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第2話 最下層に、まず休憩室を作りますわ



「それでは最初に、皆様のお住まいを確認いたしますわ」


 世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》第百階層。


 その管理権を得てから、まだ一時間も経っていない。


 処刑されたはずの元公爵令嬢セレスティアは、すでに完全に仕事の顔になっていた。


『ス、スマイ……?』


 ミノタウロス・ロードが首を傾げる。


「寝る場所です」


『ココ』


 指差されたのは、さっきまで彼が寝転がっていた石床だった。


 セレスティアは黙った。


「……寝床は?」


『ココ』


「藁などは?」


『ナイ』


「毛布」


『ナイ』


「枕」


『マクラ?』


 知らなかった。


 セレスティアは額を押さえた。


「まさかとは思いますけれど、ケルベロスも?」


『ガウ』


 三つの頭が揃って石床を見る。


「骸骨兵の皆様は……」


 彼らは壁際を指差した。


 そこには木箱がいくつか置かれている。


「なるほど。皆様にはきちんと箱が――」


 セレスティアが少し安心したところで、骸骨兵の一体が箱の中へ入った。


 膝を抱える。


 蓋を閉める。


 沈黙。


「収納ですわね!?」


 慌てて蓋を開けた。


 骸骨兵が何事もなかったかのようにこちらを見る。


「どうして箱で寝ていますの!」


 カタカタ。


「落ち着く?」


 カタカタ。


「そういう問題ではありませんわ!」


 これまでセレスティアは、王領の貧民街や辺境の宿舎を視察したこともある。


 劣悪な環境というものを、知らないわけではない。


 だが。


 ここは次元が違った。


 住居なし。


 寝具なし。


 食堂なし。


 休憩室なし。


 医務室なし。


 しかも連日勤務。


「よく反乱が起きませんでしたわね……」


『ハンラン?』


「いえ、何でもありません」


 魔物には迷宮へ逆らうという発想自体がなかったのかもしれない。


 セレスティアは視界へ管理画面を呼び出した。


 迷宮資源。


 保有魔力。


 採掘可能鉱物。


 使用可能設備。


「思ったより、資源自体はありますのね」


 食料は乏しい。


 木材もほとんどない。


 だが石材と鉱石、それに魔力だけなら豊富だった。


 さらに第百階層には、未使用の空間が大量に存在している。


 セレスティアは一つずつ確認する。


「この部屋は?」


 ――旧迎撃準備室。


「現在は?」


 ――未使用。


「では休憩室にします」


 ――用途変更を申請。


 ――警告。迎撃関連設備です。


「使っていないのでしょう?」


 ――はい。


「でしたら問題ありませんわ」


 承認。


 壁面の魔法陣が淡く光った。


 重い音を立て、巨大な石扉が開く。


『オオ……』


 魔物たちが覗き込んだ。


 部屋は広い。


 ただし、中身は空っぽだった。


「ここなら十分ですわね」


 セレスティアは中へ入る。


 床を確認。


 壁を確認。


 天井を見る。


「まず寝台が必要ですが……木材は不足。でしたら石を加工しましょう」


『イシ、デ、ネル?』


「そのままではありません」


 迷宮の加工機能を開く。


 どうやら一定の魔力を消費すれば、石材をかなり自由な形へ変形できるらしい。


「便利ですわね、これ」


 試しに長方形の台を一つ作る。


 床から石が盛り上がり、滑らかな寝台の形になった。


『オオオ……』


「問題は上に敷くものですわ」


 布がない。


 そこでセレスティアは魔物一覧を見る。


 巨大蜘蛛型魔物。


 粘液型魔物。


 植物型魔物。


 かなり種類がいる。


「蜘蛛糸は布にできますし、地下苔を乾燥させれば詰め物にも使えそうですわね」


『クモ……タオス?』


「いいえ?」


 ミノタウロスが戦斧へ手を伸ばしたので、止める。


「交渉いたします」


『コウショウ』


「こちらだけ材料をいただくのは駄目です。その代わり、必要なものを渡します」


『マモノ、ト……コウショウ?』


「同じ迷宮で働いているのでしょう?」


『ウン』


「でしたら同僚ではありませんか」


 ミノタウロスが固まった。


『ドウリョウ……』


「違いますの?」


『……ワカラナイ』


