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斬撃

 漆黒の剣士が駆けた刹那、絶望の闇は裂け、光が地平を破った。


 その疾走は、夜明けが世界を追い越していくかのように、一瞬で景色を塗り替える決定的な始まりだった。



 気づけば、漆黒の剣士はいつの間にか化け物の足元へ潜り込んでいた。


 深紅のコアを脈動させ、冒険者たちを蹂躙してきた絶望の権化。


 鬼人族の剛腕も、ヴァルホルンの重撃すらも、金属を悲鳴させて弾き返し、深淵の泥で衝撃を呑み込んできた理不尽な殻。


 だが、漆黒の剣士が炎を纏う剣を抜き放ち、下から掬い上げるように一閃した瞬間。


 衝突音はなかった。


 剣戟の響きもなかった。


 ただ、ボボボ……と揺らめく火炎が、静かに空気を撫でただけだった。


 その静寂こそが、化け物の最期を告げる“断罪”だった。



 常識的なロングソードの細い刀身で、あの巨体を物理的に両断できるはずがない。


 だが、化け物の身体はまるで幻を斬られたかのように、抵抗ひとつなく左右へと綺麗に割れていた。


 直後、断面が内側から鮮烈に赤熱する。


 パカリ、と静かに割れた刹那、赤熱の線を起点に炎が爆ぜ、瞬く間に全身へ奔り上がった。


 それは、極薄の紙片が火に触れた瞬間、形を保つ暇もなく一気に灰へ変わる、あの儚い燃焼に似ていた。


 両断された巨大な質量は、地上に落ちることすら許されず、空中で崩れ、サラサラと灰となって空へ溶けていく。


 深紅のコアも同じく灰へ還り、あの不気味な鼓動は、完全に沈黙した。




 化け物は死んだ。


 だが、安心する暇はなかった。


 先ほどの鼓動に呼ばれていた魔物たちの後続が、森の奥から津波のように溢れ出してきたのだ。


 さらに絶望的な光景が、リオナの目に飛び込んできた。


 漆黒の剣士が手にした剣から炎が消え失せている。


 そしてよく見れば、その刀身は無残にも半分以上が失われているのだ。


(まさか…あの化け物を斬った代償で、剣がっ!?)


 ほんの僅かに見えた希望の光が、再び暗く塗りつぶされてしまうのか。


 せっかく現れた救世主も武器を失っては無力だ。


 結局、他人の力に縋ったところで、この理不尽な地獄からは抜け出せないというのか。


「うぅぅ……、ぬんっ!!」


 リオナは奥歯を噛み締め、薄れかける意識を気合で叩き起こした。


 まだやれることはある。他人に全てをすがるな。死力を尽くせ。


 激しく地面を転がった衝撃で、指先は痺れ、思うように動かない。


 血と土にまみれた魔導衣の内側から緊急用ポーションを引き抜くと、リオナは瓶を口元へ運び、コルクを歯で噛んで引き抜き、そのまま地面へ吐き捨て、一気に中身を喉へ流し込んだ。


 灼けるような刺激が全身を駆け巡り、意識が鋭く覚醒する。




 最低限の思考力を取り戻したリオナは、ふらつく身体を前へ投げ出すようにして無理やり歩みを進め、その勢いのまま探知魔法の網を展開してリナとメルの状態を確認した。


「リナ…… !メル……!」


 リナには外傷や出血が一切なかった。


 メルが自分自身の身を削り、リナを庇うように防御魔法を厚めに展開した証拠だった。


(やるじゃない……!)


