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第4話 最下層へ落ちた冒険者に、宿を用意しますわ



「……生きて、る?」


 最初に目を覚ましたのは、聖職者の女だった。


 名前はリシェル。


 冒険者等級はA級。


 三人組の中では最年少だが、上位治癒魔術を扱える希少な神官である。


 もっとも現在、その面影はほとんどなかった。


 白かった法衣は裂け、泥と血に汚れている。


 治癒魔術を使い続けたせいで魔力はほぼ枯渇。


 頭痛。


 吐き気。


 手足には力が入らない。


 それでも意識を取り戻した瞬間、リシェルは無理やり身体を起こそうとした。


「ガレン……! ノルド……!」


「動かないでくださいませ」


「――っ!?」


 知らない女の声。


 リシェルは反射的に腰へ手を伸ばした。


 だが武器はない。


 杖もない。


 代わりに身体へ掛けられていたのは、柔らかな布だった。


「……毛布?」


「まだ試作品ですけれど」


 声の主が答える。


 リシェルはようやく周囲を見る。


 知らない部屋。


 石壁。


 簡素な寝台。


 壁には青白い魔石灯。


 そして。


 寝台の横に置かれた椅子へ、一人の女が腰掛けていた。


 長い銀髪。


 整った顔立ち。


 服だけは質素な白いものだったが、姿勢と所作には明らかな高貴さがある。


「あなたは……」


「セレスティアと申します」


 リシェルの呼吸が止まった。


「セレスティア……?」


「はい」


「まさか……《王国の悪女》?」


「あら」


 セレスティアは瞬きをした。


「まだその呼び名、使われていますの?」


「だ、だって……」


 知っている。


 知らないはずがない。


 公爵令嬢セレスティア。


 王太子の元婚約者。


 聖女暗殺未遂。


 国家転覆計画。


 禁呪使用。


 そのすべての罪で裁かれ、数日前に《奈落刑》へ処された女。


 王都では、その処刑が大々的に告知されていた。


「死んだはずじゃ……」


「わたくしも、そう思っていましたわ」


「じゃあ、ここは……」


 リシェルの顔色が変わった。


 記憶が戻ってくる。


 第四十一階層。


 不自然な魔法陣。


 転移罠。


 次の瞬間には、見たこともないほど強大な魔物に囲まれていた。


 鑑定魔術を使う余裕はなかった。


 だが。


 あの気配。


 あの魔力量。


 八十階層台ですら見たことがない。


「ここ……どこ?」


「第百階層です」


「……」


「《終焉迷宮アビス》の最下層ですわ」


 リシェルは数秒、何も言わなかった。


 そして。


「…………百?」


「はい」


「百階層?」


「そうです」


「最下層?」


「ええ」


 リシェルは毛布を頭まで引き上げた。


「夢だ」


「現実です」


「絶対夢です」


「残念ながら」


「だって、人類の最深到達記録は八十二階層よ!?」


「存じています」


「じゃあどうして私たち百階層にいるのよ!」


「罠が壊れていたそうです」


「罠が壊れてたら五十九階層も飛ぶの!?」


「わたくしも同じことを申しました」


 妙なところで意見が一致した。


 リシェルは頭を抱える。


「終わった……」


「何がです?」


「私たちよ!」


 声を荒らげた。


「百階層なんて、帰れるわけないじゃない! しかも最下層ならボスが――」


 そこで。


 廊下の向こうから、重い足音が聞こえた。


 ずしん。


 ずしん。


 ずしん。


 リシェルの顔から血の気が引く。


 巨大な影が入口を覆った。


『セレスティア』


 三メートルを超える牛頭の巨人。


 巨大な戦斧。


 全身から漂う、上位魔族に匹敵する魔力。


 リシェルの喉が鳴った。


「ミ……ミノタウロス・ロード……?」


『ニンゲン、オキタ?』


「ええ。今しがた」


『ゴルド、メシ、デキタ』


「ありがとうございます」


『モッテクル?』


「まだ起きたばかりですし、こちらでいただきましょうか」


『ウン』


 ミノタウロスは去っていった。


 リシェルは。


 しばらく入口を見つめていた。


「……今」


「はい?」


