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第8話 地上へ帰るなら、帰り道にも宿が必要ですわ



「では、地上への帰還計画を立てますわ」


 翌朝。


 第百階層の食堂には、大きな石板が持ち込まれていた。


 その表面には、《終焉迷宮アビス》の階層構造が簡略化して描かれている。


 第百階層。


 第九十九階層。


 その上へ九十八、九十七と続き、最終的には地上まで。


 セレスティアは石板の前に立ち、細い棒で第百階層を示した。


「現在地はこちら。そして目的地は地上です」


「それは分かってる」


 ガレンが答えた。


 彼の骨折は、ほぼ治っている。


 歩行には問題ない。


 まだ全力で戦うには不安があるが、温泉と適切な休養のおかげで、当初の予想より遥かに回復が早かった。


 リシェルの魔力も戻った。


 ノルドには、迷宮内で採取した魔木と魔石を加工した簡易杖が渡されている。


 つまり。


 三人とも、そろそろ帰れる。


 はずなのだが。


「問題はこちらです」


 セレスティアが棒を上へ動かした。


 第九十八階層。


「昨日、第九十九階層までは領地へ編入できました。しかし、その上はまだ管理外です」


 ノルドが腕を組む。


「九十八階層の情報は見られるのか?」


「限定的には」


 セレスティアが管理画面を呼び出す。


 魔物配置。


 罠。


 地形。


 通路。


 だが、隣接階層ではないため細部までは表示されない。


「少なくとも、九十八階層にも高位魔物が複数存在します」


「だろうな」


「そして」


 セレスティアは少し間を置いた。


「皆様が第四十一階層まで戻るには、五十七階層分あります」


 三人の表情が曇った。


「その数字、改めて言われると嫌になるな……」


「五十七階層か」


 リシェルはテーブルへ突っ伏しそうになった。


「普通なら、百階層から地上なんて無理だよね」


「普通ならな」


 ガレンも否定しない。


 彼らはA級冒険者だ。


 人間の中では、間違いなく上澄みに入る。


 だが。


 九十九階層の魔物を目の前にしたとき。


 勝てるとは思えなかった。


 仮に一階層だけ突破できても。


 それを何十回も繰り返すなど不可能だ。


「ですから」


 セレスティアは言った。


「帰り道を作ります」


 三人が一斉に顔を上げた。


「……何を?」


「帰り道です」


「それは聞いた」


「安全に休みながら地上へ戻れる経路を整備します」


 ガレンが額を押さえる。


「また始まった」


「何がです?」


「お前の『ないなら作る』が」


「必要なものがないなら作るのは当然でしょう?」


「迷宮五十階層分の帰り道を作るのは、普通じゃねえんだよ」


「一日で全部作るとは申しておりません」


「そういう問題でもねえ」


 だが。


 セレスティアはすでに石板へ書き込みを始めていた。


「まず九十八階層」


 そこへ丸をつける。


「次に九十七階層」


 もう一つ。


「この辺りまでを安全化できれば、皆様の帰還難度はかなり下がります」


「二階層だけで?」


「少なくとも、最深部で消耗した状態から出発する必要はなくなります」


 それは。


 確かに大きい。


 三人は第百階層で十分に休める。


 食料も補給できる。


 装備も整えられる。


 温泉で疲労も魔力も回復する。


 万全の状態から九十九階層へ入り。


 そこには安全区画。


 その先の九十八階層まで整備されれば。


「……少なくとも、九十七まではかなり楽に行ける」


 ノルドが呟いた。


「そういうことです」


 セレスティアは頷いた。


「その先は?」


「進みながら考えます」


「考えてないんだ……」


「情報がないのに完璧な計画を作っても意味がありませんもの」


 それは正しい。


 正しいのだが。


 リシェルは少し笑った。


「セレスティアって、意外と行き当たりばったりだよね」


「失礼ですわね。柔軟な現場対応です」


「言い換えた」


     ◇


「第九十八階層へ行く前に、持ち物を確認いたします」


 食堂の一角。


 長机の上へ、さまざまなものが並べられていた。


 保存食。


 水袋。


 包帯。


 薬草。


 予備の魔石。


 簡易工具。


「食料は三日分」


 セレスティアが確認する。


「少なくないか?」


 ガレンが尋ねる。


「重すぎると動けません。途中で補給できる拠点を増やす前提です」


「なるほど」


「それから」


 セレスティアは布袋を一つ差し出した。


「こちらを」


「何だ?」


 ガレンが開く。


 中に入っていたのは。


 茶色い小さな塊。


「……まさか」


『クッキー』


 ゴルドが胸を張った。


「ゴルドが作りました」


『カタイ。ヒモチ、スル』


「食べていいのか?」


『ウン』


