朝靄の談い、豊国の邑
「へぇ……大和の神子は、人の名まで『視る』ことができるのかい。なら、お前が本当に『日の光』なのか、もう一つ教えてよ。──なぜ、あの穴戸の荒ぶる門が、お前の歌に合わせておのずから開いたんだ?」
モモから「トヨ」と名を告げられた少女は、うろたえながらも、なけなしの強がりを返す。
「これは楽しいことを言うのですね。貴女だって、あの時に何が起きたのか、とっくに知っているのでしょうに」
――ッ!
少女──トヨの喉が、ひっ、と小さく鳴った。
己の『先読み』の眼すらも見透かされている。朝靄のなかに走る、息詰まるような沈黙。
だが、大和の日の神子は、その少女の動揺を、決して見逃してはくれない。
「それで、ここへ来たのは、それを言いにきただけではないのでしょう? それとも、そこまでも私が言わなければいけないのですか?」
御簾の奥から重なる、冴え冴えと響く神子の御言。
その底知れぬ日の光の霊威を前に、少女は、腕に付けた貝の腕輪がカチリと鳴るほどの身震いを隠せず、ついに──その不敵な強がりを、自ら跡形もなく捨て去った。
少女は慌てて砂浜へと膝を突き、その澄んだ藍色の瞳を大きく揺らしながら、必死に言葉を絞り出す。
「試すような真似を、申し訳ありません! ですが、ヤマトトト――いえ、モモ様、日の神子様が、この豊の国を治める未来の兆しを視たため、私が直にこの眼で確かめたいと望んで参りました。それを、仲間たちが大ごとにしてしまったため……」
――ッ!!
その少女の必死の言挙げ(ことあげ)に、浜辺で御前を固めていた大和の兵ども、そしてワニやカメの間にも、今度こそ物言わぬ沈黙が広がる。
大敵の襲来かと思われた数千の『鉄』の包囲網は、この豊国の若き長たるトヨが、日の神子の器を直に拝まんと欲した、あまりにも物々しすぎる「お出迎え」であったのだ。
「――ふふっ。いいのよ。己が欲せずとも、周りが変に大騒ぎするのは、私も身に染みて分かってるわ」
気づかれぬよう、輿の横で背を正した大和の武官を見ながら、モモは優しい声色に戻してトヨの詫びを流した。
だが、その御言を一身に浴びているはずのカンナビはといえば、いささかの自覚もありはしなかった。
「全く、どこの国にも斎王様の御心を煩わせ、変に騒ぎ立てる不届き者がおるものですな。のう、ワニ殿、カメ殿」
などと、今や完全に他人事として、厳つい顔で腕を組みながらフンフンと深く頷いている。
(お前のことだぞ、ネコよぅ)
(ネコ殿のことだろうな、おそらく)
呆れて鉄矛を肩に担ぎ直すワニと、どこか気まずそうに眼を泳がせるカメ。海の技の冴えを持つ二人の胸中など露知らず、大和の堅物武官はどこまでも厳かに佇んでいた。
そんな噛み合わぬやり取りを、モモは御簾の奥でさらにクスリと小さく笑みを深める。
ひとしきり主従の息遣いが溶け合ったのち、モモはすっと背筋を伸ばし、大和の日の神子としての凛とした聲音を再び浜へと響かせる。
「トヨ。其方の罪、これをもって許しましょう。──しかして、その言葉に偽りなく、真に大和の日の光を迎え入れる誠意があるというのなら。今すぐ我らを、其方たちの邑へ案内しなさい」
その凛とした御言に、周囲を取り囲んでいた藍色の刺青の男たちがざわりと色めき立つ。
数千の『鉄』に囲まれながらも、一切の怯えなく「案内せよ」と言い放つ少女の底知れぬ器。
トヨは砂浜に膝を突いたまま、その藍色の瞳をぎらつかせ、深く深くひれ伏す。
「姉様──いえ、日の神子様。御意のままに。この豊の大地は、すでに其方へ開かれています。……皆の者、鉄を収めよッ! 日の神子様を、我らが邑へとお連れするのだ!」
早船を波打ち際に残し、大和の兵どもを引き連れて、トヨの導きのもと豊国の内陸へと歩みを進める一行。
