細き綱路(つなみち)、潜鳴(ひそな)きする盾
(さあ、連れてきてやったぜ、温羅様。……大和の、最高の獲物どもをよ)
猿の思惑に気付かぬモモたち一行は、その岩場の陰を利用して速やかに軍議の場を調える。
ほんの数寸でも頭を上げれば、聳え立つ物見櫓の尖兵どもに射ち抜かれる死の射程。
一同は声を極限まで潜め、張り詰めた空気の中で言葉を交わした。
「犬飼様、我々が先陣を切り、この槌で抉じ開けて参ります」
名もなき大和の兵が太い腕で丸太を抱え、低く具申する。
その血気盛んな進言を、キジが手で鋭く制した。
「いや。正面の門は厚き鉄板で覆われている。力押しは温羅の思うツボ、ただの愚策だ」
キジは美しい眉をひそめ、岩の隙間から物見櫓の上層を睨み据える。
「……健。あの木柵の槍頭を盾で防ぎつつ、門へと肉薄する『盾の列』は組めるか」
「女木島の人工洞窟を忘れたか、キジ。拙者の壁を疑うな」
イヌがその無骨な巨躯を揺らし、頼もしき声を返す。
その揺るぎない自負に、キジは小さく深く首肯した。
「頼もしい。であれば、その武勇で櫓の兵の視線を引き付けてくれ。その間に私が上から、櫓への路を作る」
モモは二人の顔を見据え、確固たる王の決断を口にした。
「よし。健、大和の兵を率いて下(門)を叩け。オレとキジが上から敵の目を潰す。……二面から同時に喰い破るぞ。発てッ!」
「おうッ!」
短く吼え、イヌの巨躯が岩陰から猛然と飛び出した。
「オレに続け! 盾を並べろッ!」
将の怒号に応え、数十の兵たちが一斉に突き進む。
――ガチリ。
――ガチリ。
――ガチリ。
――ガチリ。
大和の盾が隙間なく噛み合い、鉄煙の朝靄を切り裂く頑強な「鉄の防壁」がたちまち形成された。
ドス、ドス、ドス、と地を鳴らす無骨な足音。
突如として眼下に現れた大和の盾の列に、物見櫓の上層がにわかに騒ぎ立つ。
「敵襲だ!」
「正面の門を守れ!」
「下を狙えッ!」
異郷の言葉がバラバラに飛び交い、関所は一瞬で大混乱の渦へと叩き落とされた。
尖兵たちの長槍や弓が、慌てふためいて一斉に下方のイヌたちへと向けられる。
――その、敵の目が完全に「下」へと釘付けになった、完璧な刹那であった。
岩陰に残ったキジが、鋭い双眸を三日月の如き細さに引き締め、背の強弓を静かに、しかし限界まで引き絞った。
あらかじめ、太き麻縄を結びつけた一矢。
それを満月にまで引き絞り、鉄煙の朝靄を突いて一気に解き放つ。
ひゅううう――
風を裂く凄まじい剛音が響き、そして――。
――ドガァン!!!
