第1話 処刑されたので、最下層を領地にしますわ
# 第1話 処刑されたので、最下層を領地にしますわ
「最後に言い残すことはあるか、セレスティア」
王都中央広場に設けられた処刑台の上で、そんなことを尋ねられた。
随分と今さらな質問だ、とセレスティアは思う。
かつて公爵令嬢だった彼女の両手には、重い枷が嵌められている。
眼下には数え切れないほどの群衆。
その向こうには、自分との婚約を破棄した王太子と、彼に寄り添う聖女の姿もあった。
罪状は国家転覆未遂。
聖女への暗殺教唆。
禁制魔術の使用。
その他、細々としたものを合わせれば羊皮紙三枚分にもなるらしい。
もちろん、セレスティアには身に覚えがない。
だが、もうどうでもよかった。
「そうですわね」
セレスティアは少し考えた。
泣いて命乞いをするべきだろうか。
自分を陥れた者たちを呪うべきだろうか。
真犯人の名を叫び、最後まで無実を訴えるべきだろうか。
どれも、ひどく面倒だった。
十四歳で王太子の婚約者となって以来、朝から晩まで礼法を学び、領地経営を学び、外交を学び、王家の行事を取り仕切り、赤字だった慈善院の帳簿を立て直し、王宮使用人の勤務体系まで改善した。
婚約者から感謝された記憶はほとんどない。
それでも将来王家へ嫁ぐ者の義務だと思って働いた。
そして最後にいただいた報酬が、これである。
「特にはありませんわ」
群衆がざわめいた。
「……命が惜しくないのか?」
「惜しいですわよ?」
セレスティアは首を傾げた。
「ですが、皆様がわたくしを殺したくて仕方ないのでしょう? でしたら、これ以上残業する理由もございませんもの」
「ざ、残業……?」
処刑人が困惑する。
「失礼。こちらの話ですわ」
セレスティアは静かに目を閉じた。
通常、王国で貴族を処刑する場合は斬首刑となる。
だが国家転覆に関わる大罪人だけは違った。
使われるのは《奈落刑》。
王国領内に存在する世界最難関ダンジョン――《終焉迷宮アビス》。
現在確認されている最深到達記録は、第八十二階層。
その遥か下、魔力反応だけが観測されている最下層へ、罪人を強制転送する。
帰還者は、建国以来一人もいない。
ゆえにそれは、死刑と同じだった。
「刑を執行する!」
足元に巨大な魔法陣が広がった。
歓声が上がる。
誰かが「悪女め!」と叫んだ。
誰かが石を投げた。
それがセレスティアへ届くより先に、視界が白く染まった。
最後に彼女が思ったのは、復讐でも後悔でもなかった。
――ああ。
――明日の朝は、起きなくてよろしいのですね。
それだけだった。
◇
「……硬いですわ」
背中が痛い。
死後の世界というものは、もう少し柔らかな場所だと思っていた。
セレスティアはゆっくりと目を開けた。
頭上には、天井があった。
ただし王宮のような華美な天井ではない。
巨大な黒い岩盤だ。
ところどころを青白い結晶が照らし、洞窟とは思えないほど広大な空間を淡く染めている。
「生きていますの?」
自分の頬をつねる。
「痛いですわね」
どうやら生きている。
手枷も消えていた。
代わりに、処刑台で着せられていた粗末な白い囚人服だけが残っている。
セレスティアは立ち上がり、周囲を見渡した。
恐ろしく広い。
王宮の大広間が丸ごと十個は入りそうだった。
奥には巨大な扉がある。
壁面には複雑な魔法陣。
床には巨大な爪痕。
そして自分のすぐ横には――。
「……まあ」
巨大な魔物が倒れていた。
牛の頭を持つ巨人。
身長は三メートルを優に超えている。
手にしている戦斧だけで、セレスティアの身長ほどあった。
その巨体が、ぴくりとも動かない。
死んでいるのかと思った。
だが、耳を澄ませると。
「ぐごおおおお……」
「寝ていますのね」
豪快ないびきだった。
さらに奥では、三つ首の巨大な黒狼が腹を見せて眠っている。
