第6話 最下層に温泉を作ったら、誰も出てきませんの
「浴槽は、こちらにいたしましょう」
翌朝。
世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》第百階層では、温泉施設の建設が始まっていた。
発見された湯脈は、未使用区画の壁際にある。
湯量は十分。
温度も適温。
しかも微弱ながら疲労回復と魔力回復の効果まである。
「これほど条件が揃っているなら、使わない理由がありませんわ」
『オオ!』
赤い布を首へ巻いたゴブリンが拳を上げた。
その隣では。
『アオ!』
『キイロ!』
『ムラサキ!』
昨日、貢献票で色付きの布を手に入れたゴブリンたちまで揃っている。
「……いつの間に作業班の識別布になりましたの?」
『カッコイイ』
「まあ、それならよろしいですけれど」
本人たちが気に入っているなら問題はない。
セレスティアは管理画面を開いた。
まず浴槽。
迷宮の石材加工機能を使い、大きな長方形へ整形する。
床は滑りにくく。
角は丸く。
湯の流入口と排水口を分ける。
「人間用はこちら」
さらに隣。
「大型魔物用はこちらです」
『ブモ?』
ミノタウロス・ロードが首を傾げた。
「あなた、人間用のお風呂には入りませんでしょう?」
『ハイル』
「入りません」
『ハイル』
「肩まで入れませんわよ」
『……』
ミノタウロスが人間用浴槽を見る。
自分を見る。
もう一度浴槽を見る。
『チイサイ』
「ですから大型用を作るのです」
『オオ』
納得が早い。
「ケルベロスも大型側ですわね」
『ガウ』
「三つの頭で同時に潜らないでくださいね」
『ガウ?』
「嫌な予感しかしませんわ……」
問題は骸骨兵だった。
「皆様は……お風呂に入りますの?」
カタカタ。
一体が手を上げる。
「入りたい?」
カタカタ。
「身体を洗う必要は?」
カタカタ。
「骨の艶が良くなる?」
カタカタ!
「そうですの……?」
知らない世界だった。
結局、骸骨兵にも利用を認めた。
ただし。
「長湯して関節が外れても、わたくしは知りませんからね」
カタカタ。
妙に自信満々だった。
◇
工事は驚くほど早く進んだ。
石材加工は迷宮機能。
掘削はゴブリンたち。
重い石を動かすのはミノタウロスとリザードマン。
排水路の調整は水棲系の魔物。
蜘蛛型魔物から提供された糸で、簡単な仕切り布まで作られた。
セレスティアが指示を出すたび。
それぞれが。
自分の得意な作業へ入っていく。
「……最初から、こうすればよかったのでは?」
思わず呟いた。
『ナニガ?』
隣にいたリシェルが聞く。
「皆様、それぞれ得意なことがありますでしょう」
「うん」
「なのに今までは、ほとんど全員が戦闘配置でした」
「ああ……」
「料理人を迎撃に置き、掘削が得意な方にも侵入者を殴らせ、水棲魔物まで陸上警備へ回していたそうです」
「ひどいな」
ガレンが苦笑した。
「迷宮って、もっとこう……完璧に管理されてるものだと思ってたぜ」
「わたくしもです」
「実際は?」
「大雑把にもほどがありますわ」
迷宮から。
――従来配置には運用実績があります。
「悪い実績を誇らないでくださいませ」
――……
「黙りましたわね?」
最近。
迷宮そのものまで。
少しずつ押し負けることを覚え始めていた。
◇
夕方。
「完成ですわ!」
セレスティアは両手を腰へ当てた。
目の前には。
立派な石造りの浴場ができていた。
豪華ではない。
だが広い。
人間なら十人以上が一度に入れる。
隣の大型魔物用は、もはや小さな池に近い。
湯気が立ち。
地下の青白い魔石灯が、水面へ揺れている。
ガレンが感心した。
「一日で作る規模じゃねえな」
「迷宮機能のおかげです」
「王都ならいくらかかるんだ、これ」
「考えたくありませんわね」
セレスティアは湯へ手を入れた。
温度も問題ない。
「では」
全員を見る。
「試験利用を始めます」
『オオオオオ!』
魔物たちから歓声が上がった。
その直後。
誰も動かなかった。
「……どうしました?」
『ドウヤッテ、ハイル?』
ミノタウロスが尋ねる。
セレスティアは。
目を閉じた。
「そこからですのね」
◇
「最初に身体を洗います」
『ナゼ?』
「汚れたまま湯へ入らないためです」
『ウン』
「それから、ゆっくり浸かります」
『ウン』
「走らない」
『ウン』
「泳がない」
ケルベロスを見る。
『ガウ』
「あなたへ言っています」
『ガウ……』
「飲まない」
今度はミノタウロスを見る。
『ブモ!?』