「会話してた?」


「しましたわ」


「ミノタウロス・ロードと?」


「ええ」


「襲われないの?」


「わたくしの領民ですので」


「領民?」


「はい」


「今、領民って言った?」


「言いました」


 リシェルの理解が追いつかない。


「……あなた、何者なの?」


「元公爵令嬢です」


「それは知ってる!」


 思わず叫んだ瞬間。


 隣の寝台から呻き声がした。


「う……るせぇ……」


「ガレン!」


 横たわっていた大男が目を開く。


 ガレン。


 A級剣士。


 三人組のリーダー。


 片脚を骨折し、鎧の一部が食い込むほど脇腹を負傷していた。


 だが。


「……痛くねえ?」


 ガレンは自分の脚を触った。


 腫れが引いている。


 固定具まで施されていた。


「誰が治療を?」


「応急処置だけです」


 セレスティアが答える。


「この階層に治療専門の者がいませんでしたので、回復効果のある薬草と固定処置を。骨折自体はまだ治っていません」


「……あんたが?」


「固定したのはわたくしです。薬草を教えてくださったのはスライムの方ですわね」


「スライムの方……?」


 ガレンの顔が引きつる。


「待て。ここはどこだ」


「第百階層です」


「……寝る」


「現実逃避しないでくださいませ」


 毛布を被ろうとしたガレンを止める。


 その隣では、魔術師ノルドも目を覚ました。


 そして。


 三人揃って説明を受け。


 五分後。


「「「帰れない」」」


 三人の声が綺麗に重なった。


     ◇


「とりあえず食べてくださいませ」


 三人の前へ、温かなスープが置かれた。


 地下芋。


 茸。


 柔らかく煮込まれた肉。


 昨日ゴルドが作ったものを、負傷者向けに少し薄味へ変えてある。


 もっとも。


 三人は器を見つめたまま動かなかった。


「どうしました?」


「毒……とか」


 リシェルが警戒する。


「入れてどうするのです」


「私たち、侵入者なんだけど」


「正確には設備故障で強制的に連れてこられた被害者です」


「ダンジョンの主がそれ言うのかよ」


 ガレンが呟く。


「わたくしが壊した罠ではありませんけれど、管理を引き継いだ以上、責任まで無関係とは申しません」


 セレスティアは自然に言った。


 三人が顔を見合わせる。


 その言葉に。


 妙な引っ掛かりを覚えた。


 王国で聞いていた《悪女》の像と。


 まるで一致しない。


「冷めますわよ」


「……食うか」


 最初に匙を取ったのはガレンだった。


「ちょっと!」


「毒なら俺が先に死ぬ」


「そういう問題じゃないでしょう!」


 それでも一口。


 口に入れた瞬間。


「……うま」


 ガレンの目が丸くなる。


 もう一口。


 さらに一口。


「何だこれ」


「煮込みです」


「それは見れば分かる。なんでこんな旨いんだ」


 今度はノルドが食べる。


「……本当だ」


 最後にリシェル。


「…………おいしい」


 三人とも。


 そこからは黙った。


 第四十一階層へ到達するまで、何日も保存食ばかりだった。


 硬い干し肉。


 乾燥パン。


 水。


 それすら転移後には失っている。


 温かい料理。


 それだけで。


 涙が出そうなほど身体へ染みた。


 ガレンが器を空にする。


「おかわり、あるか?」


「ありますわ」


「……いいのか?」


「食べられる量なら」


 すぐに二杯目が来た。


 運んできたのは。


『オカワリ』


 ハイオークだった。


 ガレンの手が剣を探す。


 当然ない。


「安心してください。料理長です」


「料理長!?」


『ゴルド』


 ハイオークが名乗る。


 巨大な身体。


 傷だらけの顔。


 腰の肉切り包丁。


 どう見ても料理長より階層主である。


 しかしガレンの器へ、実に丁寧な手つきでスープを注いだ。


『ウマイ?』


「……めちゃくちゃ旨い」


 ゴルドが。


 ぱっと笑った。


『モット、タベル?』


「ああ」


『オオ!』


「ちょっと待ちなさい」


 セレスティアが止めた。


「怪我人へ食べさせすぎです。三杯まで」


「もう三杯目の予定なのかよ」