キジの放った縄付きの剛矢が、眼下の物見櫓の最も頑強な梁へと、爆音とともに深く突き刺さった。
すかさず岩陰に控えていた大和の兵たちがその縄の端を掴み、自分たちのいる高い岩場へと固く結びつける。
高い岩場から、眼下の物見櫓へと直結する、あまりにも危うき空中路。
夜明けの鉄煙の中に、一本の「綱の傾斜」が引き結ばれた。
だが、一同の間に張り詰めた沈黙が走る。
遥か眼下の敵陣へと飛び込んでいく、決死の綱渡り。
最初の一歩を誰が踏み出すか、兵たちが一瞬だけ息を呑んだ、まさにその刹那であった。
「――おいおい、大和の腰抜けども。怖気づくには早えんじゃねえか?」
男は迷いなく麻縄へ飛び乗ると、一匹の猿ごとき身軽さで櫓に向けて駆け下りていく。
逆手に握った二条の鉄の短刀。額の薄汚れた鉢巻きが、朝靄の中で烈烈と翻る。
「オレが先陣だ! ついてきな、大和の王様!」
命を懸けて矢面に飛び込むその背中に、モモは双眸を熱く燃え上がらせた。
命の恩人たる職人が、今度は戦友として誰よりも早く死地を駆けていく。
そのあまりにも勇敢な後ろ姿に、一行の胸中の猜疑心は、今や完全に消し飛ばされようとしていた。
モモはサルの背を見据えたまま、すぐさま眼下で突撃を続けるイヌへと鋭い号令を飛ばした。
「健!――俺たちは打ち合わせどおり、櫓から攻める! お前はそのまま門を突け!」
「皇子っ! こちらはお任せくだされ! ご武運を! ――お前たち、盾を並べ直せ!」
将の地鳴りのような怒号が響く。
イヌは、モモとキジが櫓へと滑走していくのを見届けると、正面の門へと向き直る。
その大きな背に、数十の兵たちの無骨な足音が重なった。
イヌの「盾の列」は、着実に昏き鉄壁の門へと肉薄していた。
上空の物見櫓から降り注ぐ矢の嵐を、隙間なく噛み合わせた盾の壁でガチギチと弾き返す。
だが、吉備の迎撃は、大和の兵たちの想像を遥かに超えて過酷であった。
鉄の防壁が巨門の寸前まで達した、まさにその瞬間。
門の各所に穿たれた防壁の狭間(銃眼)から、温羅の尖兵たちが一斉に牙を剥いた。
吹き出してきたのは、ただの矢ではない。
内部の炉の火床から掻き出された、真っ赤に鎔け爆ぜる炭火。
そして、じりじりと肌を焼く、おぞましき熱気の煤煙の津波であった。
「くっ……防げ! 耐えろッ!」
イヌは隊列の最先頭に立ち、新しき重盾を両腕で固く構え直し、吹き寄せる猛烈な熱波を真っ正面からその身に受け止めた。
バチバチと、真っ赤な炭火が重盾の表面で激しく爆ぜる。
襲いかかる圧倒的な熱が、漆の香りを歪に焦がしていく。漆黒の防壁を熱の膜が包み、その内側へと深く、冷酷に浸透していった。
この時、イヌは気づく由もない。
森彦が一晩中命を削って盾に巻き付けた、あの頑強なる鹿の生皮。
それが、この吉備本土の『炉の熱気』を浴びた瞬間から、気付かぬほどにゆっくりと、じわり、じわりと乾き始めていることに。
職人として一切手は抜かれていない。完璧に、頑丈に直されたからこそ――この熱気の下では、盾を内側から崩壊させるための「最強の縛り(罠)」へと、じわじわと化していくのだ。
……ビキ。
猛火を耐え抜くイヌの両腕の先、重盾の奥底から、小さな悲鳴が響いた。
痛ましき時限の音が、確かに一つ、刻まれた。
だが、イヌはただ奥歯を噛み締め、大和の兵たちの盾を支え続ける。
「踏ん張れッ! 門の裏で皇子たちが動いている! あと少しでこの門は開くッ!」
熱波に皮膚をあぶられ、喉を枯らしながら、イヌは地鳴りのような咆哮を響かせた。
敵の目を惹きつけるため、正面の巨門へと「盾の列」で肉薄したイヌと大和の兵たち。
温羅の尖兵が放つ猛烈な炉の熱気と炭火を真っ正面から耐え抜くイヌですが、その両腕の先、新しき重盾の奥底からは、誰一人として気づかぬ冷酷な時限の音が響き始めました……。
次回、第19話からは、視点は再び上空の物見櫓へと戻ります!
綱を滑走して敵陣へと飛び込んだモモとキジ。
そして、大和を嵌め殺すための罠を仕掛けたサルの、計算違いの驚愕が幕を開けます。
ついに本土最初の関所合戦、完全決着へ――!
「イヌの咆哮が熱すぎる!」
「盾のカウントダウンにゾクゾクした!」
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