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大和の歌、布都の舞

「カンナビ」


 御簾(みす)の向こうから、モモの小さな、けれど凛(りん)とした聲音(こえ)が響く。


 モモが御簾の下から、そっと一枚の木簡(もっかん)を差し出す。

 そこには、大和の正統なる日の神子の神力(しんりき)によって、この戦場を平定するための完璧な神歌(かむうた)の言霊(ことだま)が刻まれていた。


 カンナビはそれを読むと、小さく感嘆の声を上げた。


「――素晴らしい、さすがは斎王様。では早速、神歌(かむうた)を捧げる準備をいたしまする」


 深く頭を垂れたカンナビは、居住まいを正して小島の崖の上、御簾(みす)の前に立ち、腹の底から魂を震わせて厳かに声を張り上げた。


「オオオオオオ!!」


 カンナビの、低く、厳かな警蹕(けいひつ)。

 大和の祭祀の格式を宿したその神聖なる呪声が響きわたるなか、ザァ……、と輿(こし)の御簾(みす)がゆっくりと巻き上げられていく。


 姿を現したのは、大和の日の神子──モモ。


 カンナビは手にした硬質な『打ち木』を、鋭く打ち合わせた。

 それを合図に、控えていた歌方(うたかた)の手によって、和琴(わごん)が爪弾(つまび)かれ、重厚な絃(げん)の鳴りが静かに響き渡る。


 阿岐(あき)の激しい海風のなかで、カンナビは木簡(もっかん)に刻まれたあの朗々たる言の葉を、声を張り上げて歌い始めた。


「――日月(ひつき)の 巡りのまにま」


 地を這(は)うような厳かなその歌声に和するように、歌方(うたかた)たちの横笛(よこぶえ)が清廉な一音を放つ。


「満つる潮(しお) 退くは今なり 神の道見ゆ」


 和琴(わごん)の切ない絃(げん)の響きがその歌声に寄り添うように重なり、阿岐(あき)の海を大和の静謐(せいひつ)な空気へと一瞬で染め変えていく。


 モモは静かに目を伏せ、白絹(しらぎぬ)の衣を翻しながら、その大和の歌の音に身を委ねるように、海原の最も近くへと踏み出し、しなやかに『舞い』始めた──。


 だが、厳(いつき)の島から海原を渡って押し寄せる、三女王の「太占(ふとまに)の呪縛」もまた執拗(しつよう)だった。


 占いを力ずくで破られたイチキ、タゴコロ、タギツの荒魂(あらみたま)が、禍々しい薄紫色の不浄の霧となって、舞い踊るモモの足元へ、そして大和の兵たちの精神を締め付けようと生き物のように這(は)い寄ってくる。


 和琴(わごん)の音がひときわ大きく響いた、まさにその時。


 モモは舞いながら、腰のもの――大神実(オオカムヅミ)の剣を滑らかに引き抜いた。


 天からの真白な陽光が、その白刃に鋭く反射する。


 モモは迫り来る禍々しい薄紫色の霧を恐れる風もなく、むしろそれを迎え入れるようにして、周囲を払うように大きく剣を振るい、淀みなく舞う。


 一閃。また一閃。


 日の神子が刃を翻し、周囲を薙ぐように舞うたびに、大和の正統なる太陽の霊威が真白な光の裂目となって空を切っていく。


 ――ふつ。ふつ。


 大和の霊剣が不浄を一刀両断に断ち切る、神聖なる「フツ」の響き。

 三女王が海の民を縛り付けるために何年も編み上げてきた禍々しい霧は、その鋭い神威の音とともに、一寸の慈悲もなく「ふつふつと」斬り払われ、太陽の光に灼(や)き尽くされて、跡形もなく消え去っていく。


(……う、嘘だろ。あのババアどもの絶対に解けねぇはずの太占(ふとまに)を……ただ『舞う』だけで、片っ端から叩き斬っていやがる……)


 長柄の鉄矛(てつほこ)を地面に突き立て、腕を組んで見物していたワニは、目の前で繰り広げられる「大和の日の神子の本物の戦(祭祀)」の凄まじいまでの神威(しんい)に、背筋を凍らせながら、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった――。


