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桃園の誓い、吉備の談合

 ――時は流れ。


 春。


 かつては鬼ノ城(きのじょう)のあった鬼城山(きのじょうざん)の上。そこは無骨な城跡を残しつつも、見渡す限りの薄紅色に染まっていた。


 一面に咲き誇る桃の花は、新たな王を迎えた吉備(きび)の春を讃(たた)えるかのようでもある。


「あっという間だったなぁ」


 かつては黒鉄の鉄煙が立ち込めていた城跡を見渡しながら、森彦(さる)がポツリと独り言ちた。その横顔には、かつて間者として這い回っていた頃の「後ろめたさ」の仮面は、もうどこにもない。


「新たな王としてこの地を治めるのだから、まだまだやることは山積みよ。でも、ひとまずは形として整ったわね」


 トトは薄紅色の花びらが舞い散る空を仰ぎ、どこまでも優しく微笑んだ。


 現世の禁呪によって、かつては死者の如く青白かったその顔立ち。だが、黄泉(よみ)の国から無事に還り、モモからあの日分けた「名(命)」を半分返してもらったいま――。


 彼女の肌には、まるで咲き誇る桃の花のような、瑞々(みずみず)しい生気が鮮烈に宿っていた。


「それについては、本当に感謝してる。……でもさ、領民ども、お前のことを『モモ』って呼ぶんだよな。なんだか変な感じだぜ」


 森彦は頭をボリボリと掻きながら、柄にもなく気恥ずかしそうに視線を泳がせる。

 かつてこの地で散った若き大和の王――その名を慕う吉備の領民たちの優しさが、彼の胸の奥をくすぐっていた。


「あら。私の真名は、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)だもの。一応は、モモでもあるのよ?」


 トトは悪戯(いたずら)っぽくその炯眼(けいがん)を細めると、いたわるように新しい吉備の王の背中を見つめた。


「いっそ、このままモモと呼ばせ続けようかしら。……あの子の代わりに、ね」


 不意に、二人の間に温かな沈黙が流れる。

 桃の花びらが静かに地肌へと落ちていく音すら聞こえそうな静謐(せいひつ)のなか、森彦がふっと視線を切り替えた。


「――意外といえば、お前だよ」


「私か?」


 答えたのは、キジであった。

 だが、かつての戦場を縦横無尽に駆け抜けた、あの華々しい戦装束の面影は、そこには一切存在しない。

 いまの彼女が身に付けているのは、草木の匂いの残る地味な生成(きな)りの【襦(きぬ)】。そして、その腰元からは、優美な折り目を重ねた漆黒の【裳(も)】が、薄紅色の地肌の上へと静かに広がっている。


  かつて戦火のなかで、生きるために、そして抵抗のために被(かむ)っていた男装の仮面を自ら静かに取り払った姿。

 それは、終わりのない戦いの呪縛から完全に解放され、ついに愛する吉備の土地で、ただの一人の【女性(にんげん)】としての平穏な生の営みへと還(かえ)ることができた、あまりにも気高く、瑞々(みずみず)しい姿であった。


「さて、ここへ来たのは他でもないわ。モモと交わした、最期の約束を果たしに来たの」


 トトは胸に抱いていた【生命の種】をそっと懐へと収めると、衣服の陰から、大和から携えてきた美しい一対の酒器を取り出した。


「皇子の、最期の願いでございますか……?」


 その言葉に、それまで背後で無骨に控えていたイヌが、ハッとその巨躯を震わせて一歩前に出る。

 盾を失い、掌(てのひら)を血に染めてまで主君の王道を支え抜いた忠臣の眼から、静かに涙が溢れそうになっていた。


「ええ。『この四人で、酒を酌み交わしてくれ』ってね」


 トトは優しく微笑み、溢れんばかりの吉備の銘酒をそれぞれの器へと注いでいく。


「そこに、オレもいていいのかよぉ。……つくづく食えねぇお方だ、あの野郎は」


 森彦(さる)は面の裏側の涙を完全に圧殺し、あきれたように、けれどどこまでも嬉しそうに天を仰いだ。かつて間者として大和を嵌めようとした自分すらも、モモは最初から「四人の仲間」として数えてくれていた。

 そのあまりにも泥臭く優しい包容力(王道)が、彼の後ろめたさを完全に消し去っていく。


「もちろん。それがモモ――弟、彦五十芹彦(ひこいそせりひこ)の最期の願い。そして私の我儘(わがまま)でもあるわ」


 トトは並べられた四つの器を、愛おしそうに見つめた。


「魏(ぎ)の国の使者から聞いたことがあるのだけれど――」


 薄紅色の桃の花びらが、ひらひらと四人の器のなかの酒へと舞い落ちる。

 トトはその美しい水面を見つめながら、どこまでも瑞々しい声音(こわね)を響かせた。


「かの国では、桃園で義兄弟の契りを交わした英雄たちがいるそうよ」

「私も――それをやってみたかったのよ」


 トトのその優しくも、女王としての不敵な笑み。

 それを浴びた瞬間。


 平復していたイヌと、襦裳(じゅしょう)を纏(まと)ったキジ、そして面の裏の涙を完全に拭い去った森彦。

 三人は互いに顔を見合わせると、一献(いっこん)の杯を静かに重ね合わせた。


「確か――」


 にわかに薄紅色の桃の花びらが、横殴りの風に舞い散るなか。

 吉備(きび)の春の静寂をブチ破るようにして、四人の声を一つに重ねた無骨な誓詞(せいし)が、鬼城山(きのじょうざん)の天へと朗朗と響き渡る。


『我ら四人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん』


『上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う』


『同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん』


『天照大御神(あまてらすおおみかみ)よ、実にこの心を鑑(かんが)みよ』


『義に背き恩を忘るれば、天人共に戮(りく)すべし』


 それぞれが、一献(いっこん)の杯を干す。


「吉備(きび)の、談合(だんごう)か」


 誰かが、ポツリと漏らした。


「そういや、お前らと会った時も、黍団子(きびだんご)を食ったっけなぁ」


「ぷっ」


「ふふふ」


 サルの応答に、義姉弟(きょうだい)となった者たちの穏やかな笑い声が重なる。


――だが、これは終わりではない。


 死んだモモと温羅(うら)の遺志を背負い、吉備の山河に不滅の安寧の誓いを遺(のこ)したトト。


 改め――新たなる「モモ」の瞳は、すでにこの地のさらに遥(はる)か西を見据えていた。


 大和(やまと)の侵略の業(ごう)を超え、日本(ひのもと)の真の王としての正史を刻むため、新たなる女王は一人。

 約束の天地たる【筑紫(つくし)】の国へと向けて、力強くその最初の一歩を踏み出す。


 吉備の春の風がその襦裳(じゅしょう)を烈しく揺らし、神話の真の幕が、まさに今上がらんとする。

 世界が完璧な暗転を迎えた、まさにその瞬間であった――。


(――吉備・桃の王道編 完/次章、筑紫・邪馬台国編へ続く)

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 ひとまず、温羅を討ちとり吉備の地を平定した吉備津彦――鬼を退治した桃太郎の物語は、ここで一旦終わります。


 桃太郎といえば、家来を増やすために使われた「黍団子」。

 それを敢えて、三国志演義に擬えた桃園の誓いのオマージュとしてすり替えつつ、そこに「吉備の談合(きびだんごう→きびだんご)」という言葉遊びを交えてみました。


 さて、本文でも書きましたが、ここからトト改め、モモは筑紫――北九州の地へと向かいます。

 もうしばらく、お付き合いくださると嬉しく思います。


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