 彼は長い間考え込んだ。


 どうやらその概念もなかったらしい。


 セレスティアはまた一つ、頭の中の改善項目を増やした。


 部署間交流。


 情報共有。


 物資交換。


 やることが多い。


 だが、不思議と嫌ではない。


 王宮では、改善策を一つ通すために十人へ根回しし、三人に頭を下げ、二人の機嫌を取り、最後には功績だけ別の誰かへ持っていかれた。


 ここでは少なくとも。


「休憩室を作ります」


『オオ!』


 それだけで喜んでもらえる。


 悪くない職場だった。


     ◇


 二時間後。


『ブモオ……』


 ミノタウロス・ロードが、石造りの寝台へ横たわっていた。


 その上には、地下苔を詰めた簡易寝具が敷かれている。


 まだ布がないため、巨大な葉を何枚も重ねた仮用品だ。


「いかがです?」


『ヤワラカイ……』


「そうでしょう」


『セナカ、イタクナイ……』


「当然ですわ」


 横ではケルベロスが、三つの頭をそれぞれ別方向へ向けながら寝転がっている。


 先ほどまで警戒していたのが嘘のようだった。


 骸骨兵にも専用の場所を作った。


 もっとも。


「どうして結局箱なのです?」


 石の寝台を用意したのに、骸骨兵たちは箱型の寝床を希望した。


 ただし以前より大きい。


 蓋には通気孔がある。


 内部には地下苔。


 本人たちは非常に満足そうだった。


「まあ……本人が快適なら、よろしいのでしょうけれど」


 セレスティアは認めることにした。


 生活様式まで一方的に変えるのは、改善ではない。


 単なる押し付けだ。


 それくらいは分かっている。


「さて」


 次は食事。


 そう思ったところで。


 ぐううううううううう。


 地響きのような音が響いた。


 セレスティアが振り返る。


 ミノタウロスが腹を押さえていた。


『……ブモ』


「お腹が空きましたのね」


『スコシ』


 絶対に少しではない。


「普段は何を食べているのです?」


『コレ』


 差し出されたのは、黒い塊だった。


 セレスティアは受け取る。


 硬い。


 匂いはほとんどない。


「……これは?」


 ――標準魔力栄養塊。


 管理画面が答えた。


 ――生命活動維持用。


「美味しいのですか?」


 ミノタウロスが黙った。


 ケルベロスも目を逸らした。


 骸骨兵たちは食べないので関係ないらしい。


「食べてみますわ」


『エッ』


 止められるより早く、一口かじる。


「…………」


 味がない。


 いや。


 正確には。


 濡れた土を乾かして固めたような味がした。


 しかも硬い。


 飲み込むのにも苦労する。


 セレスティアは無言で残りを置いた。


「これを毎日?」


『ウン』


「三百六十二日?」


『ウン』


「休日なしで?」


『ウン』


 セレスティアは目を閉じた。


 王宮でも腹立たしいことは山ほどあった。


 だがこれは。


 別種の怒りが湧いてくる。


「食堂も作りますわ」


『ショクドウ』


「温かいものを食べる場所です」


『アタタカイ……』


 ミノタウロスの目が輝く。


「ただし食材が必要ですわね」


 迷宮内部を確認する。


 食用茸。


 地下芋。


 魔力麦。


 地底湖には魚までいる。


「あるではありませんの」


 問題は誰も調理していないことだ。


 素材がそのまま放置されている。


「厨房を作りましょう」


 ――用途変更可能区画を検索。


「それから調理が得意な方を探してください」


 ――該当個体を検索。


 一覧が流れる。


 セレスティアの目が止まった。


「オーク……料理人?」


 ――個体名:ゴルド。


 ――種族:ハイオーク。


 ――現在配置:第九十七階層。


 ――担当:侵入者迎撃。


 ――保有技能:《解体》《調理》《燻製》《発酵》。


「なぜ料理人を迎撃に使っていますの!?」


 思わず叫んだ。


 迷宮から返答はない。


「配置換えです!」


 ――第九十七階層の戦力が低下します。


「代わりを送ります!」


 ――候補を検索。


 一覧を見る。


 戦闘特化個体。


 防御特化個体。


 罠操作特化個体。


「こちらの方のほうが明らかに向いていますでしょう!」


 ――従来配置を優先しています。


「従来配置が間違っていると申し上げていますの!」


 また一つ仕事が増えた。


