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エルダー

 ヒモの王(主人公)に引率の先生(魔法使いの女性)、小学生の運動会に助っ人枠で高校生のお姉さんが入ってる、と言われていた人、登場です。

「お父さん…、お母さん…っ」


 すすり泣きながら、幼い私は目の前の黒い塊に何度も、何度も何度も何度も声をかけていた。


 返事はない。


 少し前まで私を抱きしめてくれていた腕も、優しく微笑んでくれた顔も、今はもう原型を留めていなかった。


 ただ、触れれば灰となって崩れ去ってしまいそうな、絶対的な「死」と「絶望」だけがそこに横たわっていた。


 周囲は、息を吸うことすら躊躇われるほどの、狂気的な赤黒い火の海だった。

 肺を焼くような熱気と、むせ返るような肉の焦げる臭い。


 立ち込める黒煙の向こうからは、鼓膜を裂くような絶叫と血を吐くようなうめき声が絶え間なく響いてくる。


 さっきまで必死に命乞いをしていた誰かの声が、熱に喉を焼かれたのか、ぷつりと不自然に途絶えて消える。


 しかし息つく暇もなく、また別の場所から新たな断末魔が生まれ、同じように、命がロウソクの火を吹き消すようにあっけなく消えていく。


 視界の端で、人と思わしき形の「火柱」がのたうち回っていた。


 熱さに狂ったように蠢き、やがて限界を迎えたのか、バキバキと骨の爆ぜる音を立てて肉もろとも崩れ落ちる。


 あとに残されるのは、つい数分前まで笑顔で言葉を交わしていたはずの隣人たちの、炭化した真っ黒な物体だけだ。


 日常が、唐突に地獄へと変わってしまった。


 そのとき。

 燃え盛る業火の中にあって、不意にぞっとするほど冷たい影が、幼い私の上に落ちた。


 暗いローブに身を包み、その体中を、まるで内なるバケモノを押さえつけるかのように無数の分厚いベルトで硬く縛り上げた異常な出で立ちの男が、いつの間にか音もなく目の前に佇んでいる。


