黒陽
”グルオオオオオオオオッキュイィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーー”
「エ、エルダー……ッ!!」
その時、リナからの”魔導接続”がリオナの脳に直接響いた。
ずっと弱点を探し、分析していたリナが、化け物から漏れ出る魔力が「エルダーの魔力と全く同じ性質」であることに真っ先に気づいたのだ。
言葉よりも、この結果を直接共有したほうが理解が早い。
脳内に流れ込んできた情報に、リオナの思考が凍りついた。
化け物の体内。
あの深紅のコアを中心に、今、リオナ自身が放った魔力と「全く同じ性質、同じ総量」の魔力の塊が、恐ろしい密度で渦巻いている。
(こいつ……っ!魔力を喰らった上に蓄積して、さらに放射するの!?)
一瞬で化け物のタネを見破る。
だが、放射を止める術はない。
自分が放った莫大な魔力が、何の制御もされず、純粋な暴力として今まさに噴出しようとしている。
化け物の全身が眩く光り輝き始めた。
(みんなを殺させてたまるか!)
一瞬の判断と、一瞬の魔法行使。
リオナは、化け物の近くで戦い、攻撃をもらって瀕死状態になっている前衛たちへ、優先して防御障壁を付与した。
自分や後輩たちはまだ距離がある。
だからこそ、化け物の至近距離にいる者へ配分を厚くした。
冒険者のセオリーなら、もう戦力にならない瀕死の者を守るより、まだ戦える者たちを守るのが絶対の正解だ。
だが、リオナは『エルドのスピカ』。
目の前の理不尽を己の力で覆すと誓ったあの日から、彼女は何ひとつ諦めることなく、どこまでも足掻き続けると決めていた。
直後、暴力的な魔力の奔流の放射が始まった。
無制御に解き放たれた膨大な魔力が、光となり、暴風となって辺り一面を吹き荒れる。
本来なら砕ける瞬間にパリンと音を立てるはずの魔力障壁は、暴力的な魔力の奔流に触れた途端、音もなく溶けるように消えた。
「ぐっあぁぁぁぁっ……!」
自身には魔力障壁を展開していなかったリオナは、衝撃波に直接巻き込まれ、地面を数回、激しく転がり叩きつけられた。
光が収まった戦場は、凄惨という言葉すら生ぬるい地獄と化していた。
リオナが死に物狂いで障壁を厚く張ったおかげで、前衛の近接組はかろうじて肉体を保ち、まだ微かに息をとりとめている。
だが、全員がピクリとも動かない。死んでないだけ、という状態だ。
先ほどまでリオナが立っていた、少し離れた前方では、メルが最後の力を振り絞り、自身とリナのふたりを守る防御魔法を展開していた。
だが、あまりの咄嗟の展開と過負荷に耐えきれず、鼻と耳から血を流したまま気を失い、その場に倒れ伏している。
リオナに防御魔法をかけるにはあまりにも力量差があり、咄嗟に装備を起点に展開できなかったのだ。
リナであれば即座に展開できたが、そのリナは今、焦点の定まらない目でメルを抱きかかえていた。
「エルダー……、 エルダー、近くにいますか……?」
あまりにも強大で凶悪な魔力放射を、間近で、探知魔法で、魔眼で、直接『見て』しまったリナは、失明していた。
見えない目でメルの顔を探り、ぬるっとした感触でそれが血だと理解する。
「メルちゃんが……メルちゃんが血を出してるかもしれないです……見えないので、メルちゃんを……メルちゃんをたすけて…エルダー、エルダー…、」
光を奪われた己の恐怖よりも、ただ腕の中で血を流す友の命を案じる痛々しい懇願。
”どうか、私のかわりにこの子を”とすがるような、ひどく弱々しく掠れた嗚咽が、死の静寂に沈む戦場に力なく溶けていく。
「エルダー、エルダー…、」
極大魔法と全前衛への魔力障壁付与、吹き飛ばされ激しく叩きつけられる。
その負荷は、リオナの意識を容赦なく削っていた。
呼吸は細り、視界は白く滲み、耳鳴りだけが世界を満たしていく。
「エルダー、エルダー……、」
”お父さん…、お母さん…っ”
かつての、無力で全てを奪われた幼い自分の声と、リナの声が重なった。
理不尽を覆せる力を持つ者として『スピカ』の称号を授かったはずだ。
絶望よりも、自身の不甲斐なさへの凄まじい悔しさが勝り、リオナはすんでのところで意識を繋ぎ止めていた。
