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第3話 料理長が本気を出したら、魔物たちが働かなくなりましたわ



 世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》第百階層。


 その歴史上初めてとなる食堂の建設は、思いのほか順調に進んだ。


 理由は単純である。


「石材が無料同然なのは助かりますわね」


 セレスティアが指先で管理画面を操作すると、何もなかった床から石壁がせり上がった。


 長い調理台。


 炉。


 水場。


 食材を保管するための棚。


 大人数が座れる長机と椅子。


 豪華さはないが、必要な設備は一通り揃っている。


 迷宮の魔力を利用すれば、燃料となる火も水も確保できた。


 王都なら建築許可から職人の手配まで数か月はかかる規模の工事である。


 それが半日。


「便利すぎて怖いくらいですわ」


『デキタ……』


 隣に立つハイオーク――ゴルドが呟く。


 巨体だった。


 太い腕。


 傷だらけの顔。


 口元から突き出した牙。


 腰には、戦場なら大剣と間違えられそうな巨大な肉切り包丁。


 見た目だけなら、彼が鍋の前へ立った瞬間に人間のほうが食材にされそうである。


 しかし現在。


 ゴルドは新しい厨房を見つめながら、小刻みに震えていた。


『オレノ……チュウボウ』


「ええ。今日からあなたの厨房です」


『オレノ……』


「ただし清掃と衛生管理は徹底してくださいませ」


『モチロン!』


 返事だけは誰よりも早かった。


『マイニチ、ミガク!』


「毎日でなくても汚れたら磨いてください」


『ナベモ、ミガク!』


「それはお願いします」


『ホウチョウモ!』


「刃物は磨きすぎないでくださいませ」


 先ほどまで感涙していた料理人は、すでに厨房へ頬擦りしそうな勢いだった。


 セレスティアは少し心配になった。


 とはいえ、仕事を嫌がる者へ押し付けるより何百倍もいい。


「では、最初の献立を決めましょう」


『ウン!』


 ゴルドが古びた料理帳を開く。


 昨日まで彼は、料理人でありながら第九十七階層で侵入者迎撃を担当していた。


 それでも料理を諦めきれず、休憩時間――そもそも正式な休憩時間ではなかったらしいが――に食材を調べ、調理法を書き溜めていたのだという。


 料理帳をめくる太い指は、信じられないほど慎重だった。


「まず、今ある食材を確認しましょう」


 セレスティアが管理画面へ触れる。


 食用地下茸。


 地下芋。


 魔力麦。


 地底湖で獲れる白身魚。


 岩塩。


 香草類が数種。


 さらに調べると、上層には野生化した地下牛や鳥型魔物まで存在している。


「十分ですわね」


『ニク、スコシ、ホシイ』


「狩る必要があります?」


『イヤ』


 ゴルドは首を横に振る。


『ハチジュウヨンカイ、チカウシ、フエスギ』


「増えすぎ?」


『ダレモ、タベナイ』


「……なぜ?」


『タオシテ、ソノママ』


 セレスティアの眉が動いた。


「つまり、侵入者との戦闘に巻き込まれて倒れた魔物を、そのまま放置していると?」


『ウン』


「食用可能なのに?」


『ウン』


「解体できる方がいるのに?」


 ゴルドは自分を指差す。


『オレ』


 セレスティアは額を押さえた。


「本当に、今までこの迷宮はどうやって維持されていたのです……?」


 資源はある。


 技術を持つ者もいる。


 なのに配置も流通も滅茶苦茶で、何一つ有効活用されていない。


 それどころか。


「牛を狩るために第八十四階層へ行く必要はありません」


『?』


「管理権限で物資転送は?」


 ――可能。


「でしたら食肉処理に適した個体だけこちらへ運びます。必要以上に殺してはいけません」


 ――承認。


「それと今後、食用可能な素材は各階層で記録してください。余剰分はこちらへ回します」


 ――物流規則を新規作成しますか?