 顔は見えない。


 ただ、深いフードの暗がりから覗く両の瞳から、ねっとりとした血の色の「赤い光」だけが、私を凝視していた。


 男が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。

 声も出さず、何の感情も表情に浮かべず、ただ淡々と作業をこなすかのように。


 逃げなければ。


 そう本能が激しく警鐘を鳴らしているのに、あまりの根源的な恐怖に体が完全に硬直して動かない。喉が干からびたように張り付き、助けを呼ぶ悲鳴すら出ない。


 じり、じりと近づいてくるその手は、まるで『死』そのものが実体を持って迫ってくるかのようだった。


 触れられれば終わる。決して抗うことのできない、絶対的な死の気配。


 そして。

 蛇に睨まれた蛙のように震える私の顔面の左側に、死神の冷徹な指先が、ゆっくりと、確実に重ねられた。


 その瞬間。


「あ゛……ッ――――!!?」


 まるで頭蓋骨の中で脳が沸騰し、顔半分の肉がジュウジュウと音を立てて爆ぜるような、言語を絶する激痛が襲いかかった。


 自我が粉々に砕け散るほどの痛み。己の命が、尊厳が、未来が、文字通り強引に剥ぎ取られていくような感覚。


「っ!」





 呪術師。



 あれは、理不尽で、あまりにも唐突に。


 わたしの『全て』を奪い、焼き尽くした日の、決して消えることのない傷と、呪いの記憶だ。




 ---


「……っは、あ、……っ」


 跳ね起きようとした身体を、ふかふかの座席が優しく受け止めた。

 ガタゴトと、規則的で心地よい振動が背中に伝わってくる。


 そこは、高級な馬車の客室だった。


 下級の冒険者たちがすし詰めになって乗るような荒々しい荷馬車とは違い、しっかりと密閉された部屋のように広く、静かな空間。


 壁際には、布に厳重に包まれた全長180センチメートルほどの巨大な魔導槍が、誂えたように綺麗に収まっている。


「うなされていましたよ……。お加減は大丈夫ですか、エルダー?」


 すぐ横から、鈴を転がすような心配そうな声が聞こえた。


 見れば、黒い魔導衣に身を包んだ小柄な少女が、心配そうにこちらに身を寄せ、身体を支えてくれている。


『オクルス』の二つ名を持つ、リナ・エルド・オクルスだ。


「エルダー、これを使ってください。」


 もうひとりの少女。


 同じく黒い魔導衣を着たメル・エルド・テスタが、手慣れた様子で医療薬品をたっぷりと染み込ませた冷たいタオルを差し出してくれた。


 爛れが痛むとき、こうやって彼女は手際よく渡してくれる。


 彼女は『テスタ』の二つ名を持つ、メル・エルド・テスタだ。


 エルド庇護院を卒業したばかりの、まだ少しだけ幼さの残る可愛い後輩であり、現在は自分のクランで預かっている大切な教え子たち。


 ふたりの純粋な瞳が、今は不安げに揺れている。


「……少し、爛れが痛んだみたい。いつものことだから、大丈夫よ。ありがとう。」


 リオナは荒くなった呼吸を整え、いつもの凛とした顔で答えた。その声は、鼓膜に心地よく響くほどに優しく、美しい。


 メルから受け取ったタオルを、自身の左顔面にそっとあてる。


 そこには、あの悪夢の夜に刻まれた、今も決して消えることのない醜い呪いの爛れがあった。


 リオナがいつもの気丈な様子を取り戻したのを見て、リナとメルはホッと胸を撫で下ろす。


 容態がひとまず無事であると確認できたことで、ふたりの関心は、現在進行形で馬車が向かっている「目的地」へと移っていった。


 先に口を開いたのは、リナだった。


「エルダー……、今回の緊急依頼、本当に受けてもよかったのでしょうか。」


 その言葉に、メルも神妙な面持ちで頷きながら続く。


「そうですよ。ギルドの金銭提示は『予兆レベル3』の規定どおりなのに、ギルド貢献度だけは、フルスペックのスタンピード相当ですよ?どう考えてもおかしいというか、その……。」


「辺境のギルドと現地の冒険者がグルになって、不正に等級を上げようとしているんじゃないですか?私たちがそこに出向いたら、その不正に加担することになってしまうかも……。」


「それに、もし本当にフルスペックのスタンピード相当の事態になっているんだとしたら、そもそも『防衛義務なし』が発令される案件じゃないですか。それなら、全てを放り出して逃げなきゃいけないはずなのに……。」


「Aクラスを呼ぶ、というポーズをしておいて、到着したら『我々で既に対応済です!』ってしらばっくれられたら……。」


 ふたりは口々に、胸に抱いていた疑問や不安をリオナにぶつけていく。


 無理もない、とリオナは思った。


 ふたりは「世界に牙を供給する組織」であるエルド庇護院の育ちだ。


 幼い頃から合理的な戦術と魔導の技術だけを叩き込まれて育った彼女たちは、この時代において「生まれ育った街を捨て、別の地で生きていくこと」がどれほど残酷で、不可能なことかを知らない。


 一般の住人にとって、街を捨てるということは、受け入れ先もなく外の荒野で野垂れ死ぬことを意味する。


 だからこそ貴重な戦力である冒険者を無為に消耗させないための『防衛義務なし』が発令されたとしても、商人はともかく、街の住人には逃げる術など何ひとつないのだ。


 そんな世界の泥臭い仕組みを知らない雛たちに対し、リオナは彼女たちの推測を否定することも、あえて修正することもしなかった。


 ただ、前を見据えたまま、自分の芯を語る。


「そうね。あなたたちの言う通り、何かの不正かもしれないわ。」


 リオナは静かにタオルを離し、窓の外を見つめた。


「けれど、とても困っていて、助けを求めている人がいる、かもしれない。私たちは、その困っている人を助ける。それで、フルスペックのスタンピード相当の報酬がもらえるのなら、それでいいじゃない。困っているところは助かり、私たちも相応の貢献度をもらえる。……何も悪い話ではないわね。」