天井付近の梁には、人間ほどもある蝙蝠型の魔物が逆さにぶら下がっていた。
岩陰には鎧を着込んだ骸骨兵が座り込み、そのまま動かない。
どう見ても、世界最難関ダンジョンの最下層だった。
なのだが。
セレスティアは眉を寄せた。
「皆様、ずいぶんお疲れですわね……?」
牛頭の巨人の目の下には、くっきりと隈がある。
三つ首の狼の毛並みも荒れていた。
骸骨兵に至っては骨しかないのに、なぜか疲労感が漂っている。
そのとき。
――領主候補を確認。
「?」
声が聞こえた。
人の声ではない。
頭の内側へ直接響いてくる、感情の薄い声。
――適性を照合。
――領地運営。
――人員配置。
――設備管理。
――資源配分。
――危機対応。
――労務管理。
――適性、一致。
セレスティアはしばらく黙った。
「最後だけ妙に心当たりがありますわ」
王宮で一番働いていたのは自分だったが、一番他人を休ませていたのも自分だった。
連続勤務していた侍女を強制的に休暇へ送り、厨房の交代制を整え、騎士団では深夜警備の翌朝に訓練を入れないよう規則まで作った。
そのたびに「昔からこうだった」と反対された。
昔から間違っているなら、昔から直せばよろしいでしょう。
そう言い続けた結果、敵も随分増えた。
――固有権能《迷宮領主権》を付与。
「領主?」
――最下層第百階層の管理権限を移譲。
――現状を確認しますか?
「お願いしますわ」
視界の前に、淡い光が浮かぶ。
そこに次々と文字が並んでいった。
セレスティアは読む。
そして。
もう一度読む。
「……酷いですわね」
思わず本音が漏れた。
施設損耗率、六十二パーセント。
罠設備、四十八基故障。
居住区画、未整備。
食料供給、魔力による最低量のみ。
休養設備、なし。
医療設備、なし。
そして魔物の勤務記録。
「三百六十二日連続勤務?」
間違いかと思った。
違った。
牛頭の巨人――ミノタウロス・ロードは、この階層へ配置されてから三百六十二日間、休暇ゼロ。
三つ首の魔狼、ケルベロスも二百九十八日。
骸骨兵たちは休息という概念すら勤務規定に存在していない。
「これは……」
セレスティアの眉間に皺が寄る。
「駄目ですわ」
ぴしゃりと言った。
その声で、牛頭の巨人が飛び起きた。
「ブモッ!?」
三つの狼頭も同時に跳ね上がる。
「ガウッ!?」
骸骨兵たちは慌てて立ち上がり、剣を構えた。
直後、彼らはセレスティアを見て固まった。
人間。
それも丸腰。
本来なら即座に襲いかかってもおかしくない。
だが、《迷宮領主権》を得た瞬間から、セレスティアには彼らの感情がぼんやりと伝わるようになっていた。
敵意よりも先に流れてきたもの。
それは恐怖だった。
――また戦わされる。
セレスティアは目を細めた。
「武器を下ろしてくださいませ」
魔物たちが顔を見合わせる。
「本日の業務は終了です」
動かない。
「聞こえませんでした?」
ミノタウロスが、おそるおそる口を開いた。
『ニンゲン……タオサナイ……?』
「あら。お話しできますのね」
『タオサナイ、ト……シゴト……オワラナイ』
「終わりますわ」
即答した。
『……ブモ?』
「侵入者もいないのに、なぜ全員で待機しているのです?」
『イツ、クルカ……ワカラナイ』
「交代制にすればよろしいでしょう」
『コウタイ……?』
「それに三百六十二日連続勤務など論外です」
セレスティアは迷宮の表示へ手を伸ばした。
どう操作するのかは、不思議と理解できた。
魔物配置。
警戒範囲。
勤務時間。
休息設定。
そこへ新たな項目を作る。
《休日》。
赤い警告が表示された。
――警告。戦力稼働率が低下します。
「構いません」
――攻略者侵入時の迎撃能力が低下する可能性があります。
「疲労困憊の者を常時立たせるほうが、よほど戦力が落ちますわ」
