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飛斧と重盾

 前後からの狡猾な挟撃を三位一体の連携で鮮やかに退けたモモたちは、人工洞窟の最奥――少し開けた、おどろおどろしい岩窟の大空間へと到達した。


 松明の橙色の光が揺れるその最奥の壁際、キジの仲間――遊撃の徒(とも)の女たちが、泥の上に乱暴に転がされている。

 ただの虜囚ではない。

 女たちの手足は幾重もの無骨な鉄鎖で壁に繋がれ、その衣服や具足は、激しい抵抗戦の凄絶さを物語るように引き裂かれ、無数の刃物の斬り傷から流れた血が、赤黒く凝固して泥まみれになっていた。


 そのうちの一人にいたっては、阿久良(あくら)の放った飛斧をまともに浴びたのか、その細い右腕が、急造の布で血が滲むほど固く縛り上げられ、だらりと力なく垂れ下がっている。


「っ――! ナミ……っ、みんな……っ!!」


 キジの口から、普段のぶっきらぼうで猛々しい声音とは明らかに違う、どこか高くて細い、悲痛な声音が漏れかけた。

 キジはハッとして慌てて口元を抑え、若き武人としての表情を必死に取り繕う。だが、その切れ上がった瞳は激しい焦燥と情愛に激しく揺れ、今すぐにでも大切な同胞を救いに飛び出さんばかりに細い肩を震わせていた。


「ほう。あの包囲網の中、よくここまで辿り着いたものだ。褒めてやるぞ、大和の飼い犬ども」


 不気味な岩の玉座から、ゆらりと巨躯を立ち上げる大男がいた。

 身の丈は優に六尺(約180センチ)を超え、その筋骨隆々の肉体は、松明の光を浴びて黒々とした鈍い光を放っている。その圧倒的な威圧感の前に、大和の兵たちの間に息詰まるような戦慄が走った。


「……そして、吉備の覇王に噛みつこうとした、哀れな海の雉(きじ)め。まだ生きていたか」


 ギリィッ――!


「……っ、阿久良……!!」


 キジが歯茎から血がにじむほどに奥歯を噛み締め、その名を絞り出す。


「阿久良?――ヤツの名か!?」


 モモが『布都御魂の写し』をグッと握り直し、鋭い眼光で大男を睨み据える。


「……温羅の右腕であり、西の海で最も恐れられる狂暴なる悪鬼の将だ。なぜ、温羅の本隊ではなく、奴ほどの男がこの島を直々に守っている……っ!」


 キジの細い指先が、弓を握る手に白くなるほど力を込める。後世に『鬼ヶ島』として最も恐れられることになる地獄の牙城にふさわしい、最強の番人がそこに立ちはだかっていた。


「温羅様はこの女木島を、大和の首を撥ねるための『最前線の絶対の盾』と位置づけておられる。お前たちのような雑魚を吉備の土へ一歩たりとも踏ませぬため、この阿久良が直々に、ここで肉の壁となってやろう!」


 阿久良が不敵に嗤い、その背中から、小ぶりながらも重厚な鉄の刃を持つ無数の『飛斧(ひふ)』を、左右の手で同時に二丁、引き抜いた。


「大和の将軍、まずはその松明の火ごと、我が飛斧で切り刻んでくれようッ!!!」


 阿久良(あくら)の太い両腕が、暗闇の中で猛然と一閃した。


 ブォォォォォンッッ!!!

 ブォォォォォンッッ!!!


 漆黒の洞窟の空気を狂暴に引き裂き、二条の凄まじい鉄の回転音が轟く。

 それは、大和の男たちには到底真似のできない、悪鬼の怪力が放つ最悪の質量兵器であった。


「皇子、姫様、拙者の後ろへッ!! ――防壁、一歩も引くなァ!!」


 イヌが怒号のような叫びを上げ、モモとトトの前に立ちはだかる。


 ドガガガガガガァンッ!!!


