↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/60

卑の弥呼の幽世、台与の御世

 狗奴国(くなこく)の黒き全軍を退けたはずの、豊国の実りの平野。

 なれど、そこに響き渡るものは、勝利の勝(かち)鬨(どき)では無かった。ただ、沈みゆく日の不気味な薄暗がりのなか、この地が息の根を止められたかのような、寂然(じゃくぜん)とした気配が平野を埋める。


 日の神子の『隠(かくり)よ』。

 そのあまりにも重き大地の静けさの前に、大和と豊国の兵(つわもの)どもは、今度こそ魂(たま)からへし折られる。


「おのれ……っ! 我が命に代えても、斎王(さいおう)様をお護りするはずであったのに……ッ! これでは、某(それがし)は一体何のために大和(やまと)の剣を引き抜いてきたのだ……っ!!」


 その貌(かお)を涙と血で真っ赤に染めたカンナビが、己の拳を地面に突き立てて咽(むせ)ぶ。

 長柄(ながえ)を砂へと落としたワニも、その場に呆然と項垂(うなだ)れて立ち尽くす。


「卑(いや)しき身の弥(み)呼(こ)様が、身罷(みまか)られた……」


「日(ひ)を失った我らは、これから再び狗(く)奴(な)国(こく)の槍の束(たば)に踏み潰されるだけではないか」


 新しき邪馬台(やまと)の絵図に心を調(とと)えられたばかりの、その地の民や兵(つわもの)どもの間に、内側から、底割れぬ不安のざわめきが広がり始める。


 せっかく完成を告げたはずの集いの理(ことわり)が、斎王(さいおう)様の死という絶望によって、内側から脆(もろ)くも崩れかけようとする──そのとき。


 だが、トヨだけは泣かなかった。いや、泣くことすら許されなかった。


 底割れぬ不安のざわめきが広がり始めるのを前に、トヨは藍(あい)色(いろ)の瞳を細め、降伏したばかりの現地の県(あがた)主(ぬし)の胸元へと真っ直ぐに視線をぶつけた。


「県主。今すぐお前たちの国から、斎王(さいおう)様をお納めするための、最も尊き、重き石を切り出させなさい。斎王(さいおう)様を泥の上に寝かせておくようなことは、私が絶対に許さないよ」


 トヨの言葉が、赫赫(あかあか)とした夕映えの平野を貫き、大和の兵(つわもの)どもや平伏していた者どもの魂(たま)をピシャリと射抜く。


 ──やがて、平野に重苦しい夜の静けさが降りる。


 切り出された石の器の前、カンナビの震える手が、斎王(さいおう)様の白榡(しらえ)の衣の乱れをそっと調(とと)え、その胸元へ、大神実(オオカムヅミ)の剣を添える。


 西国(さいこく)のすべての民が地面に深く額を擦りつけるなか、斎王(さいおう)様の亡き殻は静かに石の器の奥へと納められ、重き石の蓋(ふた)が閉じられる。


 この地から、大和の日の光が覆い隠された夜の底。


 建立(こんりゅう)されゆく新たなるお社の奥で、トヨは一人、底割れぬ重みと孤独のなかに身を震わせる。


 (……姉さまのような、本物の日の光の霊(れい)威(いい)など、私には無い……)


 己の両手(りょうて)をじっと見つめながら、トヨは膝(ひざ)を抱きしめる。


 誰もが、モモの底知れぬ霊(れい)威(いい)にひれ伏していただけなのだ。


 斎王(さいおう)様を失い、明日(あした)にも再び狗(く)奴(な)国(こく)が攻め寄せてくるやも知れぬこの地の果(は)てで、その写しではない、己自身の理(ことわり)を如何(いか)にして立て、この集いを護ればよいのか。


 どれほど頭を巡らせても答えの出ぬ、若き長の泥臭き模索。

 トヨがただ一人、石の器の傍(かたわ)らでじっと夜を明かした、そのとき。


 東の空、山の端(は)の向こうから静かに差し込んできた、新しき一日の光。

 その清らかな光が、石の器の傍らに備えられていた一面の『銅鏡(どうきょう)』の面へと、この上なく鋭く、烈烈(れつれつ)に反射する。


 トヨの藍色の瞳を、朝日の光が灼く。

 その鏡を介して放たれるまばゆい輝きを目にしたとき、トヨの脳裏に、モモから託された理(ことわり)の真の姿が、静かに閃く。


 日(ひ)そのものを従える本物の生き神には、自分はなれない。

 ならば、この『鏡』を以て日の光を写し、この地のすべてを調(とと)えてみせよう。


「……私は、決して呑まれはしないよ、姉さま……」


 トヨはその銅鏡をその小さな手で静かに掴(つか)み上げると、未だ夜明けの静けさに沈む平野全体を貫(つら)ぬくような、無骨にして気高き聲音(こえ)を放ち、ゆっくりと立ち上がる──。