 ガレンが一枚取る。


 かじる。


「……うまい」


『オオ!』


 ゴルドの顔が輝く。


「待て」


 ノルドも一枚。


「保存食でこれは反則だろ」


「普通の携帯食より全然おいしい」


 リシェルまで食べ始めた。


 ゴルドが。


 嬉しそうに三人を見る。


『モット、アル』


「持たせすぎてはいけません」


『タクサン、タベル』


「移動中です!」


『ハラ、ヘル』


「それは分かりますけれど」


 セレスティアは。


 少し考えた。


「……一人、あと五枚だけ」


『ジュウ』


「五枚」


『ハチ』


「七」


『ウン!』


「また交渉に乗せられましたわ……」


 ガレンが笑う。


「もう完全に商人のやり取りだな」


「誰のせいですの」


「たぶん、あんた」


「否定できませんわね」


     ◇


 出発前。


 もう一つだけ。


 問題があった。


「護衛を誰にするか、です」


『オレ』


 ミノタウロスが即答する。


『オレモ』


 赤布ゴブリン。


『ガウ』


 ケルベロス。


 さらに。


『ワタシモ』


 昨日編入した第九十九階層のアラクネまで来ていた。


「……多すぎます」


 セレスティアは頭を抱えた。


「交渉に行くのですから、大軍で押しかけたら威圧になります」


『ツヨイホウ、イイ』


 ミノタウロスが言う。


「戦争ではありません」


『セレスティア、ヨワイ』


「……」


 食堂が。


 静かになった。


「今、何と?」


『セレスティア、タタカウ、ヨワイ』


 正しい。


 セレスティアは公爵令嬢として護身術や基礎魔術を学んでいた。


 だが。


 第九十九階層の魔物と戦えるほどではない。


 当然である。


 しかし。


「もう少し言い方がありますでしょう!」


『ホント』


「真実なら何を言ってもいいわけではありません!」


『デモ、マモル』


 ミノタウロスは。


 当たり前のように続けた。


『セレスティア、リョウシュ。オレ、マモル』


「……」


 セレスティアの怒気が。


 少しだけ消えた。


 ケルベロスも寄ってくる。


 三つの頭が。


 それぞれ彼女を見る。


『ガウ』


「あなたも?」


『ガウ』


 アラクネまで一本の脚を上げる。


『リョウシュ、シンダラ、キュウカ、ナクナル?』


「そこですの!?」


『メシモ?』


「なくしません!」


『オンセン?』


「それもなくしませんわ!」


『ジャア、マモル』


「理由が生活基盤に直結しすぎています!」


 けれど。


 彼らなりに。


 大事に思っているのだろう。


 たぶん。


 セレスティアは。


 少しだけ笑った。


「では、ミノタウロスとアラクネ」


『ウン』


『ワカッタ』


「ケルベロスは第百階層の警備をお願いします」


『ガウ……』


「そんな顔をしない」


『ガウ』


「帰ったら温泉へ入って結構です」


『ガウ!』


「元気になりましたわね」


     ◇


 第九十八階層へ続く階段。


 セレスティアたちは。


 ゆっくりと上っていた。


 先頭。


 ミノタウロス。


 その後ろにセレスティア。


 ガレンたち三人。


 最後尾にはアラクネ。


「……」


 ガレンが。


 何度も後ろを見る。


「どうしました?」


「いや」


「アラクネが怖い?」


『……』


 巨大蜘蛛が。


 じっとガレンを見る。


「怖くねえとは言わねえ」


『ワタシ、コワイ?』


「見た目はな」


『……』


 アラクネが少し落ち込んだ。


「何か悪いことを言いましたの?」


「俺が悪いのか?」


「女性へ見た目が怖いと言うのは失礼でしょう」


「え、女なのか?」


『オンナ』


「初めて知った……」


 リシェルが。


 アラクネへ少し近づく。


「そういえば、糸を編むのが好きって言ってたよね」


『ウン』


「何作ってるの?」


『コレ』


 アラクネの脚の一つ。


 そこへ。


 小さな布飾りが巻かれていた。


 薄い紫色。


 蜘蛛糸で細かい模様が編まれている。


「かわいい!」


『……カワイイ?』


「うん」


 アラクネの八本の脚が。


 ほんの少し。


 嬉しそうに動いた。


「セレスティア」


「はい?」


「これ、売れるよ」


 リシェルが言った。


「売る?」


「地上で」


 蜘蛛糸は。


 高級素材である。


 特に。


 アビス深層の蜘蛛糸など。


 市場へ出れば。


 相当な価格になる。


「しかも、この細かさなら工芸品としても価値がある」


 セレスティアは。


 アラクネの飾りを見る。


「……なるほど」


『ナニ?』


「アラクネ」


『ウン』


「もし嫌でなければ」


 セレスティアは。


 ゆっくり尋ねた。


「あなたの作ったものを、地上の方へ販売してみません?」


