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第7話 第九十九階層も、わたくしの領地にしますわ

予約ミスしましたごめんなさい



「第九十九階層を、領地へ編入できますのね?」


 翌朝。


 世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》第百階層。


 セレスティアは朝食のパンを片手に、目の前へ浮かぶ管理画面を見つめていた。


 昨日、住民満足度の上昇によって《迷宮領主権》の権限が拡張された。


 その結果、新たに表示された項目。


 ――隣接階層編入。


 現在選択可能なのは、第九十九階層のみ。


「編入した場合、何が変わります?」


 ――第九十九階層の設備管理権限を取得。


 ――魔物配置変更権限を取得。


 ――安全区画設定権限を取得。


 ――物資転送効率上昇。


 ――階層間通行規則を設定可能。


「十分ですわね」


 セレスティアは頷いた。


「では編入します」


 ――警告。


 また出た。


 最近、この迷宮は何をするにも最初に警告してくる。


「今度は何です?」


 ――隣接階層編入には、当該階層住民の一定以上の承認が必要です。


 セレスティアの指が止まった。


「……承認?」


 ――はい。


「勝手に取れませんの?」


 ――迷宮領主権は統治権限です。


 ――住民意思を無視した強制併合は、領地評価低下の原因となります。


「まあ」


 セレスティアは少しだけ感心した。


「そこは意外とまともですのね」


 ――……


「なぜ黙ります?」


 返答はない。


 朝食を食べていたガレンが、そのやり取りを眺めながら首を傾げた。


「なあ。前から思ってたんだが」


「何でしょう」


「お前、その迷宮と喧嘩してないか?」


「しておりません」


「してるだろ」


「改善提案ですわ」


「言い方の問題じゃねえんだよな……」


 向かいではノルドがパンをちぎっている。


「でも住民の承認が必要なら、九十九階層へ行かないと駄目なんじゃないか?」


「そうなりますわね」


 リシェルが顔を上げた。


「大丈夫なの?」


「何がです?」


「九十九階層だよ。私たちが転移させられたとき、とんでもない魔物ばかりだったよ?」


「ああ」


 ガレンの顔から少し笑みが消えた。


「巨大蜘蛛だけでも、俺たちじゃまともに勝てなかった」


「でも、戦闘中止命令は通りました」


「それはあんたに管理権限があったからだろ?」


「第九十九階層の管理権限は、まだありませんわ」


 三人が止まった。


「……じゃあ、なんで止まったんだ?」


「緊急命令だけは隣接階層へ届くようです」


「便利だな」


「ただし常時命令はできません」


 セレスティアは残っていたパンを食べ終える。


 そして立ち上がった。


「ですので、直接お話ししてまいります」


「一人で?」


「その予定ですが」


 ガレンが即座に首を横へ振った。


「やめとけ」


「どうしてです?」


「いや、どうしてじゃねえだろ。九十九階層だぞ」


「わたくしが行かず、誰が交渉するのです?」


『オレ』


 低い声。


 振り返ると。


 ミノタウロス・ロードが立っていた。


 その隣にケルベロス。


 さらに。


 赤、青、黄色、紫。


 色違いの布を身につけたゴブリンたちまでいる。


「皆様?」


『イク』


「遊びに行くのではありませんわよ」


『シッテル』


 ミノタウロスは胸を張る。


『セレスティア、リョウシュ』


「はい」


『リョウシュ、ヒトリ、ダメ』


「……」


 セレスティアは一瞬。


 言葉を失った。


 まただ。


 以前までの彼女なら。


 公爵令嬢として。


 王太子の婚約者として。


 自分が責任を持つべきことは、自分でやる。


 それが当たり前だった。


 誰かへ頼る前に、自分が動く。


 失敗すれば自分が責任を取る。


 それでいいと思っていた。


「でも、あなたは休暇中では?」


『キョウ、シゴト』


「そうでしたわね」


『シゴト、スル』


 当然のように言われた。


 休むときは休む。


 働くときは働く。


 セレスティアが教えたことを。


 彼らはもう。


 自分より素直に実践している。


「……分かりました」


 少しだけ笑う。


「では、一緒に参りましょう」


『ブモ!』


「ただし」


 指を立てる。


「交渉です。威嚇は禁止」


『ウン』


「戦斧を振り回すのも禁止」


『ウン』


「ケルベロスも唸らない」


『ガウ』


「ゴブリンの皆様も石を投げない」


『ナゲナイ!』


「本当に?」


 赤布ゴブリンが。


 持っていた石をそっと床へ置いた。


「持っていましたのね!?」


     ◇


 第百階層と第九十九階層を繋ぐ巨大な階段。


 これまで。


 セレスティアは、その先へ進んだことがなかった。


 処刑による転移で最下層へ直接送られたためだ。


 階段を上がるほど。


 空気が変わる。


 第百階層には。


 今では料理の匂い。


 温泉の湯気。


 ゴブリンたちの話し声。


 そんな生活の気配がある。


 だが。


 第九十九階層は違った。


 静かだった。


 広大な洞窟。


 鋭く尖った岩。


 天井から垂れる巨大な蜘蛛糸。


 地面には。


 いくつもの古い武器が落ちている。


「……これ」


 セレスティアが一本の剣を見る。


 錆びている。


 だが。


 明らかに人間のものだ。


「過去の冒険者でしょうね」


 後ろからついてきたノルドが答える。


「来たのですか?」


「自力じゃないかもしれない。俺たちみたいに転移罠で飛ばされた奴もいたんだろう」


「なるほど」


