第21話 処刑されたはずの悪女から、冒険者ギルドへ連絡しましたわ
『――は?』
三百年以上途絶えていた通信回線を通して返ってきた第一声は、驚くほど間の抜けたものだった。
第九十四階層の地下管理室では、ガレンが額を押さえ、リシェルが口元を隠している。ノルドだけは比較的冷静だったが、それでも地上側の反応が予想以上だったのか、何とも言えない顔をしていた。
セレスティアは通信装置へ向かったまま、少しだけ眉を寄せる。
「聞こえませんでした?」
『い、いや、聞こえた! 聞こえたが……待て、第九十四階層と言ったのか!?』
「ええ」
『第九十四!?』
「そうですわ」
『九十四階層!?』
「何度確認なさいますの」
向こう側で、複数の人間が一斉に何かを叫んでいるらしい。雑音の向こうから「測定値を見直せ」「識別番号を再確認しろ」「誰か支部長を呼べ」という声が重なって届く。
セレスティアは少し困った。
「こちらの通信時間に制限はございます?」
ノルドが操作盤を確認する。
「今の出力なら、長くても三十分くらいだ」
「でしたら、できれば確認作業はそちらで済ませていただきたいのですけれど」
『待ってくれ! 今、状況を整理している!』
「それは結構ですが、こちらにも予定がありますので」
ガレンが横から小声で言った。
「お前、地上と三百年ぶりに通信してる相手に普通の役所対応みたいな話し方するんだな」
「では、どう話せと?」
「もうちょいこう……歴史的な感じで」
「通信が繋がっただけでしょう」
「その『だけ』が歴史的なんだよ」
セレスティアには、いまひとつ実感がなかった。
地上にいる者からすれば、第九十四階層から人間の声が届くこと自体が異常なのだろう。
だがこちらでは、昨日まで温泉の予約人数を調整し、宿の二号館を作り、スノーガルーダの適温を確認していた。
その延長線上で地上へ連絡しただけなのだから、急に大仰な気分になれと言われても難しい。
やがて、雑音の向こうから先ほどとは違う落ち着いた男の声が聞こえてきた。
『こちらは《終焉迷宮アビス》地上管理支部、支部長のヘルマン・グレイだ。まず、確認したい』
「どうぞ」
『行方不明のAランク冒険者三名――ガレン、ノルド、リシェルが無事だというのは、本当か』
セレスティアは三人を見る。
「ご本人からお話しいただいたほうが早いでしょうね」
まずガレンが通信台へ近づいた。
「ガレンだ。生きてる」
『……』
「おい?」
『本当に、ガレンなのか』
「声で分かれよ」
『本人確認のため質問する。お前が最後にギルドで起こした問題は?』
ガレンが嫌そうな顔をした。
「何で生存確認でそれ聞くんだよ」
『答えろ』
「……酒場で椅子を壊した」
『その前は?』
「受付台」
『原因は?』
「酔って転んだ」
リシェルが吹き出し、ノルドが目を逸らした。
通信の向こうも一瞬、妙な静寂に包まれる。
『……本人だ』
「何でそれで確信するんだ!」
ガレンの抗議を無視し、今度はノルドが呼ばれた。
『ノルド。登録時の第一属性は』
「雷。第二属性が風」
『十八歳の時に受けた昇級試験で落ちた理由』
「魔力配分を間違えて訓練場の結界を半壊させた」
『……本人だな』
「もっとまともな質問はないのか?」
最後にリシェル。
『リシェル。お前がギルドの治療院から出入り禁止にされた理由は』
「患者を勝手に増やしたから」
『正確には?』
「路地裏の怪我人を十五人連れてきた」
『そのうち金を払えた者は?』
「ゼロ」
『本人だ』
「いいことしたのに!」
三人とも本人確認の内容に不満があるらしい。
しかし、地上側にとっては十分だったようで、その直後に大きな歓声が通信越しに響いた。
『生きてるぞ!』
『三人ともだ!』
『捜索隊へ伝えろ!』
『家族への連絡も!』
誰かの泣き声まで聞こえる。
ガレンたちは、そこで初めて少し黙った。
事故で第四十一階層から消えて以来、地上では何日も捜索が続いていた。
自分たちが温泉へ入り、ゴルドの料理を食べ、「もう少しここにいたい」などと話しているあいだも、地上では仲間や家族が最悪の結末を想像していたのだろう。
