戦場に舞う雉
海鳥が鳴く穏やかだった内海は、いまや阿鼻叫喚が飛び交う戦場と化していた。
「うおおおおおおおおおっっ!!」
ガキンッ!――ザシュッ!
「ふんぬおおおおおおおっっ!!」
ガーンッ!ガンッ!ガンガンッ!!
モモとイヌが、船へ飛び移ってこようとする賊を次から次へと薙ぎ払っていく。
だが、トトを護りながらでは、攻勢に討って出ることができない。
内心、モモに焦りが生じていた。
(敵の数があまりにも多すぎる……! このままでは健の盾が持たないぞ……!)
モモが『布都御魂の写し』の白銀の刃にこびりついた血を払い、鋭い視線で周囲を睨み据えた、その瞬間。
天を裂いて奔った一条の矢鳴りが、モモたちの軍船へ接舷しようとしていた温羅の快速船の操舵手を正確に撃ち抜いた。
「大和の将軍! 己の足元ばかり見ていては、海戦には勝てんぞ!」
小馬鹿にするような、しかし鈴を転がすように凛とした声。
モモがハッとして声の主へ視線を走らせると、先ほど帆柱を撃ち折って温羅の水軍をパニックに陥れた、あの虹色の甲冑をまとった謎の若武者が、自らの快速船の船首から、大空へと高く跳躍していた。
――ヒュォッ!
その身のこなしは、まるで重力を忘れたかのようだった。
きらめく日の光を浴びて、緑青や紫、茜の混ざり合う虹色の甲冑が眩いばかりの残光を描く。
ただ跳ぶのではない。
若武者は空中を浮遊しているかのような一瞬の静寂の中、相手を見ぬまま次々と弦を引き絞り、流れるような動作で矢を放った。
――ドスッ!
――ドスッ!
――ドスッ!!
放たれた矢は狂暴な風をまとって一直線に奔り、包囲していた温羅の兵たちの眉間を寸分の狂いもなく射抜いていく。
若武者は敵船の帆柱や甲板の縁を、トントンと軽やかな足運びで蹴りながら、次から次へと隣の船へ飛び移っていく。
それはまさに、波の上を駆ける疾風か、あるいは大空を渡る一羽の鳥の如き身のこなしであった。
「な、何奴だあのガキは!? 船から船へ、まるで波の上を跳ねる雉じゃねえか……っ!」
温羅の兵たちが驚愕の悲鳴を上げる。
「皇子! あの若武者、ただの弓使いではございません! 瀬戸内の激流を、自らの足場(庭)にしております!」
イヌが重盾を構え直しながら、驚嘆の声を張り上げた。
「ははっ、本当に戦場を舞う雉だな! 面白い、あいつに遅れをとるなよイヌ!」
気づけば、交わされる矢音は途絶え、軍船を揺らす鬨の声も消え失せていた。
後に残されたのは、ただ波濤が船縁を叩く音ばかりであった。
「なんとか……なったのか?」
モモが『布都御魂の写し』の白銀の刃を鞘へと収めながら、ふう、と小さく息を吐いた。
「そのようですなぁ。拙者は、間一髪でしたがな。――ほれ、この通り」
そう言ってイヌは、身の丈ほどもある木製の重盾を、どさりと甲板の木床に下ろした。
大和の厚革を仕込んだ盾の表面には、温羅の水軍が放った大ぶりな黒い火矢が、今なお不気味な煙を上げながら何本も深く突き刺さっている。
もしイヌの怪力と大盾がなければ、モモもトトも、今頃は瀬戸内の海の藻屑となっていただろう。
「お見事でした、イヌ。あなたの盾は、大和のいかなる城壁よりも堅固ですね」
船倉の入り口からそっと顔を出したトトが、まだ少し顔色を青くしながらも、その健闘を優しく称えた。
「姫様、もったいないお言葉にございます」
イヌが人当たりのいい顔を綻ばせ、大きな手を頭の後ろに回して照れ笑いを浮かべる。
「いやあ、それにしても大和の船乗りが怯える激流を、あんな風に跳ね回る奴がいるとはな。一体どこの誰だ?」
モモが、先ほどまで温羅の水軍がひしめいていた海域へと視線を向ける。
そこには、帆柱を叩き折られ、潮流に揉まれて半壊した敵の先鋒船の残骸が浮いていた。
そして、その壊れかけた船首の最も高い場所に、先ほどの虹色の若武者が、相変わらず一瞥さえくれぬ手つきで長弓を背に背負い直しながら、静かに佇んでいた。
――ギラリ。
戦火の煙が引いた瀬戸内の青い海の上、太陽の光を全身に浴びて、若武者の緑青の軽甲冑が、まるで一羽の美しい雉の羽のように鮮やかに煌めいた。
若武者は、モモたちの軍船へとしなやかな視線を向けると、その端正な唇の端をわずかに釣り上げた。
ッ――。
若武者は、自身の船からモモたちの甲板へと、音もなく軽やかに跳躍した。
虹色の甲冑が冷たくきらめき、イヌが反射的に重盾を構え直してモモの前に立ちはだかる。甲板の上に、瞬時にして一触即発の刺すような緊張感が張り詰め、波の音さえ遠のいたように感じられた。
「大和の猟犬ども。勘違いするなよ、私はお前たちを助けたわけではない」
若武者は、腰の短刀の柄に細い指先をかけたまま、氷のように冷たい声をつむいだ。
「我が海を汚す温羅の糞どもを、私の手で間引いたまでだ。大和のデカブツ船がここにいようがいまいが、奴らの帆柱は叩き折っていた」
「ははっ、手厳しいな。でも、あんたのその波を跳ねる足運び、本当に見事だった。まるで本物の雉だ」
モモはイヌの巨体の後ろから一歩前に出ると、一切の敵意を見せず、むしろ少年のように屈託のない爽やかな笑みを浮かべた。
「俺の名前は長すぎるから、皆『モモ』と呼ぶ。あんたは?」
「……大和の将軍に、私の戦い方を雉のようだと言われるとはな」
若武者は、初めてモモの顔をまっすぐに見据えた。大和の覇道に魂を売った冷酷な侵略者だと思っていた眼前の少年将軍が、驚くほど裏表のない、圧倒的な王の器(光)を宿していることに、若武者の瞳がわずかに揺れる。
「私の本名は留玉臣。だが、この海の連中からは――そう、お前が言った通り『キジ』と呼ばれている」
キジはフッと傲慢な笑みを口元に戻すと、短刀の柄を親指でカチリと鳴らし、挑戦的な視線をモモへと突きつけた。
「さて、モモ。温羅の犬どもは消えた。……次は、お前たちが私の海の藻屑になる番か?」
留玉臣――キジの登場によって、海戦は勝利することができた。
しかし、次はそのキジが、敵意を剥き出しにする――。
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