音が遠ざかり、意識が闇へ沈みかけ、大きくなっていく耳鳴りの中、ただひとつ、リナの助けを求める声がかろうじて聞き取れていた。
霞む視界の先には、瀕死の冒険者たちと、光を奪われながらも友を想って弱々しくすがる声。
圧倒的な理不尽が目の前にある。
かつて無力だった幼い自分が、すべてを奪われたあの日と何一つ変わらない、ただ蹂躙されるだけの地獄。
それを蹴り飛ばし、力ずくでねじ伏せる力を認められたのではないか。
それなのに、結局また、奪われるというのか。
ギリッ、と。
リオナの奥歯が、砕けそうなほどの鋭い音を鳴らした。
彼女の顔が、凄惨なまでに歪む。
リオナが普段、誰に対しても感情を露わにせず、氷のように「凛とした」美しさを崩さないのには理由があった。
彼女の顔の左半分には、忌まわしい呪いによる爛れが深く刻み込まれている。
僅かでも表情筋を動かせば、爛れた肉が無理やり引き裂かれるような激痛が走るのだ。
だから彼女は、痛みを避けるために能面のように表情を殺し、結果としてそれが「凛とした」佇まいとして周囲に映っていたに過ぎない。
だが今、彼女はその激痛を完全に無視した。
ピキリ、と左頬の爛れた皮膚が裂け、滲み出した血が土に塗れた顎を伝う。
肉を割くような痛みが脳髄を焼く。
だが、胸の奥で渦巻く自分自身への怒りと悔しさに比べれば、そんな痛みなど取るに足らないものだった。
「ああぁ……っ、ぐ、ぅぅぅぅぅぅッ……!」
血走った両目を見開き、呪いの痛みをねじ伏せるように顔の左半分を酷く引き攣らせる。
それはもはや、普段の美しく気高い『スピカ』の面影など微塵もない、血と土と悔恨に塗れた夜叉のような表情だった。
すべての理不尽を跳ねのけると誓ったのに、目の前の理不尽一つ跳ね除けられない己の弱さ。
その不甲斐なさに対する、殺意にも似た凄まじい悔しさ。
その激情だけが、消えかけの命の炎をどうにか燃やし続けていた。
だが、現実は無慈悲だった。
化け物は、魔力放射によって全滅した冒険者たちをまるで嘲笑うかのように、深紅のコアをドクン、ドクンと不気味に脈動させながら、ゆっくりとこちらへ向かって歩みを進めてきた。
そして、その深紅の脈動に応じるように。
『迎え樹の大霊樹』に広がるスタンピードの沼から、さらに無数の、おびただしい数の魔物の群れが、地響きと共に湧き出し始めていた。
「くっ……あぁ……。」
リオナは手にした魔力槍を地面に突き刺し、それを杖にして、倒れないように必死に立ち上がろうとする。
だが、うまく力が入らない。白く滲んでいた視界は黒く濁り始め、キーンという耳鳴りがさらに大きくなり、リナの悲痛な声すらも遠ざかっていく。
自分は理不尽を跳ね除けられなかった。
だからといって、この場に倒れ伏す冒険者たちの命を諦めるわけにはいかない。
(誰か……誰か……この理不尽を……)
心の中で血を吐くようにすがる、その時だった。
黒。
漆黒。
だがそれは、
光を無残に喰らい尽くすあの禍々しい
『深淵』とは全く違う黒だった。
星々の細やかな煌めきすらも
優しくその身に抱くような、夜空の闇。
そのものを切り取って羽織ったかのような、
深く透き通った黒。
理不尽に今にも押しつぶされそうな意識の中で、
確かにその姿を見た。
肩から斜めに流れる漆黒の布衣を、
まるで夜空を片翼のように激しくはためかせ、
どこからともなく戦場へと躍り出た、ひとりの剣士の姿を。
その疾走は、
長く冷え切った絶望の夜を終わらせるかのよう、
闇を裂き、太陽が地平から顔を覗かせた瞬間のような、
世界の景色が一瞬で塗り替わる、あの決定的な
『夜明け』そのものだった。
光を導き闇を払う太陽と、
すべてを覆う漆黒。
相反するはずのふたつの概念が、
たったひとつの存在の中に内包されているかのような矛盾。
漆黒を纏っているというのに、『光』そのものだと直感してしまう。
リオナの魂は確かにそう感じ取っていた。
理不尽の前に何一つ打つ手がなく、
死を待つしかなかった終わりの空間に。
すべてを救い上げるが如く、
漆黒の軌跡が引かれた。




