博多の地鳴り、黄金の御印
激しく石の扉が押し開かれ、静寂に包まれていた薄暗き石室の空気を切り裂き、血相を変えた一人の男が転がり込む。
西の境の物見をさせていた、トヨの配下の土蜘蛛である。
「て、大変ですぜ、トヨの長ぁ!! 西の──博多の海が、海が、真っ黒に、真っ黒に染まって……ッ!!」
見たこともない漆黒の武具。そして、砂浜を余すことなく埋め尽くす、圧倒的な数の暴力──。大和の常識を根本からへし折らんとする異形の威容に、その裂けるような悲鳴が、石窟の壁面に不気味に木霊する。
「バケモノ、いや、鬼だ……! 鬼どもの群れが、地鳴りをあげてこっちへ攻め寄せてきてやがりますッ!!」
その瞬間、直立して澄まし顔をしていたカンナビの藍色の眼が、猛きもののそれへと鋭く変わる。
大島の鳴門での不甲斐なき醜態も、船旅の過酷な船酔いの澱みも、大和の武官としての意地と誇りの前にすべて力ずくで捩じ伏せ、剥ぎ取る。
「ワニ殿ッ! 兵を陸の防塁へ回せ! ──カメ殿は、其方は何があろうとも日の神子様をお護りいたせッ!!」
裂けんばかりの大音声が石窟を震撼させる。その獰猛な気迫に、長柄の鉄矛を強く握り直したワニが、不敵な笑みを剥き出しにして怒鳴り返す。
「そういうテメェはどうすんだネコよォ!?」
「知れたこと。──これより先は大和の武官の本領、大和の日の光を拒む不遜なる者がどれほど脆いか、この禰古麻呂が直に見せてやるわッ!」
カンナビは大和の剣を鋭く引き抜くと、ワニと不敵な眼を交わして、地鳴りの響く外へと一足飛びに駆け出そうとする。
──その時であった。
静寂に包まれていた薄暗き石室の扉が、内側からそっと、重々しく押し開かれる。
「……ワニ、カンナビ。慌てる必要はありません」
外へと飛び出そうとしていた漢たちの足を一息に縫い止めたのは、先ほどまでの激しい息遣いを綺麗にその身の奥へと収めた、どこまでも厳かで、凛としたモモの聲音であった。
「斎王様……っ!? な、なぜ御身自ら表へ……っ! 外は鬼どもの群れが迫っており、危険にございます!」
カンナビが慌てて膝を突き、その生真面目の顔を涙ぐませて諫めようとするが、モモはただ、石室の外の朝靄を見据えてフッと日の神子としての微笑みをそっと浮かべる。
「ネコ。慌てることはありません。──トヨ、其方にはみえているのでしょう。あの真ん中にいる、不気味な長の真名が」
モモは、トヨへと静かな眼を向ける。
「……いるわ、アイツね。――博多の王『八握』ッ!」
その真名が石室に叩きつけられた瞬間、長柄の鉄矛を構えていたワニの体が、一息に凍りつく。
博多の海を牛耳る絶対の王。西の海の民であれば誰もがその牙を恐れる巨魁の名に、ただ大張り切りで胸を張っていたカンナビの肩からも、じりじりと余裕の気配が消え去っていった。
凄まじい地鳴りとともに、豊国の砦の黒き鉄の柵を激しく揺るがす、重々しき崩落の音が轟き渡る。
戦はもう、無慈悲に始まっていた。
西から押し寄せた『八握』の黒き鉄の波が、防塁の端で現地の戦士たちと激突し、朝靄を一瞬で凄惨な戦火へと染め上げていく。
「……相手が誰であろうと、日の神子様に仇なす者はすべからく敵と見なす!」
将の顔となったカンナビは剣を引き抜くと、不敵にワニと眼を交わす。
そのまま、すでに激突の始まった外へと一足飛びに駆け出していく──。
カメはモモの坐す石室の入り口へと背を向け、巌の如き盾となって立ちはだかる。
「行くぞ兵どもォッ! ネコに手柄を全部持っていかれんじゃねェぞ!」
ワニもまた不敵な笑みを剥き出しにして長柄の鉄矛を両手で握り直すと、カンナビの背を追った。
凄まじい怒号と盾のぶつかり合う音を聴きながら、薄暗き石室のなかに残されたモモとトヨの眼が、同時に妖しく、冴え冴えときらめく。
「……姉さま、このまま砦に籠って柵を護っても、私の視た先行きだと、あと半刻でこの石の邑ごとすり潰されて、誰も生き残れはしない」
「あら、トヨには違う先が視えているのね。──だからこそ、籠りなどしませんよ」
「カメ。そこを退きなさい。外の防塁を開け放つのです」
「な、何を仰いますか斎王様! 外は鬼どもの群れが溢れており、危険にございます!」