「食べられるなら元気な証拠です」


『パンモ、アル』


「パン!?」


 ノルドが食いついた。


『キョウ、ヤイタ』


「焼けましたの?」


 セレスティアまで立ち上がる。


『ウン!』


「わたくし、まだ試食していませんわ!」


『アル』


「持ってきてくださいませ」


 急に領主まで参加した。


 三人の冒険者は顔を見合わせた。


 ここが。


 本当に第百階層なのか。


 分からなくなってきた。


     ◇


「問題は、帰還方法ですわね」


 食後。


 セレスティアは三人を前に管理画面を開いていた。


 もちろん。


 彼らには画面そのものは見えない。


「最下層から地上へ直接転送する手段は?」


 ――現時点では使用不能。


「理由」


 ――地上転移門との接続が遮断されています。


「修復は?」


 ――地上側設備への接触が必要。


「では、階層を上がるしかない?」


 ――はい。


 セレスティアはため息をつく。


 第百階層から地上。


 単純に九十九階層を上ればいいという話ではない。


 各階層には魔物もいれば、罠もある。


 休憩施設など、ほとんど存在しない。


 しかも。


「三人とも、今の状態では無理ですわね」


「……だな」


 ガレンは素直に認めた。


 脚が治っていない。


 リシェルは魔力枯渇。


 ノルドも杖を失った。


「一週間?」


「最低でも」


「そんなにここにいていいの?」


 リシェルが尋ねる。


「構いません」


「でも……」


 リシェルは周囲を見た。


 寝床。


 食事。


 治療。


 どれも無料で提供されている。


「払えるもの、ないよ?」


「……払う?」


 セレスティアが止まった。


「宿代」


「宿代……」


 昨日。


 自分で口にした言葉だ。


 冒険者が泊まれる部屋。


 食堂。


 負傷者の休養場所。


 そして。


 この迷宮には。


 上へ向かう冒険者だけでなく。


 下へ潜る冒険者も来る。


「なるほど」


 セレスティアの目が変わった。


「何が?」


「宿です」


「うん」


「本当に宿にすればよろしいのですわ」


 三人は黙った。


「……ここを?」


「はい」


「百階層を?」


「ええ」


「世界最難関ダンジョンの最下層を?」


「そうですわ」


 ガレンが顔を覆った。


「発想がおかしい」


「どこがです?」


「全部だよ!」


 だがセレスティアはすでに考え始めている。


 冒険者は深層へ潜るほど消耗する。


 食料は減る。


 装備は壊れる。


 怪我をする。


 睡眠の質も落ちる。


 ならば。


「食事」


 指を一本立てる。


「宿泊」


 二本。


「治療」


 三本。


「装備修理」


 四本。


「物資補給」


 五本。


「全部ここで提供できますわね」


「待て待て待て」


 ガレンが止める。


「まずここまで来られる奴がいねえんだよ!」


「でしたら途中にも作ればよろしいでしょう?」


「何を!?」


「休憩所です」


「増やすのかよ!」


「必要なところへ」


 セレスティアは当然のように答える。


「四十階層、六十階層、八十階層あたりでしょうか。安全区画を作って食事と寝床を置けば、深層攻略の死亡率も下がります」


 ノルドが。


 何かに気づいたように顔を上げた。


「……待ってくれ」


「はい?」


「それ、本当にできたら」


 ノルドは魔術師らしく、迷宮攻略記録にも詳しかった。


「人類は八十三階層へ行ける」


 部屋が静かになった。


「何です?」


「今まで八十二階層が限界なのは、単純に敵が強いからだけじゃない」


 ノルドは説明する。


「補給が続かないんだ。七十階層を超える頃には食料も薬も消耗品も限界。帰路まで考えれば、それ以上深く潜れない」


「なるほど」


「途中で安全に休める場所があって、補給までできるなら……」


 その先。


 人類が百年以上更新できなかった記録が。


 動く。


 ガレンも理解した。


「冗談だろ」


 目の前の女は。


 処刑され。


 ダンジョン最下層へ捨てられて。


 数日もしないうちに。


 人類の迷宮攻略そのものを変えようとしている。


