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運命の出会いと、隠せない心の傷

「――っ! 誰、ですか……!?」

 私は弾かれたように顔を上げ、涙を拭うのも忘れて声のした方を振り返った。公爵邸の最奥にあるこの庭園は、夜間は誰も立ち入らないはずの場所。見つかってしまった気恥ずかしさと恐怖で、私の心臓がドクンと大きく跳ね上がる。


 しかし、月明かりの中に佇むその人の姿を視界に捉えた瞬間、私は言葉を失った。(な、んて……綺麗な人……)そこにいたのは、夜の闇をそのまま溶かし込んだような、艶やかな漆黒の髪を持つ男性だった。そして何より目を奪われたのは、その瞳だ。凍てつく湖の氷を切り取ったかのような、どこまでも深く、澄んだアイスブルー――水色の瞳が、まっすぐに私を見つめていた。


 仕立ての良い上質な黒の夜会服を着こなす彼の立ち姿からは、隠しきれない圧倒的な気品と、どこか人を寄せ付けない冷徹なオーラが放たれている。我が国のどんな貴族よりも遥かに洗練された、息を呑むほどの美貌。私は涙で濡れたアメジストパープルの瞳を見開いたまま、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 「夜分に突然声をかけてしまい、驚かせてしまったね。申し訳ない」

彼はそう言うと、優雅な動作で胸元に手を当て、完璧な貴族の礼をとった。

 

 「私は隣国の侯爵、アルヴィス・フォン・ローゼンバーグと申します。本日、お国との親善のためにこちらの公爵邸を訪れていたのですが……少々、夜風に当たりたくて迷い込んでしまいました」「あ……、アルヴィス、侯爵閣下……」


 隣国の若き重鎮、アルヴィス侯爵。その名前は私でも知っていた。誰も信用せず、冷徹に影の軍事を統べるという、孤独な孤高の侯爵。そんな雲の上の存在のようなイケメンが、なぜこんな場所に。


 私は慌てて、公爵令嬢としての仮面を被り直そうとした。涙の跡を手の甲で乱暴に拭い、精一杯の気高さを声に込める。

 

 「失礼いたしました、閣下。私はこの公爵家の長女、カリア・フォン・ラディスと申します。見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。すぐに立ち去りますわ……」


 背筋を伸ばし、いつもの「氷の令嬢」の冷たい表情を作ろうとする。でも、低く響く彼の声が、私の偽りの仮面を優しく拒んだ。

 「見苦しくなどありませんよ、カリア嬢」

アルヴィス侯爵はスッと静かに歩み寄り、私の前に立つと、懐から上質なシルクのハンカチを取り出して差し出してきた。ほんのり、澄んだ夜の森のような心地よい香りが鼻腔をくすぐる。


 「……周囲の噂は、私の耳にも届いています。貴女が嫉妬に狂い、婚約者を困らせる『悪役令嬢』だという、くだらない噂がね」

 

 「っ、やはり閣下も、私のことを……!」

胸がズキリと激しく痛んだ。やっぱりこの人も、私をミーナを虐める悪女だと思っているんだ。弁明する気力すら失い、私はぎゅっと唇を噛み締め、俯こうとした。


 しかし、差し出されたハンカチを持つ彼の長い指先が、私の凍りついた心を溶かす言葉を紡ぐ。

 「いいえ。私は先ほど、サロンでの貴女たちの会話をすべて見ていました」

 

 「え……?」

 

 「ただ一途に、幼い頃からの約束を守ろうと誠意を尽くしている貴女と。その純粋な愛を利用し、あざとい嘘で貴女を陥れる男爵令嬢。そして、その浅はかな嘘に騙されて宝物をドブに捨てる、愚かな婚約者」

アルヴィス侯爵の水色の瞳が、夜の闇の中で鋭く輝く。そこには軽蔑ではなく、確かな怒りと、私への深い痛ましさが宿っていた。

 

 「血の滲むような努力で『氷結魔法』を極めた貴女が、あんな安っぽい自作自演の転倒に魔法を使うはずがない。貴女の魔法は、そんな醜い使い道のために磨かれたものではないはずだ。……違いますか?」


 「あ、ああ……」

 

 ボロボロと、止まっていたはずの涙が、再び目から溢れ出した。初めてだった。ギルバートも、お屋敷の使用人たちも、誰も信じてくれなかった私の無実を。私が彼のために必死に努力してきた魔法の価値を。出会ったばかりの、隣国の、この黒髪の美しい侯爵だけが、完全に理解してくれたのだ。


 「どうして……どうして貴方が、そんなことを言ってくれるのですか……」

 私はハンカチを受け取り、顔を覆って声を上げて泣いた。嬉しい。でも、悲しい。私の頭の中には、どうしてもギルバートの冷酷な目がこびりついて離れなかった。

 『相変わらず可愛げのない女だ』

 幼い頃、あんなに優しく私を抱きしめてくれたギルバート。彼のことを今でも一途に愛しているからこそ、その裏切りが、彼から向けられるゴミを見るような視線が、今の私の心をナイフのように抉り続けている。


 「私は……私はただ、彼を支えたかっただけなのに……!」激しく胸を焦がす未練と苦しみ。泣きじゃくる私の姿を見つめるアルヴィス侯爵の胸の中に、この時、激しい衝動が芽生えていた。

 (これほど真っ直ぐに、泥を塗られてもなお一途に人を愛せる、清らかな少女がいたのか……)


 人間は裏切るものだと信じ、孤独に生きてきたアルヴィスの心に、カリアの純粋な涙が深く突き刺さる。彼女が悲しそうに泣くたびに、なぜか自分の胸が、引き裂かれるように痛むのだ。

 (もし……もし、この私に、その一途な愛を向けてくれたなら、どれほど救われるだろう。そのアメジストの瞳から、今すぐすべての悲しみを拭い去ってあげたい――)


 「カリア嬢」アルヴィス侯爵はそっと手を伸ばし、触れることすら躊躇うような優しい手つきで、私のプラチナブロンドの髪に触れた。


 「もう、そんな愚か者のために泣く必要はありません。これからは、私が貴女のその一途さの、最高の味方になりましょう」それは、孤独な侯爵が、悪役令嬢と呼ばれた少女に捧げた、密やかな恋の誓いだった。

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