地獄の要塞、女木島突入戦
女木島――。
風光明媚な島並の多い内海に浮かぶ島の一つである。
讃岐の地よりおよそ一里。
南北に細長いその島は、東と西の一部のみが港として拓けてはいるが、南北は峻険な崖がそそり立ち、余所者の侵入を阻んでいた。
その細長い島の姿は、遠目から見れば、まるで海に横たわる巨大な『大鬼』の骸のようにも見える。のちに大和の童話で『鬼ヶ島』と呼ばれることになる、温羅の水軍が築き上げた最前線の天然の要塞であった。
「……あそこだ。東の港を温羅の犬どもが占拠し、私の仲間を洞窟の奥へと閉じ込めている」
軍船の舳先に立ち、潮風を浴びながら島を睨み据えるキジが、背負った長弓の弦を小さく鳴らした。
その隣に並んだモモは、ふと、キジの横顔へ視線を落とす。
(……細いな)
先ほど船から船へと目にも留まらぬ速さで跳ね回り、温羅の兵の眉間を容赦なく撃ち抜いた最強の弓使い。だが、こうして大和の無骨な軽甲冑を着た自分や、巨漢のイヌと並ぶと、キジの体躯は驚くほどに華奢だった。緑青の甲冑の隙間から覗く首筋の白さや、線の細さは、武人というよりはまるで大和の宮廷にいるうら若き少年貴族のようでもあった。
「どうした、モモ。私の顔に、大和の干し肉の油でもついているか?」
「いや。あんた、戦場であれだけ暴れ回る割には、ずいぶん身体が細いなと思ってさ。ちゃんと飯食ってるのか?」
モモが裏表のない笑顔で、キジの肩をぽんと叩こうと手を伸ばす。
「なっ――触るな、バカッ!」
キジはまるで肌を焼かれたかのように過剰に飛び退き、顔を真っ赤にしてモモの手を叩き落とした。その切れ上がった瞳には、明らかな狼狽と、男だらけの船上で自らの身を護ろうとする強烈な防衛本能(拒絶)が滲んでいる。
「お、おい、悪かったよ。そんなに怒るなよ」
モモが面食らって両手を上げる。
「……フン。大和の猟犬は距離感を知らんから嫌いだ。……来るぞ、奴らだ!」
キジが誤魔化すように声を尖らせ、島の東港を指差した。
次の瞬間、穏やかだったはずの女木島の港から、狂暴な銅鑼の音がジャラン、ジャランとけたたましく鳴り響いた。峻険な岩肌の影から、大和の軍船の接近を察知した温羅の水軍――「鬼」の旗を掲げた快速船が、獲物を狙う鮫のように次々と端艇を這い出させてくる。
「皇子、前方から十数隻! 包囲し、こちらの横舷へ取り付く構えです!」
見張りの兵が叫ぶ。
「包囲させるな! 船の重さを舐めるなよ、このまま正面の奴らにぶち当てろ!」
モモの鋭い大号令の元、大和の軍船が正面から温羅の快速船を圧し潰し、木っ端微塵に粉砕していく。
だが、さすがは瀬戸内を支配する温羅の水軍だ。大和の軍船の圧倒的な質量に怯みつつも、その小回りの利かない『死角(船尾の裏)』へと、残る三隻の快速船が肉薄しようと牙を剥く。
「――おい、大和の将軍! 背後がガラ空きだぞ!」
舳先に立つキジが、モモたちを見下ろすようにして小馬鹿にした声を張り上げた。
モモがハッとした、まさにその刹那である。キジは一転して、自らの船団の男たちへと鋭い視線を飛ばし、その長弓を大きく掲げて吠えた。
「全船、散れっ!! 奴らの死角を遊撃するぞ!」
次の瞬間、大和の軍船が作った巨大な引き波の影、さらには港の巨岩の死角から、緑青の旗を掲げた数隻の「小さな快速船」が、まるで矢のような速度で飛び出してきた。
女木島を追われた、キジ直属の遊撃の快速船の生き残りたちである。
「なっ、キジの残党どもか!? いつからそこに潜んで――」
温羅の兵たちが驚愕したときには、すでに勝負は決していた。
キジの仲間たちは、地元の海の複雑な潮流を我が手足のように操り、大和の船に群がろうとしていた温羅の端艇の横舷へと、死角から鋭く遊撃を敢行したのだ。
ガガガガァンッ!!!
