炉火(ろか)の夜明け、分け合う団子
――やがて日が沈み、夜の帳が降りてくると。連なる山々の頂、夜闇を切り裂くように赤黒く燃え盛る火の影があった。
吉備の天を圧する巨城――あそこが、あの場こそが、モモたちが討つべき大和の朝敵、鬼の大将たる温羅が居城なのだ。
谷底の岩陰からその不気味な灯火を見上げ、一行は言葉もなく、ただ静かに心を引き締めていた。
やがて、山背の風が夜の帷を押し流し、東の空がかすかに白みはじめる。
谷底を這う朝靄はどこまでも冷たく、モモたち四人、さらには大和から付き従ってきた数十の兵たちは、互いに肩を寄せ合い、凍える指先で己の得物を固く握りしめたまま、異郷の朝を迎えていた。
その張り詰めた静寂を破り――。
「――キィ」
低く軋む音を立てて、鍛冶場の古びた扉が開く。
溢れ出る薄暗い煙の向こうから、夜通しの細工を終えた森彦が、ゆっくりと姿を現した。
「……ぐうぅっ、とッ……!」
男は両腕を天へと突き出し、大きく伸びをして、丸一晩ですっかり強張った骨肉を痛ましげに鳴らした。
一晩中、火床の熱気と漆の匂いに塗れていたその佇まいは、凄絶の一語に尽きる。
額の鉢巻きは煤でさらに黒ずみ、濃藍の薄衣は汗で肌にへばりついていた。
生皮を絞り上げ続けた手のひらからは、微かに血が滲んでいる。
森彦は眩しそうに朝明けの光に目を細めると、岩陰に佇むイヌの巨躯を見つけ、寝不足の足元をよれよれと揺らしながら、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
その細い腕で、見事に――しかし内側に恐るべき命脈の罠を秘めて――補強された重盾をがっしりと抱え、イヌの前へと無造作に突き出す。
「ほらよ、デカブツ。夜通し、吉備の頑固な生皮をこれでもかってくらい締め上げてやった。……オレの腕にかかりゃ、こんなもんさ」
ドスン、と突き出された重盾を、イヌは大きな両手で、壊れ物を扱うように慎重に受け止める。
割れ目には水分を含んだ生木の楔がガチッと打ち込まれ、濡れた鹿の生皮が万力のごとく全体を縛り上げ、その上から黒い漆が、痛々しくも完璧な防壁として妖しく光を反射して固まっていた。
漆の黒に染まり、生皮を絞り上げ続けたせいで微かに血の滲む森彦の掌を、イヌの武人としての双眸が見据える。
イヌは盾を一度その無骨な背へと背負い直すと、森彦の前に一歩進み出で、生真面目に頭を下げた。
「かたじけない。丁寧に仕上げてくれたようだ。感謝する」
嘘偽りのない、魂の底からの重い感謝であった。
その言葉を真っ正面から浴びた瞬間、森彦はハッとしたようにその細い目を見開く。
「……ちっ。オレにできることをやっただけだ」
男は不機嫌そうに舌打ちを吐き捨てると、ふいっとそっぽを向いた。
色褪せた鉢巻きの影で、その双眸が一瞬だけ激しく揺らぐ。
大和の武人のあまりに実直な誠実さが、間者としての森彦の胸の奥底を、冷たく抉ったのを誰一人として知る由はない。
森彦は慌てて懐から干し肉を引き抜くと、それを八つ当たりのように奥歯でガリッと噛み砕き、いつもの歪な薄笑いを無理やりに面に貼り付け直した。
そっぽを向いた森彦の横顔から、不器用な沈黙が流れる。
その時、鍛冶場の薄暗がりの奥から、この隠れ里の鍛冶師の女たちが、泥に汚れた素焼きの器をそっと差し出した。
器の中に転がっていたのは、大和の白米とは異なる、吉備の痩せた大地で辛うじて実った黍を、殻ごと荒く丸めただけの、数個の素朴な団子であった。
「……吉備の黍だ。腹に溜まるぞ」
森彦はぶっきらぼうにそう言うと、真っ先にその一つを引ったくり、無作法に口へと放り込んだ。
モモは掠れた喉を小さく鳴らし、その煤けた黍団子を一つ、大きな手のひらで受け取る。
モモ、イヌ、キジ、そして森彦。
奇妙な縁で結ばれた四人が、火床の残火の前に無言で車座になり、一つの器を囲んだ。
もが、もが、と奥歯で荒い黍を噛み締める。
決して美味いものではない。口の中の水分を奪うほどにパサつき、土の臭いが鼻を突く、貧しき地獄の兵糧であった。けれど、それを根気強く咀嚼し、吉備のみずで無言のまま喉の奥へと押し流していく。
一つの泥を、一つの苦しみを、四人で等しく分け合って腹に収める。
黄色い声など微塵もない、ただ過酷な時代を生き抜くための、静かで、泥臭く素朴な交わり。
「……悪くない味だ」
モモが口元の粉を拭い、小さく笑った。
その言葉を耳にした瞬間、森彦の奥歯が、黍団子を噛み締めたままぴたりと止まる。
モモは残った一つの団子を森彦の方へと突き出すと、掠れた喉を優しく震わせ、その目を真っ直ぐに見据えた。
「夜通しの細工、本当に助かった。……食えよ、サル」
「――ッ」
初めて、その名で呼ばれた。
森彦はハッと息を呑み、突き出された無骨な黍団子と、モモの曇りのない双眸を交互に見つめる。
「……へっ、大和の王様が、随分な物言いじゃねえか」
そう口を尖らせ、喉の奥で「キキッ」と歪に引き攣った声を漏らす。けれど、いつもなら面に貼り付くはずのあの嘘くさい「キシシッ」という笑みは、どうしても形をなさなかった。
森彦は逃げるようにモモの手から団子をひったくると、「キシシッ」といういつもの笑みすら貼り付けるのを忘れ、ただ黙々と、怒ったように奥歯で黍を噛み砕いた。
モモたち大和の一行と、一つの器を囲んで粗末な黍団子を分け合った森彦。
モモの曇りのない双眸から放たれた、初めての「呼び名」は、間者である彼の胸の奥底へ、あまりにも温かく、残酷に突き刺さりました。
次回、第17話からは、その不器用な絆の裏で独り最悪の未来を視てしまったトトの、孤独なサスペンスが幕を開けます。
温羅の支配する吉備本土の核心へ向けて、いよいよ本当の【鉄と炎の行進】が始まります……!
「四人の分かち合い、泥臭くて最高だった!」
「続きの行進が気になる!」
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