 その横顔は、一切の迷いがないほどに凛々しかった。


 その時、リオナの眉が僅かにピクリと動いた。


 何かを察知したように、彼女の視線が馬車の窓の外、遥か彼方の地平へと向けられる。


「先に行っています。あなたたちは、しっかり準備を怠らないようにしてから来なさい。」


「えっ?」と二人が声を上げるより早かった。


 リオナが傍らの魔導槍にそっと手を触れ、自身の魔力を流し込む。


 刹那、槍を厳重に包んでいた布がサラサラと生き物のように解け、中から鋭利な輝きを放つ「魔導槍」が姿を現した。


 リオナはその魔導槍を手に取ると、なんと時速数十キロメートルで激しく走行中の馬車の扉を躊躇なく開き、そのまま外へと躍り出た。


 驚くふたりの目の前で、彼女は手にした魔導槍の柄にしなやかな体躯を預け。


 そのまま、矢のような速度で大空へと飛び去ってしまった。


 開け放たれた扉から、激しい風が客室に吹き込む。

 残されたふたりは、ぽかんと口を開けたまま、遠ざかる一筋の光を見つめていた。


「「……ほえ~……」」


 あまりの規格外の行動に呆気に取られ、同時に、心の底から同じ言葉が漏れる。


「「……かっけー……っ!」」


 しかし、いつまでも憧れに浸っている暇はなかった。


 リナはハッと我に返ると、自身の両目に魔力を込めた。


 二つ名『オクルス』の真骨頂。広域走査《レーダー》の展開だ。


 彼女の頭の中に、広域走査によって得た情報が組み立てられていく。


「っ!?多数の魔物反応!それと、戦っている…?人間の生命反応もたくさんある!でも、この魔物の反応……嘘、強さの桁が、お、おかしい…っ!」


 みるみるうちにリナの顔から血の気が引いていく。


 彼女の優秀な探知魔法は、敵の大まかな数だけでなく、その「強さの当たり」まで検出できる。


「こんな魔物相手に、この辺の冒険者や住人が戦えるわけがない……!このままじゃ、全員虐殺されちゃう……っ!」


「リナちゃん、落ち着いて!敵の形は!?種類は絞り込める!?」


「え、えっと、大きさは10m級……大型の、二足歩行……!」


 リナが検出した魔物の特徴を告げた瞬間、今度はメルの顔が強張った。


「10m級の二足歩行……?それって、まさか『サイクロプス』じゃないの!?」


「え……?」


「冗談でしょ!?あいつら、並外れた魔法耐性を持ってるのよ!?魔法使いの私たちにとっては最悪の、文字通りの天敵じゃない……!!」


 車内に、これまでにない戦慄とパニックが走る。


 圧倒的な格上。


 しかも、自分たちの魔導が通用しにくい最悪の相性。


 そんな絶望的な戦場へ、自分たちの敬愛するエルダーは、たったひとりで、文字通り「槍一本」で飛んで行ってしまったのだ。


「エ、エエエエエエルダーあああああああああああああッ!!」


 迫り来る怪物の恐怖と、先に行ってしまった偉大な師への憧憬、そして「何が何でも役に立たなければならない」という焦燥。


 ありとあらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざり合ったふたりの絶叫が、高級馬車の客室に木霊し、激しい風の中に掻き消えていった。




 ---


【人物名鑑:メル・エルド・テスタ】

 Aクラスクラン『白花の槍』に所属する魔法使い。エルド庇護院の卒業生であり、現在はエルダー制度のもとでリオナに師事している。女の子。


 二つ名は『テスタ』。自身だけでなく離れた味方にも即座に強固な魔力障壁を展開できる、比類なき防御魔法の使い手である。


 魔法は本来、術者と対象者の力量差によって効果が大きく減衰するという絶対法則がある。しかし、彼女は卓越した観察力により、対象そのものではなく装備を起点に魔力の殻を展開する独自技術を確立し、この制約を回避している。

 そのため格上のリオナでさえ完全な強度で守護することが可能だ。


 そして、重度のBL(ボーイズラブ)趣味をひた隠しにしている腐女子。


 自身の魔法の特性である「防御《受け》」という概念に対して異常なこだわりと独自の哲学を持っており、前衛の激しい攻防を脳内で勝手に変換しては悶絶している。


 守りを受けと言い間違えそうになり、もう少しで趣味が白日の下に晒されかけるスリルと日々戦っている。趣味の妄想を書き殴った秘密のノート(通称:腐導書)を命の次に大事にしており、これがリオナやリナにバレた時は自分の社会的死を迎える時だと確信している。リオナからはいつも何か書き込んでる勉強熱心な子だと思われている。



 ---


【人物名鑑:リナ・エルド・オクルス】

 Aクラスクラン『白花の槍』に所属する魔法使い。エルド庇護院の卒業生であり、現在はエルダー制度のもとでリオナに師事している。小柄な女の子。うすほそ


 二つ名は『オクルス』。遮蔽物越しでも対象を正確に捉える『精密視覚』と、周囲の魔力の揺らぎから敵の位置を即座に把握する『広域走査』という、二種の優れた探知魔法を操り、戦場では確かな目として死角を消す。リーダーであるリオナが迷いなく最速の攻撃判断を下せる環境を構築する、比類なき探知魔法の使い手である。


 普段はクールで真面目な優等生として振る舞っているが、その実、脳内は常に不埒な妄想で大忙しなむっつり女子。


 自身の探知魔法が優秀すぎるがゆえに、「もし、うっかり集中が乱れて、誰かのあられもない姿や、エッチな現場を覗き見てしまったらどうしよう!?」という私欲にまみれたシミュレーションを四六時中繰り広げている。


 当然、実際にはそんな破廉恥な目的で魔法を行使したことは一度もなく、集中が乱れて事故るというのもなく、むしろ倫理観は人一倍強いのだが、一度妄想のスイッチが入ると、何もない空間を凝視したまま顔を真っ赤にしてフリーズしてしまう悪癖がある。



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