「お願いします」


 目の前に新しい項目が増えた。


 セレスティアは頷く。


「これで食料問題は少し改善しますわね」


『スゴイ』


 ゴルドが感心している。


「それほどでもありません」


 王宮では毎月やっていたことだ。


 倉庫に何があり、どこで余り、どこで不足しているのか。


 それを調べ、動かす。


 ただそれだけ。


 もっとも。


「王宮では、余っている食材を別部署へ回すだけで三枚の申請書が必要でしたけれど」


『サンマイ?』


「忘れてくださいませ」


 思い出すだけで腹が立つ。


     ◇


 一時間後。


 食堂には、これまで最下層で嗅いだことのない香りが満ちていた。


『ブモ……』


 入口から覗き込んでいるのはミノタウロス・ロード。


 その足元ではケルベロスが三つの鼻をひくつかせている。


 さらに骸骨兵まで並んでいた。


 食事を必要としない彼らまで来ている。


「皆様、厨房へ入ってはいけませんよ」


『ハイ』


 返事だけはよい。


 ただし一歩も離れない。


 鍋の中では、大きめに切られた地下芋と茸、牛肉がぐつぐつと煮えていた。


 ゴルドが木匙で味を確かめる。


 岩塩。


 刻んだ香草。


 地下茸から出る濃い旨味。


 そこへ、牛骨を長時間煮込んで取った出汁。


 料理そのものは素朴だ。


 しかし。


「……いい香りですわね」


 セレスティアまでお腹が鳴りそうになった。


 考えてみれば、処刑前の最後の食事は硬いパンと薄いスープだった。


 その後は例の栄養塊を一口食べただけ。


『デキタ』


 ゴルドが器へ盛る。


 最初の一杯を差し出されたのは、セレスティアだった。


「わたくしから?」


『リョウシュ』


「料理人が最初に味を確認したほうが」


『モウ、シタ』


「そうでしたわね」


 器を受け取る。


 湯気が頬を撫でた。


 大きな肉。


 柔らかそうな芋。


 茸。


 透明に近い褐色のスープ。


 セレスティアは匙ですくい、口へ運んだ。


「……まあ」


 思わず声が出た。


 肉は柔らかい。


 地下芋はほくほくとして甘みがある。


 茸の風味も強い。


 何より、温かかった。


 腹へ落ちた瞬間、身体の芯までじんわりと温まる。


「美味しいですわ」


 ゴルドの身体が固まった。


『……ホント?』


「ええ」


『ホントニ?』


「どうして二度聞くのです」


『ダレカニ……タベテモラッタノ、ハジメテ』


 セレスティアの手が止まった。


 料理人なのに。


 一度も、自分の料理を誰かへ食べてもらったことがなかった。


「でしたら」


 セレスティアは匙を置いた。


「今日から、たくさん作ってくださいませ」


『……』


「ただし、あなたも休みます」


『エ』


「毎日三食、一人で全員分など作らせません。補助を探しますし、交代要員も育てます」


『オレ、マイニチ、ツクレル』


「駄目です」


『デモ』


「好きな仕事ほど休まなくなる方が、一番危ないのです」


 それは。


 自分にも覚えがある。


 セレスティアは少しだけ視線を逸らした。


『……リョウシュモ?』


「わたくしの話はしておりません」


『オナジ?』


「違います」


『オナジ』


「違いますわ」


 ゴルドが笑った。


 牙があるので相変わらず怖い。


 けれど。


 悪くない笑い方だった。


     ◇


「それでは、皆様どうぞ」


 食堂の長机に料理が並べられた。


 最初に座ったのはミノタウロス。


 その隣にケルベロス。


 さらに小型のゴブリンたち、リザードマン、蝙蝠型魔物など、近隣区画から匂いにつられて集まった魔物が増えている。


 誰も食事というものに慣れていなかった。


 目の前の皿を、じっと見つめている。


「冷めますわよ?」


 その一言で。


『イタダキマス!』


 誰が教えたのだろう。


 一斉に食べ始めた。


 そして。


『ブモオオオオオオ!?』


 ミノタウロスが叫んだ。


「何事ですの!?」


『ウマイ!』