 アラクネが。


 固まった。


『ワタシノ?』


「ええ」


『タタカウ、イガイ?』


「もちろん」


『カチ、アル?』


 その問い。


 どこかで聞いたことがある。


 料理人ゴルドも。


 同じような顔をした。


「ありますわ」


 セレスティアは即答する。


「わたくしは綺麗だと思います」


 アラクネが。


 長い間。


 動かなかった。


 そして。


『……ツクル』


「はい」


『タクサン』


「無理のない範囲で」


『ヤスミニ、ツクル』


「それなら結構です」


 新しい仕事。


 ではない。


 趣味。


 それが。


 商品になるかもしれない。


 領地には。


 まだ。


 セレスティアの知らない価値が。


 山ほど眠っている。


     ◇


 第九十八階層へ到着した瞬間。


 空気が。


 明らかに変わった。


「……暑い」


 リシェルが呟く。


 九十九階層とは違う。


 岩壁が。


 赤い。


 ところどころ。


 亀裂の下から。


 赤い光が漏れている。


 熱気。


 硫黄に近い匂い。


 遠く。


 ごうごうと。


 何かが燃える音。


 ノルドが。


 警戒する。


「火属性階層か」


「そのようですわね」


 セレスティアが管理画面を開く。


 ――第九十八階層。


 ――《灼熱岩窟》。


 ――主要種族。


 ――サラマンダー。


 ――フレイムリザード。


 ――イフリート系個体。


 ――溶岩スライム。


「……」


 セレスティアは。


 一つの表示で止まった。


「どうした?」


 ガレンが聞く。


「こちら」


 ――平均気温:四十七度。


 三人。


 黙った。


「帰ろう」


「早いですわ!」


「いや無理だろ!」


 ガレンが叫ぶ。


「鎧着て四十七度は死ぬ!」


「俺の杖も熱で駄目になる可能性がある」


 ノルドも真顔だ。


 リシェルは。


 すでに額へ汗を滲ませている。


「セレスティア」


「何です?」


「休憩所作る前に」


「はい」


「涼しい場所が必要」


 セレスティアは。


 周囲を見る。


 確かに。


 このまま進めば。


 魔物との戦闘以前に。


 熱で消耗する。


「……なるほど」


 少し考える。


「でしたら」


 ガレンが嫌な顔をした。


「その顔やめろ」


「何です?」


「また何か思いついた顔してる」


「失礼ですわね」


 セレスティアは管理画面を開きながら。


 当然のように言った。


「冷房を作りましょう」


「れいぼう?」


「冷たい空気を作る設備です」


「そんな魔道具、王宮級だぞ」


「氷属性魔石は?」


 ――第九十六階層に大量埋蔵。


「冷気を発生する魔物は?」


 ――第九十五階層に複数確認。


「では、どうにかなりますわね」


「九十八階層の問題解決するために九十五階層の資源使う気かよ!」


「必要なら取りに行きます」


「順番がおかしい!」


 そのとき。


 岩陰から。


 低い声が響いた。


『……ニンゲン』


 全員が。


 動きを止める。


 赤く光る岩の向こう。


 巨大な影。


 現れたのは。


 全身を炎に包まれた。


 二メートルを超える人型の魔物だった。


『ココ、ナニシニ、キタ』


 イフリート。


 その後ろ。


 無数の赤い瞳が光る。


 フレイムリザード。


 サラマンダー。


 数十体。


 ガレンたちが。


 身構えた。


 しかし。


 セレスティアは。


 いつも通り。


 一歩前へ出た。


「初めまして」


 炎の魔物が。


 目を細める。


『ニンゲン、カエレ』


「その前に一つ、お尋ねしても?」


『ナンダ』


 セレスティアは。


 第九十八階層の熱気の中。


 至極真面目な顔で尋ねた。


「皆様」


『……』


「暑くありませんの?」


 沈黙。


 ガレンが。


 小声で言った。


「火の魔物に最初に聞くこと、それか?」


 だが。


 イフリートは。


 セレスティアを見つめたまま。


 少し間を置いて。


『……アツイ』


 三人の冒険者が。


 一斉に振り返った。


「暑いんですの!?」


『オレタチモ、アツイ』


「耐性があるだけで!?」


『ウン』


 セレスティアの表情が。


 変わった。


 また。


 一つ。


 改善すべきことを。


 見つけてしまった顔だった。


「分かりました」


『ナニガ』


「この階層も」


 セレスティアは。


 にっこり笑った。


「涼しくいたしましょう」


 イフリートは。


 炎を揺らしながら。


 完全に。


 言葉を失った。


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