満ちゆく潮、対峙する砦
最初の物見の兵どもを完膚なきまでに叩き潰した大和の軍勢だったが、安堵している暇はなかった。
一行は物見の砦が聳え立つ小島を目指し、再び海底の泥濘へと足を踏み入れて行軍を再開する。
――だが、その行く手を阻むように。
物見の砦の奥から、サエキの控えの兵どもが、大地と干潟を底から震わせる凄まじい鬨の声をあげて押し寄せてきた。
鯨骨の鎧を軋ませ、巨大な亀甲の盾を掲げた、海の民の本気の突撃。
戦に不慣れながらも、これまでの過酷な旅路で、確実に大和の将として成長し始めていたカンナビ。
彼は隈の取れた凛とした顔に焦りを浮かべつつも、即座に、的確な防陣の号令を大音声で張り上げた。
「ええい、次から次へと! 者ども、今度こそ盾を前へ!」
大和の兵たちは一糸乱れぬ動きで大きな角盾を隙間なく並べ、泥濘の上に強固な『盾の壁』を築き上げ、敵の圧倒的な重量を正面で受け止める。
――コォン。
またしても、背後の薄暗がりの輿のなかから、酷く澄んだ小銅鐸の音が響き渡った。
ハッと肩を跳ね上げたカンナビは、迫り来る敵へと大和の剣を向けたまま、静かに数歩後ずさって御簾へと必死に耳を寄せる。
主君の放った『先読み』の神力。
――ここから島へ向けて全力で駆け抜けるための、わずか三十息という絶対の猶予を瞬時に聴き取った。
カンナビは再び正面へと向き直ると、岩盤の上で踏ん張る大和の兵たちへ向かって、喉を震わせんばかりの大音声を張り上げた。
「者ども、敵を迎え撃つのではない! 盾を合わせ、ただその場を死守せよ! これより三十息、一歩も後ろへ退くなァァーーーッ!!」
大和の『盾の壁』と、サエキの軍勢の掲げる『亀甲の盾』が正面から大激突した。
一刻の猶予が切れ、一度は引ききっていた阿岐の海水が、すでにじわじわと足元へ戻り始めている。
激しく押し合う兵たちの足元では、波が激しい飛沫をあげ、見る間に足首を、脛を、そして膝の上までをも浸していった。
冷たい海水が容赦なく体温を奪い、重い水圧が踏ん張る足を狂わせる。
鯨骨の鎧を軋ませた海の兵どもが、圧倒的な重量をもって大和の盾の列を押し潰さんばかりに肉迫してくる。
「ぐ、ううおおおっ!!」
激しく跳ね返る海水に濡れ、己の長柄の鉄矛でサエキの兵の矛を全力で押し返しているワニが、焦れたように声を張り上げた。
「まだかい、大和のお役人サマよぉっ!!」
せり上がる水面への恐怖から、前衛の誰もが限界を迎えようとしていた、その時だった。
カンナビは正面の敵を睨み据えたまま、主君から授かった秒読みをそのまま戦場へと大音声で吐き出し始めた。
「十五……! 十四……!」
「はぁっ!? なんだ、その数の呪はッ!」
「つべこべ言わずに押し返せ! 十二……十一……!」
カンナビの瞳は、正面の敵ではなく、満ちていく海そのものをじっと見据えていた。
そして三十息目――。
膝の上まで達した海水が、前傾姿勢で突撃を仕掛けようとしていたサエキの重武装(鯨骨の鎧と亀甲の盾)に、容赦ない水圧の抵抗となって圧しかかった。
敵の盾の列が、その一瞬の『潮流の揺らぎ』によって、ほんの数寸だけ前のめりに泳ぐ。
モモの『先読み』の神力が捉えていたのは、この海を支配している自然の理そのものが生み出す、三十息目に訪れる『決定的な一瞬の隙』であった。
「……三……二……一……、今ッ! 者ども、島へ向けて駆け抜けよ!」
凄まじい水飛沫を上げ、波の中を必死に走る一行。
一度は引ききっていた阿岐の海水は、みるみるとその満ちる速度を速めていた。
膝の上まで上がった重い水圧は、執拗に兵たちの足を絡めとり、冷たい海中へと引きずり込もうと牙を剥く。
すでに波は膝上を超え、走る兵たちの腰のあたりまで、凄まじい勢いでせり上がってきていた。
一歩足を進めるごとに、水の抵抗が容赦なく体力を奪っていった。
「走れ、走れえッ! ――うおっ!?」
息を切らせながらも、必死に喉を震わせて大音声の下知を飛ばしていたカンナビの体が、にわかに不自然に大きく傾いだ。
