第20話 三百年ぶりに、地上へ信号を送りましたわ
第九十四階層の旧管理施設へ戻ると、昨日まで何の変哲もないと思っていた建物が、まるで別物に見えた。
古びた机や棚、崩れかけた壁の向こうに、三百年以上前の管理設備が眠っている。
そして、そのどこかに地上へ続く転移網の中継核がある。
「地下への入口らしいものは?」
セレスティアが尋ねると、先に待っていたモフルたちが揃って首を横へ振った。
『シラナイ』
「この建物で暮らしていたのに?」
『ウエ、ダケ』
「地下があること自体、知らなかったのですね」
モフルの一体が床を指差した。
『カタイ』
「床が?」
『ホレナイ』
バルガがすぐにしゃがみ込み、石床へ拳の背を軽く当てた。場所を変えながら何度か叩き、その音を確かめている。
『ココ、チガウ』
「分かりますの?」
『ウン。シタ、クウドウ』
ガレンが感心したように眉を上げた。
「鍛冶師ってそんなことまで分かるのか?」
『カジ、ユカ、ワルイ、コマル』
「なるほど……経験か」
バルガが示したのは、部屋の奥に置かれた大きな書棚の前だった。
見た目には普通の床と変わらない。だが、セレスティアが旧管理者の認証板を近づけた瞬間、金属板に刻まれていた魔法陣が淡く発光した。
同時に、床の一部にも同じ形の光が浮かび上がる。
「ありましたわね」
ノルドが身を屈め、床へ触れた。
「物理的に隠してるんじゃない。認証がないと入口自体が表に出ない仕組みだ」
「では開けます」
「ちょっと待て」
ガレンが反射的に止める。
「何です?」
「三百年開いてない地下だろ。いきなり開けて毒ガスでも出てきたらどうする」
セレスティアは一瞬黙り、それから素直に手を引いた。
「……その可能性を忘れていましたわ」
「珍しく止まったな」
「止めていただいたのだから止まります!」
まず周囲の換気経路を確認し、モフルたちには少し離れてもらう。ノルドが風魔術の準備を整え、リシェルも状態異常に備えて浄化魔術を使えるよう杖を構えた。
そこまでしてから、改めて認証板を床へかざす。
低い振動音とともに、石床が左右へゆっくり割れた。
下から上がってきたのは、湿った空気と古い金属の匂いだった。
「毒性はなさそうだ」
ノルドが確認してから、ガレンが階段の先を覗き込む。
「真っ暗だな」
「照明は?」
セレスティアが管理画面へ問いかける。
――旧設備。現管理権限による限定起動が可能。
「でしたらお願いします」
しばらくして。
階段の壁。
一つ。
その先にもう一つ。
青白い魔導灯が、長い眠りから目覚めるように順番に点灯していった。
地下へ続く道が、ゆっくりと姿を現した。
◇
階段を降りた先には、地上の建物からは想像できないほど広い通路が延びていた。
壁は滑らかな黒石で補強され、そのところどころに古い魔法陣が刻まれている。床には細い銀色の線が走り、それが奥へ向かって何本も収束していた。
ノルドはそれを見るなり足を止めた。
「これ、全部魔力導線だ」
「今も使えますの?」
「一部は。完全には死んでない」
「三百年以上放置されても?」
「迷宮そのものから魔力供給を受けてるならあり得る。むしろ、定期整備なしでここまで残ってるほうが異常だ」
セレスティアは壁へ触れながら歩く。
ルーファスも、この通路を何度も通ったのだろう。
第百階層。
第九十四階層。
第八十七階層。
さらに上へ。
各地を繋ぐ管理網を使いながら、一人で全部を見ようとした。
移動時間を短くする仕組みまであったからこそ、彼はなおさら自分一人で何とかできると思ってしまったのかもしれない。
「便利な仕組みも、使い方次第ですわね」
「急にどうした?」
ガレンが聞く。
「ルーファス様も、この転移網があったから全部の階層へ自分で行けたのでしょう」
「ああ」
「便利になった分だけ仕事を増やしていたなら、少し他人事ではありませんわ」
