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厳の島、太占の骸

「無茶を言うな! この人数、ましてや兵(つわもの)などを厳(いつき)の島に上げられると思うな!」


 使者の鋭い拒(こば)みに、カンナビは剣(つるぎ)の柄に手を置き、凛(りん)とした顔を厳しく歪(ゆが)めた。

 少数の供(とも)だけで、斎王様を敵の膝元(ひざもと)へ向かわせるなど、大和の臣として絶対に認められるわけがない。


「黙れ! 我が主を数人の供(とも)だけで――」


「カンナビ。構いません、兵(へい)たちは船に残しなさい」


 突っぱねようとするカンナビを制するように、御簾(みす)の向こうからモモの静かな聲音(こえ)が響いた。


 使者が「船などないと言っているだろう!」と言い募ろうとした、まさにその時だった。

 御簾(みす)の隙間から、モモのすべてを視透かしたような瞳の気配が、じっとワニへと向けられる。


「ワニ。お前の仲間たちが、沖でこの戦(いくさ)の行く末を見守っていたこと、ちゃんと知っていますよ。そして、お前が呼べばすぐにでも駆けつけてくる、ということも」


「――ッ!!?」


 長柄の鉄矛(てつほこ)を地面に突き、不敵に佇(たたず)んでいたワニの体(からだ)が、一瞬にして硬直した。

 初めて会ってすぐに嘘を見破られた時以上の、凄まじいまでの冷や汗と戦慄(せんりつ)。


 もし大和がサエキの前に無様に敗れるようなら、沖に潜ませた己の疾き船(大船団)を一気に呼び寄せ、すべてを力づくで喰らい尽くしてやるつもりだった。

 その、自分と仲間たちしか知らぬはずの企て(くわだて)を、御簾の中から一歩も出ていないはずの神子様に、完璧に言い当てられたのだ。


「慌てる必要はありません。ワニ、其方(そなた)のその船を出し、大和の兵たちを乗せて沖合へと移動させておきなさい。談合いについては、もはや終わっています。だから供(とも)についても心配ありません。兵(へい)たちは終わるまで、そこに控えさせておきなさい」


「…………っ、へっ」


 ワニはしばらく、顎(あご)の激しい震えを抑え切れずに立ち尽くしていたが、やがて、降参したように盛大なため息を漏らすと、泥を跳ね上げるような凶暴で愉しげな笑みを口元に歪(ゆが)めた。


「話し合う前から勝ちを弾き出して、オレの裏の兵まで自分の掌(てのひら)の上で躍らせちまうかい。……どこまで底が知れねぇんだ、大和の神子サマは」


 ワニは長柄の鉄矛(てつほこ)を天へと高く掲げると、隠れ湾の仲間たちへ向けて、鋭い口笛の合図を吹き鳴らした。


「野郎ども、日の神子様の御下知(ごげち)だッ! 隠れてねぇで船を回しな! 大和の兵さんたちを全員乗せて、厳(いつき)の島の沖で大人しく控えてろってさァ!!」


 モモを輿(こし)ごと乗せたワニの疾き船は、阿岐(あき)の海原を滑るようにして厳(いつき)の島へと渡る。


 大和の兵たちを船に乗せたまま沖合へと待たせ、背後に無言の圧倒的な圧力を隠し持たせたまま。

 モモは、わずかな供(とも)――カンナビとワニの2人のみを連れて、三女王の待つ厳の島、格式高き高殿(たかどの)へと足を踏み入れた。


 高殿(たかどの)の奥、海を一望できる広間。

 そこには、阿岐の国を支配してきた三人の女王──イチキ、タゴコロ、タギツが、大和の日の神子を迎え撃つべく、まだどこか傲(おご)り高ぶる威厳をその瞳に宿して座していた。


「ようこそおいでくださいました、大和の日の神子よ。我が島に兵を上げず、少数の供(とも)のみで来られたこと、賢明な判断にございます。この阿岐(あき)の海を統べる法は、あくまで我らの太占(ふとまに)――」


 広間の上座に据えられた豪奢(ごうしゃ)な敷座(しきざ)から、三女王の長姉であるイチキが、静かに、けれど明確な侮りをその涼やかな瞳に宿して言葉を紡いだ。

 その左右には、妹であるタゴコロとタギツが、大和の日の神子を値踏みするような冷ややかな笑みを口元に湛(たた)えて控えている。


 彼女たちからすれば、先ほど砦の呪霧(不浄の霧)を払われたのは思いもよらぬ痛手(いたで)であった。だが、大和の兵をすべて沖の船に残させ、この厳(いつき)の島にはわずかな供だけで乗り込ませることに仕向けた。