「来たら、普通は帰れない」


 ノルドの声が低くなる。


 その理由は。


 すぐに現れた。


 洞窟の奥。


 かさり。


 何かが動く。


 次の瞬間。


 巨大な脚が。


 岩陰から一本。


 また一本。


 現れた。


 その身体は。


 馬車より大きい。


 黒紫色の甲殻。


 八本の脚。


 複眼。


 巨大蜘蛛。


 《アビス・アラクネ》。


 あの日。


 ガレンたちを取り囲んでいた魔物の一体だった。


「来たぞ」


 ガレンが。


 まだ完治していない脚を庇いながら身構える。


 だが。


「武器を抜かないでくださいませ」


「でも」


「交渉に来たのです」


 セレスティアは。


 そのまま前へ出た。


 巨大蜘蛛も。


 動きを止める。


『……』


「初めまして」


『……ニンゲン』


「セレスティアと申します」


 アラクネの巨大な顎が。


 ぎちりと鳴る。


『シッテル』


「あら」


『ヒャッカイソウ、カエタ、ニンゲン』


 セレスティアが目を瞬く。


「ご存じなのです?」


『ウワサ、キタ』


「噂?」


 横にいた赤布ゴブリンが胸を張る。


『ハナシタ!』


「あなたですの!?」


『オンセン、アル! メシ、ウマイ!』


「宣伝までしていましたの!?」


 どうやら。


 第百階層の変化は。


 すでに周辺階層へ広がっているらしい。


 アラクネが。


 セレスティアの後ろを見る。


『ミノタウロス』


『ウン』


『ヤスミ、アル?』


『アル』


『メシ?』


『アル』


『オンセン?』


『アル』


 ミノタウロスは。


 なぜか誇らしげだった。


『ニクモ、アル』


「そこを一番に推すのはやめてくださいませ」


 巨大蜘蛛が。


 少し前へ出る。


『ホント?』


「本当です」


 セレスティアは答えた。


「もっとも、全員が毎日好きなだけ食べて寝ていられるわけではありません。仕事はしていただきます」


『シゴト、イマモ、スル』


「そうですわね」


 周囲を見る。


 蜘蛛糸。


 崩れた岩。


 破損した罠。


 そして。


 あちこちに。


 巨大蜘蛛たちがいる。


「こちらの勤務状況を見せていただけます?」


 ――限定情報開示。


 迷宮管理画面が。


 第九十九階層の情報を映す。


 セレスティアは。


 一行目で。


 眉を寄せた。


「二百八十七日連続勤務」


 また。


 似た数字が並んでいる。


 アラクネ。


 リザードナイト。


 ポイズンスライム。


 シャドウバット。


 ほぼ全員。


 長期間の連続勤務。


 食事。


 最低限。


 休息区画。


 なし。


 負傷時。


 自然回復のみ。


「……」


 セレスティアの表情が。


 また穏やかになった。


 ガレンが小声で言う。


「出た」


 リシェルも頷く。


「怒ってる顔」


「最近分かるようになったな」


「皆様」


 セレスティアは。


 第九十九階層の魔物たちを見る。


「一つ、ご相談があります」


『ソウダン』


「この階層を、わたくしの領地へ編入したいのです」


 周囲が。


 ざわついた。


 蜘蛛の脚が擦れる音。


 リザードマンたちが互いを見る。


 蝙蝠型魔物が天井で羽を動かす。


 アラクネが尋ねる。


『ヘンニュウ、スルト?』


「勤務を交代制にします」


『……』


「休暇を作ります」


 ざわめきが大きくなる。


「食事も用意します。ただし第百階層まで毎回来るのは大変ですから、こちらにも簡易食堂を作りましょう」


『……』


「寝床も」


『……』


「怪我をした方には治療を」


 アラクネの脚が。


 完全に止まった。


『ナゼ』


「なぜ?」


『ナゼ、ソコマデ、スル』


 セレスティアは少し考えた。


「領民になるからです」


『……』


「働いていただく以上、健康に暮らせる環境を整えるのは領主の仕事でしょう?」


 それは。


 彼女にとって。


 ごく当たり前の答えだった。


 だが。


 第九十九階層の魔物たちには。


 そうではなかった。


『ニンゲン、クル』


 アラクネが言う。


『ワレラ、タタカウ』


「はい」


『タオス』


「必要なら」


『ソレデ、イイ?』


「もちろんです」


 セレスティアは。


 迷わず答えた。


「わたくしは、ここを人間だけの領地にするつもりはありません」


 後ろで。


 ガレンたちが黙って聞いている。


「冒険者が来れば、戦いになることもあるでしょう。危険な相手なら、追い返していただく必要もあります」


『コロス?』


「命を奪わなければ守れない場面まで、禁止するつもりはありません」


 そこで。


 セレスティアは。


 少し声を柔らかくした。


「ですが」


 アラクネを見る。


「戦うためだけに生きる必要もないでしょう?」


『……』


「それだけですわ」


 静寂。


 長かった。


 やがて。


 アラクネが。


 一本の脚を上げた。


『ワタシ、サンセイ』


 その後ろ。


 一体のリザードナイトが。


 剣を床へ突き立てる。


『オレモ』


 天井。


『キュウカ、ホシイ』


 蝙蝠型魔物。


 足元。


『メシ……』


 ポイズンスライム。


「あなた、食事をなさるの?」


『アマイノ、スキ』


「まあ」


 知らなかった。


「ゴルドへ相談しましょう」


『サンセイ!』


「決断が早いですわね!?」


 そこから。


 賛成の声は。


 一気に広がった。


     ◇


 ――第九十九階層。


 ――住民承認率、八十九パーセント。


 ――編入条件を達成。


 ――領地へ編入しますか?


