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悪鬼の遺言と、新たなる航路

 ――ザシュゥゥゥッッッ!!!


 モモの放った白銀の一閃が、暗闇を鮮烈に切り裂いた。

 阿久良(あくら)の太い首(喉元)へと容赦なく吸い込まれた白銀の刃が、その強固な肉を断ち、首の骨を噛む凄絶な手応えが、布都御魂の写しの柄を通じてモモの掌へとダイレクトに伝わる。


「カヒュッ……、う、温羅(うら)様……。吉備の、未来……を……っ」


 阿久良は裂けた喉元から大量の血と空気を漏らし、主君への執念をかすれた声で紡ぎながら、巨躯の力を完全に失った。

 そのまま、最奥の岩壁を背に、どさりと泥の上へと崩れ落ちる。


 大男の息絶える音が反響し、やがて、洞窟の最奥に深い静寂(しじま)が戻った。


 モモは激しく肩で息をしながら、白銀の刃をゆっくりと鞘へと収めた。

 ただの化け物退治ではない。己の信じる大義のために命を懸けた、本物の人間の男を、今まさにその手で斬り伏せたのだという重みが、少年の胸に鈍い痛みのようになって去来する。


「……ふぅ。……終わりました、な」


 イヌが、無数の亀裂が走り今にも崩れ落ちそうな重盾を泥の上に置き、額の汗と雨水を乱暴に拭いながら、安堵の笑みを浮かべた。


「ああ。健(イヌ)、お前の盾がなきゃ、今頃全員バラバラだった。――ありがとな」


 モモは裏表のない笑顔で、相棒の無骨な肩をバンと叩いた。


 そして、モモとイヌは、ゆっくりとキジの方向へと振り返る。

 キジはすでに弓を下ろし、鉄鎖に繋がれていたナミたちのもとへと駆け寄っていた。


「ナミ! しっかりしろ、ナミ……っ!」


 キジの手が、焦りで小さく震えている。


「……っ、う、ううん……。キ、キジ……? 私、生きて……」


 急造の布で右腕を固く縛られたナミが、痛みに顔を顰めながらも、ゆっくりと、しかし確かにその瞳を開いた。


「ああ、生きている! 大丈夫だ、悪鬼の将は、あの大和の男たちが退治してくれた!」


 キジの細い肩から、張り詰めていた緊張が、安堵の涙と共についにはらりと崩れ落ちた。大切な同胞の命が繋がったのだ。


「キジ。あんたの仲間は、俺たちの仲間でもある。――さあ、早く大和の水でも飲ませてやってくれよ」


 後ろから近づいたモモが、大和の美味い真水が入った水筒を差し出し、裏表のない笑顔を向ける。


「っ――」


 キジがハッとして振り返り、水筒を受け取る。

 その瞳には、大和の将軍(モモ)に対するこれまでの猜疑心が完全に消え去り、言葉にならないほどの深い感謝の光が、美しく揺らめいていた。


    * * *


 翌朝、鷲ヶ峰を覆っていた猛烈な野分(のわき)の暴風雨は、まるで嘘のように綺麗に去り、瀬戸内の海には再びまばゆい日の光が戻っていた。


 防波堤の内側で守られていた大和の戦船の周囲には、解放された島民たちや、怪我の手当てを受けたナミたちの笑顔が溢れている。

 温羅の悪鬼どもに占拠され、地獄の要塞と化していた女木島に、ついに本物の平和が戻ったのだ。


 出航の準備を進めるモモたちの前に、キジが背中に長弓を背負い、一本の端艇(小船)を引き連れて毅然と立ち塞がった。


「キジ? 出迎えなら要らねえぞ。俺たちはもう往くからな」


 甲板の上から、モモがいつも通りの屈託のない笑顔で手を振る。


「出迎えなぞするものか。……私は、その大和のデカブツ船に乗り込みに来たのだ」


「え? 船に?」


 モモが不思議そうに首を傾げる。キジは一歩前に出ると、まばゆい朝日の光を浴びながら、少し照れくさそうに視線を泳がせ、けれど真っ直ぐにモモの瞳を見据えて言い放った。


「大和の将軍――いや、モモ。お前はどうもお人よしにすぎて、どこか危うい。せめて私が、背中ぐらいは護ってやろう」


「――!」


 モモの目が、嬉しそうに大きく見開かれる。


「フン、勘違いするなよ。大和に下るわけではない。温羅(うら)の首を撥ね、この瀬戸内の海に真の自由を取り戻すその瞬間まで、私の弓をお前に預けると言っているのだ」


 キジはふいっと横を向いたが、その耳の裏が、朝日のせいだけではなく、ほんのりと林檎のように朱く染まっている。


「へへっ、そりゃ心強いな! 健(イヌ)の盾があって、キジの弓が加わるなら、俺は前だけ見て暴れられる!」


 モモは快活に笑うと、船の縄梯子を勢いよく投げ下ろした。


「乗れよ、キジ! 俺たちの船へ歓迎するぜ!」


 キジが身軽な足運びで甲板へと飛び乗る姿を、イヌは「やれやれ、賑やかになりますな」と苦笑交じりの頼もしい笑みで見守り、一の隊の兵たちも「海の英雄の参戦だ!」と大歓声で迎え入れた。