 凄まじい衝撃音と金属音が、狭い大空間に反響した。


 闇の奥から超高速回転で飛来した二丁の鉄斧が、イヌと部下たちが噛み合わせた重盾の真ん中へと、正確に突き刺さったのだ。


「ぐっ……、うおぉぉっ……!」


 身の丈六尺を超える大男のイヌですら、泥の上で足が数寸下がるほどの圧倒的な衝撃。


 重盾の強固な木床が、メキメキと嫌な悲鳴を上げて割れかける。

 横に避けるスペースのない、狭い洞窟の一本道。


――チャリィッ……。


 激しい爆音が洞窟内を狂わせる中、トトの焦音を交えぬ冷徹な声が、イヌの背中越しに響いた。


「――耐えなさい、健(イヌ)。阿久良(あくら)の背から、鉄が擦れ合う音が響いたわ」


 イヌがハッとして盾の裏で息を呑む。

 トトの耳は、盾を叩く大音響の裏側で、阿久良が二丁の斧を引き抜いた瞬間に鳴った、背中の金具の『わずかな残響の変化』を冷徹に捉えていた。


「……あと、三丁」


 トトは焦点の合わない瞳のまま、暗闇の奥に潜む悪鬼の『残弾数』を完璧に数え上げてみせたのだ。


「奴の背には、もう三丁しか飛斧(ひふ)は残っていないわ。……防波堤のように、そのまま真っ直ぐ押し通りなさい!」


 ――チャリィッ……。


 トトの言葉を肯定するように、再び冷たい金属の擦れ合う音が闇の奥から響いた。


 阿久良(あくら)が残る飛斧をその凶暴な太い両腕に引き抜き、まさしく次の一撃を放たんとして構えたのだ。


 次の一閃が放たれれば、この割れかけた重盾では防ぎきれない。

 今、この瞬間しか、前へ進む道は残されていない。


「ははっ、畏まりました、姫様ッ!! ――二の隊、三の隊、皇子と留玉臣(とめたまおみ)殿を前へ通せぃッ!!」


「ふんぬおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!!!」


 イヌが全身の筋肉を爆発させ、地響きのような雄たけびを上げて泥を爆ぜさせた。

 阿久良が構える闇の奥へ向けて、一塊の肉の衝車(しょうしゃ)と化した大男が、猛然と突貫を敢行した。


 ブォォォォォンッッ!!!

 ブォォォォォンッッ!!!


 阿久良がその太い両腕を狂暴に一閃させ、残る飛斧(ひふ)のうち二丁を同時に投げつける。

 突撃するイヌの正面へと迫る、鉄の二連撃。


 ドンッッ、ドバァァァンッッ!!!


 イヌは重盾を真正面に突き出し、その圧倒的な質量を強引に受け止めた。

 鉄の刃が木床の芯へと深く、深く噛み込む。


 ビキ、ビキキッ――!


 大空間の闇に、強固を誇った大和の重盾が限界を迎える、最悪の割落音が鳴り響いた。

 盾の表面には無数の亀裂が走り、鉄斧の重い質量がイヌの腕の骨をミシミシと軋ませる。

 だが、イヌは止まらない。


「ぬおぉぉぉぉぉぉッッ!! まだだ、まだ往けるわァァァァッッ!!!」


 イヌは吐血せんばかりの咆哮を上げ、泥を爆ぜさせてさらに加速した。


 阿久良が最後の、本当の最後の一丁をその右手に引き抜いた、まさにその瞬間だった。


 ドゴォォォォォンッッ!!!


 凄まじい肉体の激突音が、岩窟を激しく震わせた。


 イヌが、限界ギリギリで軋む重盾ごと、阿久良の筋骨隆々の巨躯へと弾丸のように激突したのだ。


 そのまま強烈な脚力で地面を押し通し、阿久良の巨体を最奥の岩壁へとガチィィンッと激しく叩きつける。

 人間の背丈を遥かに超える二つの巨躯が、狭い一本道の奥で完全に噛み合い、固定された。


「なっ、この大和の飼い犬め……っ! 離れ、っ」


 壁に押し付けられた阿久良が、最後の一丁を構えたまま身悶えする。だが、イヌはその分厚い胸板と、文字通り己の肉体そのものを『絶対の防壁』として重ね、鬼の身体も、その狂暴な視界も、1ミリの身動きすら出来ぬほど完璧にロック(封殺)してみせた。


「今ですッ!! ――皇子、留玉臣(とめたまおみ)殿ォォォッッ!!!」


 イヌの命懸けのホールドが、暗闇の要塞に最高の勝機を開いた。


「しっかり抑えてろッ!」


 イヌの盾のわずかな隙間、その死角から、キジが限界まで長弓を引き絞り、闇の奥へと解き放った。


――ヒュッ!!!


 寸分の視線のブレもない、闇夜の精密射撃。

 放たれた一矢は、阿久良が最後の一丁を握りしめていたその太い手を、骨ごと正確に射抜いた。


 手を射抜かれた阿久良から飛斧(ひふ)が抜け落ち、固い洞窟の地面を激しく響かせた。


「ぬっ……、ぐぬうぅっ!?」


 激痛に顔を歪ませながら、悪鬼の将が喉の奥で獰猛にうめく。


「健(イヌ)、キジ、よくやったああああああああッ!!」


 橙色の松明の光を背に浴びながら、モモがイヌの盾の横をすり抜け、弾丸のように跳躍した。

 無防備になった悪鬼の将の喉元へ、『布都御魂の写し』の白銀の刃が、暗闇の中で一条の鮮烈な残光を描く。


――ザシュゥゥゥッッッ!!!

温羅の忠実なる右腕、阿久良。

イヌ、キジと共に、モモが決死の一撃を放つ――。


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