狗奴国の王、墜ちゆく日
凄まじいくろがねの激突音と、引き裂かれる肉身の絶叫が、豊国の実りの平野を戦の赤で丸ごと塗り潰す。
戦端を開く直前のにらみ合いなど、そこには一瞬たりとも存在しなかった。
博多湾の最深部から津波の如く押し寄せてきた狗奴国の王・卑弥弓呼の黒き全軍は、その地の防塁へ接したその刹那、重き鉄の質量を以て、大和と豊国の兵どもへと一文字に牙を剥いて襲いかかる。
「押し返せ、退くなッ! 盾の隙間を埋めよ! これまでの偽りどもとは格が違うぞ、陣を乱した国から順に踏み潰されると知れッ!!」
その貌を引き締めたカンナビが、剣を振るって怒号を響かせる。
大和の兵ども、そしてトヨが調えた豊の国の者どもが必死にその防塁を支えるが、敵の足並みは恐ろしいほどに揃っている。
狗奴国の黒き全軍を率いる、長の狗古智卑狗。
大和の動きを見透かすように、黒き鉄の波を率いて防塁を削り取っていくその獰猛なる知略。
大和の盾を削り取り、押し潰さんと迫りくる狗奴国の黒き鉄の波。
その防塁の最前線へ、長柄を肩に担いだワニが、不敵な笑みを浮かべて割り込む。
「けっ。大和のネコの野郎、ご大層な口を叩いたわりには、ずいぶんと攻め立てられているじゃねぇかッ!!」
ワニは彦深臣としての牙を剥いて嗤うと、手元に引き寄せた長柄を閃かせ、押し寄せる敵の兵どもを薙ぎ伏せていく。
兵たちが命を削り、トヨがその眼を鋭くぎらつかせて最前線の攻防を支えるが──大地を埋め尽くす狗奴国の全軍は、じりじりと、明らかに、二人の女王の足元へと迫りつつあった。
──誰もが息を呑んだ、そのとき。
西の空へと傾き、平野を赤く染めていたはずの日が、まるで古き墨を流したように、その縁から音もなく黒く削り取られていく。
ただでさえ訪れつつあった夕暮れの光が歪み、その地のすべての色が、不気味な薄暗がりへと淀み始める。
じわじわと、日が大きく欠けた不気味な姿のまま、夕日として沈みゆく天の異変。
まるで黄泉の国がそのまま降ってくるかのように、天を侵していく冥き影。
押し寄せる狗奴国の黒き全軍も、防塁を死守していた大和と豊国の兵どもも、交わす刃を凍りつかせたまま、ただ五体を震わせて天を仰ぐしかなかった。
──日が、死ぬ。このまま、光は戻らぬ。
この地が闇へと呑み込まれようとする恐怖の静寂を叩き割ったのは、狗奴国の長──『狗古智卑狗』の、勝ち誇る狂暴なる大音声が響き渡る。
「クカカカカ! 視よ、天の日がへし折られたぞッ! 大和の日の神子、その『卑しき身の弥呼』とやらの怪しき業も、我が筑紫の天の理の前には、ただの偽りと知れたわァッ!!」
卑弥弓呼の傲慢なる笑い声が、冥き影に包まれた平野へ突き立てられる。
その言葉に応じるように、狗古智卑狗が、くろがねの槍の林を再びぎらつかせ、大喝を下す。
「押し包めッ! 日を失った大和の犬どもなど、ただの盲の群れに過ぎぬ! ことごとく踏み潰し、豊国の実りを我が手に取り戻せッ!!」
「押し包めッ! 日を失った大和の犬どもなど、ただの盲の群れに過ぎぬ! 一兵たりとも残さず、その防塁ごと踏み潰し、豊国の実りを我が手に取り戻せッ!!」
卑奴母離の冷酷な号令とともに、黒き鉄の波が再び津波の如く動き出し、地鳴りが不気味な薄暗がりのなかに木霊する。
対する大和の兵どもは、自らが崇める日が死にゆく底知れぬ恐れを前に、魂から惑い、その足を凍りつかせる。
「ひ、日の光が──っ! 日の神子様、日の神子様ァーっ!?」
「日の神子様の霊威が、冥き闇に負けたというのか……っ!」
武器を握る手が激しく震え、防塁の陣が内側から脆くも崩れ始める。
カンナビが「退くなッ! 陣を保てッ!」と血を吐くように声を張り上げるが、天の真ん中で黒く削られた日の前には、大和の兵どもの叫びすらも、冥き影へと掻き消されていく。
日の光を以て敵を従えてきたその霊威が、今度は日の消失によって、己の足元を凍りつかせる刃となって跳ね返る。
──そのとき。
モモがその小さな胸元に抱いた、『大神実の剣』の白刃が、まるで天から降る黄泉の国の冥き影に応じるかのように、細く、おぞましく啼き始める。
日が死に絶え、この地が夜へと呑み込まれた、まさにそのとき。
平野のただなかに、大地の底から噴き出すようなおぞましき冥き影の門が、音もなく大きく抉開けられる。
「……な、何だ、あれは……っ! ?」
押し包まんと迫っていた狗奴国の長──『狗古智卑狗』の足が、その見たこともない異形の霊威の前に思わず止まる。
凄まじい黄泉の黒煙の向こうから、ゆっくりと、けれど恐るべき重みを伴って立ち上がったのは──凛として佇む影と、その背後で天を突くが如き大きな影。
一つは、大和の白刃を構え、かつて黄泉の底へと消えたはずのもう一人の日の神子──彦五十芹彦命。
そして、その背後で、鉄と炎の熱気を以てこの地を睨み下ろす、かつて吉備の地を血で染め上げたあの荒ぶる鬼──『温羅』。
黄泉の底から這い出た冥き影が、日の神子を護るように、その背中を固める──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ついに、狗奴国との戦となります。
あまり戦、戦、戦!と書いてしまうとダレるので、宮処――おっと、豊の国の実りの平野は、談合のみでやりきろう、とは考えていました。
決して、戦のシーンがめんどくさかったわけではありません。
さて、狗奴国の王・卑弥弓呼と長の狗古智卑狗が登場します。
この二人は、邪馬台の連合国の、最大の敵として、卑弥呼と対立したと伝えられています。
戦端を開く描写を入れようか迷いましたが、一気呵成に攻め入る狗奴国のスピード感を優先したく、冒頭では既に戦が始まっている描写にしました。
そして、日食の場面。
天文学的記録では、247年3月24日の夕刻に、九州から西日本にかけて日食が起きたと言われています。
この時期、邪馬台国はまさに狗奴国との戦の真っただ中にあったとも記録されています。
やや駆け足ではありますが、そうしたファクトを交えつつも描いておきたかった、と考えた次第です。