リシェルが思わず笑った。
「セレスティア、ちゃんと反省を活かしてる」
「笑うところではありません」
「だって前だったら『これで一日三階層回れますわ』って言ってそう」
「……」
セレスティアは返事をしなかった。
「言ってたね」
「今は言いません!」
言わない。
少なくとも。
たぶん。
◇
通路の最奥には、巨大な円形の部屋があった。
中央には直径十メートルほどの魔法陣。
その周囲を囲むように八本の石柱が立ち、壁には複数の操作盤が並んでいる。
ただし、その大半は暗い。
一部は亀裂が入り、床へ崩れ落ちた部品もあった。
バルガは部屋へ入るなり真っ直ぐ装置へ向かった。
『コワレテル』
「やはり?」
『デモ、ゼンブジャナイ』
太い指で一つずつ確認していく。
ノルドも反対側から魔力回路を調べ始めた。
「中継核そのものは生きてる。外側の制御装置が何ヶ所か死んでるな」
「直せます?」
『ヤル』
バルガが即答する。
「どれくらいで?」
『……』
考えた。
『ニジカン』
セレスティアが目を丸くする。
「そんなに早く?」
『カジバヨリ、カンタン』
「これが?」
ノルドが苦笑した。
「本人がそう言うなら任せたほうがいい。俺にはどこが簡単なのか分からない」
バルガはすでに道具袋を開いていた。
昔なら戦闘しかさせてもらえなかったハイオークが、三百年前の管理設備を修理している。
セレスティアはその姿を見て、何となく嬉しくなった。
「ではお願いします。ただし」
『ネル』
「まだ何も言っていません」
『ムリシナイ』
「分かっているではありませんの」
『マエ、イワレタ』
「覚えていて結構です」
バルガは少し誇らしそうに胸を張り、作業へ戻った。
◇
待っているあいだ、セレスティアたちはゴルドが持たせてくれた弁当を広げることにした。
中身は魔力麦のパンに燻製肉、茸の炒め物、それから薄く切った月雫果がほんの少し。
「これ入れて大丈夫なんですの?」
セレスティアが果実を見て眉を寄せると、リシェルが一切れ口へ入れた。
「おいしい」
「そういう問題ではありません」
「でもモフルたちは普通に食べてるんだよね」
「だからといって地上価格を考えれば、弁当に入れる食材ではないでしょう」
ノルドも一口食べ、少し驚いたように目を見開く。
「確かに魔力が戻る。薬にするよりずっと弱いけど、食材としてでも十分効果あるぞ」
「でしたら、なおさら利用量を管理しないと」
ガレンがパンを齧りながら笑う。
「もう商売の顔してる」
「資源管理の顔です!」
「同じようなもんだろ」
「違いますわ!」
そこで、ミノタウロスがセレスティアの弁当へ視線を向けた。
『ニク、ノコス?』
「残しません」
『ヒトクチ』
「駄目です」
『コウショウ』
「しません!」
ミノタウロスは諦めきれない顔をしていたが、自分の弁当箱にはセレスティアの二倍以上の肉が入っている。
それでも欲しがるのだから、もはや量の問題ではないらしい。
そんなやり取りをしているうちに、地下施設の緊張感も少し和らいだ。
◇
二時間後。
バルガが最後の金属板を所定の位置へ戻すと、円形の部屋全体に低い駆動音が響いた。
一度。
二度。
そして、中央の魔法陣を囲む石柱へ順番に光が灯っていく。
ノルドが操作盤を見る。
「中継核、起動した」
「地上との接続は?」
「まだだ。今は九十四階層側だけ」
セレスティアが認証板を中央の台へ置く。
管理画面が即座に反応した。
――第九十四中継核を確認。
――旧管理網への限定接続を開始。
――接続可能地点を探索。
しばらく。
表示が変わらない。
誰も口を開かなかった。
やがて。
――第百階層:接続可能。
「ネスト!」
リシェルが声を上げる。
さらに。
――第八十七階層:応答なし。
――地上第一管理所:応答なし。
期待しただけに、ガレンの表情が少し曇った。
「やっぱり地上は駄目か」