リシェルが小さく息を吐いた。
「……心配かけたね」
ガレンも、いつもの軽口を控えて通信装置を見つめている。
「帰ったら怒られるな」
「相当ね」
「俺は酒場の椅子より酷く怒られそうだ」
「当然だろ」
ノルドが言った。
セレスティアは三人の横顔を見ながら、通信を繋いでよかったと思った。
少なくとも。
これで地上にいる人々は、三人の死を覚悟せずに済む。
◇
問題は。
その次だった。
『三名の無事は確認できた』
支部長ヘルマンの声が戻ってくる。
『だが、一つ聞かせてほしい』
「何でしょう」
『最初に通信へ出た女性は誰だ』
セレスティアは。
一瞬。
黙った。
来るとは思っていた質問だ。
ガレンが横から小さく囁く。
「偽名使う?」
「なぜ?」
「いや、面倒だろ」
「後で必ず分かります」
リシェルも少し心配そうだった。
「本当に名乗る?」
「ええ」
ここで隠すなら。
いずれ地上と取引などできない。
セレスティアは通信台の前へ戻った。
「失礼いたしました。まだ名乗っておりませんでしたわね」
『ああ』
「セレスティア・アルヴェインと申します」
通信の向こうから。
音が消えた。
本当に。
何も聞こえなくなった。
ガレンが。
セレスティアを見る。
「切れた?」
ノルドが操作盤を確認する。
「いや、繋がってる」
数秒。
十秒。
そして。
『……もう一度、名前を』
「セレスティア・アルヴェイン」
『アルヴェイン公爵家の?』
「元、ですけれど」
『元王太子殿下の婚約者だった?』
「ええ」
『数日前、《奈落刑》に処された?』
「そうなりますわね」
向こう側で。
何かが落ちた。
おそらく書類か。
椅子か。
あるいは人かもしれない。
『そんな馬鹿な!』
別の声が飛び込んできた。
『セレスティア・アルヴェインは処刑された!』
「存じております」
『なぜ本人が一番冷静なんだ!?』
「本人ですから」
ガレンが。
ついに壁へ手をついて笑い始めた。
リシェルも肩を震わせている。
通信の向こうでは、完全に混乱が広がっていた。
『奈落刑で百階層へ送られたはずだぞ!』
「ええ。第百階層へ落ちましたわ」
『なら、なぜ九十四階層にいる!?』
「上がってきました」
『上がってきた!?』
「徒歩で」
『徒歩!?』
「途中で少し寄り道を」
ガレンが横から言う。
「少しじゃねえけどな」
「余計なことを言わないでくださいませ」
『寄り道?』
「領地の整備です」
『……領地?』
しまった。
説明の順番を間違えた。
セレスティアはそう思ったが。
もう遅い。
『今、領地と言ったか?』
「言いました」
『第九十四階層を?』
「そこはまだ違います」
『まだ?』
声の調子が。
さらに悪くなる。
「現在の領地は第百階層から第九十六階層までです」
通信の向こうが。
また。
静まり返った。
『……五階層?』
「正確には第百、第九十九、第九十八、第九十七、第九十六ですわね」
『そういう意味で聞いたんじゃない!』
支部長の声が初めて裏返った。
『なぜ迷宮の階層が、人間の領地になっているんだ!?』
「説明すると長いのですが」
『してください!』
敬語になった。
ガレンが腹を抱えている。
セレスティアは一度、頭の中で順序を整理した。
「第百階層へ落とされたあと、《迷宮領主権》という権限を取得しました」
『迷宮……何だ?』
「領主権です」
『そんな権限はギルドの記録にない』
「三百年以上前には類似の管理制度が存在したようです」
『三百年!?』
「先ほど、その記録も見つけました」
『待ってくれ』
ヘルマンが本気で疲れ始めている。
『一つずつ聞こう。第百階層へ落ちた。生きていた。そこまでは……いや、それだけでもおかしいが、ひとまず置く』
「はい」
『その後、迷宮の管理権限を得た』
「ええ」
『そして階層を領地にした』
「住民の同意を得て」
『住民?』
「魔物です」
通信向こうから。
今度こそ。
完全に言葉が消えた。
◇
『……魔物が』
長い沈黙のあと。
ヘルマンが。
慎重に聞き返した。
『住民?』