「驚かせないでください!」


 ケルベロスはもっと凄かった。


 一つの器へ三つの頭を突っ込もうとして喧嘩になっている。


『ガウ!』


『ガウウ!』


『ガア!』


「三つ用意しますから争わない!」


 慌てて器を追加する。


 ゴブリンたちは一口食べたあと、無言になった。


 そのまま涙を流している。


 リザードマンは何度もゴルドへ頭を下げる。


 食べられない骸骨兵たちは。


 カタカタカタカタ。


 厨房へ向かって拍手していた。


『……』


 ゴルドは料理を作る手を止めた。


 泣いていた。


「料理長」


『ナイテナイ』


「泣いていますわ」


『ケムリ』


「煮込み料理でそれほど煙は出ません」


『ケムリ!』


「はいはい。そういうことにしておきます」


 セレスティアは小さく笑った。


 騒がしい。


 品もない。


 王宮晩餐会なら、全員即座に追い出されている。


 ミノタウロスは皿まで舐めているし。


 ケルベロスの一つの頭は他の頭の肉を盗もうとしている。


 ゴブリンは鍋のおかわりを狙って列を作り始めた。


 それなのに。


 王宮で食べたどんな晩餐より。


「美味しく感じますわね」


 誰にも聞こえない声で呟いた。


     ◇


 食後。


 事件は起きた。


「それでは夜間警戒の交代を――」


 セレスティアが言いかけると。


『……』


 誰も動かなかった。


「皆様?」


『……』


 ミノタウロスが腹を撫でている。


 ケルベロスは床へ寝転がっている。


 ゴブリンたちも長机へ突っ伏していた。


「まさか」


『オナカ、イッパイ』


「だから?」


『ネムイ』


「……」


 セレスティアは絶句した。


「食事をしたら仕事へ戻ってくださいませ!」


『キョウ、ヤスミ』


「あなたは休暇でしたわね!」


 ミノタウロスが堂々と横になる。


『リョウシュ、イッタ』


「確かに言いましたけれど!」


『キュウカ、スキナコト、スル』


「言いました!」


『ネル』


「完璧に制度を理解していますわね!?」


 しかも悪用が早い。


 ケルベロスも休暇中だ。


 三つの頭すべてが目を閉じた。


「あなたたち……」


 腹立たしい。


 しかし。


 休めと言ったのは自分だ。


 セレスティアは深く息を吐いた。


「分かりました。休暇中の方は休んで結構です」


『ブモ』


「ただし勤務日の方!」


 ゴブリンたちがびくっとする。


「食後休憩は一時間。その後は予定通り交代勤務です」


『イチジカン……ヤスンデイイ?』


「ええ」


『オオ……』


 また感動された。


「そんなことで毎回感動しないでくださいませ……」


 セレスティアは管理画面へ新しい規則を書き込む。


 食事休憩。


 一時間。


 勤務中の食事提供。


 夜勤者には別途夜食。


 書いてから。


「夜食?」


 自分で止まった。


 ゴルドを見る。


『ツクル!』


「食いつくのが早いですわ」


『ヨナカ、ハラヘル』


「分かりました。軽いものにしてください」


『スープ?』


「いいですわね」


 また一つ。


 制度が増えた。


 けれど。


 魔物たちの表情――顔が分かりにくい者も多いが――は、昨日までとは明らかに違っていた。


 疲れ切っていた。


 怯えていた。


 仕事だから戦う。


 命令だから立つ。


 それだけだった者たちが。


 今は明日の献立を話している。


 誰が夜勤かを相談している。


 休暇に何をするか考えている。


 たった一日。


 たった一食。


 それだけでも、こんなに変わる。


「……領地、ですわね」


 セレスティアは呟いた。


 王国から押し付けられた土地ではない。


 誰かに認められたわけでもない。


 けれど。


 ここで暮らす者がいるなら。


 ここを良くしていくことはできる。


 そのとき。


 管理画面が赤く点滅した。


 ――警告。


「今度は何です?」


 ――第九十九階層。


 ――侵入者を確認。