だが、その道中に広がる景色は、これまでモモたちが平定してきた吉備や阿岐の穏やかな里山のそれとは、全く異なる。
行く手を阻むように切り立つ巨岩の群れ、天を覆い尽くさんばかりに鬱蒼と生い茂る古き巨木。
いたるところから不気味な獣の咆哮が響き、肌を刺す冷気は、未だ神代の生々しい息吹が色濃く残る、まつろわぬ地の、底知れぬ不穏さを孕んでいる。
──そんな峻険な山道を、誰よりも力強い足取りで進む武官の姿がそこにある。
「皆の者、油断するなッ! 岩陰の一つ、草むらのひと叢にいたるまで目を凝らせ! 日の神子様の前は、一歩たりとも不浄の者を通さぬわッ!!」
先ほどまで船の上で気位ごと打ち砕かれていたはずのカンナビが、陸の上に戻った瞬間、まるで蘇った亡者の如く、凄まじい大音声で兵どもへ下知を下している。
その凛とした顔には、微かな青白さも残ってはいない。
「けっ。おいネコよぉ、陸に上がった瞬間から急にシャキッとしやがって、変わり身の早い奴だな!」
長柄の鉄矛を杖代わりに、可笑しそうに大笑いしながら並び歩くワニ。
「フン、不埒ものめ。海の上は不慣れなれど、これより先は我ら大和の武官の本領である。何者が潜んでいようとも、この禰古麻呂の目がすべてを射抜いてみせるわ!」
ドヤ顔で胸を張る堅物武官の横で、大男のカメが「ネコ殿、あまり大声を出すと、また腹に障るぞ……」と、相変わらず生真面目に心配そうに眼を泳がせている。陸の上での三人のちぐはぐなやり取り。
その遠慮のない戦の友としての足音を聴きながら、モモは激しく揺れる輿のなかで、静かにからだを休めていく。
やがて、一行が深い岩の谷底を抜けた、まさにその刹那であった。
「……視えてきましたね」
御簾の奥から、モモの静かな呟きが響く。
朝靄の晴れゆく先、一行の目の前に、豊国の土蜘蛛の本拠たる『邑』が、その異形の威容を現す。
それは、大和の木造の清らかな宮とは、その形も手触りも全く異なる異形の砦であった。自然の巨大な岩壁を強引に切り拓き、無数の巨岩の洞窟を穿って作られた、そびえ立つ石の防塁。
邑の入り口、不気味に黒光りする鉄の柵の向こうからは、大和の軍勢の到来を、深い警戒と息を呑むような畏怖の目で見つめる、数多の豊国の民たちが朝靄のなかにひしめき合う。
モモはその砦の如き石の邑の威容を、輿のなかから厳かに、冴え冴えと『先読み』の眼で見据えた。
西の果てを調える本当の舞台、そして次なる泥臭い談らいの戦場が、まさにここにある。
一行はトヨの導きのもと、大和の日の光を背に受けて、その不気味なる鉄の門の奥へと、一歩、堂々と足を踏み入れていく──。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
筑紫の国へ上陸したモモたち。
そこで出会ったトヨの導きのもと、豊の国の邑へと到着しました。
「豊の国」とは、現在の福岡県東部から大分県にかけての地名です。
豊前、豊後と言えば分かりやすいでしょうか。
古代における「土蜘蛛」は、蜘蛛の妖怪ではなく「大和朝廷に恭順しなかった在来の有力者」への蔑称でした。
豊の国の土蜘蛛たちは、山岳地帯や洞窟(石窟)を拠点とし、独自の文化や信仰、あるいは優れた鍛冶技術(鉱山技術)を持っていた集団だったと考えられています。
大分県内には、今でも彼らが籠もったとされる「鼠の石窟」の伝承地や、土蜘蛛を祀った神社、戦いの跡地などが数多く残されています。
さて、豊の国ということで、その響きに擬えた「トヨ」を名乗る少女。
皆さんも、ニヤリとされたことかと思います。
これから、モモとトヨ、二人の神子の掛け合いなども書いていければと思います。
次回も、お楽しみに!




