命短し恋せよ乙女9/16
ブリジット・エリントンはうるんだ瞳で、太陽が地平線に沈もうとしているのを見守っていた。僕がいることなんてまったく気にしていない。時折、親指しかない手袋で鼻水を拭った。
渡り鳥の群れがV字編隊で北へと向かってた。春がもうそこまでやって来ているようだけど、まだまだ寒さは衰える気配を見せない。
しかたないな。僕は冷気耐性を付与した魔力をハーネスを通してブリジット・エリントンにもまとわせる。
やがて太陽は沈み、地平線が赤々と燃えていた。黄昏が世界を包む。ブリジット・エリントンの鼻を拭く手は止まってた。空はというと深いコバルトブルー一色に染まり、その一点を貫くように一番星がまたたく。
「おっさん、あなた一体何者?」
空を見つめたままブリジット・エリントンがそうつぶやいた。まぁ、そりゃぁそうなるわな。ブリジット・エリントンは気付いているはずだ。寒くなくなったのは僕が原因だと。
シャツにジャケット姿なのに雪の中でも普通に活動している。王都でさえ手に入らないものをすぐに持って来る。それで今更、何でもないただの開拓初心者です、では通るまい。
でも、かまわない。敢えて言おう。
「僕は一般人。ただの開拓初心者です」
空を見てたブリジット・エリントンが僕に目を向ける。しらーっとジト目をされた。ごもっとも。お気持ち察します。
「ま、いいわ」
あれっ? おこんないの?
「知ったところで私にはどうにも出来ないし、」
それからの言葉はない。僕に笑顔を見せる。けど、そこにあったのは心から笑ってない、影があるような、なにか物悲しげな笑みだった。
なんか、申し訳ない気持ちにさせられる。いやいやいや、落ち着けって。僕は間違ってない。開拓初心者って体でずっとやってきてるんだ。これからもそれをずっと続けていく。
「あれ見て。北真十字星」
はいぃっ? 話を振っといていきなり話題を変えますか。
乙女心は移り気で草
見上げるとまるで降って来そうなぐらい空一面に星がきらめいていた。
「っていうことは、あっちが冬の五芒星ね」
喜びに声が弾んでる。
「エリス、ラプラス、カインズ、コスタス、デメトリオス」
楽しそうに指さすその表情は陰りが消え、空にきらめく星のごとくぱあぁぁっと明るく輝いていた。
「星に手が届きそう」
ブリジット・エリントンは立ち上がって空に向かって目一杯手を伸ばす。
調子狂うわぁぁぁ。
ずっとトゲトゲしてたのはどういうこと。めっちゃいい子じゃないっすか。
「あれがトンボ座」
まったく分からなくなってしまった。これはどういう状況? なんで僕はここにいるの? 僕のポータルもついにバクったかぁ?
「はい。次、ヒューの番」
えっ?
今、おっさんじゃなく名前で呼びましたか?
「なにキョトンとしてるのよ。ゲームをするの。一人ではしゃいでたってつまらないもん。私がトンボ座って言ったでしょ。今度はヒューが知ってる星とか星座を言うの。言えなくなったら負け」
えっ、えええ! やっぱり名前で呼ばれてる。
急に基本的人権が尊重されてて草
「あ、はい。じゃぁぁ、ミルキーリバー」
「あはははは。簡単なのから来たね。じゃぁ私はドラゴン座」
「で、では、あれ。牛飼い」
「はい。かまど姫」
「ええっと。タコ座」
「あはは。変なのばっか。ホウオウ座」
変なのって。
「僕はぁ、えええっと、あそこ。ムクドリ座」
「変わったところ攻めたわね。だったら私はあれ。イボイノス座」
おいおいおい。この状況ってまさか!
星空デートで草
それから僕らは百以上の星や星座を数え上げた。さすがのブリジット・エリントンも疲れたのだろう。途中から船をこぎ始めた。
ゲームの途中で寝るなんて、まだまだお子様だな。僕が答えを急かさなかったからか、やがてブリジット・エリントンはハーネスの座席で寝入ってしまった。
ブリジット・エリントンの手からそおっと手綱を抜き取る。ハッピーガストを操作すると一路、ブリジット・エリントンの塔へ向かった。
暗く広がる森の一点に、ぼやッと光る場所がある。モンスター対策の湧き潰しだ。ブリジット・エリントンは塔の周りに多くの松明を設置していた。近付くにつれ明かりに照らされた塔の姿が淡い光の中に浮かび上がる。葉を落とした大きなサクラの木も姿を現した。
塔の窓から漏れる明かりに照らされつつ、ハッピーガストを広場に降下させていく。着地させるとすやすや眠るブリジット・エリントンを起こさぬようそっと座席から抱き上げた。ハッピーガストから飛び降りる。
玄関前の雪だるまの横にブリジット・エリントンをゆっくりと降ろした。踵を返し、ハッピーガストにリードを付けるとそのリードの端をサクラの木につなぐ。
玄関前に戻った。ブリジット・エリントンの寝てる姿はまるで天使のようだ。口元に笑みをたたえ、すやすやと軽い寝息をたてている。
塔は三階建てで寝室は二階のはず。ネームタグの能力でその辺は把握している。お姫様だっこして、塔の中に入って行く。
玄関リビングは明るかった。ランタンで照度を保ち、きちんと湧き潰しを行っている。光源と暖房を兼ねて暖炉もあり、くつろぐためのソファー、そして、食事用の椅子やテーブルもある。
壁に沿って螺旋に上がる階段を登っていく。上がったそこはいくつかの部屋に区切ってあった。ベッドに向けて歩を進めるとまずウオークインクローゼットが目に入る。他にドアで仕切られている部屋はトイレや浴室なのだろう。
寝室はベッドの他にラージチェストが三段に積み上げられ、暖炉の火が赤々と燃えていた。しゃれたインテリアはない。
殺風景な部屋。けど、壁に箇条書きされた文字が並んでた。
それも三つや四つではない。街角にあるいたずら書きのように、寝室の壁に右から左までずらぁっと、炭で文字が刻み込まれている。
マジかよ。
乙女心がサイコホラーで草




