防人の虚言、生命の大樹
――完璧なる暗転の直後、色のない世界を無慈悲に引き裂いたのは、眩い色彩の爆発であった。
トトの絶対の情念と、モモの命懸けの覚悟。
二つの王道の共鳴が、完璧な相乗によって産声をあげさせた、あの足元の一本の小さな【木の芽】。
それが、大和の最高神力と清らかな桃の霊気の熱を爆発させるようにして、灰色の地肌を烈しく蹴り割り始めたのだ。
内側から地鳴りの如き大音を響かせ、爆ぜるようにして急速に伸び広がる。
それは、周囲の亡者たちの気配さえも吸い取るようにして、ぐんぐんと天を衝くほどの高みへと駆け登っていった。
にわかにこの色彩なき冥府の平原に、たわわなる【三つの実】を宿した一本の神聖なる大樹――。
【桃の木:大神実命】となって、その雄大なる全貌を現したのだ。
その生命の猛毒とも言える烈烈たる光を浴び、生者であるトトの魂を喰らおうと殺到していた黄泉の亡者どもが、一斉に顔を覆って足止めを食らう。
トトはその大樹の前に直立すると、押し寄せる無音の絶望をその炯眼で冷徹に見据えた。毅然とした細き両手を、その枝へと伸ばす。
――ひとつ目の実。
トトが手を伸ばしたその実は、弟の全霊が注がれた大和の神剣へと吸い込まれていく。
のちに現世へと持ち帰るべき、大和の女王としての絶対の依り代――【大神実の剣】へと、モモの白刃が眩い白銀に変貌を遂げた。
――ふたつ目の実。
「……逝け、姉上っ!!」
血を吐くようなモモの叫びとともに、その実はじわじわと光の衣となってトトの細き身体だけを優しく包み込む。
己を置いてでも姉を無事に帰さんとする、モモの魂から放たれた、たった一つの【帰還の船】。それが、トトの魂を現世の生身の肉体へと這い登らせるための絶対の光となる。
そして、トトとモモの二人が、最後にその手のひらを重ねて包み込んだ、――みっつ目の実。
それは大和の正義のためだけではない。
過酷な苛政に喘いでいた吉備の領民の涙、鬼と呼ばれた温羅の悲痛な慟哭、そして未来を託された森彦の宿願。
そのすべてを「泥臭く包み込む」という二人の不滅の王道が、たった一つの【生命の種】へと、狂ったように鮮烈な生の輝きを蓄えさせたのだ。
「吉備の地を……俺たちの王道を、照らせッ!!」
二人の全霊の祈りが重なり、三つ目の実を亡者たちの群れへと向けて力強く掲げた、まさにその瞬間。色のない世界を完全に消し飛ばすほどの、烈烈たる白銀の生の残光が――。
三つの実から地鳴りの如き大音を伴って、一斉に爆ぜ散ったのだ。
眩き白銀の光が、色彩なき冥府の津波を根こそぎ消し飛ばしていく。
モモの放った【帰還の船】たる光の衣がトトの細き身体を包み込み、現世の生身の肉体へと向かって、その魂を強烈に引き揚げ始めた。
まさに、光の渦のなかであった。
トトの炯眼は、光の向こう側を視据えていた。自らの全霊をすべて剣と種に注ぎ込み、灰色に透き通って完全に消えゆこうとしている、最愛の弟の姿を。
「姉上」
光に熔ける間際、モモは現世のあの不器用な王の貌ではなく、ただの一人の弟としての、どこまでも優しき笑みをその唇に浮かべた。
「その種を、あの鬼ノ城に植えてくれ。……そして、あいつらと、美味い酒でも呑んでくれよ」
大和の正義も、朝廷の呪縛もすべて関係なく。モモが最期にトトへと遺した、たった一つの不器用な我儘。
「ええ。……ええ、約束するわ、モモ」
トトは三つ目の実――【生命の種】をその胸へと狂おしいほどに固く抱き締めた。
涙に濡れたその瞳で、弟の最期の残光を真っ正面から見つめ返す。
「必ず、あなたと温羅が守ろうとしたこの吉備の地を、私たちの誓い(ちかい)で満たしてみせる。……だから、安心して眠りなさい」
トトのその気高き誓いの聲音を背に浴びながら。
モモの魂の輪郭はゆっくりと、けれど満足げに、完全なる白銀の光の中へと溶けて消え去っていった。
それを最後に、冥府の凍てつく風も、色のない地平のすべてが猛烈な生の引力のなかで暗転し、加速していく。
