百たる王
大和の斎王様が身罷られたという知らせは、海を越え、東の国の大いなる纏向の宮へと届いていた。
西国の地で、大和の法から離れた新たなる集いの理が築かれようとしている。
その絵図を動かしていた斎王様が逝いた今こそ、大和の絶対の法を以て西国をすべて呑み込み、大和の理を完成させる契機であった。
豊国の実りの平野、その東の国境から、大地そのものをへし折らんとする地鳴りが轟き渡る。
現れたのは、平野の果てまでを大和の兵どもの波と、くろがねの盾の列で真っ白に埋め尽くす、大和の底知れぬ波──。
そして、その大和の波の先頭に立ち、筑紫を平定せんと国境を越えてきたのは──
大和の大王──大足彦。
その男の放つ、凄まじき霊威が、今まさに、新しき女王『台与』の築いた邪馬台の防塁へと肉薄する。
急造の防塁の上、すでに白榡の衣を纏い、西国のすべての理を束ね終えた新しき女王は、一歩も怯むことなくその大軍勢を迎え撃つ構えを崩さない。
トヨは、大和の白い波を率いる大足彦の瞳を正面から見据えると、大和の一方なる支配を拒む、西国随一の鉄と実りの理をその胸元へと突きつけた。
「大足彦。もしこの平野を本気で血で染め、我らを強いて踏み潰そうとするならば、大和は海の向こうの大国への道を、永遠に失うと知れ。我がこの海の門を閉じ、鉄と実りの巡りをすべて絶てば、大和の絶対の法とやらは、ただ日の果てに閉ざされた、物言わぬ島国の世迷言へと還る──」
トヨは胸元の銅鏡を大王の眼光へと真っ直ぐに突きつけ、一歩も退かぬ声音を響かせる。
「大和の理のままにすべてを失うか。それとも、我が筑紫の集いを認め、共に天下を平らに調えるか。選ぶがよい、大和の大王よ」
トヨの放ったその冷徹なる宣告の前に、大和の大王はその足を止めた。
大足彦はフッと乾いた含み笑いを漏らすと、その眼光をトヨの瞳の奥、また重き石の器の据えられたお社の奥へと真っ直ぐにぶつけ、水を打ったように静まり返った平野へ向けて、低く重厚なる聲音を響かせる。
「──なるほど。斎王は死んでも、その御魂までは死せぬ、か」
目の前に立つ新しき女王の向こうに、肉体の死を超えて、大和の法から離れたこの集いを未来永劫に調え続ける、あの日の神子の不滅の霊威をまざまざと視せつけられたが故の、大王の深い嘆息。
その言葉を受け、トヨは胸から提げた銅鏡を朝日の光にそっとぎらつかせると、ひざまずく大和の兵どもの前へ、一歩、また一歩と進み出て、その聲音を平野全体へと響かせる。
「大和の者どもよ。ここは日の神子が平らげた地、邪馬台。まつろわぬ者と侮るなかれ」
トヨの言葉が、晴れ渡った朝の空へと無骨に響き渡る。
大和の一方なる支配を阻む、鉄と実りの絵図。その『邪馬台』という名の理の前に、大和の大王は、力攻めによる平定をその場を以て止める。
大足彦は、大和の法を拒むこの西国の集いを認め、この平野に、大和の新たなる理を交わすための臨時の御所──『行宮』を建てる。
大和の武威に征服されたからではない。
モモとトヨの壮大なる謀が、大和の大王の足を止め、対等なる和を認めさせた新しき聖域。
だからこそ、のちの世において、この広大な平野は王の『宮の処』──すなわち『宮処』という理となって、永久にその真名をこの地に刻む。
西国の鉄と実りを大和の法の中に融け合わせ、されど大和の独占を許さぬ新しき集い。
トヨの掲げた銅鏡が朝日の光を弾き、新しき女王の白榡の衣が、晴れ渡る筑紫の風になびく。
大和の法から離れた、西国の新たなる理の国。
言葉と鏡を以て、天下を平らに調える国──『邪馬台国』の夜明けが、今、ここに幕を開ける。
トヨの言葉を受け、大和の大王・大足彦が力攻めを止め、対等なる和を認めた、その静けさのなか。
「ここが、姉上の墳墓ですか」
カンナビ──三輪禰古麻呂の案内で、切り出された石の器の前に立つのは、大和の血脈──稚武彦。
大足彦の西征の波と共に、海を越え、この筑紫の地へと足を踏み入れた稚武彦の五体には、大和の法を背負う者としての重厚なる時間が刻まれていた。
稚武彦は、豊国の実りの平野、切り出された重き石の器──姉の眠る筑紫の墳墓を、万感の涙を堪えて見つめていた。
モモが身罷られてから何十年もの間、西国の集いは大和の法に呑まれることなく、その誇りを保ち続けてきた。
老いた稚武彦は、防塁の上からその姿を見守る女王・台与の白榡の衣を仰ぎ見ると、静かに首を垂れ、万感の想いを込めて語りかける。