――前例がありません。
「でしたら、わたくしが前例になります」
警告を消した。
「ミノタウロス・ロード」
『ブ、ブモ』
「あなたは三日間休暇です」
『…………』
「ケルベロスは二日。骸骨兵の皆様は四班に分けます。夜間警戒は一班だけで十分でしょう」
魔物たちは動かなかった。
「どうしました?」
『キュウカ……ナニスル?』
セレスティアは言葉に詰まった。
そこからか。
「好きなことをしてよろしいのです」
『スキナ、コト』
「寝てもよろしいですし、食べてもよろしいですし、散歩をしても構いません。仕事をしない日です」
ミノタウロスが震え始めた。
怒ったのかと思った。
違った。
『シゴト……シナクテ、イイ……?』
「はい」
『タタカワナクテ、イイ……?』
「はい」
『ネテテ、イイ……?』
「むしろ寝てくださいませ」
巨大な牛頭の魔物の目から、大粒の涙がこぼれた。
「えっ」
『ブモオオオオオオオオオオオオッ!』
「ちょ、ちょっと!?」
号泣だった。
ケルベロスまで三つの頭全部で遠吠えを始める。
骸骨兵たちは剣を床へ置き、カタカタと顎を震わせながら拍手らしき動きをしている。
「そんなにですの……?」
三百六十二連勤。
どうやら、そんなにだったらしい。
セレスティアは小さく息を吐いた。
そして改めて、荒れ果てた最下層を見渡した。
壁は崩れている。
休憩所もない。
寝床もない。
食事も最低限。
設備の半分近くは故障。
これでは領地というより、放置された砦である。
だが、不思議と嫌ではなかった。
王宮では、何かを直そうとするたびに誰かが邪魔をした。
身分。
派閥。
伝統。
面子。
古い慣習。
ここには、そんなものはない。
いるのは疲れ切った住民たちと、壊れた設備だけ。
「……悪くありませんわね」
セレスティアは微笑んだ。
すると、再び迷宮の声が響いた。
――確認。
――地上帰還経路を検索しますか?
セレスティアの表情が止まる。
「地上へ?」
王宮。
王太子。
聖女。
自分を悪女と呼んだ貴族たち。
石を投げた群衆。
終わらない社交。
終わらない政務。
終わらない陰謀。
そして最後には処刑台。
対して、こちらには。
泣きながら休日を喜んでいる牛頭の巨人がいた。
三つの頭を寄せ合って、もう寝る相談を始めている魔狼がいた。
拍手をやめない骸骨たちがいた。
セレスティアは一秒も迷わなかった。
「結構ですわ」
――検索を中止しますか?
「ええ」
彼女は囚人服の裾を払い、胸を張った。
「わたくしを処刑した地上へ、わざわざ戻る理由がございませんもの」
そして荒れ果てた世界最難関ダンジョンの最下層を見渡す。
「ここを、わたくしの領地にしますわ」
魔物たちが静まり返った。
セレスティアは指を一本立てる。
「まず全員に休日を」
二本目。
「次に食堂を」
三本目。
「寝床と浴場も必要ですわね」
『ヨクジョウ……?』
「身体を温める場所です。温泉が湧くなら、なお結構」
迷宮情報を確認すると、地下熱源の表示があった。
セレスティアの口元が上がる。
「まあ。本当に作れそうですわ」
ミノタウロスたちがざわめく。
「安心してくださいませ」
かつて悪女と呼ばれ、国から捨てられた令嬢は、人生で初めて心から楽しそうに笑った。
「働きやすく、暮らしやすく、できれば美味しいものも食べられる場所にいたしましょう」
その日。
世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》第百階層に、一つの領地が誕生した。
まだ誰も知らない。
後にそこが、魔物たちからは楽園と呼ばれ。
冒険者たちからは、
――命懸けでも泊まりたい宿。
と呼ばれるようになることを。
そして。
処刑された悪役令嬢が地上へ戻るどころか、世界中の人間を地下へ呼び寄せてしまうことを。