若き王の魂を神話の依り代へと昇華させ、トトがその生命の種を抱いて、イヌやキジたちの待つ現世のあの『鬼ノ城の大殿』の呼吸へと引き戻されていく。
世界が完璧な暗転を迎えた、まさにその瞬間であった――。
◇
鬼ノ城の大殿。
モモとトトの肉体を前に、力なく項垂れていたイヌとキジ、そして大和の兵たち。
――ふいに、外が騒がしくなる。
「兄上、姉上! 遅ればせながら、私も参戦いたしたく参りました!」
それは、モモとトトの弟たるワカ(稚武彦)と、彼が連れてきた後詰の兵たちであった。
「稚武彦様! 遠路はるばるの援軍、恐悦至極にございます!」
イヌとその部下たちは一様に平伏し、若き王弟の参上を「表向きは」歓迎してみせる。
大殿に立ち込めるただならぬ空気。
キジもまた一瞬の澱みなく平伏し、完璧なる恭順の姿勢を取った。
「しかしなれば――すでに憎き温羅の首は、兄君であらせられる、彦五十芹彦様の手によって討ち取られてございます!」
「なんと! さすがは兄上。私の出番など、もとより必要なかったのだな」
「して――兄上と、それから姉上はどちらに……?」
ワカが、戦いの後の静けさを宿した大殿を見回した。その何も知らない若き王弟の歩みが、物言わぬ二人の肉体へと届く、まさにその一瞬の手前であった。
砕け散った盾の跡で掌を血に染めたイヌは、その手をガチリと床へと突く。
自らの喉を血の味で締め付けながらも、将としての冷徹なる『大嘘(戦後処理)』を、奥殿の静寂へと差し出した。
「――稚武彦様。兄君、彦五十芹彦様におかれましては――残念ながら、相討ちとなりもうして」
「な――っ!?」
ワカの驚愕の絶句。
だが、イヌの眼光は真っ直ぐにワカを見据え、大和の大軍によるこれ以上の吉備の蹂躙を防ぐため、温羅の最期の遺志を背負って、朗々とその偽りの正史をでっち上げ続ける。
「温羅の首は、斬り落とした後に、血吸川に転げ落ちていきました。あの川が赤きは、温羅の血にございまする」
「……今頃はその首も、どんぶらこ、と流れておりましょうぞ」
「兄上は……。では、姉上は?」
ワカは絶望に打ちひしがれつつも、敬愛する姉の姿を探し、目を彷徨わせる。
そしてその目が、大部屋の最奥(あるいは片隅)で寄り添うように斃れている姉兄の姿を捉えた。
「姉……う、え?」
その変わり果てた姉兄の姿に、ワカはよろよろと近づき、頽れた。
――と、その眼が。
二人の冷たい肉体の傍らで、静かに眩い色彩を放つ――一つの【木の芽】を捉える。
それは音もなく。
しかしながら、瞬く間に幹を太らせ、枝を伸ばし、青青とした葉を茂らせていく。
見る間に大殿の天井を突き破らんとするほどに、一本の――雄大なる桃の大樹へと、急速に成長を遂げた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
モモを追いかけて黄泉の国へと向かうトト、という描写を入れたことにより、ファンタジー色が濃くなった一方、ここで大神実命を登場させることで、日本神話をオマージュする流れを組み込みました。
オオカムヅミノミコトといえば桃の木。
「桃太郎」という御伽草子に対しても深く関わらせてもいいだろう、という目論見もありました。
さて、現世では後詰めの兵としてワカ(稚武彦)を登場させました。
第4話で、トトの密航を手伝ったのも、このワカでした。
稚武彦は、小吉備津彦とも呼ばれ、また「讃岐の桃太郎」とも言われています。
当初の予定では、大和の朝廷に残り、姉兄を後ろから支えるだけ、という設定にしましたが、敢えてここで後詰めとして描くことで、温羅の最期の言葉「次なる大軍が来るのは必至」という言葉に、現実味を持たせる意味もありました。
あとは、サル――楽々森彦が持ち去った温羅の首ですね。
これをイヌが「血吸川に落ちた」「今頃はどんぶらこ、と流れておりましょう」としたことで、血吸川の伝承や、御伽草子の描写へのオマージュとしています。
次回をお楽しみに。
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