「──姉上を、纏向の地へお連れしたい」
それは、大和と西国が対等なる和を結んだ今だからこそ叶う、何十年もの間、大和の地で姉の帰りを待ちわび続けてきた弟の、生涯を賭けた願いであった。
台与はその胸の銅鏡を朝日にそっとぎらつかせると、老いた稚武彦の覚悟を正面から受け止め、静かに、深く首を縦に振ってその申し出を応じる。
──それから数ヶ月ののち。
モモの亡き殻が納められた重き石の器と、その胸元に添えられた『大神実の剣』を抱いた稚武彦の一行は、ついに始まりの地である大和の纒向へと帰還を果たす。
大和の目を眩まし、モモの遺志をこの現世に永遠に刻みつけるため、稚武彦の言葉の元、大和、吉備、また西国から集まった民たちの手が、一斉に動き出す。
纒向の広大な平野のただなかに、大地の底から隆起するように築き上げられていく、あの広大なる前方後円墳──のちの世に『箸墓古墳』と呼ばれることになる、天下で最も尊きお社が、その姿を現していく。
完成したその墳墓の頂。
老いた稚武彦は、モモの魂そのものであった大神実の剣をその奥深くへとそっと納め、涙を拭って、新しき朝の空を真っ直ぐに見つめた。
西国の平定から持ち帰られた、日の神子の不滅の霊威。
それは、大和の絶対の法を以てしても踏み潰すことのできなかった、言葉と鏡が織りなす新しき集いの理の証。
東の三輪山の端から、新しき一日の光が烈烈と差し込み、巨大なる石の山を黄金の輝きを以て丸ごと満たしていく。
日の光を大和の土の中に永遠に抱き、天下を平らに調えゆく大いなる大和の世の夜明けが、今、ここに幕を開ける。
それは単なる一つの国の終わりなどでは決して無かった。
百の国、百の王たちの思惑のすべてを呑み込み、一つへと美しく束ね上げた、新たなる国──『日本』の本当の夜明けが、今、ここに幕を開ける。
天の真ん中から、この地を白白とした祝福で満たしていく、どこまでも優雅で瑞々(みずみず)しい、新しき一日の朝日の光。
──その、天下を丸ごと欺き、調え、護り抜いた、優雅なる日の光の王の名を。
のちの世の人々は最大の畏敬を込めて、こう呼び立てる。
『百たる王』 ──と。
ここまでお読みくださり、本当に、本当にありがとうございました!!
「百たる王」、この第60話をもって完結となります。
思えばこの物語を考えたのは、今から20年近くも前だった気がします。
二・二六事件の時の首相、犬養毅の先祖に犬飼健という人物がいて、それが桃太郎の家来だったイヌに相当する、と知った時でしょうか。
あるいは、吉備津神社に祀られているのが桃太郎のモデルである吉備津彦だと知ったときでしょうか。
そして、吉備津彦――彦五十芹彦命の姉に、倭迹迹日百襲姫命、卑弥呼だという説のある人物がいること。
倭迹迹日百襲姫命の名前の中に、「もも」の字を見つけたこと。
桃太郎の話には、「女桃太郎」という派生形があること。
さまざまなパーツが組み合わさり、「百たる王(桃太郎)」の物語のベースとなったのでした。
ただ、古代日本の人物を物語として描くうえで、いくつか僕の知恵と知識では超えられなかったハードルがありました。
その一つが、古代日本という歴史に対する圧倒的な知識量。
そしてもう一つが、彦五十芹彦命、そして倭迹迹日百襲姫命という長い名を、どう落とし込むか、という、逃れられないファクト。
こうして20年間、書けないまま時間だけは過ぎ。
ある時、AIチャットで「小説家になろう」のナーロッパについての話になった時に、そこから何故か、オリジナルの小説の話へと飛んでいました。
そして、思ったのです。
「もしかしたら、僕が書けずにいるこの小説、AIのアシストがあれば書けるのでは?」と。
むろん、AIにアシストしていただいて書くことへの抵抗もないことはなかったのです。
しかし、これを頭の中にしまったまま、墓まで持っていくのは、堪えられなかった。
AIとの共著、という形でも、世に残しておきたい。
そうしてここまで辿り着きました。
「これを書き終えずには死ねない」なんて思いましたが、不思議ですね。
書き終わってみると、次の物語の構想を練り始めていたりします。
ひとまず、「モモ」をはじめとする古代日本の物語はここで終わりです。
次回作も、楽しみにしていただけると嬉しく思います。
改めて、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




