療を用意させる。
それが彼女の最終目標だった。
これまで莫大なお金をかけ、時にはAクラスという肩書きを使って、あらゆる治療法を試したが、すべて無駄だった。
期待しては裏切られ、その度に心は折れかけていた。
特級の特権は、彼女にとって本当に最後の、そして果てしなく遠い一本の蜘蛛の糸だったのだ。
それほどまでに膨大な努力と実績が必要なものを。
目の前の男は、何のことなしに、ただ優しい小さな火を灯しただけで、無償の施しとして与えてくれた。
振り返れば、メルとリナもその温かい光に包まれ、残っていた細かな傷跡や疲労が完全に抜け落ち、自分のことのようにリオナの顔を見て喜んで泣いていた。
「あ、あの……っ!」
リオナは声の震えを抑えきれず、望外の嬉しさでその場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えて問いかけた。
「呪いの傷跡が、一瞬にして癒えていくなど…まさかこのような奇跡を行使なされるなんて……。それに、先ほどの炎を纏いし剣も……。不躾ながら、貴方さまは神殿の、上級神殿騎士さまであらせられるのでしょうか……?」
特級冒険者と比肩する力。
理不尽を塵にする剣技。
そして、長年の呪いを一瞬で解呪する奇跡の御業。
絶対にそうだ。そうに違いない。
期待と畏怖の入り混じった眼差しで見上げるリオナに対し。
漆黒の剣士は、差し出していた火をスッと握りつぶして消すと、兜の下の口元で、ふっと小さく笑った。
「ああ、これですか?」
そして、あまりにも軽い口調で、こう言い放った。
「いえいえ。奇跡ではなく、ただの『呪術』ですよ。」
ヒモ「ツーアウトってとこか?」
※ヒモ回を参照
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【TIPS:特級の恩賞システム】
冒険者ギルドが、全精力を傾けて個人の望みを叶えるシステム。過去には「一国の姫との婚姻」や「幻の古代魔導具の譲渡」などが叶えられたとされる。
本来、聖女とは万民を平等に愛し、等しく癒やしをもたらす存在である。平時でさえあれば、リオナの治療に“難易度”など存在せず、ただ当たり前にその奇跡を授かることができたはずだった。
しかし、世界崩壊の瀬戸際、そして魔王討伐後もなお、瓦解しかけた世界を支えるために奔走し続ける聖女の手が空くことはない。
一介の冒険者のためにその神域の時間を割かせるというリオナの望みは、ギルドの最高権力をもって国家、神殿と交渉せねば決して届かない、極めて政治的難易度が高い案件だった。