 メルは鼻と耳から血を流してリナに抱かれていたが、探知に映る内臓に致命的な損傷はない。


 とっさの防御魔法による過剰な負荷で鼻の毛細血管が切れ、魔力の奔流がもたらした衝撃波で鼓膜がやられたのだろう。


 だが、外傷の無いリナの状態は深刻だった。


 極大魔法4発分の規格外の魔力を探知魔法を乗せた目で直接見てしまったため、完全に失明状態にある。


 リオナは殺しきれていない勢いのままリナの元へ滑り込むと、ガシッ!と乱暴にリナの頭を両手で挟み込んだ。


「動かないで!」


 親指を目頭から目尻へと這わせ、彼女の眼球に直結する魔力回路を視認し、直接触れる。


 強烈な魔力で焼き切れ、ズタズタに絡み合った回路。


 リオナは自身の純度の高い魔力を流し込み、力技で元の形へと強制的に編み直していく。


 そして、そこへリナ自身の魔力が滞りなく流れるようにバイパスを繋いだ。


「あ……。」


 瞬きを繰り返したメルの瞳に、焦点が戻る。


 彼女はぼやける視界の先で、泥だらけになりながら自分を覗き込むエルダーの顔を見て、震える声で呟いた。


「エルダー……、」

「無事ね。よかった。」


 その光景を、意識を取り戻したメルが、リナに膝枕されたままの体勢で見上げていた。


「……百合もいいかも。」


 そして、最低限のリカバリーを果たしたリオナの目に、信じられない光景が飛び込んできた。



 漆黒の剣士は、折れた剣を鞘に納めていた。


 残心のような、静かな所作。


 そして深く腰を落とし、独特の構えをとる。


 次の瞬間、抜刀。


 凄まじい速度の斬撃が飛ばされた。

 派手な発動音も、魔力の光もない。


 ただ純粋に、空を裂く澄んだ『剣を振るった音』だけが響いた。


 だが、その威力は常軌を逸していた。


 探知魔法で強化されたリオナの視覚が、空気が異常に圧縮され、光が歪むのを捉えた。


 まるで不可視の刃。

 極限まで研ぎ澄まされた“圧縮空気の斬撃”が、扇状に広がって飛んでいく。


 そのひと振りで、森から溢れ出ようとしていたブロウインプの大集団の上半身と下半身が、永遠の別れを告げた。


 ズレた上半身がドサドサと地に落ちる。


「魔法による攻撃ではない……!?」


 リオナは愕然とした。探知魔法には魔力の揺らぎが一切検知されない。


 純粋な『戦技』による物理的な斬撃なのだ。


 あの射程距離、あの面制圧力を、魔法も使わずに成し遂げるなどあり得ない。

 しかし、目の前で確かに起きている。


 戦技を発動する際、武芸者は掛け声、いわば気を巡らせることで、肉体の限界を超えた威力を引き出すのが常識だ。


 だが、あの剣士は一言も発していない。

 声も、息の乱れすらもない。


 魔法が魔法陣を捨て、思考だけで術式を構築する方向へ進化したように、武芸でも同じ現象が起きているのだろうか。


 掛け声すら不要とする、神業めいた“無音の戦技”。


 もはや技ではなく、到達域そのもの。そう呼ぶしかない境地だった。



 リオナの推測を置き去りにするように、剣士はさらに動いた。


 今度は剣を鞘に戻さない。

 半分以上が失われた、その短く無残な折れた剣を、ただ棒切れでも振るうかのように無造作に振るった。


 ただそれだけで、またしても不可視の斬撃が飛ぶ。

 森から這い出てきたブロウインプの群れが、一拍の間もなく上下に分かたれた。


 さらに剣士は、空中から迫るハーピーの群れへ向けて腕を数度、軽く振るう。


 次の瞬間、空を舞っていたハーピーたちは何が起きたか理解する暇もなく血煙となり、肉片となって雨のように墜ちていった。


 そして地響きを立てて森の奥から突進してくるサイクロプスの大群。


 それに対しても、剣士は折れた剣をただ軽く振るっただけだった。


 分厚い筋肉の鎧を誇る単眼の巨人たちは、全匹、胸元から綺麗に両断され、

 巨体を揺らしながら崩れ落ちていく。


 その腕のひと振りひと振りが、魔物たちに下される絶対的な『審判』のようだった。


 彼の審判を受けた魔物は、ただ運命に従って消えるのみ。


 圧倒的な蹂躙。


 瞬く間に視界にいる魔物をすべて消し飛ばした剣士は、ふと何かに気づいたように顔を上げた。


 彼が見据えたのは、このスタンピードの発生源たる沼がある『迎え樹の大霊樹』の方向だった。


 魔法使いであれば、魔力の揺らぎを検知して脅威の方向や性質を割り出す。


 武芸の世界には『気配』や『殺気』という、魔力とは別系統の不可視の情報を読み取る技術があるという。


 あの剣士は魔法を使っていないのに、正確に発生源の方向を捕捉していた。


 直後。

 剣士の腕が“ぶれた”。


 先ほどまでの比ではない。

 強化された探知魔法の視界をもってしても、その腕の軌跡を捉えきれない。


 神速の連撃。


 嵐のように放たれた無数の不可視の斬撃が、大霊樹の方向へ向けて一斉に解き放たれた。


 魔法のように広範囲へ着弾して爆ぜるのなら、その規模に見合った派手な轟音が響くはずだ。


 だが、これは違う。爆発ではない。破壊の音がしない。


 斬撃が触れた端から、空間ごと『スパッ』と切断されていく。


 巨大な樹木が斜めに断たれ、自重に負けて滑り落ち、他の木々にぶつかって

 メリメリメリ……!と悲鳴のような破砕音を上げながら倒れていく。


 切断された上部が地面に叩きつけられるズドンという重低音。


 そして、木々の間を進んでいた無数の魔物たちが、何が起きたか理解する間もなく

 細切れにされていく断末魔。


 森そのものが、魔物ごと“切り倒されていく”。


 数秒後。


 リオナの探知魔法から、すべての魔物の反応と、諸悪の根源であった大霊樹の沼の反応が完全に消滅した。


(…………。)


 リオナたちは死力を尽くして抗ってきた。


 その最後の力を嘲笑うかのように、さらなる脅威が襲いかかり、彼女たちは絶体絶命の淵へ追い詰められた。


 だが、たったひとりで現れたこの剣士は、その脅威をまるで取るに足らぬもののように消し去った。


 かつて自分が憧れた、“理不尽を跳ね除ける力”。


 いや、そんな次元ではない。


 跳ね除けるどころか、息を吹きかけるだけで理不尽そのものを塵へと変えてしまうような、圧倒的な存在。


(上には上が……果てしなく上がいる。)


 自分が『スピカ』という名に相応しい強さを得たと驕ったことはない。


 だが、今の強さに満足していては届かない。


 もっと先を見なければならない。


 そんな思慮と感傷に沈んでいたリオナの視界で、剣士が動いた。



 剣士は、血の海に倒れ伏す前衛の冒険者たちのもとへ歩み寄り、静かに膝をついた。

 その手から、小さな光がこぼれ落ちるのが見えた。


(……介錯?)


 魔法使いであるリオナには、武芸者の文化はよくわからない。


 戦士をあの世へ送る儀式なのか。


 あるいは、もはや助からぬ命を苦しませずに終わらせてやっているのか。


 自分はすべてを助けたい。

 命を零れ落としたくない。


 だが、いまは神殿の奇跡の使い手でもない限り、この地獄では助かる命と助からない命の『選定』を強いられる。



改めてヒモ回を読み直してみるのも二度味わいがあります。

読み直して☆、♡、作品フォローしよう!


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