全滅
すべてのサイクロプスを泥臭い連携の末に葬り去り、誰もが「生きて帰れる」と確信した刹那。
森の奥『迎え樹の大霊樹』の根本に広がるスタンピードの沼から、大気を汚染するような瘴気と共に、大地をドロドロと腐食させながらそれが這い出てきた。
「……なんだ、ありゃあ……。」
誰かの掠れた声が戦場に落ちる。
先ほどまで死闘を繰り広げていたサイクロプスすら小人に思えるほどの巨躯。
全高は優に15mを超えている。
異様に幅の広い胴体を太い二本の脚が支え、左右からは巨木のような腕が二本ずつ、計四本も生え出ていた。
体表からは深淵の沼そのものと言うべき忌々しい黒泥が絶え間なく溢れ出し、まるで生き物のようにうごめいている。
だが、泥の隙間から時折覗く内部は、ゴツゴツとした岩そのもの。
深淵を被った岩の化け物。そして胸にあたる部分には、心臓のように不気味に明滅する深紅のコアが剥き出しになっていた。
「大ババ様……あんな魔物、知ってるかい……?」
ギギが震える声で尋ねるが、179年を生き抜いてきた最長老格のババすら、見たこともない異形に顔を強張らせ、ただ首を横に振ることしかできない。
エルド庇護院の『スピカ』であるリオナも、卒業生のメルやリナも、誰も知らなかった。
地場クランの面々に戦慄が走る。
辺境の田舎クランである彼らにとって、自分たちの知らない魔物などいくらでもいる。
だからこそ、見たことのない敵に対するセオリーは「知る者に指示を仰ぐこと」。
優秀な彼らは即座にAクラス冒険者であるリオナたちへ視線を向けた。
だが、その彼女たちですら正体を知らない。
「なら、迷う必要はなし!」
グレンが吠えた。正体が分からないのなら、搦め手など通用しない。
「各員、最大火力にて打ち倒す!リオナ殿、頼みます。俺たちが前衛になって時間を稼ぐぞ!!牙の無い者は支援へ回れ!」
方針は一瞬で決まった。
誰もが死力を尽くし、一撃にすべてを賭ける。
まず最初に突撃したのは、鬼人族の4人だった。
ババ、ギギ、ググ、そしてお腹に命を宿したばかりのビビ。彼女たちは各々、両手に二本の重武器を構え、大地を蹴る。
その背後で、魔力切れでグロッキー状態だったメルが気力を振り絞って立ち上がり、4人へ防御魔法を付与し、再び倒れ込んだ。
「うおおおおおっ!!」
ヴァルホルンの面々もそれに続く。
鬼人族の4人は、化け物の胸で妖しく光る深紅のコアを見据え、全腕力を乗せて重武器を投擲した。
大質量が空を裂く。しかし、化け物は四本の腕で防御する気配すら見せない。
ガギィィィィィンッ!
鼓膜を破らんばかりの金属音が響くが、重武器はコアに傷一つ付けられず、無慈悲に弾き飛ばされた。
「歩みが遅い!動きも緩慢だ!脚を削ってひっくり返すよ!!」
大ババ様の鋭い大声に、3人が合わせる。
タイミングは完璧だった。
4人が同時に化け物の太い脚へと肉薄し、残る重武器を全力で叩き込む。
だが。
ドン、と奇妙に濁った音がした。
弾かれもしない。
刃が吸い付くようにビタッと止まったのだ。
衝撃のすべてが、体表を流れる深淵の泥と硬殻に吸い込まれたかのような、未だかつて経験したことのない異常な感触。
「なっ!?」
種族的には不本意だが、武器を握れば最強を自負する鬼人族の戦士たちに、致命的な驚愕の隙が生まれた。
ブブォンッ!!
その瞬間、緩慢だと思っていた化け物の上半身から、四本の腕があり得ない速度で一斉に腕が振るわれた。巨体に似合わぬ、超高速の打突。
パァァンッ!!
メルが命を削って張った魔力障壁が、ガラス細工のように一瞬で粉砕される。
化け物の拳を魔力障壁は止められず、凄まじい質量と速度の暴力が、そのまま鬼人族の肉体を直撃した。
「がはっ……!?」
鬼人族4人の身体がボールのように飛んでいく。
一撃。
たったの一撃で、Aクラス冒険者クランの武力を誇る4人が戦闘不能に追い込まれた。
「ぬぁぁああぁぁぁッ!!」
鬼人族が殴り飛ばされた刹那、ヴァルホルンのギルバートたちが全員で文字通り命を投げ出す覚悟で肉薄、次々と猛攻を仕掛ける。
高く跳躍する戦技を用い、化け物の腕、深淵の泥が被っていない「岩」の部分。
そこへ全力の刃を叩き込む。
ガキンッ!
激しい火花が散り、わずかに岩が欠けたのを確認できた。
効果はある。だが、喜ぶ間もなく巨体に似合わぬ恐ろしい速さの反撃が襲いかかる。
「戦技ガーディアン!!!」
そこへストーンガードの重装戦士たちが大盾を構え、戦技を発動させ割り込んだ。
仲間を死なせはしないという、泥臭い執念の盾。
理不尽なまでの圧倒的な質量の前には彼らもまた、まとめてゴミのように次々と殴り飛ばされていく。
前衛が完全に崩壊していく。
だが、彼らの決死の行動は無駄ではなかった。
化け物の意識は完全に前衛に向き、後方にいるリオナの存在を無視していたのだ。
その間に、ひとりの天才が、化け物を殺すために組み上げた最大火力の詠唱を完了させていた。
”昏き深淵より湧き出でし忌むべきものよ、
深淵の底に蠢く泥濘よ、忌むべき硬殻の怪よ、
いかに禍々しき深淵が立ちはだかろうとも、
我が極光、その輝きを濁すことは叶わない、
我が穿つは天をも貫く極光、彼方の果てまで阻むものなし、
一等星の輝きよ、穿て、穿て、穿て、すべてを穿て”
刹那、世界の視界が純白に染まった。
放たれたのは、一等星の輝き。
直撃コースは、胸の深紅のコア。
ズズウゥゥゥゥンッ!
大気を激震させる爆音が轟く。
だがコアは貫けなかった。
極光の凄まじい圧力により、巨体が多少後ろへのけぞる程度。
これで抜けないのなら、とリオナは即座に二射目を泥の深い脚へと撃ち込む。
極光が泥を焼き払い、岩の身体が露出するが、すぐに新たな泥がドロドロと覆いかぶさる。
「ならばっ!」
三射目。迫りくる上半身の腕へ。
しかしそれすらも貫けず、上半身のバランスを崩すだけ。
息を呑み、組み上げた最後の四射目を再度、深紅のコアへと撃ち込む。
ズズウゥゥゥゥンッ!
やはり貫けない。
最初と同じように、化け物の巨体がのけぞるだけだった。
リオナの背筋に、生まれて初めてとも言える冷たい戦慄が走った。
すべての演算リソースを充てて組み上げた最高の魔法が、全く有効な打撃すら与えられず、ただ仰け反らせることしか出来なかった。
この化け物の強さは、硬さは、理不尽さは、一体何なのだ。
”グルオオオオオオオオッキュイィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーー”
脳を直接抉るような、不快極まる咆哮が戦場を支配する。
初見殺しのレイドボスみたいなやつ…。




