最終話 とある双子の絆
全てが終わった。まるで長い夢を見ていたかのような、ふわふわした感覚を味わいながら、僕は父さんと母さんを見守っていた。二人は僕たちのすぐ目の前にいるのに、なぜか遠い所にいるみたいだった。
「――やっと終わったね、一夜」
「……」
僕がそう言うと、一夜は無言で頷いた。
「もう、大丈夫そうだし……僕たちはそろそろ……」
「……ああ」
僕たちの未練は、きっともう、残っていない。母さんが僕たちの未練を晴らしてくれたから、もう何も心配することなんてない。
ただ一つだけ、心残りなことと言えば――
「僕たち、やっぱり離れ離れになるのかな……?」
「……」
それは嫌だな……なんて呟いてみると、一夜も力強く頷いた。
「せっかく双子として生まれたんだから、魂もちゃんと繋がってるといいね」
「……そうだな」
一夜も同意してくれて、僕は嬉しくて、少しだけ泣きたくなった。
「一夜……いつか生まれ変わっても、また一緒だといいね」
「……ああ」
それが、僕たちの最期の会話だった――。
***
「――っていう、夢を見たんだよ」
「……」
僕はちょっと長い夢の内容を語り終えた。隣で僕の話をずっと黙って聞いていた一夜は、盛大な溜め息をついて僕を睨んだ。
「いやー、びっくりだよね! 夢とは言え、僕たち死んじゃってるんだよ? しかも、その原因がお隣の山下さんだなんて、洒落になんないよ!」
「……」
僕のそんな感想は、僕たち二人しかいない美術室全体に響き渡った。
そう、ここは学校の美術室。僕たちは父さんと母さんにプレゼントする予定の絵の完成に向かって作業をしているところなのだ。
その作業の間、一夜は始終無言だった。一心不乱に絵を描き続けていて、僕の顔を一度も見ようとはしなかった。だから何となく寂しくなって今朝の夢の話をしてみたのだけれど、一夜は全く関心を持ってくれなかった。
「母さんの名推理が凄かったんだよ! まるで名探偵! 母さん、探偵に転職してもいいんじゃないかな?」
夢の中での話だけど。
「……帰るぞ」
「あれ、終わったの?」
見ると、一夜はすでに作業を終えていた。ただし、僕はまだもう少しだけ残っている。
「一夜、もーうちょっとだけ待ってて! すぐ終わらせるからお願い!」
「……」
色鉛筆を片付け始めた一夜に向かって、僕は拝むようにして頼みこんだ。すると、一夜は深い溜め息をついて頷いた。
「それにしても、さらにびっくりなことに、今のところはその夢と全く同じように事が進んでるんだよね。あ、でも……」
僕はさっさと鉛筆を動かしながら、絵を仕上げていく。けれども手だけでなく、口も動かし続けた。
「綾小路姉妹から貰っちゃったチョコ、夢の中じゃあからさまなぐらいに市販のチョコだったのに、現実で貰ったのは明らかに手作りだったんだよねー」
"べ、別に、貴方のためだけに作ったわけではありませんからね!"
――というような謎のお言葉も一緒に頂戴した。美咲さん、なぜだか凄く目が泳いでたけどね。そしてどういうわけか、妹の美波さんはなんと一夜にチョコをあげていた。
"ちょっと! 勘違いしないでよね! 姉さんが貴方の兄さんにチョコ作るって言うから……ついでなんだから!"
――って言ってたかな。あの姉妹って、実はツンデレだよね。
「ねー、一夜、一夜は美波さんのことどう思ってるの?」
「……うるさい女」
「……酷いよ」
そんな会話をしてる間に、僕はようやく絵を完成させた。
「……よし、完璧。帰ろっか、一夜」
「……」
一夜は頷いて、僕の色鉛筆などを片付ける手伝いをしてくれた。なんだかんだ言っても優しい弟である。
「うわ、もう六時だ。急がないと」
「……」
片付けが終わって鞄を掴むと、僕は小走りで扉に向かった。しかし一夜はマイペースにも、僕たちが使っていた机に置いてあった美術室の鍵を持って、ゆっくりと歩いてきた。
何でこういう日に限ってそんなゆっくりなんだよ! もうちょっと急ごうとか思わないの!?
