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鬼王の一撃、乾坤の一擲

 大和の誇る絶対の守備の要(かなめ)が完全に崩壊し、それを支えていた兵たちの盾の列が一気に闇へと突き崩されていく。


 木端微塵(こっぱみじん)に砕け散った黒鉄(くろがね)の破片が火花とともに宙に舞うなか、温羅(うら)の親衛隊が放つ数千の槍が、防壁を失ったイヌの剥(む)き出しの肉体へと容赦なく肉薄した、まさにその刹那(せつな)であった。


「犬飼(いぬかい)様っ! ここは我らに任せて、いったんお下がりくださいっ!」


 悲鳴のような絶叫とともに、白い麻衣(あさぎぬ)を泥に染めた大和の家臣たちが、自ら手盾(てだて)を掲げてイヌの正面へと割り込んでくる。将の危機を救わんと、己の肉体を壁にする男たちの決死の連動。


 だが、大和の頑強なる防人(さきもり)は、その家臣たちの背中を、無骨な剛腕だけで力任せに引き戻した。


「お前たちの心意気、かたじけない! だが将たる拙者が退くわけにはいくまい!」


 イヌは地鳴りのような咆哮(ほうこう)とともに赤土の床を烈しく踏み締め、盾を失った両の素手を、迫り来る黒鉄(くろがね)の槍の穂先へと真っ正面から突き出した。


 ――肉と鉄が擦(こす)れ合い、骨を軋(きし)ませる淒絶(せいぜつ)なる質量音。


 男は飛来する親衛隊の槍の柄を、その剥(む)き出しの掌(てのひら)でガチリと力任せに掴(つか)み取る。自らの筋骨隆々たる巨躯(きょく)そのものを、大和の全軍を守る最後の防波堤に変え、敵の突撃を力ずくで踏みとどまらせた。


 掌(てのひら)から吹き出す鮮血が赤土の地肌へと滴(したた)る。しかし、イヌの眼光には、一歩も退かぬ武人の烈烈(れつれつ)たる執念が燃え盛っていた。


 その忠臣たちの命懸けの防衛線の傍(かたわ)ら――。


 一方のモモは、温羅(うら)の振り回す棍棒(こんぼう)の暴風に攻めあぐねていた。

 直撃すればもちろん、掠(かす)っただけでも致命傷となりかねない、質量の暴力。


 大王(おおきみ)より賜(たまわ)りし神剣【布都御魂(ふつのみたま)の写し】の白刃をもってしても、その圧倒的な重さを受け止めることは敵わない。モモはただひたすらに、鋭き回避に専念するのみであった。


 風を切り裂き、奥殿の石壁を粉々に砕いていく黒鉄(くろがね)の残光。受ければ神剣ごと腕を叩き折られる絶望的な均衡のなかで、モモの草鞋(わらじ)は赤土の地肌を滑るようにして、覇王の猛攻を紙一重で躱(かわ)し続ける。


 しかし、そんな紙一重の回避も長くは続かない。大殿(おおどの)に渦巻く高炉の熱気と、寸分の油断も許されぬ極限の集中力に、モモの肉体と精神は少しずつ、けれど確実に削られていった。


 そしてついに、その均衡が破れる。


「しまっ――」


 激しい立ち回りの果て、踏みしめていたはずの赤土に、モモの草鞋(わらじ)が滑った。転びこそしなかったものの、大きく体勢を崩したその瞬間。


 温羅(うら)が勝機とばかりに棍棒(こんぼう)を振り下ろす。それまでの隙(すき)を見せぬ冷徹な打突とは異なり、必殺を狙う、全体重を乗せた一撃。


 それが、若き王の脳天へと振り下ろされる、まさにその刹那(せつな)――。


――ひゅう、と闇夜を鋭く穿(うが)つ、乾いた弦(つる)の音。


「ぐおおおおっ!!」


 優位に立っていたはずの温羅が、突然、大きく仰け反り、痛痛しいうめき声を上げた。


 目まぐるしく位置の入れ替わるモモと温羅の激しい攻防のなか、誤って味方を射てはならぬと、遊撃の士・キジはただひたすらに牙を研ぎ、唯一の好機を狙い澄ましていた。モモが体勢を崩し、王の棍棒が動いたその瞬間――それこそが、覇王自身にも生じた唯一無二の、致命的な隙であった。


