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禁呪の完成、竈底の首級

「モモ、モモ……」


 トトの悲痛な啜(すす)り泣きが、激しい戦闘の終焉(しゅうえん)した大殿(おおとの)の静寂に響く。

 それは、イヌやキジといった大和(やまと)の陣営だけではなかった。温羅(うら)という絶対の主君を失った吉備(きび)の兵たちもまた、その慟哭(どうこく)に同調するように、無言で首(こうべ)を垂れていた。


 しばらくモモの亡骸(なきがら)に顔を埋めていたトトであったが、おもむろに顔を上げる。


「――いえ。まだ。まだ、手は残されている」


 毅然(きぜん)としながらも、どこか虚(うつ)ろな響きを湛(たた)えた声音(こわね)。

 やがて、その薄き唇から、世界を凍らせるほどの凛(りん)とした響きが紡がれた。


「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、との、ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ……」


「媛(ひめ)さま、それは――っ!」


 その言葉が持つおぞましき意味に、いち早く気づいたイヌが、トトの目論(もくろ)みを阻まんと必死に手を伸ばす。


 だが、その声に応えることも、振り返ることもなく、トトは禁呪を完成させた。


 刹那(せつな)――。


 魂の抜けたその肉体は、モモの亡骸(なきがら)へと凭(よ)りかかるように、静かに頽(くずお)れた。


――熱気と硝煙の立ち込める大殿から、すべての音が消え去る。イヌもキジも、あまりの衝撃に動くことすらできず、重なり合う二人の静かな肉体を、ただ血の気の引いた眼差しで見つめるしかなかった。



「終わった……のか」


 再び訪れた静寂を破るように、大殿の入り口から神妙な声が投げかけられた。

 そこには、夜闇に溶けるような濃藍(こいあい)の薄衣をまとった総髪の男――森彦(サル)が、いつもの軽薄そうな笑みを完全に消し、ただ呆然と佇(たたず)んでいた。


「森彦ッ、貴様ァッ!!」


 激昂(げきこう)して詰め寄るキジであったが、その行く手を阻(はば)んだのは、他でもないイヌであった。


「よせ、キジ。この男の背にある『吉備の宿願』をすべて見透かした上で、あえて泥臭く包み込み、逃がしてやったのがあの二人だ。いま俺たちがこいつを裏切り者として斬ることは、皇子(みこ)と媛(ひめ)さまの命を賭した『王道』を汚すことになる」


 言外の意図を察したキジは、今にも放たれそうだった強弓の手元を、無念そうに、けれど静かに下ろした。


「すまねぇ。……いや、オレがこんなことを言えた義理じゃあねぇか」


 ただ一言、ポツリと零(こぼ)す。


 ――その時であった。


「……そこに居るのは、猿……か」


 その声を耳にした森彦は、面の裏の緊迫を剥(む)き出しにしながら、玉座の傍(かたわ)らで斃(たお)れている温羅(うら)へと駆けよった。


「温羅さまっ!!」


「まったく、しくじりおって。……まあよい。これも、我が宿命(さだめ)であったか。吾(われ)が意固地であったばかりに、吉備の民には……過酷な苦しみを強いてしまったのやもしれぬな」


「猿。いや、楽々(ささ)森彦(もりひこ)よ。吾(われ)は最後に命ずる。――吾の首を獲(と)れ」


「――温羅(うら)さまっ! それは――」


「大和(やまと)の皇子が討たれたと知れば、次なる大軍が向けられるのは必至。吾(われ)にも、この吉備にも、もはやそれを迎え撃つ余力は残されていない。徒(いたずら)にこの地を蹂躙(じゅうりん)させるのは、吾の望むところではないのだ。――ゆえに、森彦。お前に託す」


 温羅(うら)は血の滲むような微かな笑みを浮かべ、その熱き吐息とともに、冷徹なまでの遺言を紡いだ。


「吾の首を獲(と)れ。……ふふ、だが、大和の連中には、吾の首など本物としてはくれてやらんわ。森彦。吾の首を獲ったなら、その首を竈(かまど)の底に隠せ。さすれば未来永劫(みらいえいごう)、吾はここ吉備の地の安寧を願い、その行く先を占ってやろうぞ」


 大部屋の石壁に、重く、そして悲痛に響き渡った覇王の最期の命令。


 その言葉の質量を真っ正面から浴びた森彦(サル)は、面の裏側で、激しく奥歯を噛(か)み締めていた。


 かつては先進の製鉄をもって自分たちを飢えから救ってくれた恩人であり、大和の重圧に狂うあまり、己の両親を冷酷に処刑した憎き元凶。その変わり果てた「鬼」から、最期の瞬間に、吉備の民の未来のすべてを「お前に託す」と、泥まみれの宿願を握らされたのだ。