「一夜、早く帰ろうよ!」
「……職員室に鍵を返したらな」
一夜はそう言って、変なキーホルダーが付いた鍵を持ち上げて見せた。
***
「――あ、ここだよここ。夢で僕たちが事故に遭った交差点は」
「……」
学校から徒歩十分。とうとう来てしまった例の交差点は、普段以上に車が少なかった。流石に真冬の夜だからか、人通りは全くない。
「確か、ここでトラックが違反車を避けきることができなくて、こっちに突っ込んで来ちゃうんだよね」
「……」
僕の言葉に、一夜は何も返さなかった。ただずっと、街灯の光が辛うじて照らしている交差点の向こう側を見つめ続けていた。
「早く帰ろう。夢が現実になる前に」
「……兄貴」
「……ん?」
突然、一夜は僕を呼んだ。一夜の少し前を歩いていた僕は、自然と後ろに振り返った。
「どうしたの?」
「……逃げるぞ」
「へ……?」
それは、一瞬のことだった。
僕はいきなり一夜に右腕を掴まれて、強い力で引っ張られた。驚きの声をあげる間もなく、僕はただされるがままに、走り出す一夜について行く。
すると次の瞬間、背後から、耳をつんざくようなクラクションとブレーキ音、そして何かが擦れるような音が聞こえた。とっさに驚いて後ろに振り向くと、なぜか僕たちに迫って来る大型トラックの姿が。
……あれ? 何でこんなことに? あれは夢の中の出来事のはずじゃ……?
脳裏によぎる、そんな疑問。不思議と冷静な自分が、一番奇妙にも思えた。
「……兄貴!!」
「……うわ!!」
珍しいくらいに切羽詰まった、一夜の声。と同時に、僕はこれまた強い力に引っ張られて、なぜか急に右カーブした。しかも、スライディングするかのように。
すると今まで迫って来ていたトラックは、僕たちの真横でようやく止まった。僕たちが急カーブした、その場所に。
「……イタタタ……」
「……」
コートやマフラーに付いた砂を払いながら、僕はようやく身体中の痛みを訴えた。きっと明日には筋肉痛になっているに違いない。
僕はなんとなく、恨みがましい目で一夜を睨んだ。
「……痛いよ、一夜」
「……悪い」
珍しく素直に謝った一夜に瞠目しながら、僕は目の前のトラックに視線を向けた。どうやらトラックの運転手さんは気絶しているようで、ハンドルに頭を乗せて身動き一つしなかった。
「救急車を呼ばないと!」
「その必要はない」
一夜が指さした方を見ると、すでにたまたま通りかかった人が携帯で通報しているところだった。それで一安心した僕は、一夜にようやく疑問をぶつけた。
「一夜、まさかとは思うけど、こうなること分かってた?」
「……勘だ」
一夜の答えは、相変わらず素っ気ない。僕の不満げな顔に気づいたのか、一夜はこう付け加えた。
「あの夢のような失敗はもうしない」
どうやら一夜は、あの夢の中の出来事に根を持っている様子だった。余程悔しかったのだろう。
「……つまり、一夜も僕と同じ夢を見たんだね」
僕は妙に納得してしまった。どうりで突っ込んで来るタイミングが分かっていたはずだ。
「やっぱり、流石は双子って感じだよね」
「……」
僕が少し笑うと、一夜は仏頂面ながらも頷いた。そしてすぐに顔を緩めると、一夜は非常にレアな表情を見せてくれた。
「帰ろう、父さんと母さんが待ってる」
そう言った一夜はきっと、今年初めての晴れやかな笑顔だった――。
完