 その事実こそが、この談いの舵(かじ)が未だに自分たちの手の内にあるという、女王たちの不遜(ふそん)な自負の支えとなっていたのだ。


「――無礼であろう。言葉を慎まれよ、阿岐(あき)の女王たち」


 モモの輿(こし)の前にぴたりと立ったカンナビが、凛(りん)とした顔つきを引き締め、地を這(は)うような厳かな大音声(だいおんじょう)を広間へと響かせた。


 大和の剣(つるぎ)の柄に静かに手をかけたその佇(たたず)まいには、地方のまつろわぬ民の威圧など微塵も通じない、朝廷の正統なる将(しょう)としての威厳が満ち満ちている。


「我が主、斎王(いつきのひめみこ)様が兵を沖に留め置かれたのは、其方(そなた)たちの矮小な法に付き従ったからではない。これ以上の無駄な血が流れるのを良しとせぬ、日の神子としての深き慈悲ゆえのこと。それを『賢明』などと、大和が其方たちにへりくだったかのように語るなど、大いなる驕(おご)りであると知れ」


「おほほ、流石(さすが)は大和の役人様。よく回るお口ですこと」


 次姉のタゴコロが、手にした薄い木簡(もっかん)で口元を隠しながら、くすくすと冷たい鈴のような声をあげた。


「ですが、ここは阿岐(あき)の海。どれほど大和の法(のり)を並べ立てようと、この海原の潮も、魚の群れも、風の向きも、すべては我ら三姉妹が火にくべる太占(ふとまに)の亀甲が告げる兆(きざ)しの通りにしか動きませぬ。……日の神子様とやら。この瀬戸内を無事に渡りたくば、まずは我らの占政(せんせい)の下(もと)、大和の貢ぎ物と、我らの海の法を認める木簡をここに置いていかれるのが先決ではございませぬか?」


 次姉のタゴコロの、大和を値踏みするような嘲笑(ちょうしょう)。


 だが、モモの輿(こし)の前に立つカンナビは、その挑発に眉一つ動かさず、むしろ哀れむような冷徹な瞳を三女王へと向けた。


「その太占(ふとまに)とやらも、先ほど八針(やはり)に裂かれたこと、斎王様は見抜かれている」


 広間に響き渡る、カンナビの地を這(は)うような重低音。


「……っ、な、何だと!?」


 不遜(ふそん)な笑みを浮かべていたタゴコロの顔が、そして長姉のイチキの表情が、一瞬で凍りついたように強張(こわば)った。


「其方(そなた)たちの命の拠り所(よりどころ)たる祭壇が、いまどれほどの有り様か、見ものであるな」


カンナビは容赦なく言葉を重ね、剣(つるぎ)の柄(つか)を硬質な音とともに鳴らしてさらに一歩、踏み出した。


「……な、なぜ、それを……ッ」


 長姉のイチキが、恐怖に顔を青ざめさせながら、唇の激しい震えを抑え切れずに震わせた。

 カンナビの言う通り、先ほどモモの白刃の舞が「フツ、フツ」と呪霧(不浄の霧)を切り裂いたそのとき。


 この高殿(たかどの)の奥にある彼女たちの神聖な祭壇の器は、激しい怪火によって火花(ひばな)を散らして弾け飛び、粉々に引き裂かれていたのだ。


 自分たちしか知るはずのない、祭壇の崩壊という事実。

 それを、海を渡ってきたばかりの大和の役人にこともなげに言い当てられた。


 その底知れぬ生き神の『先読み』の前に、女王たちの不遜(ふそん)なまでの自負は、瞬く間に消え去ろうとしていた――。


「さて、厳(いつき)の島のお三方。まだ続けられますかな?」


 カンナビが畳みかけるように告げたその言葉に被せるように、御簾(みす)の向こうから、モモの酷く静かな聲音(こえ)が響き渡った。


「もういいです、カンナビ。口惜しいですが、刻限となりました」


「……っ、え?」


 カンナビは勝利を信じて疑わぬ顔をわずかに強張(こわば)らせ、ハッと輿(こし)へと耳を寄せた。


 気位(きぐらい)を完全にへし折られ、広間で青ざめていた三女王たちも、その「刻限」という不気味な言葉の意味が分からず、驚愕のなかで視線を彷徨(さまよ)わせる。


 だが、その疑問にモモが答えるよりも早く――。


 大地の底から、すべてを切り裂かんばかりの凄まじい地鳴りが轟(とどろ)いた。


 にわかに、高殿(たかどの)の極太の柱が悲鳴をあげるように激しく軋(きし)み、厳(いつき)の島の大地そのものが、人間の腹の底を容赦なく揺さぶるような激震となって襲いかかる。