「はい」


 セレスティアが答える。


 その瞬間。


 階層全体を。


 淡い光が走った。


 壁。


 床。


 天井。


 魔法陣。


 すべてが一度だけ明滅する。


 ――第九十九階層を領地へ編入。


 ――領地範囲拡張。


 ――管理権限更新。


 ――安全区画設定が解放されました。


「できましたわね」


 セレスティアが微笑む。


『オオ……』


 魔物たちが。


 周囲を見回す。


 見た目は。


 何も変わっていない。


 だが。


 彼らの頭上に。


 新しい表示が見えている。


 勤務表。


 休暇予定。


 配置。


 貢献票。


『キュウカ……』


 アラクネが。


 自分の予定を見る。


『ミッカゴ』


「ええ」


『ヤスミ?』


「はい」


『……ナニ、スル?』


「それはご自分で決めるのです」


『ジブンデ』


「そのための休日ですから」


 アラクネは。


 しばらく考え込んだ。


 そして。


『イト、アム』


「蜘蛛糸を?」


『スキ』


「まあ」


『タタカウヨウ、ジャナイ』


「もちろん構いません」


『キレイナ、ヤツ、ツクル』


「それは楽しみですわね」


 また。


 一つ知った。


 巨大な殺人蜘蛛にも。


 戦闘以外に。


 好きなことがある。


「やはり」


 セレスティアは。


 小さく笑った。


「聞いてみないと分からないものですわね」


     ◇


「では次です」


 編入。


 勤務制度。


 休暇。


 その場で可能な最低限の設定を終えると。


 セレスティアは管理画面を切り替えた。


「安全区画を作ります」


 ガレンが尋ねる。


「ここに?」


「ええ」


「九十九階層って、最下層の一個上だぞ?」


「ですから必要なのです」


 セレスティアは階層地図を見る。


 中央部。


 階段。


 複数の洞窟。


 魔物の縄張り。


 その中で。


 一つ。


 比較的狭く。


 他区画から分離できる空洞がある。


「ここ」


 指を差す。


「壁を作って、出入口を一つにします」


「うん」


「中では戦闘禁止」


「それができるのか?」


「領地内なら」


 ――安全区画設定が可能です。


「できるそうです」


「何でもありだな……」


「罠も撤去」


 ――可能。


「照明」


 ――設置可能。


「簡易寝床」


 ――設置可能。


「水場」


 ――設置可能。


 ノルドが。


 徐々に真顔になる。


「待て」


「何でしょう」


「それ」


「はい?」


「本当に作ったら、ここまで来た冒険者が休めるんだよな?」


「その予定です」


「九十九階層で?」


「ええ」


 ノルドは。


 頭を抱えた。


「迷宮攻略の常識が壊れる」


「今さらですわね」


「今さらで済ませる規模じゃないんだよ」


 今まで。


 深層攻略には。


 常に帰還分の体力を残す必要があった。


 八十階層へ行ける実力があっても。


 そこから。


 さらに二十階層進み。


 また八十階層分戻る。


 それは。


 事実上不可能だった。


 だが。


 深層に安全な休憩所があれば。


 話は変わる。


「しかも」


 リシェルが言う。


「その下には食堂と温泉宿がある」


「そうですわね」


「セレスティア」


「はい?」


「たぶん、そのうち冒険者が殺到するよ」


「そうでしょうか」


「する」


 三人。


 全員が。


 即答した。


「だって」


 リシェルは。


 指を折る。


「九十九階層まで来れば安全に寝られる」


 一つ。


「百階層には温かいご飯」


 二つ。


「温泉で魔力と疲労が回復する」


 三つ。


「装備まで預かってもらえる」


 四つ。