(……おいおい、温羅様。あんた、オレの親の首を撥ねておいて、最期にそんな、優しかった頃の顔に戻るんじゃねえよ……)


 懐(ふところ)の短刀の柄を固く握り締める森彦の指先が、狂おしいほどの懊悩(おうのう)のなかで、ギチギチと軋(きし)みをあげる。


 周囲では、砕け散った盾の跡で掌(てのひら)を血に染めたイヌも、強弓の弦から静かに指を離したキジも、誰も声をあげない。ただ、この吉備の主従が交わす、血の匂いのする最後の因果を固唾(かたず)をのんで見守っていた。


 かつて大和を嵌(は)めようとしていたこの間者を逃がしてやった、モモやトトの王道の器が――いま、吉備の末裔たる楽々森彦(ささもりひこ)の双肩へと収束していく。


 サルはじり、と膝を突き、頽(くずお)れる温羅(うら)の太き首筋へと、白銀の短刀の刃をそっと添えた。


「――御意。……黄泉の底まで、お付き合いしやす、温羅様」


 男が自らの未練を完全に断ち切り、主君の首を刈り取るために、その指先へと全霊の力を――ぐっと、引き絞る。


 刹那(せつな)、肉と骨を断つ淒絶(せいぜつ)なる感触が、掌(てのひら)を伝った。

 しかし森彦は顔色を変えず、眼を逸らすこともなく、ただその執念に身を捧げた。森彦の引いた白銀の短刀が、覇王の首筋を冷徹に、けれど血の滲(にじ)むような忠義とともに刈り取っていく。


 その首を奪おうと動く大和(やまと)の兵を、最先頭のイヌは烈(はげ)しき眼光で制し、温羅(うら)と森彦の最期の絆を静かに見届けさせた。


大和を偽の首で欺(あざむ)き、本物の首を隠して吉備(きび)の地に安寧の呪(しゅ)をかけるという覇王の最後の抵抗。イヌは、自らの王(モモ)を死へと追いやった宿敵の執念に、武人としての割り切れぬ、けれど拒めぬ重き沈黙を以て応えたのだ。


 森彦は自らの濃藍(こいあい)の薄衣(うすぎぬ)を脱ぎ払うと、刈り取った温羅の首級(しゅきゅう)を重々しく包み込む。


 男は面の裏の涙を完全に圧殺し、大和の陣営へ向けて後ろめたさの消え失せた一礼を落とすと、温羅の最後の命令を完遂するため、高炉の熱気が立ち込める竈(かまど)の底――その闇へと、静かに姿を消していった。



 間者(かんじゃ)の気配が完全に去り、大殿に残されたのは、物言わぬ亡骸(なきがら)となったモモと、その胸に凭(よ)れて静かに頽(くずお)れたトトの――二つの冷たい肉体だけであった。


「皇子(みこ)……媛(ひめ)さま……」


 イヌやキジが奥歯を噛み締め、二人を抱き抱えようと泥まみれの膝を赤土の床へと突いた、まさにその刹那(せつな)であった。


――ひやり、と凍(い)てつく冷気が、大殿の空間を突如として支配する。


 高炉の燃え盛る火床(ひどこ)の熱気が、にわかに死の世界の風へと急変したのだ。


 驚愕(きょうがく)に眼を見開くイヌたちの眼前で、モモとトトの重なり合う肉体から、おぞましき白銀の残光が、陽炎(かげろう)の如く立ち昇り始める。

 それは、トトの放った死者蘇生の禁呪が、現世の理(ことわり)を歪(ゆが)め、死の世界の門をこじ開けた証(あかし)であった。


「――っ、これは、黄泉(よみ)の風か……っ!?」


 イヌの手が届かぬまま、二人の肉体を包む空間が、底冷えする冥府の白霧(しらきり)へと一気に呑(の)み込まれていく。


 現世の戦いが終わり、神話への引き返せぬ深淵――【黄泉平坂(よもつひらさか)】の門がまさにその口を開いた、完璧なる暗転の瞬間であった――。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


 温羅がいなくなった後の吉備の地について。

 史実ベースでは、吉備津彦がこのままこの地に残り、拓いていったとあります。

 そして吉備津神社や吉備津彦神社のルーツとなりました。


 温羅をただモモ(吉備津彦)が討って終わり、ではなく、そこからのドラマを描きたい、というのがありまして。

 それが今回以降の流れへと繋がっていきます。

 そして、その一つが「温羅の首級」についての描写。


 吉備津神社に伝わる鳴釜神事へと導入するような描写としましたが、いかがだったでしょうか?


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