「セレスティア」


 リシェルが小さく呼んだ。


「何でしょう?」


「あなた、本当に国を滅ぼそうとしたの?」


 空気が止まった。


 セレスティアは一瞬だけ。


 目を伏せた。


「さあ」


「さあって」


「今さら地上で何を言われているかなど、あまり興味がありませんもの」


 それ以上は聞くな。


 そういう声音だった。


 リシェルは口を閉じる。


 だが。


 疑問は。


 消えなかった。


     ◇


 その夜。


 三人には一室ずつ部屋が与えられた。


 まだ簡素なものだ。


 石の寝台。


 地下苔と蜘蛛糸を使った寝具。


 小さな机。


 魔石灯。


 それだけ。


 だが。


「……普通の宿より寝られそう」


 リシェルは寝台へ腰を下ろした。


 第四十一階層までの野営を思えば、天国である。


 しかも。


 部屋の外には。


『ヨルメシ、デキタ』


「また!?」


 ゴルドの声。


「さっき食べたばかり!」


『ヨナカ、ハラヘル』


「私、夜勤じゃないんだけど!」


『スープ、カナリ、カルイ』


「……少しだけなら」


 負けた。


 部屋から出る。


 廊下の向こうでは。


 ガレンも。


 ノルドも。


 すでに出てきていた。


「お前ら」


「いや」


「匂いが」


 三人で食堂へ向かう。


 途中。


 巨大なケルベロスとすれ違った。


 初対面なら。


 悲鳴を上げていた。


 だが今は。


『ガウ』


「……こんばんは」


 リシェルが会釈する。


『ガウ』


 通り過ぎる。


 三歩。


 リシェルは振り返った。


「……私、ケルベロスに挨拶した」


「俺も見た」


「もう驚かねえ」


 ガレンが言う。


 食堂では。


 ミノタウロスがスープを飲んでいる。


 ゴブリンたちが明日の仕事を相談している。


 骸骨兵は食べられないのに、なぜか席へ座っている。


 そして中央で。


「夜食は一人一杯までです!」


 セレスティアが魔物たちを叱っていた。


『ニハイ』


「駄目です!」


『オオモリ』


「それは一杯に数えません!」


『ブモ……』


「そんな顔をしても駄目ですわ!」


 三人は。


 立ち止まった。


 世界最難関ダンジョン。


 最下層。


 死が待つ場所。


 誰もが。


 そう思っていた。


 なのに。


「……変な場所」


 リシェルが笑った。


 それが。


 最下層の宿。


 最初の宿泊客が口にした。


 最初の感想だった。


     ◇


 翌朝。


 セレスティアは管理画面の前に立っていた。


「宿泊料金を決めましょう」


 ――通貨設定が必要です。


「王国貨幣は使用できます?」


 ――可能。


「でしたら――」


 考える。


 高すぎれば利用できない。


 安すぎれば維持費が賄えない。


 食材。


 設備。


 寝具。


 治療。


 従業員。


 そして。


 魔物たちの給与。


「……給与」


 セレスティアの手が止まった。


 ミノタウロスを見る。


『ブモ?』


「あなたたち」


『ウン』


「お給料、いただいています?」


『キュウリョウ?』


 嫌な予感。


「働いた対価です」


『……ナイ』


 やはり。


 セレスティアは静かに目を閉じた。


 三百六十二連勤。


 休暇なし。


 食事は栄養塊。


 寝床は石床。


 そして。


 無給。


「……迷宮」


 ――はい。


「そこへ正座なさい」


 ――正座機能は存在しません。


「では給与制度を作ります」


 ――前例がありません。


「またそれですの!?」


 第百階層に。


 セレスティアの怒声が響く。


 三人の冒険者は。


 朝食のパンを齧りながら思った。


 もしかすると。


 この迷宮で一番恐ろしい存在は。


 百階層の魔物ではなく。


 あの元公爵令嬢なのではないか、と。


 そして同じ頃。


 地上では。


 三人のA級冒険者が第四十一階層で消息を絶ったという報告が。


 冒険者ギルドへ届いていた。


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