「こんなの知られたら」


 セレスティアは。


 少し考えた。


「宿の部屋を増やしたほうがよろしい?」


「そこから考えるんだ……」


     ◇


 その日の夕方。


 第九十九階層に。


 最初の安全区画が完成した。


 まだ。


 簡素なものだ。


 石壁。


 魔石灯。


 水場。


 十人ほどが横になれる寝台。


 そして。


 入口。


 一枚の板。


 そこには。


 セレスティアの字で。


 こう書かれている。


 《休憩所》


 《区画内戦闘禁止》


 《負傷者は第百階層へ》


 ガレンが。


 その看板を見上げる。


「……本当に作っちまった」


「はい」


「九十九階層に」


「はい」


「休憩所」


「何度確認するのです」


「確認したくもなる」


 セレスティアは。


 ガレンの脚を見る。


 骨折は。


 温泉と治療のおかげで。


 かなり良くなっている。


 リシェルの魔力も。


 ほぼ戻った。


 ノルドには。


 代用できる杖を用意できそうだった。


「これなら」


 セレスティアは。


 三人を見る。


「そろそろ地上への帰還準備を始められますわね」


 三人が。


 黙った。


 帰りたい。


 家族も。


 仲間も。


 ギルドも。


 心配している。


 当然だ。


 なのに。


「……」


「どうしました?」


「いや」


 ガレンが。


 第百階層へ続く階段を見る。


「あそこに戻れば、晩飯あるんだよな」


「あります」


「今日、何だっけ」


「魚料理だそうです」


『シロミザカナ!』


 ミノタウロスが。


 なぜか嬉しそうに答えた。


 リシェルの表情が揺れる。


「温泉も?」


「ありますわ」


 ノルドが。


 深く息を吐く。


「……明日から準備でよくないか?」


「あなたたち」


 セレスティアは呆れた。


「本当に帰る気がありますの?」


 三人は。


 答えなかった。


     ◇


 同じ頃。


 遠く離れた地上。


 冒険者ギルド王都本部。


「まだ見つからないのか!」


 受付責任者の怒声が響いた。


 第四十一階層で消息を絶った。


 A級冒険者三名。


 ガレン。


 ノルド。


 リシェル。


 彼らを探す救援隊は。


 すでに二度。


 第四十一階層まで到達していた。


 だが。


 痕跡がない。


「転移罠の反応が残っています」


「行き先は?」


「解析不能です」


「そんな馬鹿な……」


 通常の罠なら。


 移動先は。


 同一階層。


 あるいは。


 せいぜい数階層先。


 だが。


 今回だけは。


 魔力痕跡が。


 地下深く。


 あまりにも深く。


 続いていた。


 一人の解析士が。


 青ざめた顔で言う。


「仮に」


「何だ」


「仮に、この痕跡どおりなら」


 言いたくない。


 そんな顔だった。


「三人は……八十二階層よりも、さらに下へ飛ばされた可能性があります」


 部屋が。


 静まり返った。


 人類未踏領域。


 そこへ。


 三人が落ちた。


 誰も。


 生存しているとは思わなかった。


 ましてや。


 その三人が。


 今ごろ。


 世界最難関ダンジョンの最下層で。


『サカナ、オカワリ!』


「ミノタウロス! 一人二皿までと言いましたでしょう!」


『サンザラ!』


「交渉しない!」


「セレスティア、俺もおかわり」


「ガレンまで便乗しないでくださいませ!」


 温泉帰りに。


 夕食のおかわりを巡って。


 魔物たちと騒いでいるなど。


 想像できる者は。


 地上には。


 まだ一人もいなかった。


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