 ──その明くる朝。


 朝日の晴れ渡りゆく平野では、最高武官たるカンナビが、血の涙を拭(ぬぐ)って大和の剣を高く掲げ、声を張り上げている。


「集まれッ! 大和の兵(つわもの)ども、豊国(とよのくに)の民よ、ことごとくこの広大な平野へと集まれッ! 斎王(さいおう)様を失い、魂(たま)から惑(まど)う不届き者どもよ、これより我が国の、新たなる平らけき世の絵図を示すッ!!」


 その怒号に背中を押され、未だ底割れぬ不安に怯(おび)えていた大和の兵(つわもの)どもや豊国(とよのくに)の民たちが、水を打ったように静まり返りながら、新たなるお社の前へと続々と集まっていく。

 卑の弥呼を失ったまま静まり返る平野を、じりじりと埋め尽くしていく、息を呑むような数多(あまた)の視線。

 誰もが固唾(かたず)を呑んで見つめるなか、建立(こんりゅう)されゆく新たなるお社の奥から、静かに、けれど揺るぎなき圧を伴って、一歩、また一歩と大地を踏みしめて姿を現したのは──。


 姿を現したのは、泥に塗れた豊国(とよのくに)の少女では無かった。


 トヨは、モモに代わり白榡(しらえ)の衣を纏(まと)い、人々の前に立ち並ぶ。

 その乱れなき純白の衣を纏った新しき女王の貌(かお)には、すべてを見据えたような、生き神としての霊(れい)威(いい)が宿る。


 未だ主を失った絶望に惑(まど)い、地面に這いつくばっていた大和の兵(つわもの)どもやその地の民が、一斉にその御(み)姿(すがた)を仰ぎ見る──。


 胸から提(さ)げた銅(どう)鏡(きょう)が、光を映し、人々を照(て)らし出す。


 ──っ!!!


 東の空から昇りゆく朝日の光を、トヨの胸元の銅(どう)鏡(きょう)が烈烈(れつれつ)に反射させ、ひざまずく兵や民たちの視界を、黄金の光を以て丸ごと眩(まばゆ)く染(そ)め上げる。


 モモとは異なる理(ことわり)を以て、されど全く同じ王の貌(かお)を鏡の光の向こうに見たカンナビは、五体を激(はげ)しく震(ふる)わせて涙を流す。


 (……斎王(さいおう)様の理(ことわり)が、トヨのなかに生きている……っ! 某(それがし)の剣、これより先は新たなる日の神子のために捧げんッ!!)


 長柄(ながえ)を拾い上げたワニが「けっ、とんでもねぇお姫様から、さらにとんでもねぇ女王様のお出ましじゃねぇかッ!」と不敵に嗤(わら)い、豊国(とよのくに)の老県(あがた)主(ぬし)もその老いたる血をぞくりと沸き立たせる。


 ひざまずくすべての兵や民たちが息を呑むなか、トヨは黄金の朝日の光を弾く銅(どう)鏡(きょう)を高く掲げ、その無骨にして気高き聲音(こえ)を平野全体へと響かせる。


「我が名は台(と)与(よ)。日の神(み)子(こ)の理(ことわり)を継ぎ、この鏡の光を以て、この地のすべてを平らに調(とと)えよう」


 トヨの言葉が、晴れ渡った朝の空へと無骨に響き渡る。


 鏡の光が放つ黄金の輝きの前に、平野を侵していた惑(まど)いのざわめきは消え失せ、大和の兵(つわもの)どもも、豊国の民たちも、ただその圧倒的な理(ことわり)の前に息を呑む。


 最高武官たるカンナビが真っ先にその剣を地へと突き立て、深く平伏する。長柄を構えていたワニが、そして豊国の老首長が地に平伏し、それに引きずられるように、攻め寄せていた狗(く)奴(な)国(こく)の兵どもすらもが、恐怖と畏怖のなかに武器を投げ出して平伏していく。


 西国(さいこく)のすべてが、新しき女王の足元へと深く、深く平伏する。


 大和の法から離れた、西国の新たなる集い。


 言葉と鏡を以て、天下(あめのした)を平らに調(とと)える新しき国──『邪馬台国(やまと)』の夜明けが、今、ここに幕を開ける。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 モモ(卑弥呼)の幽世(死)、そしてトヨ(台与)が新たな女王として君臨する、魏志倭人伝にも記される描写です。

 ただ、モモからトヨへ引き継がれるための権威の象徴、伏線を張り忘れていまして。


 「今から過去に伏線を張り直しに戻っても、後の祭りだ!」と頭を抱えました。

 なので、このページ内で伏線を張り、そのまま回収させるという荒業!


 すみません、完全に行き当たりばったりです。

 大神実の剣を、という案もありましたが、これはモモの象徴(彦五十芹彦と、倭迹迹日百襲姫)であり、トヨへ引き継がれるのは何か違う、と思ったのですよ。


 さて、次回が最終回となります。

 最後までお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。