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悪役令嬢と呼ばれた一途な少女

 「――また、あの女を連れているのね」

 我が家である公爵邸の豪奢なサロン。冷たい大理石の床を踏み締めながら、私は目の前の婚約者をまっすぐに見据えていた。


 私の髪は、月の光をすくい取ったようなプラチナブロンド。瞳は、カラーの花の奥底に潜むアメジストパープル。周囲の貴族たちは、私のこの隙のない容姿を見て「氷の令嬢」だの「冷酷な悪役令嬢」だのと陰口を叩く。でも、今、私の胸の中で渦巻いているのは、冷徹さとは真逆の、張り裂けそうなほどの怒りと悲しみだった。


 私の視線の先にいるのは、婚約者である伯爵令息のギルバート。アンド、その腕にこれみよがしに細い指を絡めている、男爵令嬢のミーナだ。

 「カリア、また君はそうやってミーナを睨む。いい加減、その嫉妬深くて狭量な性格を直したらどうなんだ?」ギルバートはあからさまに眉をひそめてため息をつき、ミーナの肩を優しく抱き寄せた。

 

 ミーナは「カリア様が怖くて……」と、怯えるようにわざとらしく肩を震わせ、ギルバートの胸に顔を埋める。その瞬間、ミーナがギルバートの胸元から顔を少しだけ覗かせた。彼女の唇の両端が、人知れずニィと不気味に吊り上がる。その勝ち誇った歪な笑顔が私に向けられたのを、私は見逃さなかった。


 (違う……。私はただ、一途にあなたを愛しているだけなのに……!)

 叫び出したい衝動を、奥歯が軋むほど噛み締めて飲み込む。私の唇は、怒りと悔しさで小さく小刻みに震えていた。

 「ギルバート様、私はただ、婚約者としての最低限の誠意を求めているだけです」

 

 ドレスの裾を爪が白くなるほど強く握り締め、涙が溢れそうになるのを堪えるために、わざと目を大きく見開く。声を震わせないよう喉の奥に力を込め、必死に公爵令嬢としての気高さを保とうとした。

 しかし、その必死の抵抗も、ギルバートにとっては鬱陶しいだけのようだった。


 「ふん、相変わらず可愛げのない女だ。ミーナの爪の垢でも煎じて飲めばどうだ?」

 冷たく吐き捨てたギルバートの目は、ゴミを見るように冷え切っていた。そのまま二人は私を見捨ててサロンを出て行ってしまう。

 

 パタン、と重厚な扉が閉まった瞬間、私の目からすっと光が消えた。部屋に残された使用人たちの冷ややかな視線がいっせいに私に突き刺さる。眉をひそめ、軽蔑の色を隠そうともしない顔、顔、顔。

 「またカリア様がヒステリーを……」「ギルバート様が可哀想に……」ヒソヒソと交わされる、棘のある私語。私はぎゅっと目を閉じ、耳を塞ぎたい衝動を堪えた。


 誰一人として、私の本当の気持ちを分かろうとはしてくれない。ここは私の家のはずなのに、息をすることさえ苦しいほどの孤独が押し寄せてくる。胸の奥がズタズタに引き裂かれるような痛みに耐えかね、私はついに、公爵令嬢としての仮面を脱ぎ捨てた。冷笑に満ちたサロンを飛び出し、涙で視界が滲む中、ドレスの裾を乱暴にひるがえして、お屋敷の裏手にある誰もいない庭園へと走り出した。


 すれ違うメイドたちが「あら、カリア様がまた……」と冷ややかな視線を向けてくる。その表情には、私への敬意などひとかけらもなかった。(どうして……。どうして誰も、私の言葉を信じてくれないの……?)痛む足を無視して、私は屋敷の最奥にある、純白のカラーの花が咲き誇る庭園へと逃げ込んだ。


 静まり返った夜のとばりの中で、ようやく私はドレスの裾を放し、冷たいベンチに崩れ落ちる。  「うっ……、くすっ……」堪えきれなくなった涙が、アメジストパープルの瞳からポロポロと溢れ、白金の髪を濡らした。

 サロンでは公爵令嬢として強がっていたけれど、本当は、胸が張り裂けそうなくらい痛くて、悲しくて、堪らなかった。ギルバートとは、幼い頃からの付き合いだった。「大きくなったら、カリアを僕の妃にするよ」幼いあの日、はにかみながらそう言ってくれた彼の優しい笑顔を、私はずっと大切に守りたかった。

 

 だから私は、彼にふさわしい完璧な婚約者になろうと必死に努力した。公爵令嬢としてのきつい公務をこなしながら、血の滲むような思いで魔法の修練も積んだ。私の『氷結魔法』は、今や国でも指折りのレベルに達している。それもすべて、いつか格下の伯爵家である彼が不自由しないよう、私が彼の盾となり、支えとなるためだった。


 一途に、ただ一途に、彼だけを愛してきた。なのに、半年前、あの男爵令嬢のミーナが現れてから、すべてが変わってしまった。

 

 『まぁ、カリア様! そんなに怖い顔で睨まないでください。私、ギルバート様に魔法の相談をしていただけなんですぅ……!』思い出すだけで、ミーナのあの甘ったるい、わざとらしい声が耳の奥で蘇り、吐き気がする。

ミーナはいつも、わざと私を怒らせるようなことを言うのだ。そして、私が一言注意しただけで、自分で自分のドレスの裾を踏んで転び、『カリア様に魔法で攻撃されましたぁ!』と涙を流して大騒ぎする。

 

 あんな見え透いた嘘の魔法、少し調べれば自作自演だと分かるはずなのに。それなのに、ギルバートはいつもミーナの肩を持った。

 『カリア! 君ほどの魔法の使い手が、無抵抗なミーナに嫉妬で魔法を向けるなんて最低だ! 悪役令嬢にもほどがある!』違う。私は魔法なんて使っていない。


 でも、私の弁明には誰も耳を貸さなかった。周囲の使用人たちも、他国の貴族たちも、みんなミーナの「可哀想な被害者」の演技に騙され、私を「婚約者に執着して周囲を脅かす悪女」だと決めつけた。

 

 「私は……ただ、あなたと、昔みたいに笑い合いたかっただけなのに……っ」冷たくなった自分の手をぎゅっと握り締める。一途に尽くした結果が、これなのだろうか。

 私の努力も、私の愛も、彼にとってはただの「嫉妬深くて可愛げのない重荷」でしかなかったのだ。夜風に揺れる白いカラーの花を見つめながら、私は声を殺して泣き続けた。


 この広い世界で、私の本当の姿を見てくれる人なんて、もう誰もいない。

 そう絶望して、深い暗闇に心を沈めようとした、その時だった。

 

 「――そんなに綺麗な瞳を、涙で曇らせておくのはもったいないな」静寂に包まれていた庭園に、低く、酷く心地よい、見知らぬ男の声音が響いた。

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