 全階層の人員配置見直し。


 セレスティアはこめかみを押さえた。


 世界最難関ダンジョン。


 その恐ろしさは、おそらく本物だ。


 だが管理体制は。


「無茶苦茶ですわね……」


『セレスティア』


 ミノタウロスが呼んだ。


「はい?」


『ムリ、スル?』


「……え?」


『セレスティア、ヤスム?』


 思いもしない言葉だった。


 彼は自分の新しい寝床を指差す。


『ココ、ツカウ?』


 セレスティアは目を瞬いた。


 今まで。


 自分が誰かを休ませることは、何度もあった。


 侍女にも。


 騎士にも。


 使用人にも。


 役人にも。


 けれど。


 自分へ「休むか」と尋ねた者が、最後に誰だったか。


 思い出せない。


「わたくしは大丈夫です」


 いつもの癖で答えた。


『ダメ』


「え?」


『サッキ、セレスティア、イッタ』


 ミノタウロスは真剣な顔だった。


『ツカレタラ、ヤスム』


「……」


『リョウシュ、ヤスマナイ?』


 セレスティアは言葉を失った。


 ケルベロスまで寄ってきた。


 三つの鼻先で、セレスティアの背中を押す。


「ちょ、ちょっと待ってくださいませ」


『ガウ』


「まだ食堂の設計が」


『ガウ』


「配置換えも」


『ガウ!』


「分かりました! 分かりましたから押さないで!」


 そのまま休憩室へ連れていかれる。


 寝床へ座らされた。


 ミノタウロスが満足そうに頷く。


『ヤスム』


「……三十分だけですわよ?」


『ウン』


「三十分経ったら起こしてくださいませ」


『ウン』


 セレスティアは横になる。


 地下苔の寝床。


 公爵家で使っていた羽毛の寝具とは比べものにならないほど粗末だ。


 それなのに。


「……不思議ですわね」


 とても落ち着く。


『ナニ?』


「何でもありません」


 目を閉じる。


 処刑台から落とされ。


 世界最難関ダンジョンの最下層へ送られ。


 魔物たちの領主になった。


 普通なら最悪の一日だろう。


 なのに。


 今日は、久しぶりに。


 自分へ「休め」と言ってくれる者がいた。


 セレスティアの口元が、ほんの少し緩む。


「三十分ですからね……」


『ウン』


     ◇


 三時間後。


 セレスティアは飛び起きた。


「三十分と言いましたわよね!?」


『ヨク、ネテタ』


「起こしてくださいませ!」


『ヤスム、ダイジ』


「それはわたくしが言った言葉でしょう!」


 ミノタウロスは胸を張った。


『オボエタ』


「覚えるのが早すぎますわ!」


 ケルベロスまで尻尾を振っている。


 骸骨兵たちはカタカタと拍手していた。


 セレスティアは頭を抱えた。


 領地改革初日。


 予定は早くも三時間遅れた。


 けれど。


 怒っているはずなのに、どうしてか笑いが込み上げてくる。


「……仕方ありませんわね」


 セレスティアは立ち上がった。


「では、食堂を作りましょう」


『ブモ!』


『ガウ!』


 その瞬間。


 管理画面に、新しい表示が現れた。


 ――第九十七階層より、配置変更対象個体が到着。


 巨大な転送魔法陣が光る。


 現れたのは。


 二メートルを超える巨体。


 分厚い腕。


 鋭い牙。


 歴戦の戦士を思わせる傷だらけの顔。


 腰には巨大な肉切り包丁。


 どう見ても恐ろしいオークだった。


 だが。


『……』


 彼はセレスティアを見るなり。


 両手で大切そうに、一冊の古びた本を差し出した。


「これは?」


『……レシピ』


 ぼそりと言った。


『ズット、リョウリ、シタカッタ』


 セレスティアは本を見る。


 何百枚もの紙。


 びっしりと書かれた料理の記録。


 材料。


 火加減。


 切り方。


 味付け。


 それを見た瞬間。


 セレスティアは確信した。


「あなた」


『ウン』


「今日から料理長ですわ」


 ハイオークの目から。


 ぼろぼろと涙がこぼれた。


 こうして世界最難関ダンジョンの最下層に。


 休憩室に続く、二つ目の施設が作られることになった。


 後に冒険者たちが、


 ――あの料理を食べるためなら九十九階層くらい越える。


 などと言い始める。


 伝説の食堂である。


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