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微笑みの裏の狂気、愛しき妹のために

 アルヴィス侯爵と出会ったあの夜から、数日が経った。彼が優しく頭を撫でてくれたときの、夜の森のような心地よい香りと、私の無実を完全に信じてくれた水色の瞳が、今も私の頭から離れない。


 でも、私の日常が魔法のように一瞬で変わるわけではなかった。相変わらずギルバートはミーナの男爵家にばかり通い詰め、我が家の使用人たちは、私に聞こえるように「悪役令嬢」だと陰口を叩き続けている。

「はぁ……」自室のテラスで、私は小さくため息をついた。一途に想い続けた幼馴染からの裏切り。その生々しい傷跡は、今も私の胸をナイフのように抉っている。


 「――おや、可愛いカリア。そんな悲しげな顔をして、一体どうしたんだい?」

背後から、音楽のように心地よく、どこまでも甘い男の声が響いた。振り返ると、そこには私とまったく同じ、月の光を浴びた白百合のようなプラチナブロンドの髪をなびかせた、超絶イケメンが立っていた。


 「お兄様……!」私の兄であり、ラディス公爵家の次期当主である、アルベルトお兄様だ。私と同じ澄んだアメジストパープルの瞳を細め、お兄様は彫刻のように完璧な美貌に、優しげな微笑みを浮かべている。

 

 「ちょうど公務が一段落してね。カリアの可愛い顔が見たくなって、帰ってきたよ」

お兄様はそう言って、私の手を取ると、まるで壊れ物でも扱うかのように優しく甲にキスをした。昔からお兄様は、私をひたすら甘やかしてくれる。けれど、私はお兄様にこれ以上心配をかけたくなくて、ギルバートの浮気のことも、周囲から「悪役令嬢」と罵られている孤独も、すべて「何でもありません」と強がって隠し通してきたのだ。お兄様は国を支える重要な役職に就いていて、毎日とても忙しい。私のくだらない婚約話で、迷惑をかけるわけにはいかないから。


 「カリア。何か、悩み事でもあるのかな? 最近、少し痩せた気がするのだけれど」

 「そんなことありませんわ、お兄様。私は毎日、とても幸せです。ギルバート様とも、仲良くやっておりますから」

お兄様の綺麗なアメジストの瞳を見つめながら、私は精一杯の嘘を、いつもの「氷の令嬢」の笑顔で取り繕った。


 これ以上、お兄様の仕事を邪魔したくない。私の問題は、私自身でケリをつけなきゃ。

「そうかい? カリアが幸せなら、私は何も言わないよ。……ギルバート伯爵令息と、仲良くやっているのなら、ね」


 お兄様はふわりと聖母のような優しい笑顔を浮かべ、私の頭を愛おしそうに撫でた。

「私はいつでも、カリアの味方だからね。カリアを傷つける不届き者がいたら、私がこの手で世界から消し去ってあげるから、安心していいよ」

「ふふ、お兄様ったら。大げさですわ」

私はお兄様の「いつものシスコン発言」だと思って、小さく笑った。お兄様が安心したように微笑み、私の部屋を退出していく。


 ――だが、私は知らなかった。部屋の扉が閉まった瞬間、お兄様の顔から『感情』という名の全ての色彩が消え去ったことを。パタン、と扉が閉まった廊下。アルベルトは先ほどまでカリアに向けていた聖母のような笑みを完全に消し去り、底なしの暗闇のような、冷え切ったアメジストの瞳で虚空を睨みつけた。


 「カリア……。私の愛しい、一途で不器用な妹……。どうしてそこまで、一人で傷を隠そうとするんだい?」アルベルトの唇から、凍てつくような低い声が漏れる。妹に悟られないよう、ずっと騙された振りをしていた。


 だが、アルベルトの『影(情報部)』は、ギルバートがミーナという卑しい女と浮気を重ね、カリアを「悪役令嬢」と仕立て上げて嘲笑している事実を、すでに全て掴んでいた。カリアが一人で抱え込み、庭園の奥で声を殺して泣いていたことも、全て知っている。

 (ギルバート……。伯爵家の分際で、我が公爵家の至宝であり、私の最愛の妹をよくもそこまでコケにしてくれたね)

アルベルトの背後から、ゾッとするほどの禍々しい魔力が立ち上る。その怒りは、他国のいかなる魔王よりも深く、冷たく、そして狂気に満ちていた。


 「ただ殺すだけでは生ぬるいな。カリアに気づかれないよう……あの男の積み上げてきたプライドも、家柄も、未来も、全てを合法的にもぎ取って、絶望のどん底へ叩き落としてあげよう」

アルベルトは冷酷に口元を歪め、人知れず、クズ婚約者を社会的に完全抹殺するための『復讐のチェス盤』を動かし始めた。愛する妹が、二度とあんなクズのために涙を流さなくて済むように。

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