大和の日の神子、豊国の卑の弥呼
「そのような、『卑の弥呼』などという落ちぶれた者に、我が豊国の実りの平野を渡すわけにはいかぬわッ!!」
県主の遣いが放ったその言葉が、晴れ渡った白日の下に叩きつけられた、まさにその刹那であった。
「……な、無礼者があァァーーーッ!!! 畏れ多くも斎王様を、大和の至高なる生き神を『卑しき』などと侮辱するか不届き者がァッ!! おのれ、今ここでその不浄なる首を撥ね飛ばして──」
斎王の誇りを泥で汚された瞬間、カンナビの貌から一切の弛みが消え去る。剣を引き抜き、凄まじい殺気を放って遣いへと一歩を踏み出した。
「ははっ! どうした、真を突かれて大慌てか、大和の堅物め!」
県主の遣いは、息巻くカンナビを勝ち誇ったように鼻で嗤い飛ばす。
勝ち誇る遣いは、ここぞとばかりに、さらにモモへ向けて、畳み掛けるように言葉を浴びせる。
「豊国の山の者どもを後ろに従えて、大層な勢いでやってきたと聴けば、なんのことはない! 己が生き神であると偽り、豊の国の者どもを怪しき業で惑わして連れてきただけの、ただの敗残の群れではないか! 我らの古き国の法は、そのような邪なる欺きには断じて屈さぬわッ!!」
──『卑の弥呼』。
大和の生き神を泥へと貶める、その言霊。
大和の霊威を根本からへし折らんとする県主の欺きが、今まさに、兵どもへと突き立てられる。
ワニが彦深臣としての笑みを消し、その長柄を構えて遣いを見据える。トヨもまた、その眼を鋭く細めた。
今にも刃が交わらんとするその静けさのなか──。
「ふふっ」
トヨの隣に立ち並ぶモモの口元から、すべてを見透かしたような、愉しげな含み笑いが静かに響き渡る。
「カンナビ。剣を引いて構いませんよ。その者の言葉に、心を揺らされることはありません」
「……怪しき業に、卑しき身の弥呼、ですか。ええ、結構ですよ。これより先、私はその名を喜んで纏ましょう」
モモはそう静かに告げると、その小さな唇に、不敵な微笑みを浮かべる。
「な、に……ッ!? 偽りを認めるというのか、大和のひよっこが……ッ!」
勝ち誇っていたはずの宮処の遣いが、不意に冷や汗を流して背筋を強張らせる。
「ええ、認めますよ。宮処の県主は、私を『卑しき身の弥呼』と貶めることで、周囲の国々の心を繋ぎ止め、我らの大軍を退けられると踏んだのでしょう」
モモはそう静かに告げると、恐怖に凍りつく遣いへと、静かに一歩を踏み出す。
その底知れぬ日の光の霊威に、周囲を埋め尽くす全軍の兵どもさえもが息を呑み、戦場は水を打ったように静まり返る。
「──ならば。その其方たちの言う『卑しき身の弥呼』によって、其方たちが誇る頑強な防塁が、戦う前にことごとく挫かれた時。その卑しき者に一歩も抗えず平伏した其方たちは、一体どれほど無力で、愚かな様へと成り下がるかしら?」
「──っ!!」
その瞬間、県主の遣いの血の気が、今度こそ一気に引き去る。
相手の格を下げるはずの欺きが、モモの一言によって、「もしこの落ちぶれた者に負ければ、自分たちはそれ以下の、この世で最もみすぼらしい道化になる」という、逃れ得ぬ究極の呪いへと反転させられる。
「もうひとつ。お前たちがいくら口で偽りを流そうと、その防塁、山からの風の逃げ道も、この兵どもの波に取り囲まれた瞬間に生じる綻びも、すべて姉さまの目には視通されている」
「あ、荒魂か……っ! この巫女、大和の落ちこぼれなどではない……この地を丸ごと欺きにきた本物の『荒ぶる神』だ……っ!!」
『怪しき業』の欺きで日の光を覆い隠そうとした浅薄な謀は、本物の荒魂の前に、跡形もなく崩れ去る。
大地を埋め尽くす黒き兵どもの波、海の向こうの大国が滅びゆく行く末を知る眼、そして投げつけられた言葉すらも畏るべき理へと変える、モモの底知れぬ霊威──。
「門を開けィッ! 日の神子様──いや、卑しき身の弥呼様をお迎えいたせッ!!」
その悲痛な叫びに応じるように、戦う前に心を挫かれた実りの平野の頑強な木柵の門が、重々しく開け放たれていく。
戦うことなく、その門は開かれた。
その圧倒的な静寂のなか、ワニは長柄を構え直し、呆然とした感嘆の笑みを漏らしながら、モモの進むべき道を開く。
「……へっ。敵の放った呪いすらも、自分の新しい『名』のなかに組み込んじまいやがった。とんでもねぇ日の神子様だぜ」
カンナビもまた、「ことごとく敵と見なす」と先ほどまで怒りを露にしていたその貌をすっと引き締め、日の神子が自ら『卑の弥呼』という名を纏って歩みを進めていくその背中へ、心のうちで深く平伏しながら、遅れることなく付き従っていく──。
豊国と筑紫の兵どもをその前に従えた大和の日の光──『卑の弥呼』の大軍が、豊の国の豊かな平野へと、堂々とその第一歩を踏み入れる──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
第七章の核心、歴史に刻まれたあの真名の誕生の瞬間をお届けいたしました。
前半戦は、前話のクリフハンガーを効果的にリフレインさせつつ、逆上した遣いが畳み掛けるように「鬼道」という最悪の罵声をぶつけてくる流れを描いてみました。
ただ、「鬼道」という言葉、実際は魏志倭人伝など、外の世界からの客観的な言葉であるため、当事者である宮処の遣いが発するのは不適切かと思い、「怪しき業」と翻訳しています。
日の神子を侮辱されて「将の顔」から一瞬で過保護な大騒ぎモードへと切り替わるカンナビの反応、作者も書いていて非常に楽しかったです(笑)。
しかし、そんな最大の攻撃(蔑称)を喰らってなお、輿の御簾を押し開いたモモの口から放たれたのは、「これより先、私はその名を喜んで纏いましょう」という、敵の仕掛けたハッタリ(汚名)をそのまま相手をハメ殺す恐怖のブランドへと反転させる、日の光の洗礼でした。
──『荒魂』。
大和の落ちこぼれなどではない、この地を丸ごと欺きにきた本物の「荒ぶる神」の威光の前に、宮処の防衛線は戦う前にその心を完璧に縛り殺され、ここに鮮烈なる無血開城の時を迎えます。
名実ともに『卑の弥呼』としての真の君臨を果たし、宮処の豊かな平野へと堂々とその第一歩を踏み入れたモモたち。
次回、いよいよこの安全な航路の要衝を手に入れた新体制の連合軍が、西国平定のどのような大団円(完結)への絵図を動かしていくのか。
次回もお楽しみに!