 日の神子の舞の終わり、縦に剣を一閃。


 刹那、空を真っ二つに割り裂くような怜悧(れいり)な閃光が阿岐(あき)の海原へと走り抜ける。


 カンナビの朗々たる神歌も、時を同じくして静かに止む。

 その頃には、あの大地を締め付けていた禍々しい薄紫色の霧はすべて綺麗に払われ、一行の髪や衣服を揺らすように、驚くほど清々しい風が、満ちゆく海原を吹き抜けた。


 完璧な静寂と、本来の青く煌(きら)めく海原が戻ってくる。


 モモは静かに大神実(オオカムヅミ)の剣を鞘へと収め、そっと輿(こし)の中へと身を引くと、静かに御簾(みす)が下ろされる。


「カンナビ、良き歌でした」


 御簾(みす)の向こうから下されたモモの小さな囁(ささや)きは、先ほどまでの神聖な生き神の威厳から。


 かつて吉備の地で共に木簡(もっかん)を並べていた頃のような、モモと名乗る前の、本来のトトとしての優しい労(ねぎら)いが垣間見えた。


「――ッ!! 恐れ入りまする、我が斎王様ッ……!!」


 カンナビは打ち木を強く握り締め、胸を震わせながら深く頭を垂れる。

 その瑞々しい顔には、主君の役に立てたことへのこの上ない誇りと喜びが満ち溢れていた。


 その後ろで、長柄の鉄矛(てつほこ)を地面に突き立て腕を組んで一部始終を見届けていたワニは、冷や汗を流しながらも、ニヤリと降参したような笑みを口元に浮かべる。


(コイツぁ……本当に、とんでもねぇお方をこの海に呼び込んじまったな……)


「それで、如何いたしましょうか、斎王様」


 カンナビが荒い息を整え、次なる下知(げち)を仰ぐべく輿(こし)へとさらに耳を寄せる。

 後ろで様子を窺(うかが)っていたワニも、大和の日の神子様がここからどう動くのか、その一言を盗み聴かんと聞き耳を立てた。


 だが、御簾(みす)の向こうから返ってきたモモの声は、恐ろしく静かで、どこまでもどこまでも不敵で、確かな響きに満ちていた。


「慌てずとも、じきに向こうから遣(つか)いが来ます。」


「…………!」


 その一言に、カンナビはハッと居住まいを正し、ワニは背筋にゾクゾクとするような冷たい戦慄(せんりつ)を覚えた。


 こちらからは一歩も動かない。

 敵の出方を先読みし、向こうから頭を下げさせるための、日の神子の冷徹な神力(しんりき)。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 カンナビが笏拍子を打ち鳴らして神歌を歌い上げ、モモが「大神実の剣」を手に美しく舞い、三女王の太占を『ふつ、ふつ』と斬り払う……個人的に渾身の出来だと自負しています。


 楽しんでいただけていれば幸いです。


 今回の本編に登場した、大和の「歌」と「舞」、そして楽器たちの編成について、少しだけ歴史の裏話を。現代の私たちが耳にする「雅楽(ががく)」は、のちの時代(大宝律令など)に中国や朝鮮半島から伝わった外来の音楽がベースになっています。


 ですが、本作の舞台である大和朝廷の黎明期には、まだそれらの海外の楽器は一切日本に届いていません。当時の大和に存在していたのは、日本固有の原初の楽──のちに『国風(くにぶり)の楽』と呼ばれるものです。

 楽器は、神の依り代となる日本最古の弦楽器「和琴(わごん)」、天の風を呼ぶ「笛」、そして主唱者がリズムを刻む「打ち木、あるいは拍子木」のみ。

 この引き算の美学に貫かれた三つの音色だけで、大和の祭祀官たちは神を呼び降ろし、あるいは土地の不浄を祓っていました。


 サブタイトルの「布都(ふつ)」も、大和の最強の霊剣・布都御魂の系譜であり、邪悪なものを一刀両断に「フツと断ち切る」大和の神威のオノマトペに由来しています。

 吉備篇の時に、モモ(彦五十芹彦)がその写しを手にしていたことでも記憶に残っていらっしゃるかと思います。


 地方の血生臭い卜占(太占)に対し、大和朝廷が誇る最高峰の「アートと音楽(国風の楽)」による平定を叩きつける……という、歴史ファンタジーならではの圧倒的な文化の格差(格付け)を描いてみた次第です。

 モモの圧倒的な舞によって、わずか半刻で白旗(遣いの船)を上げてきた阿岐の三女王。

 次回、いよいよ厳島を舞台に、瀬戸内の海の覇権をかけた緊迫の「談い(だんあい)」が始まります。第44話もどうぞお楽しみに!

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