 うねる夜霧を真っ直ぐに喰い破って飛来した必殺の一矢は、狙い過たず、温羅の左眼へとその羽根の根元まで深く突き刺さっていた。


「あ、が……ッ!? 吾(われ)の、眼が、大和の羽蟻(はあり)めが……っ!!」


 吉備の主の顔面から、どっと黒い鮮血が噴き出す。

 絶対の質量を誇っていた棍棒の軌道が完全に狂い、モモの脳天をかすめて赤土の床へと無残に叩きつけられた。奥殿の床石が凄まじい地響きとともに爆ぜ、破片が四方へと飛び散る。


「ふぅっ、ふぅっ……」


 命を繋いだ。その極限の重圧から一気に弛緩(しかん)したキジは、弓を握る腕を激しく震わせながら、全身で大きく息を吐き出すばかりであった。


 ――まさに、忠臣たちが命を繋ぎ、巫女(みこ)の先見が手繰り寄せた、千載一遇(せんざいいちぐう)の勝機。


「おおおおおッ!!」


 体勢を崩していたモモは、赤土の床を抉(えぐ)るほどの力で踏みとどまり、その反動のすべてを白銀の刀身へと乗せた。

 冴え渡る神剣【布都御魂(ふつのみたま)の写し】の白刃が、がら空きになった温羅(うら)の喉元へと、目にも留まらぬ速さで一気に奔(はし)る。


 ――肉を断ち、骨を削る凄絶なる手応え。


 白銀の刃は、温羅の太き首筋へと深く、確実に喰い込んだ。吉備の覇王の首を、力ずくで撥(は)ね絶たんとする一閃。


 だが、宿敵の首級(くび)が宙に舞うことはなかった。


「……が……あ、あああああッ!!」


 首を半分近くまで切り裂かれ、黒い鮮血を噴き上げながらも、温羅は倒れなかった。

 眼を血に染め、呪縛の如き妄執(もうしゅう)だけで生を繋ぎ止めた覇王は、その岩のような剛腕を猛然と突き出し、モモの首筋をガチリと鷲掴(わしづか)みにした。


 ギリギリ、と骨の軋(きし)む音が奥殿に響く。

 温羅の五指が、若き王の息の根をへし折らんと、絶対の質量で締め付け始めた。


(――ああ、これで、いいんだな……)


 視界が急速に暗転していくなかで、モモは、温羅の血塗られた顔を真っ正面から見つめていた。

 大和の業を背負い、吉備の守護者であるこの男の命を奪う。その報いが、この喉元をへし折らんとする覇王の、悲痛なる剛腕の質量なのだ。


 引き抜こうとすれば、神剣を捨てて逃れることはできたかもしれない。

 だが、モモは布都御魂の柄から手を離さなかった。むしろ、さらに深く刃を温羅の首へと押し込み、その凄まじい死の抱擁を、自らの意志で、静かに受け入れたのだ。


「モモ、モモォォォォォッ!!」


 遠くで、引き裂かれるような姉の悲鳴が聞こえた。

 それを最後に、大殿の地鳴りも、赤赤とした火床の光も、すべてが漆黒の静寂へと溶けて消えていく。


 若き王の魂は、吉備の覇王の妄執と共に、引き返せぬ深淵の底へと――静かに堕ちていった。

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

 桃太郎の話、あるいは吉備津彦の話としての宿敵、温羅との対決でした。


 決着が着いたかに見えますが、最後に温羅はモモの首に手をかけ、相討ちという幕引きとなります。

 これは、この物語を書こうと思った当初からずっと構想としてあったアイデアです(もっとも、相討ちの形をどうするかは、書くまでずっと迷ったままでしたが)。


 御伽草子などでは、鬼を退治して故郷に帰ってめでたしめでたし、なのですが、この物語では、そこからもうしばらく話は続きます。

 さて、遺されたイヌやキジ、トトはどうなるのか。

 そして一人去っていったサルは――。


 ここから、もう一つの物語へと移行していきます。

 どうぞ引き続き、お楽しみいただけるとありがたいです。


 ぜひページ最下部にある【☆☆☆☆☆(星ボタン)】や【ブックマーク】で応援していただけると、これからの執筆の特大の励みになります!なにとぞよろしくお願いいたします!

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