第1話 捨てるもの、間違えてます
黒い廃棄袋の結び目から、粘つく緑の体液が一滴、床に落ちた。そこへ、小さな白虫が迷いなく寄っていく。
「今日は早いなあ……」
俺は膝をついたまま、袋の口を縛り直す。
戦闘後のダンジョン通路には、割れた魔石、血を吸った包帯、曲がった剣、ひび割れた自動救命タグが散っていた。床に広がる魔物の残骸からは、まだ熱と臭いが残っている。
通路の奥では、討伐を終えた探索者たちがレアドロップを専用ケースに詰めていた。名の通ったクランだ。勝ったあとの軽い笑い声が、残骸の臭いの上を通っていく。
天井近くでは、配信用の小型ドローンが羽音を立てている。誰も気にしていないし、俺も気にしない。
勝った側は立っている。
俺は床にいる。
俺の名前は灰崎佑。救護局登録のダンジョン・サルベージャーだ。そう名乗っても、現場での呼び名はだいたい決まっている。
「おい、ゴミ拾い。その山も全部廃棄でいいぞ」
「はい、承ります」
「食えるもんでもあれば拾っとけよ」
どっと笑いが起きる。
「今日はなさそうですねえ。残念ながら」
俺も笑って返す。慣れている。
処分費は袋単位。使えるものを一つ抜ければ、今日の夕飯に肉がつく。二つ抜ければ、明日の朝が少し楽になる。うまく回れば追加報酬も出るし、実績ログに名前が残れば、次の現場で指名が入ることもある。
それに、ログに名前さえ残れば、どこかで誰かの目に留まるかもしれない。
……馬鹿みたいな話だ。
手を動かそう。
支援端末を残骸の山にかざす。
【汚染混合物】
【焼却処理推奨】
【廃棄可】
端末は正しい。物としては、全部その通りだ。
その上から、俺は【仕分け】を重ねる。視界の端に、白い荷札みたいな札が下がった。
『廃棄』
『焼却』
『売却・下』
今日もこんなもんか。
そう思った次の袋で、札が乱れる。
『廃棄不可』
『搬送優先』
『証拠保全』
手が止まった。
『搬送優先』の札だけが、袋ではなく崩落した奥へ傾いている。
床を擦る車輪の音が近づいてくる。処分担当がカートを押していた。
「灰崎さん、急ぎますよ。虫が湧く前に焼却へ回します」
彼は足元を見て、小さく舌打ちする。白虫はもう数匹に増えていた。魔物残骸の断面はさっきより黒ずみ、割れた魔石片には薄い膜が張り始めている。
白虫は残滓汚染の先触れだ。放っておけば、残骸から良くないものが湧く。
だから彼は正しい。
急ぐのが、彼の仕事だ。
「すみません。この袋だけ、待ってください」
「……は? 端末、廃棄可出てるでしょう」
「出てます。でも、載せられません」
「処理番号、もう出てます。一度ラインに乗せた袋を止めるなら、理由書、要りますよ」
「書きます」
「本気ですか」
「はい。焼くより安いです」
処分担当が眉を寄せた。
「安いって、そういう問題じゃないでしょう」
「だいたい、そういう問題ですよ。焼いたあとに未回収者が出たら、理由書一枚じゃ済みません」
奥の笑い声が止まった。探索者たちがこちらを見る。
「なんだ?」
「後始末屋が、現場判断に口出すのか」
「確認します。少しだけ」
俺は袋の中に手を入れた。汚れた手袋の先に、硬い感触が当たる。
引き出したのは、ひび割れた自動救命タグだった。表面は焦げ、留め具は千切れている。
端末をかざす。
【破損救命タグ】
【再使用不可】
【廃棄可】
【焼却推奨】
端末は間違っていない。物としては、もう死んでいる。
でも、俺が見る欄はそこじゃない。
これを今、どこへ回すべきか。
タグに耳を寄せる。
――ッ。
……――ッ。
聞こえるか、聞こえないかの断続音があった。床を見ると、細い引きずり跡が崩落した奥へ延びている。白虫の集まり方も、袋よりそちらの方が濃い。残骸の黒ずみも、崩落側から始まっていた。
「この袋、どこの残骸ですか」
「……奥の、崩落のとこだけど」
処分担当の手が袋の口へ伸びる。
俺は片手で袋を押さえ、もう片方の手でひび割れた自動救命タグを目の高さに掲げた。立っているのは探索者たちと処分担当。膝をついているのは、俺だけだ。
タグの赤い点滅は、消えそうなくらい弱い。頭の上でドローンの羽音が動き、レンズがこちらを向く。
端末の答えは変わらない。
【廃棄可】
【焼却推奨】
俺の視界には、白い札が残っている。
『廃棄不可』
『搬送優先』
『証拠保全』
「捨てるもの、間違えてます」
声は落とした。怒鳴ると、現場は余計に遅くなる。
「そこの残骸、上だけどけてください。全部じゃなくていいです。右側だけ」
タグを掲げたまま、崩落箇所の一点を指す。探索者たちは動かない。
「そこは確認した」
「反応なんか出てなかったぞ」
「魔物の残骸しかない」
一人が声を低くする。
「待て。そこを掘り返したら、うちの確認漏れになるだろ」
「確認漏れです。でも、まだ焼いてません」
返事はない。誰も動かない。
「なら、確認済みのまま助けます」
誰かが舌打ちした。
それでも一人が進み出て、剣の鞘で残骸をずらす。泥のような体液が流れ、白虫が散った。
もう一枚、瓦礫がどけられる。
その下から、小さな手袋が見えた。
血と泥に汚れた、支給品の新人用手袋。安いやつだ。
探索者たちの顔から血の気が引く。
「――救護班! 救護班呼べ!」
処分担当がカートから手を離した。
通路の入口から救護班が走ってくる。担架、薬剤パック、短い指示。配信用ドローンの羽音だけが、妙にはっきり聞こえた。
瓦礫の間から出た指先が、かすかに動く。
救護班が新人を担架に乗せた。
「搬送します」
それだけ言って、走っていく。
探索者たちは黙っていた。誰も俺には何も言わない。目が合いそうになると、逸れる。
処分担当は、端末の【廃棄可】の表示を何度も見直していた。
俺はひび割れた自動救命タグを証拠保全トレーに置き、黒ずみの進んだ残骸を選んで別袋に分ける。
支援端末が短く鳴った。
【暫定実績ログ:未回収者発見補助 一件】
……端末の端を、汚れた親指で一度こすった。
礼はない。
でも、ログには残った。
顔を上げると、天井近くでレンズがまだこちらを向いている。
「……まだ撮ってたのか」
そのとき、端末が硬い音を立てた。
【救護局通知】
【当該サルベージャーの仕分けログを提出してください】
【廃棄判断責任者の照合を開始します】
【現場配信アーカイブに当該映像を確認】
青白い通知の光が、汚れた作業手袋を照らす。足元では、白虫がまだ一匹、床を這っていた。
黒い廃棄袋。
その上の暗がりで、配信用ドローンのレンズが小さく光った。