「なぜ驚くのです!?」
『ノメナイ?』
「飲み物ではありません!」
『アッタカイ』
「温かくても駄目です!」
温泉利用規則が。
急遽増えた。
さらに。
「男女は――」
言いかけて。
セレスティアは魔物一覧を見る。
種族によって性差が分かりにくい。
そもそも服を着ない種族もいる。
「……人間側だけ分けましょう」
「そこはそれでいいと思う」
リシェルが助け舟を出した。
「魔物側は?」
「本人たちに聞いたほうがいいんじゃない?」
「そうしますわ」
文化の押し付けは避ける。
これも。
領地運営には必要なことだった。
◇
「……あぁぁ」
最初に湯へ浸かったガレンが。
老人のような声を出した。
「あなた、本当にA級冒険者ですの?」
「今だけは何でもいい……」
骨折している脚は浴槽の縁へ乗せている。
身体にはまだ包帯があるため、傷口を避けた形だ。
隣ではノルドも首まで浸かっていた。
「これは……まずいな」
「何がです?」
「出たくなくなる」
「まだ三分ですわよ」
「三分でも分かる」
さらに女性側。
リシェルは湯へ肩まで沈み。
「……」
黙った。
「リシェル?」
「……」
「大丈夫ですの?」
「セレスティア」
「はい」
「これ、地上に知られたら大変だよ」
「温泉が?」
「違う」
リシェルは。
自分の手を見た。
「魔力が戻ってる」
セレスティアの表情が変わった。
「どの程度です?」
「明らかに分かるくらい」
リシェルは神官として、魔力の流れに敏感だ。
「普通なら、今の私が完全回復するまで三日はかかる。でも、この湯に入ってると……」
「三日が?」
「たぶん一日ちょっと」
「まあ」
「しかも身体の疲れまで抜けてる」
セレスティアも。
試しに湯へ手を入れ。
少しだけ魔力を流してみる。
確かに。
わずかだが。
失った魔力が補充されていく感覚があった。
「薬湯ですわね」
「そんな可愛いものじゃないと思う」
「そうです?」
「高級回復薬を薄めて浴槽いっぱいにしたみたいなものだよ」
「それは……」
セレスティアが考える。
「宿泊料金へ温泉利用料を追加できますわね」
「最初にそこ!?」
「無料にすると管理できませんもの」
リシェルが。
少しずつ。
この女の思考を理解し始めていた。
地位。
名誉。
復讐。
そういうものより。
目の前にある施設を。
どう維持するか。
どう回すか。
そちらのほうを本気で考えている。
「変な人」
「何か?」
「何でもない」
◇
魔物用浴場は。
もっと大変だった。
『ブモオオオオオ……』
ミノタウロスが湯へ沈む。
「いかがです?」
『……』
「ミノタウロス?」
『……』
「まさか寝ましたの!?」
『オキテル』
「本当に?」
『オキテル……』
目が半分閉じている。
完全に眠りかけている。
その横では。
ケルベロスが。
ざぶん。
『ガウ!』
ざぶん。
『ガウ!』
ざぶん。
『ガウ!』
「潜らない!」
三つの頭が。
交互に潜っていた。
「泳がないと言いましたでしょう!」
『オヨイデナイ』
「潜るのも同じです!」
さらに。
骸骨兵たち。
カタカタカタ。
浴槽の縁へ整然と並び。
一体ずつ。
湯へ入っていく。
「滑らないでくださいね」
カタ。
一体が足を滑らせた。
がしゃん。
「ああっ!」
ばらばらになった。
「だから言いましたのに!」
周りの骸骨兵が。
慣れた手つきで骨を拾う。
組み立てる。
本人も何事もなかったように再び立った。
カタカタ。
「もう一度入る?」
カタカタ。
「懲りませんのね!?」
浴場は。
開業初日から。
ずいぶん騒がしかった。
◇
一時間後。
「皆様」
セレスティアは浴場入口で待っていた。
「そろそろ出てくださいませ」
返事がない。
「皆様?」
『……』
「ミノタウロス」
『アト、スコシ』
「十分前にも聞きました」
『アト、スコシ』
「出なさい」
『……』
「出なさい」
『イヤ』
「イヤ!?」
驚いた。
三百六十二連勤していた魔物が。
初めて。
はっきりと。
仕事以外の理由で。
領主へ反抗した。
『ココ、スキ』
ミノタウロスは。
湯へ鼻先まで沈む。
『デナイ』
「のぼせますわよ!」
『ノボセル?』
「倒れます!」
『ツヨイカラ、ダイジョウブ』
「またそれですの!?」
ケルベロスも。
浴槽の端へ顎を乗せ。
三つの頭を完全に脱力させている。
『ガウ……』
「あなたも?」
『ガウ』
「出る気なし?」
『ガウ』
骸骨兵に至っては。
湯の中で。
ぴかぴかになっていた。
「……本当に艶が出ていますわね」
カタカタ!