「そうです」
『第九十六階層より下の魔物が?』
「ええ」
『お前の領民?』
「はい」
『襲ってこないのか』
「こちらから理由なく襲うこともありません」
『理由があれば?』
「危険な侵入者は撃退します」
『……』
「当然でしょう?」
ガレンが。
横から口を挟む。
「支部長、諦めろ。俺たちも最初は同じ顔してた」
『ガレン、お前は今どこにいる』
「セレスティアの横」
『魔物は』
「ミノタウロスがいる」
『は!?』
ミノタウロス・ロードが。
呼ばれたと思ったのか近づいてきた。
『ブモ』
その声が。
通信へ入った。
『今のは何だ!?』
「ミノタウロスです」
『本当にいるのか!?』
「いるっつってんだろ」
『戦闘は!?』
「してねえ」
『なぜ!?』
ガレンが。
少し考えた。
「今は弁当食ってるから?」
『ブモ』
ミノタウロスは。
まだ残していた肉を食べている。
『……』
地上側は。
もはや。
何から確認すればいいか分からないらしい。
リシェルが笑いながら通信へ近づいた。
「支部長さん」
『何だ』
「私たち、第百階層で助けてもらったんです」
『助けられた?』
「転移事故で九十九階層へ飛ばされたあと、ほとんど動けなくなってたところを」
「正確には迷宮側の不具合ですので、保護するのは当然でした」
セレスティアが補足する。
「それで治療してもらって、宿に泊まって」
『宿?』
「ご飯食べて」
『飯?』
「温泉入って」
『温泉!?』
ヘルマンの声が。
今までで一番大きかった。
なぜそこに反応するのか。
セレスティアには分からない。
「温泉はございますけれど」
『第百階層に!?』
「ええ」
『世界最難関ダンジョンの最下層に!?』
「場所は関係ないでしょう?」
『関係ある!』
ノルドが。
横で小さく呟いた。
「やっぱり地上から聞くと滅茶苦茶なんだな」
「今さら?」
「俺たち慣れすぎた」
確かに。
彼らはもう。
第百階層の宿。
魔物の食堂。
温泉。
役所。
鍛冶場。
それらを普通のものとして受け入れている。
地上側から見れば。
何一つ普通ではない。
◇
支部長ヘルマンは。
しばらく。
何かを相談していた。
やがて。
『状況の全容は、今の通信だけでは確認しきれない』
「でしょうね」
『そこで相談がある』
「何でしょう」
『三名を地上へ帰還させる手段はあるのか』
「現在、それを確認しております」
『通信に使っている設備から転移できないのか』
「設備そのものはございます。ただし三百年以上停止していたため、安全確認なしに使用するつもりはありません」
『それは……そのほうがいい』
ヘルマンも。
そこは即答だった。
「地上側の転移門は、そちらの地下封鎖区画に残っているはずです」
『今、職員が確認している。確かに古い転移門らしき設備は見つかった』
「状態は?」
『分からん。専門家を集める』
「では、そちら側からも設備を調査してくださいませ。両側で安全を確認できたあと、試験転送を行います」
『試験転送?』
「まず荷物で」
『人間じゃないのか』
「いきなり人間を飛ばす気ですの!?」
『いや、そう言われると確かに怖いな……』
「ですから、まず壊れても困らない物を」
ガレンが。
少し嫌そうな顔をした。
「何送る?」
「石でしょう」
「普通だな」
「何を期待しましたの?」
「ゴルドの菓子とか」
「食べ物を最初の実験台にしないでください!」
リシェルが少し笑ったあと。
「でも、通信が繋がったなら、向こうから何か送る試験もできるかもね」
「ええ。双方で確認したほうが安全です」
地上との関係が。
思っていたより。
ずっと現実的なものになってきた。
◇
『それから』
ヘルマンが。
少し声を低くした。
『セレスティア殿』
呼び方が変わった。
「はい?」
『あなたが生存している件について、誰まで報告してよい』
セレスティアは。
少し考えた。
「冒険者ギルド内で、帰還作業に必要な方々には」
『王家には?』
地下室の空気が。
少しだけ。
変わった。
ガレンたちも。
セレスティアを見る。
「現時点では」
一呼吸。
