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魅了の巫女  作者: 白山月


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第7話:河原の喧騒と、腹筋の二つ名

馬車が西へ進む中、車内では不毛な押し問答が続いていた。

 シグルは、エルナの目尻のシワを思い出すたびに焦燥に駆られ、窓際に座るモルガンを問い詰める。

「いい加減に話してくれないか。魅了の制御、そしてこの『加速』を止める方法を!」


しかし、モルガンは窓の外を眺めながら、ふにゃふにゃと頼りない笑みを浮かべるばかりだ。

「……んん? なんのことかのう。わしゃただの、耳の遠いか弱い老人じゃて。リオラ、おやつはまだかのう?」

「おばば様、さっき食べたばかりでしょう。シグルさん、すみませんね。この人、都合が悪くなるとすぐこれなんです」


リオラの呆れ顔に、シグルの苛立ちは頂点に達していた。


だが、その怒りを爆発させる前に、戦士としての本能が警鐘を鳴らす。

「――来るぞ」


森の奥から、確実に距離を詰めてくる蹄の音。ベヒモスの足は決して遅くない。

それどころか、馬車を引かせてもなお重戦車のような速度を維持している。

それを追ってくるとは、相当の執念だ。


「村からの追手か……?」

シグルが剣の柄に手をかけた時、森が拓け、視界が河原へと広がった。

川を渡渉するために速度を落とさざるを得ないポイントだ。


 背後から現れたのは、三人の冒険者だった。

「あいつら……!」

 リオラが忌々しげに声を漏らす。

モルガンを置き去りにしたはずの男たちが、血相を変えて怒鳴り散らしていた。

「クソババア! その馬車を返せ! 中の荷物もだ!」


「これは、お前らが捨てて逃げたもんだ! きれいに片付けてやったんだから、感謝されていいくらいのもんだわい!」  モルガンが身を乗り出して怒鳴り返す。

「片付けるなら、金目の物以外も全部持っていけ! 宝石箱だけ抜くなんて泥棒だろうが!」

「放置してあるのを何日も見張ってたんだ! 一割くらい手数料でもらって何が悪い!」

(……いえ、あなた一時間も経たずに出発したじゃない。しかも価値としては残りの九割がゴミでしょうに)

 シグルは内心で突っ込んだが、言葉には出さなかった。


冒険者たちが「ババア、ババア」としつこく罵倒を続けると、ついにモルガンの堪忍袋の緒が切れた。

彼女は身を乗り出し、チャーター中に根掘り葉掘り聞き出していた男たちの「個人情報」を、河原に響き渡る声で暴露し始めた。

「やかましいわい、この**『寝小便が治らなくて毎晩パジャマを乾かしている』カイル! そんなだから嫁さんに逃げられるんじゃ! あとそっちのリーダー、お前が『貯金の大半を、絶対に儲からない怪しいコケ栽培に注ぎ込んでいる』**のは知っておるぞ! 想像力が欠如しておるからそんな詐欺に引っかかるんじゃ!」

「なっ……貴様、どこまで調べた……!?」


図星を突かれた男たちは激昂し、とうとう弓を引き絞った。

 カキン!  放たれた矢を、シグルは手近な斧で払い落とす。

「武器を使うのは反則だろう! 流れ弾が当たったらどうするんだ! そんなだから、**『娘が一緒にお風呂に入ってくれなくなる』**んだぞ!

(さっき老婆から聞いたやつ)」


「殺してやるッ!!」  もはや交渉の余地はなかった。

冒険者たちは剣を抜き、水飛沫を上げて迫ってくる。

「エルナ、手綱を!」

「えっ、あ、はい!」

シグルは手綱をエルナに押し付け、馬車の後端へと移動した。

しかし、手綱を渡されたエルナは使い方がわからない。

「エイ! エイッ!」

 一生懸命に紐を振るが、手綱は空しくブラブラと揺れるだけ。

ベヒモスには何も伝わらず、混乱した大型馬は川の浅瀬で立ち往生してしまった。


「シグル! 冒険者が、冒険者がこっちに向かっておるぞ!」

 モルガンが必死に叫ぶ。シグルはそれを見やり、不敵な笑みを浮かべて、あえて棒読みで言い放った。

「『あー! もう間に合わないー。このままでは全滅だー。置き去りにするのは仕方がないー。さあ逃げようー』」


「ひっ……! 嫌じゃ、あんなのはもう御免じゃ! 話す! お前の聞きたいことはすべて話す! だから助けてくれえ!」


「――交渉成立だ」


シグルは水面を蹴り、迫り来る冒険者の馬へと跳躍した。

走る馬の背後から飛び乗り、そのまま男を羽交い締めにする。

「なっ、この女、なんて膂力だ……!」


 男が必死に抵抗し、肘打ちがシグルのみぞおちを捉えた。

「入ったぁ!」  仲間たちが逆転を確信したが、シグルは眉一つ動かさない。

そのまま男を絞め落とし、川の中へと放り投げた。


残りの二人が怯んで足を止める。

「待て……あの姿、もしかしてルナ・フェリスの**『物凄い腹筋の女戦士』**じゃないか?」

「俺も聞いたことがあるぞ。確か、熊殺しとか、竜殺しとか……とにかく**『腹筋』**と呼ばれている凄腕の……」


シグルの耳がぴくりと動いた。 「……腹筋?」

「ひっ」

「誰から聞いた。お前ら、誰からその情報を得たんだ」

「だ、誰からって、冒険者ギルドの噂ですよ! みんな知ってます、『ルナ・フェリスには鋼の腹筋を持つ恐ろしい女がいる』って……!」

(誰にも見せたことがないはずの腹筋が、なぜ広まっているんだ……。あのバルトの野郎、まさか村中に吹聴したのか……?)


シグルの背後に立ち昇る、バルトへの殺気を含んだオーラ。それに圧倒された冒険者たちは、震えながら取り繕おうとした。

「お、俺たちは、あのババアから荷物を返してもらうだけでいいんです、腹筋姉さん……」

ゴキッ、バキッ!

次の瞬間、二人の冒険者も川底を拝んでいた。 (これからは、『腹筋』という言葉は禁句にしよう……)  馬車から見ていた全員の心が、一つになった瞬間だった。


河原に静寂が戻る。シグルはベヒモスの首筋をポンポンと叩き、ねぎらった。 「モルガンさん。これから進みながら、約束通り話を伺いましょうか」


リオラも苦笑しながら、「約束ですからねぇ」と追い打ちをかける。

「……約束じゃからの。まぁ、これでこれでお前らも共犯じゃ」

モルガンの言葉に、エルナは思った。

(この人でも、自分が悪いことしてる自覚はあったんだ……)


それぞれが違う思いを抱きながらも、再び動き出した馬車の中は、どこか奇妙な連帯感による笑い声であふれていた。



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