第6話:風変わりな賢者と、動かぬ車輪
ルナ・フェリスを離れて二日目。
重種馬ベヒモスの背で激しくバウンドし続けたエルナは、翌朝には筋肉痛すら「成長」で上書きして消し去っていた。
だが、代償として刻まれた目尻のシワと一筋の白髪は、シグルの心に重い鉛のような自責を沈ませていた。
重い足取りで馬を引き、西へ向かう街道の途中のことだ。
森の中に、場違いな光景が広がっていた。
数台の立派な馬車が、馬もいないのに置き去りにされている。
その傍らに、ぽつんと二人の女が座り込んでいた。
一人は、枯れ木のように痩せているが眼光だけは鋭い老婆。
もう一人は、三十歳前後と思しき、旅慣れた風昼の女だ。
「……おばば様。あなたが道中ずっと意地悪なことばかり言うから、愛想を尽かされて見捨てられたんですよ」
三十女が、引きつった笑顔を老婆に向けた。
老婆――モルガンは、悪びれる様子もなく鼻を鳴らした。
「ふん。わしはこれほど華麗(自称)だというのに……歩みが遅いので、ギリギリで仕方なく置いていかれたのだな」
連れの女、リオラは大笑いした。
「助けるつもりがあったなら、あの冒険者たち、もっと必死に声をかけてきましたって。あんなひどい棒読み、聞いたことありませんよ。……あれ、完全に確信犯でしたからね。救い出す気持ち、一ミリもこもってませんでしたよ」
リオラが冷淡に事実を突きつけると、モルガンは小首を傾げた。
「そうかの?」
「『そうかの?』じゃありません! チャーターした以上、相手には敬意を持って接すべきだったんです。急かすわ、ぺちゃくちゃと根掘り葉掘り聞き出すわ……」 「気になったのだ。良いではないか、コミュニケーション♪」
「その結果がこれですよ! 少しは反省してください」
「……わ、悪かった……」
モルガンは小さな声で返事をした。だが、旗色が悪いと察したのか、彼女は急に鋭い視線を馬の上のエルナへと向けた。
「そこのお前。――魅了が強すぎじゃ。年寄りには応える、加減してくれんか」
「……私?」
エルナは不思議そうに自分を指さした。
シグルは、老婆の言葉に含まれた「知識」に、反射的に剣の柄を握る。
「加減とはどういうことだ、老婆」
「光を発しておらんでも、魅了は常に無意識に放出されるものだ。
……娘よ、呼吸に集中してみろ。少し苦しいところがあるはずだ。だが、それを変えようとせず、ただ受け入れて呼吸のスピードを調整してみろ。苦しくない速度があるはずじゃ」
エルナが言われた通りに試みる。
すると、シグルの目から見ても、エルナの周囲に漂っていた「刺すような空気」が、凪のように落ち着いていくのがわかった。
「身体の中、至るところに苦しい部分があるはずだ。だが、全てをなくそうとはするな。やりすぎると、それは死んでいるということと同じだからな」
(……この老婆、何者だ? なぜ魅了の制御を知っている?)
シグルの疑念をよそに、モルガンは話題を転換した。
「お前たち、女二人で旅とは珍しいが、どこへ向かう?」
「……東から来たので、行き先は逆(西)ですよ」
シグルが言葉を濁すと、モルガンはあっさりと答えた。
「ああ、ルナ・フェリスはもう良い。あの忌々しい祭りを止めたかったのだが、間に合いそうになかったのでな。引き返そうと思っておったのだ。……移動距離が少ないから契約金を値切ってやろうと相談していたら、それを奴らに聞かれてしまったのだな」
(……それは見捨てられても仕方ないのでは?)
シグルは呆れつつも、彼女たちが口にした「祭りを止めたかった」という一言を逃さなかった。
この老婆は、村の異常性を知っている。
「大切なのはそこではない」
モルガンが、今度は手振りまでつけて強調した。
「ここに馬車があり、お前らは馬に乗っている。――ということだ!」
(……何を言っているんだ?)
シグルが困惑していると、隣でリオラが深いため息をついた。
「モルガン様。状況を言うだけで、何のお願いもしないのは反則ですよ。……すみません、この人、プライドが高くて。おばば様、ほら、ちゃんと言って」
リオラにじーっと見つめられたモルガンは、ようやく観念したように、満面の笑みを作った。
「どうかその馬で、この馬車を引いてはくれぬか……!」
「どうじゃ! 完璧なおねだりだろう!」
リオラは満足そうに頷き、シグルたちに向き直った。
「唐突にごめんなさいね。この二日間で、食料と金目のものはこの先頭の馬車に積み替えてあります。あとはその馬にハーネスをつけるだけ。準備は万端だったんです」
(……最初からやる気満々だったのか)
手際の良すぎる「被害者」たちに、シグルは怪しさを感じずにはいられなかった。
だが、魅了の知識、祭りを止めたがっていた事実。自分たちが知らないことを、この老婆は知っている。
二人は、奇妙な二人組を連れて西へ向かうことに決めた。
「……魅了のこと、もっと詳しく教えてもらいたいのですが」
シグルが食い下がろうとすると、モルガンは馬車の窓から顔を出し、ひらひらと手を振った。
「さあ、あの薄情な冒険者たちが戻ってくる前に、ここをおさらばするのが最優先だ。聞きたいことがあれば、道すがら聞いてやろう」
金目のもの、食料、そして謎の知識。
大型馬ベヒモスの蹄の音が、今度は馬車の重量を加えて、より一層重く地面に響き始めた。
(……大丈夫なのか、この人たち……)
シグルとエルナの不安を乗せて、一行は夕闇の迫る街道を急いだ。