「まだ非常信号を試しておりません」
セレスティアは旧記録の手順を思い出し、管理画面から緊急通信項目を開いた。
そこには。
――地上側への非常接続要求。
という項目がある。
選択すると警告が出た。
――外部設備へ管理信号を送信します。
――地上側に現管理者の存在が認識される可能性があります。
セレスティアの指が止まった。
「どうした?」
ガレンが尋ねる。
「地上へ信号を送れば、こちらの存在に気づかれる可能性があるそうです」
三人の表情が変わった。
それは。
単純な設備試験ではない。
今まで。
地上はセレスティアが生きていることを知らない。
三人の冒険者が第百階層で保護されていることも。
魔物たちが町を作っていることも。
すべて。
知らない。
この信号を送れば。
その最初の扉を。
こちらから叩くことになる。
「嫌なら」
リシェルが静かに言った。
「送らなくてもいいよ」
セレスティアは彼女を見る。
「私たちは、別の方法で帰れるかもしれない。時間はかかるけど」
ガレンも頷いた。
「俺たちのために無理して地上へ知らせる必要はねえ」
ノルドも何も急かさなかった。
セレスティアは。
少しだけ。
目を閉じた。
断頭台。
群衆。
王太子。
聖女。
悪女。
罪人。
あの日の声を。
今でも覚えている。
地上へ自分の存在を知らせることには、やはり抵抗があった。
けれど。
今の自分には。
帰る場所がある。
地上でどう言われようと。
戻る場所は。
ここだ。
「送ります」
セレスティアは目を開いた。
「本当にいいの?」
「ええ」
リシェルへ向かって。
穏やかに笑う。
「皆様を事故でこちらへ落としたのは迷宮側の不備です。ならば帰れる道を用意するところまで、こちらの責任でしょう」
「でも」
「それに」
セレスティアは管理画面へ視線を戻した。
「いずれ、地上とは取引するつもりですもの」
リーネの布。
月雫果。
氷魔石。
鍛冶品。
料理。
宿。
温泉。
こちらには。
売れるものが。
もう随分増えた。
「隠れて暮らすために領地を作っているわけではありません。わたくしが地上へ戻るつもりがないだけです」
そして。
非常接続要求へ指を触れた。
「向こうがどう思うかは、向こうの自由ですわ」
一瞬。
間を置き。
「こちらへ入れるかどうかを決めるのは、わたくしたちですけれど」
ガレンが少し笑った。
「やっぱり悪女っぽいな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
――非常信号、送信。
魔法陣が。
強く輝いた。
◇
光は地下施設だけに留まらなかった。
第九十四階層。
第九十六階層。
第九十八階層。
そして。
第百階層。
迷宮の深部に眠っていた古い魔力導線が、三百年ぶりに一斉に脈動する。
領都の役所でも。
突然。
壁の一部が光った。
『ナニ!?』
受付ゴブリンが驚き。
食堂ではゴルドが鍋を守り。
温泉では骸骨兵が一体、驚いて湯船の中でばらばらになった。
だが。
もっと遠く。
人類最深到達記録より。
遥か上。
《終焉迷宮アビス》の地上入口。
冒険者ギルド管理棟。
普段は誰も立ち入らない地下倉庫の。
さらに奥。
三百年以上。
一度も光らなかった古い石扉が。
淡く。
青白く光った。
◇
「支部長!」
地上。
冒険者ギルド。
深層探索部門の執務室へ、一人の職員が飛び込んできた。
「何だ。騒々しいぞ」
「地下封鎖区画で、魔力反応が!」
机へ向かっていた初老の支部長が顔を上げる。
「地下封鎖区画?」
「旧設備です。三百年前から動いていないはずの!」
「故障ではないのか?」
「違います!」
職員は。
手に持った測定板を差し出した。
「外から信号を受信しています!」
支部長の顔色が変わる。
「外?」
「いえ」
職員も。
自分で言ってから。
信じられないような顔をした。