「そこは誇らしげにしなくて結構です!」
結局。
全員を出すまで。
さらに三十分かかった。
◇
「利用時間を決めます」
その夜。
食堂。
セレスティアは宣言した。
『ナゼ!?』
「あなたたちが出ないからです!」
『モット、ハイル』
「入りすぎは身体に悪いです!」
『オンセン、スキ』
「それは結構ですけれど!」
初日にして。
新しい問題が発生した。
温泉人気。
予想を遥かに超えている。
「勤務前に長湯は禁止」
『ブモ……』
「勤務後は一時間まで」
『ニジカン』
「一時間」
『イチジカンハン』
「交渉しない!」
『コウショウ、ダイジ』
「それを覚えさせたの、失敗だったかもしれませんわね……!」
三人の冒険者は。
食事をしながら笑っていた。
ここへ来た初日。
恐ろしいと思ったミノタウロス。
今では。
温泉の利用時間を巡って領主と交渉している。
リシェルがぽつりと言った。
「帰るの、ちょっと惜しくなってきたな」
ガレンが。
匙を止める。
「……分かる」
「お前まで?」
「飯うまい。寝床ある。温泉ある」
ノルドまで数え始めた。
「しかも安全だ」
「百階層なのに?」
「ここだけならな」
三人が顔を見合わせる。
そして。
ほぼ同時に。
ため息をついた。
「「「帰りたくねえ……」」」
「帰ってくださいませ」
セレスティアが即答した。
「聞いてたのかよ!」
「ご家族やギルドが心配しているでしょう」
「それはそうだけど」
「それに」
セレスティアは。
少しだけ笑った。
「帰っていただかないと」
三人を見る。
「最初のお客様が、宿の感想を地上へ伝えてくださらないでしょう?」
三人が固まった。
「……宣伝させる気?」
「お願いするだけですわ」
「その笑顔、絶対お願いだけじゃないだろ」
「失礼ですわね」
だが。
セレスティアの頭の中には。
すでに次の計画があった。
冒険者三人を。
安全に地上へ帰す。
そのためには。
第百階層から。
第九十九階層。
第九十八階層。
そして。
もっと上まで。
通れる道を整えなければならない。
「迷宮」
――はい。
「各階層の安全区画候補を一覧にしてください」
――用途を確認。
「休憩所です」
――……
「何です、その間は」
――第百階層以外への大規模改変には、追加権限が必要です。
セレスティアの目が細くなった。
「追加権限?」
――迷宮領主権レベルを上昇させてください。
「方法は?」
――領地評価を一定値以上へ上昇。
――現在の領地評価を表示します。
数字が浮かぶ。
セレスティアは。
目を見開いた。
「昨日より、ものすごく増えておりますわね?」
――主な上昇要因。
――住民満足度。
――食生活改善。
――休養環境改善。
――報酬制度導入。
――温泉施設設置。
そして。
最後に。
――現在、住民満足度:極めて高い。
セレスティアは。
浴場の方向を見た。
そこでは。
利用時間を終えたはずのミノタウロスが。
もう一度入ろうとして。
ゴブリンに止められていた。
「……でしょうね」
こうして。
処刑された悪役令嬢の領地は。
剣でも。
魔法でもなく。
休日と。
温かい料理と。
温泉によって。
着実に力を増していった。
そして翌日。
セレスティアは。
世界最難関ダンジョンそのものから。
新しい権利を勝ち取ることになる。
――第九十九階層。
領地編入権。
地上への道を作るための。
最初の一歩だった。