「な、なんだ……っ!? な(・)ゐ(・)かッ!!」


カンナビが弾かれたように剣(つるぎ)を引き抜き、モモの輿(こし)の前に厳(おごそ)かに立ちはだかる。


 激しい縦揺れが高殿(たかどの)を襲い、棚や器が音を立てて崩れ落ちるなか、三女王たちは「あ、ああ……神々が怒っておられる……!」と頭を抱えて床(ゆか)へと平伏した。


 だが、その激震のなか、長柄の鉄矛(てつほこ)を突いて窓の近くにいたワニが、屋外の海原を見遣(みまわ)した瞬間、その眼(まなこ)を血走らせて鋭く絶叫した。


 そこにあったのは、言葉を失うほどの光景だった。


 半刻前まで自分たちが命懸けで奪ったサエキ軍の「物見の小島」が、なゐ(・・)の凄まじい震動によって、凄まじい地滑りを起こして山ごと崩れ落ち、そのまま巨大な泥海の大渦を巻き上げながら、海の底へと跡形もなく消え失せていく光景が広がっていた。


「う、嘘だろ……。島が、丸ごと沈んじまいやがった……」


 ワニは顎(あご)を震わせ、海の上から消え去った砦(とりで)の跡を、そして遥か沖合の安全な海で、巻き添えの波を喰らうことなく、悠然と無傷で浮かんでいる己の船団を見つめた。


 もしあの時、日の神子様の御下知(ごげち)を無視して、兵たちをあの砦(とりで)に留めていたら。

 上陸した瞬間に船を沖へ避難させておかず、厳(いつき)の島の岸に繋(つな)いだままにしていたら。

 今ごろは自分たちの船も、大和の兵たちも、島が沈む大渦の巻き添えを食らって全員海の藻屑(もくず)になっていた。


 ――大和の兵を一人も残さず、ワニの船を全部出して全員で今すぐ移動しなさい。船は沖へ移動させておきなさい。


 モモが淡々と下した、一見、過ぎたる手厚さで傲慢(ごうまん)にすら思えたすべての御下知(ごげち)の、本当の、恐るべき行く末(ゆくすえ)の『先読み』。


 ワニは恐怖を通り越した圧倒的な畏怖のなかで、長柄の鉄矛(てつほこ)を強く握り締め、御簾(みす)の向こうにいる大和の日の神子への絶対の服従を、その魂に刻み込んだのだった――。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 さて、前話までモモたちが居たサエキの砦は、「なゐ」によって綺麗さっぱり無くなりました。

 なゐだけにナイナイしました(やかましい)

 

 「なゐ」というのは地震の古語です。

 今上陛下が皇太子だった平成14年の歌会始(お題は「春」)でお詠みになられた


『園児らと 泰山木(たいさんぼく)を植えにけり 地なゆりし島の 春を深みつつ』


の中の「地なゆりし」は「地面が揺れる」を意味するのですが、あえて地震という言葉を避けた、今上陛下の深慮を感じる一首です。


 さて、本文中では、もう一か所、カンナビによる「八針に裂かれたこと」という部分。

 ここは神道の大祓詞の中に、『天津菅麻(あまつすがそ)を本刈り断ち末刈り切りて 八針に取り裂きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ』という部分があります。

 夏越の祓えや大晦日の大祓では、この大祓詞の後に布や紙などを実際に裂く「裂布の儀」があり、罪や不浄を祓う儀式となっています。


 さて、このなゐ(地震)により、ワニも、三人の女王も、モモに臣従することとなります。

 そしていよいよ、筑紫へと向かうこととなるのでしょう。


 (※ここでちょっと作者からの大切なお知らせ。9月24日〜26日までの3日間、お仕事の関係で更新をお休みさせていただきます! 空いた時間を使って可能な限り展開は考えておきますが、更新日が空いてしまうこと、ご容赦ください。お待ちいただけますと幸いです!)


 次回、9月27日の更新をお楽しみに!

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