12話 厄災級
警鈴は、もう町全体を包んでいた。
逃げ惑う声に泣き声と怒鳴り声が、混じって流れる。
それを押しのけるように、荷車が軋む。
八百屋の前も、例外じゃない。
「押すなって言ってるだろ!」
「水は後だ、先に子どもを――!」
西の勇者は、店先に腰を下ろしていた。
剣はない。鎧もない。あるのは、年老いた体だけだった。
腰に巻いた布を、何度も押さえている。
「……ちくしょう」
吐き捨てるように言って、立ち上がろうとして――
また、座り込んだ。
「昔みたいには、いかねえな」
そこへ、ふらりと影が差す。
白髪の老人。背中は丸く、歩幅も小さい。
玄斎だった。
「おい」
西の勇者が、顔を上げる。
「まだいたのか、あんた」
玄斎は答えない。
ただ、町の外――門のほうを見ていた。
土煙が、遠くで立ち始めている。
「……なあ」
西の勇者が、何気なく言った。
「さっきな、柚葉ちゃんに、似た子が――門のほうにいるって、言ってた奴がいた」
玄斎は、動かない。
「見間違いだとは思うけどよ。この混乱だ。子どもも多い」
西の勇者は、苦く笑う。
「俺が現役なら、確かめに行ったんだが――このザマだ」
玄斎は、何も言わない。
ただ、門のほうへ向きを変えた。
「……おい」
西の勇者が再び呼ぶ声は、混乱の街に消えていった。
◇
「……近いぞ!」
門の上で、衛兵が叫ぶ。
視線の先――街道の向こうで、土煙が地平線を塗り潰していた。
獣の群れが、押し寄せてくる。
逃げ遅れた町人が悲鳴を上げ、衛兵が必死に整列を叫ぶ。
「前に出るな! 門を固めろ!」
「弓兵、準備!」
誰もが必死だった。
――その中で、ひとりだけ場違いな人物がいた。
白髪に痩せた背。
杖のような洗濯叩き棒を、片手に下げている。
「おい、じいさん! 危ねえぞ!」
「戻れ! 避難はまだ間に合う!」
声をかけられても、老人は止まらない。
速くもなく、遅くもなく。
ただ、門の外へ向かって歩いていく。
誰かが舌打ちした。
「気でも狂ったか……」
そのときだった。
門の内側、八百屋の西の勇者が、息を切らして現れた。
「待て……!」
呼び止めようとして、声が途切れる。
腰を押さえ、顔を歪める。
「……くそ」
衛兵が気づいて駆け寄る。
「おじいさん、危ないから――」
「行かせろ」
短い声だった。
それ以上、続かなかった。
西の勇者は、門の外へ歩いていく老人の背を見つめる。
「……あれは、止めるな」
「でも――」
「止めても、聞かん」
そして、小さく付け足す。
「……わしでも、もう無理じゃ」
その言葉の意味を、誰も聞き返せなかった。
門が開くと、老人は外へ出た。
獣の咆哮が、正面からぶつかってくる。
地鳴りがし、踏み荒らされる大地。
最前列の魔物が、こちらに気づいた。
突進。
次の瞬間。
――割けた。
老人が、棒のようなものを軽く振る。
ただそれだけで、魔物が素通りした。
「……え?」
誰かの声が漏れた。
門の上で、衛兵が息を呑む。
「……人、か?」
誰かが、知らず祈っていた。
誰かが、武器を下ろしていた。
西の勇者は、門の内側で、静かに目を閉じる。
「……ああ、……いや、厄災だ」