腰まで達した海の水に衣服は重く濡れ、さらには足元をすくい上げるように襲ってくる執拗な波の力。
それに足を絡めとられ、大和の将は無様にも砂泥の底へと転びそうになったのだ。
「バカ野郎、お前が脱落したら駄目だろうがよっ!」
鋭い怒声とともに、すぐ横を走っていたワニの頑強な腕が、カンナビの体を力任せにぐいと引き上げた。
「――ワ、ワニ……っ!」
「オレの獲物(海)で勝手に溺れてんじゃねぇよ、大和のお役人サマ! ほら、しゃきっと走りなァ!」
ワニは長柄の鉄矛を肩に担ぎ直し、冷や汗を流しながらも、ニヤリと不敵な笑みを口元に歪めて再び走り出す。
カンナビはその実直な眼を一瞬だけ見開いたが、すぐに表情を引き締めると、大和の剣を強く握り直してその背中に続いた。
腰まで達した海水の抵抗をギリギリで駆け抜けた一行の目の前、波飛沫の向こうに。
ついにサエキの軍勢が防壁としていた物見の小島――その峻険な岩肌と砦の木柵が、目の前にその姿を現した。
「者ども、砦へ駆け登れッ! この島を大和の陣所とするッ!!」
カンナビの大音声が響き渡る。
満ちゆく海に足を絡めとられながらも、大和の兵たちは激しい水飛沫をあげて小島の海岸へと次々に上陸した。
大混乱に陥っているサエキの残兵を追い散らし、またたく間にその砦を平らげていった。
そして砦の最上部、阿岐の海原を一望できる崖の際へと、モモの輿が据えられる。
ワニは長柄の鉄矛を肩に担ぎ、冷や汗を流しながら、海の向こう――遥か遠くの水平線に不気味な薄紫色の光を放ち始めた本島『厳の島』を睨み据えた。
あそこの祭壇で、三人のババアどもが国を呪うための亀甲を、いま狂わんばかりに火にくべているのだ。
「……へっ。直接乗り込むかと思えば、敵の砦を分捕って海越しに殴り合おうってかい。どこまでも食えねぇお方だ」
「面白ぇ。日の神子サマの戦とやら、間近で拝ませてもらうとするか」
ワニはニヤリと不敵に笑うと、長柄の鉄矛を地面に突き立て、腕を組んで目の前の輿を見つめた。
輿の御簾が、静かに、けれど厳かに揺れる。
海を挟んだ二つの神域の激突。阿岐の海の覇権を賭けた、日の神子と三女王の呪の戦。
その戦が、静かに始まろうとしていた――。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
モモの神力によって海が劇的に割れ、本土から島へと繋がる「幻の海道」を、腰まで水に浸かりながら大軍勢が駆け抜ける……という、我ながら「これ、カタルシスすごいじゃん!」と大興奮しながら書いた今回の戦闘シーン。
――ここで皆様に、作者のポンコツな脳内を盛大に暴露させてください(笑)
作者は本気で信じていたのです。
「潮が引けば、広島の本土から宮島まで、何キロもの海を丸ごと歩いて渡れるものだ」と。
ドヤ顔でこの壮大な海割れと強行突破を書き上げ、ふと気になって「実際の宮島の干潮ってどんな感じなんだろう?」と調べた結果、無情にも以下のファクトが突きつけられました。
『歩いて行けるのは、宮島から鳥居までの、わずか150メートルほど』
「本土からじゃないんかい!!! 海ぜんぜん割れてないじゃん!!!」と、自分のポンコツ脳に部屋で一人で盛大にツッコミを入れました(笑)。
現実の宮島は普通に深くて凶悪な海原でした。
ですが、書いてしまったものは仕方ありません!
実際の地図にない理由も含めて、「大和の日の神子の本物の神力と、三女王の呪術がぶつかり合った結果、当時は数キロにわたって本当に海が干上がっていた。しかし、のちの大地震で島が沈んだため、現代ではわずか150メートルしか歩けなくなってしまった」という、歴史ファンタジーならではの超理論で押し通すことにしました!
作者の勘違い(ポンコツ)から生まれた、神話スケールの海割れ大作戦。楽しんでいただけていれば幸いです(土下座)
さて、奪い取った砦の小島を本陣とし、海を挟んでいよいよ三女王との「本当の呪術戦」が始まります。
第43話もどうぞお楽しみに!