 そんな男たちの喧騒の奥、白い神衣の袖を揺らしながら佇んでいたトトだけが、すべてを見抜いた慈愛に満ちた『姫の眼(先読み)』で、キジの細い横顔をそっと見つめ、静かに無言の微笑みを浮かべていた。


 大和の猟犬、そして海の雉。

 彼らを乗せた巨大な軍船は、反転する引き潮の波を完璧に捉え、いよいよ温羅の本当の牙城が待つ、本土(吉備)の航路へと向けて力強く滑り出す。


 波を切り裂く鈍い音が響く中、甲板の隅では、傷だらけのナミたちが大和の水筒から真水を美味しそうに喉へと流し込み、ようやく生き返ったような安堵の息を吐いていた。


「……ふう。本当に、大和の水は甘いな。キジが貴方たちを信じた理由が、ようやく分かったわ」


 ナミは痛む右腕を庇いながらも、モモに向かって武人らしいさっぱりとした敬礼を送った。


「気にするな。それよりナミ、あんたたちは本土から連れてこられたんだろ? 本土(吉備)の様子はどうなってるんだ?」


 モモが船縁に腰掛け、裏表のない瞳で尋ねる。

 その問いに、ナミと遊撃の徒の女たちは、一瞬にしてその表情を曇らせた。


「……最悪、の一言よ。温羅(うら)の牙城である『鬼ノ城(きのじょう)』は、すでに人間の土木技術で築ける限界を超えているわ。峻険な山の頂に、まるで天を突くような巨大な石垣の城壁が連なっているの」


「大和の港(防波堤)以上の石積み、というわけですな」


 イヌが重盾の傷を確かめながら、神妙な声で言葉を重ねる。


「ええ。それだけじゃないわ。温羅は吉備の優れた鉄(たたら)を完全に独占し、名もなき民から、農具の鎌の一本に至るまで全てを力ずくで徴発している。今や吉備の本土は、悪鬼の武器を作るための巨大な『鍛冶の地獄』と化しているわ」


 ナミの言葉に、キジが背負った長弓の弦をギリッと爪で弾いた。


「温羅の奴、ついにそこまで民を使い潰しているか。……モモ、奴の本当の狙いは、吉備の国を豊かにすることなどではない。独占した鉄で無数の武器を造り、瀬戸内を越え、お前たちの大和(中央)へ攻め入るための『大遠征の準備』を進めているんだ」


「俺たちの、大和へ……」


 モモは布都御魂の写しの柄を静かに握りしめた。

 庵でのハニヤスの謀反、そしてこの西の海での温羅の軍備拡張。全ては大和朝廷を覆さんとする、巨大な戦乱のうねりの中で繋がっていたのだ。


「なら、なおさら急がなきゃな。健(イヌ)、キジ。まずは鬼ノ城の鉄の壁をブチ破るための、俺たちの『最強の武器(仕込み)』が必要だ」


「ふむ。本土へ上陸せば、まずは温羅の支配が及んでいない、山奥の隠れ『鍛冶師の村』を目指すべきかと」


 イヌが、無数の亀裂が入った己の割れかけの重盾を見つめながら、不敵に笑う。


「なるほどな。お前たちの盾の鍛え直しと、私の矢の補充だ。……往くぞ、大和の王。次なる戦場は、鉄と炎の吉備本土だ!」


 キジが不敵に唇の端を釣り上げ、本土を見据える。


 船首の向こうには、昼なお暗い、原生林に覆われた吉備の峻険な山並みが、巨大な獣のように黒々と横たわっていた。


 大和の朝廷を覆さんとする、ハニヤスの謀反の影。

 そして、この地で無数の武器を造り、中央へと牙を剥こうとしている海の覇王、温羅。

 その巨大な陰謀の渦巻く大地が、もう目の前まで迫っている。


「待ってろよ、温羅。――大和の王(俺)が、その鉄の壁ごと、まとめてブチ破ってやる!」


 モモは布都御魂の写しの柄を力強く握りしめ、裏表のない、剥き出しの闘志をはらんだ笑顔で言い放った。


 引き潮の白波を蹴立て、大和の軍船が、未知なる異郷の浜へと静かに接岸する。


 大和の猟犬、そして海の雉。

 新たなる真の戦友をその背に乗せた英雄たちの足跡が、ついに、鉄と炎の吉備本土へと刻まれる。

温羅の将、阿久良を倒し、女木島を離れた一行。

そして、次なる戦場へと向かう。


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