漆黒の虚飾、科戸の神風
「……な、に……ッ!? ぎ、魏、呉、蜀だと……ッ!」
八握の喉から、ひっ、と引き攣ったような声が漏れる。
黒き鉄の鎧の奥、その剥き出しの眼が、激しく揺れ動く。
「おのれ大和のひよっこが、出任せを言うなァァーーーッ!!! 大国の漢の天子様が滅びるなどという大嘘、誰が、誰が信じるかよぅ!!」
八握は狂暴なる吼え声をぶちまけ、己の胸中に生じた凄まじい恐怖を力ずくで捩じ伏せるように、その身の丈ほどもある巨大な鉄の矛を、砂浜へと狂暴に叩きつける。
「外の国に目を向ける刻などないだと……!? はは、ぶはは! ならば、今ここに俺たちが構えるこの鉄の武具、この大地を埋め尽くす黒き兵どもはいったい何だというのだ! 漢の後ろ盾がなくして、これほどの『霊威』が揃うわけがねぇだろうがァッ!!」
この大地を埋め尽くす黒き盾が、主の叫びに応じるように大地を震わせるが──日の神子の隣に並び立つトヨの瞳だけは、一切の揺らぎを見せなかった。
トヨは、自慢の兵どもをギラつかせる博多の長へ向けて、可笑しそうに鼻で笑ってみせる。
「――でもそれ、ほとんどが炭をまぶして黒くしただけの偽物だよねぇ」
トヨのその一言が投げつけられた瞬間、八握の血走った両眼が、魂からひっくり返るほどの恐怖によって見開かれる。
「黙れ、黙れ、黙れェい!! 大和のひよっこごとき、俺の兵どもに踏みつぶされてしまえッ!!」
八握は激しい冷や汗を撒き散らし、獣の如く、巨大な鉄の矛を狂暴に振り回して吼える。
主の狂気に応じるように、炭をまぶした偽りの黒き波が、足音をあげて砦の狭き谷口へと一斉に雪崩れ込んでくる。
──だが、モモとトヨは、その黒き鉄の波を前にしても、一歩も退きはしなかった。
「……カンナビ、ワニ。兵を一度、あの狭き谷口の後ろへ下げなさい。──そこへ、科戸の神の神気がありますよ」
モモはそう静かに告げると、『大神実の剣』の白刃を、朝靄のなかを突き進む八握の兵どもへと向けて真っ直ぐにかざす。
モモの凛とした聲音に応じ、カンナビとワニが即座に息を合わせ、大和の兵たちを一斉に防塁のキワから引かせる。
その乱れなき一糸乱れぬ引き(誘い込み)の様を、おのれの武力に怯んで逃げ出したのだと、博多の長は完全に思い違えた。
「クカカカカ! この鉄の兵を見て、恐れたかひよっこォ!!」
八握は傲慢なる大笑いを響かせ、炭をまぶした偽りの黒き兵どもを、逃げ場のない狭き谷口の奥深くへと、さらに速度を上げて一気に雪崩れ込ませる。
──だが。
十の息(たらずの息)を、モモが静かに数え終える。
日の神子がただ、その冴え冴えとした眼をすっと開いた瞬間──。
切り立った巨岩の谷の奥から、大地そのものが地鳴りをあげたかのような、重々しき大音響が轟き渡る。
次の瞬間、狭き谷口を埋め尽くしていた奴国の兵どもへ向けて、目も開けられぬほどの猛烈なる大風──『科戸の神の息吹』が、問答無用に一気に吹き下ろす。
大地を覆っていた不気味な朝靄は、跡形もなく吹き飛ばされ、逃げ場のない狭き岩壁の間で、牙を剥いた暴風が兵たちの身を容赦なく打ち据える。
「ぐ、うわああああっ!?」
「風が──っ! 前が見えねぇ、身が、身が浮き上が──っ!」
先頭の兵たちが凄まじい風に耐えかねてよろめき、後ろ向きに倒れ込む。
狭い谷口のなかにひしめき合い、我先にと突撃の勢いを上げていた兵どもの群れである。
先頭が崩れた瞬間、逃げ場を失った兵どもの波は、折り重なるように次々と転がり落ちていく。
炭をまぶした偽りの黒き鎧が激しくぶつかり合い、自らの放った矢や武具が自らの身へと突き刺さる、無残なる同士討ちの崩壊。
「お、おのれぇっ! 止まれ! 止まらぬか野郎どもッ! 俺を──俺を踏むなァァーーーッ!?」