 食堂の空気が変わった。


 眠そうだった魔物たちが一斉に顔を上げる。


 ミノタウロスが立とうとした。


「あなたは休暇です」


『デモ、テキ』


「第九十九階層の担当者がいるでしょう」


 ――迎撃中。


 映像が表示される。


 そこには。


 ぼろぼろの鎧を着た三人の人間がいた。


 剣士。


 魔術師。


 そして聖職者らしき女性。


 全員が傷だらけ。


 剣士は片脚を引きずっている。


 魔術師は杖を支えにして、辛うじて立っていた。


 聖職者の女性は、ほとんど魔力が残っていないらしい。


「冒険者……?」


 セレスティアが目を細める。


 世界最難関ダンジョン。


 人類最深到達記録は第八十二階層。


 そのはずだった。


「なぜ九十九階層に?」


 ――転移罠の誤作動。


「……何ですって?」


 ――第四十一階層の転移罠故障により、対象三名を第九十九階層へ転送。


 セレスティアは固まった。


「故障した罠で、五十八階層も飛ばしましたの!?」


 ――はい。


「殺す気ですの!?」


 ――迷宮です。


「そういう問題ではありませんわ!」


 映像の中では。


 三人の冒険者が、巨大な魔物に囲まれていた。


 もう戦える状態ではない。


 逃げ道もない。


 おそらく。


 数分も保たない。


 ミノタウロスが戦斧を握った。


『ニンゲン、テキ』


 セレスティアは答えなかった。


 自分は、人間に処刑された。


 石を投げられた。


 罵声を浴びせられた。


 地上へ帰る気などない。


 だからといって。


「……迷宮」


 ――はい。


「第九十九階層へ通達」


 セレスティアは静かに命じる。


「戦闘中止です」


 魔物たちが一斉に彼女を見る。


『ニンゲン、タオサナイ?』


「今の状態では戦闘ではありません」


 セレスティアは映像を見つめた。


 倒れかけた三人。


 あれは侵略者ではない。


 迷宮側の設備不良に巻き込まれた遭難者だ。


「壊れた罠で勝手に連れてきて、弱ったところを殺すなど」


 少しだけ。


 処刑台の記憶が蘇った。


 反論も聞かず。


 逃げ道もなく。


 結論だけが決められていた。


「趣味が悪すぎますわ」


 ――戦闘中止命令を実行。


 映像の中で。


 冒険者へ飛びかかろうとしていた巨大な蜘蛛が止まった。


 リザードマンたちも武器を下げる。


 三人は何が起きたのか理解できず、呆然としていた。


「第百階層へ転送してください」


 ――侵入者です。


「承知しています」


 ――領主区画へ人間を受け入れますか?


 セレスティアは少し考えた。


 すぐ横では。


 巨大な鍋から、まだ温かなスープの香りが漂っている。


 使っていない部屋もある。


 地下苔の寝床も作れる。


「……そうですわね」


 セレスティアは微笑んだ。


「せっかく食堂を作ったのですもの」


 転送魔法陣が光り始めた。


「まずは食事を出して、それから事情を聞きましょう」


『ニンゲンニ、メシ?』


「お腹が空いている方へ食事を出すのに、種族は関係ありません」


 ゴルドが巨大な鍋を見た。


『……ツクル?』


「お願いします」


『ウン!』


 世界最難関ダンジョンの最下層。


 人類史上、誰一人として自力で到達したことのない場所。


 そこで間もなく三人の冒険者は目を覚ます。


 魔王でも。


 伝説の怪物でも。


 絶望的な最終決戦でもなく。


 最初に彼らを待っているものは。


 温かなスープと。


 寝床と。


 そして――。


「重傷者には宿泊料金を請求してはいけませんわよ?」


『シュクハク……リョウキン?』


「あら」


 セレスティアは自分で口にした言葉に、ふと動きを止めた。


「そういえば」


 冒険者が泊まれる部屋を作ったら。


 ここは。


「宿にもできますわね?」


 迷宮の歴史が。


 また少しだけ、おかしな方向へ動き始めた。


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