キジの船団が敵の操舵を狂わせ、そこへ舳先のキジ自身が寸分の視線のブレもなく放つ神速の三連射が、敵の指揮官たちを次々と串刺しにしていく。
大和の軍船による圧倒的な正面突破の「質量」と、キジの部隊による死角の「遊撃」。
二つの全く異なる武が完璧に噛み合ったことで、港の外を塞いでいた温羅の先鋒は、ものの数分で完全に「殲滅」された。
モモたち一行は、キジの先導のもと、行く手を阻む巨大な石垣の死角へと船を滑り込ませ、激しく接岸させる。
「温羅の鬼どもめ、大和の底力を見せてやる! ――盾を連ねよ!!」
船首に躍り出たイヌが、地響きのような大声を張り上げる。
その鋭い号令と同時に、彼が平素から鍛え上げてきた朝廷直属の精鋭武官たちが、一糸乱れぬ動きで甲板へと飛び出した。
ガガガガンッ!!!
兵たちは一列に並ぶと、身の丈ほどもある大和の重盾を隙間なく噛み合わせ、まるで鉄の壁そのもののような『盾の列』を完成させた。
一寸の隙間すら与えぬその密集陣形は、大和の朝廷が誇る、規律ある軍隊の象徴そのものであった。
石垣の上から温羅の鬼どもが放つ無数の矢や巨石が、大音響を立ててその盾の壁に弾き返されていく。
「往くぞ! ――足並みを揃えよ! 押せ、押し潰せぃ!!」
ドス、ドス、ドス、ドスッ!!
イヌを先頭に、重盾を構えた兵たちが一塊の『鉄の塊』となり、大和の泥臭い気迫を込めて冷たい地面を爆ぜさせる。個の武勇ではない。朝廷の冷徹な規律によって統制された、集団という名の圧倒的な質量。
その怒濤の突撃は、石垣の上にいる鬼どもの戦意を根底からへし折るほどの威圧感を放っていた。
「ふんぬおぉぉぉぉぉッッ!!!」
「「「「「おおおおおおおおッッッ!!」」」」」
石垣の歪みに到達した瞬間、イヌが全身の筋肉を爆発させて重盾を衝車の如く突き出した。後ろに続く部下たちの盾の質量が、その背中を強烈に押し通す。
ドゴォォォォォンッ!!!
凄まじい爆音と土煙と共に、人間の背丈を遥かに超えていたオーテの石垣が、耐えきれずに一角からガラガラと音を立てて崩落した。大和の軍隊による、完璧なる正面突破であった。
「健の奴、最高の道を開きやがった! ――勇敢なる大和の兵たちよ、盾の男たちに遅れるな! 往くぞ!!」
「「「「「うおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」」」」」
主将の熱き大号令に背中を押された大和の軍勢が、地響きのような鬨の声を上げて一斉に突入していく。
崩れた石垣の隙間から、モモが『布都御魂の写し』を抜き放ち、白銀の刃をギラリと光らせて敵陣のド真ん中へと躍り出た。防塁の裏で混乱する鬼の残党を、またたく息の間に一掃していくのは、まさにここからであった。
港を完全に制圧したモモたちの前に、キジが峻険な山頂を見上げて冷徹に告げた。
「……港はただの関所だ。温羅の将が潜む本当の根城は、あの鷲ヶ峰の山頂――固い岩盤をくり抜いた、底の知れぬ『巨大な人工洞窟』の中だ」
見上げる視線の先、ぎらぎらと照りつける太陽の光すら拒絶するように、山頂の闇がぽっかりと口を開けて一行を見下ろしている。
潮風が運ぶ潮騒の裏から、地底の底で蠢く悪鬼どもの不気味な気配が、静かに這い出してくるようであった。
女木島――鬼ヶ島への上陸を果たしたモモたち一行。
彼らの目は、鷲ヶ峰の山頂に造られた大洞窟へと向けられた――。
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