悲鳴をあげたのは、兵どもの真ん中で巨大な鉄の矛を掲げていた博多の長──八握であった。
「踏みつぶせ」と狂暴に命じていたはずのその体は、背後から波の如く転がり落ちてくる自らの兵たちの濁流に、易々と巻き込まれる。
砂浜へへし折られた自慢の鉄の矛もろとも、八握は地面へと無様に転倒し、数多の兵たちの足や盾、炭の鎧の下敷きとなって、文字通り次々と、自らの兵の波によって無残に踏みつぶされていく──。
「……おいおい、日の神子様がた。戦う前に、本当にこの谷と風だけで、あの黒き波をひっくり返しちまいやがったぞ……っ」
吹き荒れる科戸の神の息吹は、さらにその勢いを増していく。
狭き谷口にひしめき合い、折り重なって泥を舐めていた奴国の兵どもの背から、頭上から、不気味な黒き煙が、一斉に天へと舞い上がった。
いや、それは煙ではない。八握が、大国の鉄の武具と偽って兵たちに塗りたくっていた、ただの【炭の粉】であった。
猛烈なる大風に煽られ、黒き虚飾は容赦なく剥ぎ取られていく。
朝靄が完全に晴れ渡ったその視界の先に剥き出しになったのは、見るも無残な、みすぼらしき群れの正体であった。
陽の光を浴びて白日の下に晒されたのは、鉄の盾などではなく、ただの粗末な木切れを繋ぎ合わせただけの木盾。黒き鉄の鎧と視えたものは、乾いた泥と炭をなすりつけただけの、擦り切れた麻の衣に過ぎない。
『漢』の霊威を背負う漆黒の兵どもなど、どこにも存在しなかったのだ。
そこに転がっているのは、大国の威を騙る八握の虚言に踊らされ、ただ駆り集められただけの、飢えた筑紫のまつろわぬ民の屍と、這い回る敗残の群れであった。
「……これが、其方の誇る無限の鉄ですか、八握」
モモは、自らの兵の下敷きとなり、泥まみれ、炭まみれになって這いつくばる博多の王を、冷徹に見下ろす。
「カンナビ、ワニ。……もう、剣を引いて構いません。あとはトヨ、豊国の長たる其方が、この哀れな野郎どもを、どう調えるかです」
日の神子は静かにそう告げると、隣に立つトヨへと、すべてを託すように微笑んだ──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
そして、2日ぶりの更新です。お待たせいたしました。
さて、漢の威を借る八握、とでもいいますか。
漢はもう無い、今は魏、呉、蜀。と伝えられたばかりの八握が、どう出るか、という場面。
せっかくなので、これ以上ないぐらい三下感を出してみました。
まずい、作品上、もっとも三下感が出る人物になってしまったかも……。
「俺を踏むなァァーーーッ!?」は、作者も画面のこちら側で最高に楽しく m9(^Д^)プギャー させていただきました(笑)
そんな八握の「偽りの霊威(黒き虚飾)」を完膚なきまでに剥ぎ取ったのが、大和の正統なる風の神──『科戸の神の神力(息吹)』でした。
穴戸の描写では海の激流の神たる『速秋津姫』を出しましたが、この『科戸の風』もまた、大和の【大祓詞】に出てくる、この世のあらゆる罪や穢れ、不浄を跡形もなく吹き払う力として登場する神聖な言霊です。
大祓詞の教えにある通り、猛烈なる神風が「朝の霧、夕の霧」を吹き払うかの如く、奴国の兵たちが纏っていた「炭の粉」を黒い煙のように一瞬で吹き払い、白日の下に晒されたのは、擦り切れた麻の衣を纏った、飢えた筑紫の民の姿でした。
大国の大義名分を丸ごとへし折られ、泥まみれ、炭まみれになって這いつくばる八握を見下ろしたモモは、カンナビやワニに剣を引かせ、この豊国の戦後統治のすべてを新しい相棒(妹)である「トヨ」へと全託します。
ここから、豊国の長たるトヨが、この哀れな敗残の民たちをどう「調える」のか。
二人の神子の共鳴が、西国に新たなる秩序をハメていく筑紫編、ここからさらに面白くなっていきます。
次回もお楽しみに!