「迷宮の……内部からです」
「何階層だ」
「識別番号だけでは」
「解析しろ!」
「もうしています!」
慌ただしく。
別の職員。
魔術師。
設備担当。
次々に地下へ集められる。
そして。
古い記録庫から。
ほとんど誰も読んだことのない図面が運び込まれた。
その中。
一人の老魔術師が。
震える指で。
識別番号を追う。
「……そんな」
「分かったのか?」
支部長が尋ねる。
老魔術師は。
何度も。
番号を確認した。
「間違いありません」
「どこだ」
声が。
震える。
「第九十四階層」
地下室が。
静まり返った。
「……何だと?」
現在。
人類が確認している。
最深到達階層。
第八十二階層。
その十二階層下。
しかも。
そこから。
人の管理設備へ。
信号が送られてきた。
支部長は。
すぐに別のことへ気づいた。
「待て」
「はい?」
「第九十四階層に誰かいるなら」
数日前。
第四十一階層から。
転移事故によって消えた。
三人のAランク冒険者。
ガレン。
ノルド。
リシェル。
捜索隊は。
今も。
三人を探している。
「まさか……」
◇
第九十四階層。
中継核。
「反応!」
ノルドが叫んだ。
セレスティアが管理画面を見る。
――地上第一管理所。
――応答確認。
リシェルが息を呑む。
「繋がった?」
「まだ完全接続ではありません」
続く。
――非常信号を受理。
――地上側設備より手動応答あり。
ガレンが。
目を見開いた。
「手動?」
つまり。
「地上に」
セレスティアは。
表示を見つめる。
「誰かおりますわ」
そこまでは。
予想していた。
問題は。
次だった。
――音声通信回線。
――一時接続可能。
三人が。
固まった。
「声」
リシェルが。
小さく呟く。
「届くの?」
管理画面には。
選択肢。
――接続しますか?
セレスティアは。
ガレンたちを見る。
「どうします?」
「どうするって」
ガレンが。
珍しく。
言葉に詰まった。
「ギルドに直接話せるってことだろ?」
「そうなりますわね」
「俺たちが?」
「まず皆様でしょう」
「いや待て」
ガレンが両手を上げた。
「向こう、俺たち死んだと思ってる可能性あるぞ」
「むしろ高いでしょうね」
「いきなり俺の声聞こえたら、幽霊だと思われないか?」
リシェルが。
少し笑った。
「じゃあセレスティアから?」
「もっと混乱しますわ!」
処刑された悪女。
数日前。
奈落へ送られた。
その本人が。
第九十四階層から。
突然。
冒険者ギルドへ話しかける。
「確かにガレンより酷いかもしれませんわね」
「だろ?」
「でも」
ノルドが。
静かに言う。
「誰かが話さないと始まらない」
全員。
黙った。
その通りだ。
セレスティアは管理画面を見る。
地上。
遠い。
もう。
自分には関係のない場所だと思っていた。
それでも。
ここから。
声だけなら。
届く。
「では」
セレスティアは。
音声接続へ手を伸ばした。
「最初だけ、わたくしが話します」
「大丈夫か?」
「ええ」
少し考える。
第一声。
何を言うべきか。
名乗る。
状況説明。
三人の無事。
順序はいくつかある。
だが。
最も重要なのは。
まず。
向こうを安心させることだ。
セレスティアは。
接続を承認した。
魔法陣。
光。
雑音。
そして。
遠くから。
人の声。
『――こちら、終焉迷宮地上管理所! 応答者は誰だ!』
三人が。
一斉にセレスティアを見る。
彼女は。
一度だけ。
息を整えた。
「こちら、第九十四階層」
地上側が。
静かになる。
「まずお伝えしておきます」
セレスティアは。
できる限り。
普通の声で続けた。
「行方不明になっておりますAランク冒険者三名は、全員無事ですわ」
しばらく。
何も返ってこなかった。
そして。
『――は?』
地上から返ってきた第一声は。
間の抜けた。
それだった。