「案じずとも、すべての理は調のっていますよ。──あの狭き谷口へ、あの真っ黒な波を無理やり誘い込んであげるのよ」
──激しく石の扉が押し開かれ、将の顔をしていたカンナビが、モモのあまりにも理不尽な出陣の前に、いつもの過やかしなネコに戻って叫び、白目を剥きかける。
だが、大和の日の光と、豊国の古の神子が並び立ったその圧倒的な霊威の前に、押し寄せていた漆黒の兵どもの動きが、畏怖によって一息に凍りつく。
不気味にきらめく鉄の盾の壁が左右へと割れ、その奥から、巨大な鉄の矛を肩に担いだ博多の王──八握が不遜なる嗤いを漏らして姿を現す。
「ぶはははは! 砦に籠ってネズミの如く干からびるかと思えば、自ら首を差し出しに出てきやがったか、大和の日の神子よぅ!」
黒き兵どもの波に直に取り囲まれ、敵の長と間近で眼を交わし合う、死線の瀬戸際。
だが、モモはただ、その生々しい眼で八握の瞳を真っ直ぐに射抜き、酷く静かに、けれどすべてを見透かしたような日の神子としての微笑みをそっと浮かべる。
「八握──。いまここで攻めてくるということは、勝つ術が見えていてのことかしら」
その一言に、八握は不気味に目を細めたが──次の刹那、石窟の岩壁を揺るがすような、不遜なる大笑いを響かせる。
「ぶははははッ! 知れたことよ、大和のひよっこが! 俺たちの背にはなぁ、東の鄙びた大和なんぞ足元にも及ばぬ大陸の絶対の王──『漢』の皇帝の霊威がついてるんでぇ!!」
八握は肩に担いだ巨大な鉄の矛を大地へと重々しく突き立て、その黒き鉄の甲冑を軋ませてモモを睨み下ろした。
──だが。
「ふふっ」
モモの口元に、愉しげな含み笑いが静かに上る。
「何が可笑しい!」
「だって、もう漢はなく、そこにあるのは魏と呉。──そして蜀。三つの国は激しく相争い、外の国に目を向ける刻などないのですよ」
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
新章・豊国編の戦端が開き、博多の王・八握の大軍を前に、モモが世界の前提そのものをひっくり返す大陸の最新ファクトを突きつけたところで幕を閉じました。
さて、今回のサブタイトルにもある「黄金の御印」。
そして八握が絶対の勝算、海の向こうの大帝国の後ろ盾として誇っていたものの正体──。
歴史を愛する皆様なら、いえ、そうでなくとも、歴史の教科書でもお馴染みの、あの【「漢委奴国王」の金印】のことだと、すぐにニヤリとされたのではないでしょうか。
西暦57年、博多湾の奴国の王が、後漢の光武帝から授かったとされるあの純金の印です。
奴国にとっては、それこそが自分たちが西国(九州北部)の絶対の王者であり、大陸の最先端テクノロジー(鉄の武具)を独占できる正統なる大義名分の証明でした。
──ですが、それはあくまで「150年以上も昔の栄光」に過ぎません。
大陸の情報が届きにくい辺境の地で、過去の金印の威光に縋って大軍を動かしていた八握に対し、モモの口から突きつけられたのは、後漢の滅亡と『三国志(魏・呉・蜀)』の幕開けというあまりにも冷徹なファクトでした。
後ろ盾と信じていた大帝国はとっくに滅び、三つの獣が喰らい合う戦乱の泥沼へと沈んでいる。それをモモが突きつけた時の八握の顔!
m9(^Д^)プギャーしてやりたくなります。なりません?
さて、続きをお楽しみに……と言いたいところなんですが、すみません!
勝手ながら、作者が2日ほど急な出張に出てしまうため、大変恐縮ですが10月4日と10月5日の更新は一時的にお休み(滞ってしまいます)とさせていただきます。
三国志のファクトを突きつけられ、哀れな情報遅れのピエロとなって凍りついた八握の大軍を前に(笑)、モモとトヨがこの豊国の山の中でどのような大逆転の罠(ハメ技)を起動していくのか──。
続きとなる第52話は、出張から戻り次第、10月6日(火)より圧倒的な熱量で再開させていただく予定です!
2日間ほどお待たせしてしまいますが、八握のプギャー顔の余韻に浸りつつ、新章・豊国編のさらなるヒリついた知略戦を楽しみにお待ちいただければ幸いです。
それでは、お体に気をつけて皆様も良い日々をお過ごしください。出張、行ってまいります!