「必要ありません」
『しかし、あなたは元王太子妃候補で――』
「元婚約者です」
『ああ……失礼した。だが奈落刑に処された人物が生存しているとなれば、国家案件になる』
「いずれは、そうなるでしょうね」
『なら』
「ですが」
セレスティアは。
通信台へ手を置いた。
「今、必要なのは三名を安全に地上へ戻すことです」
そのために。
王家の判断は。
必要ない。
「わたくしが生きていることと、転移設備を修復することは別問題ですわ」
『……』
「王家へ知らせれば、おそらく余計な命令系統が増えます」
ガレンが。
小さく笑った。
「それはありそう」
「笑わない」
『だが、隠し続けることもできない』
「承知しております」
セレスティアは。
不思議なくらい。
落ち着いていた。
「三人が地上へ戻れば、どうせ分かりますもの」
リーネ織り。
深層素材。
宿泊証。
温泉水。
何より。
三人自身の証言。
隠し通すことなど。
最初から考えていない。
「ですから」
セレスティアは。
少しだけ笑った。
「それまでは、帰還作業を優先してくださいませ」
『……分かった』
ヘルマンは。
しばらく悩んだあと。
そう答えた。
『ギルド上層部と必要な技術者に限定する。王家への正式報告は、少なくとも転移設備の安全確認までは保留する』
「助かります」
『ただし』
「はい」
『三人が帰還したら、おそらく止められん』
「構いませんわ」
どうせ。
いつか。
知られる。
◇
通信可能時間。
残り五分。
最後に。
ヘルマンは三人へ向けて言った。
『ガレン、ノルド、リシェル』
「おう」
「はい」
「ああ」
『生きていて、本当によかった』
それまで。
支部長として。
冷静に。
確認ばかりしていた声。
でも。
その一言だけは。
少し。
震えていた。
三人も。
すぐには返事をしなかった。
「……悪かった」
ガレンが。
最初に答える。
「心配かけた」
『帰ったら報告書百枚だ』
「多すぎだろ!」
『椅子を壊した分も含む』
「それは別件!」
リシェルが笑い。
ノルドも。
ようやく肩の力を抜いた。
「帰るよ」
リシェルが言った。
「ちゃんと」
『待っている』
通信終了の警告。
セレスティアは。
最後に口を開く。
「では、地上側設備の調査結果を、次の定時通信で」
『分かった。明日、同時刻に』
「よろしくお願いいたします」
『……セレスティア殿』
「何でしょう」
少し。
間。
『あなたにも聞きたいことは山ほどある』
「でしょうね」
『だが今日は』
ヘルマンは。
少し困ったように。
『三人を助けてくれたことに礼を言う』
セレスティアは。
目を瞬いた。
礼。
地上の人間から。
久しぶりに。
そんな言葉を聞いた気がする。
「迷宮側の事故でしたから」
『それでもだ』
「……」
『ありがとう』
通信が切れた。
青白い光が。
少しずつ。
消えていく。
◇
地下室に。
静けさが戻る。
ガレンが。
大きく息を吐いた。
「疲れた」
「戦闘より?」
「今日のほうが疲れた」
ノルドも椅子へ座る。
「俺も」
リシェルは。
セレスティアを見る。
「大丈夫?」
「何がです?」
「地上と話して」
セレスティアは。
少し考えた。
怖くなかった。
嫌でもなかった。
ただ。
懐かしい。
少しだけ。
遠い。
「思っていたより」
セレスティアは。
静かに答えた。
「何ともありませんでしたわ」
「そっか」
「ええ」
地上は。
もう。
自分の居場所ではない。
だからこそ。
落ち着いて話せたのかもしれない。
そのとき。
赤布ゴブリンが。
勢いよく手を上げた。
『ホウコク!』
「何です?」
『チジョウ、セレスティア、シッタ!』
「今あなたも聞いていたでしょう!」
『ミンナニ、イウ?』
「言わなくて結構です!」
『ナゼ!?』
「領内の皆様にまで、いちいち地上との通信内容を広めなくてよろしいでしょう!」
『ダイジ!』
「必要な部分だけ役所から正式に知らせます!」
赤布ゴブリンが。
少し不満そうにする。
「それから」
セレスティアは。
念を押した。
「《地上へ通信が繋がった》までは知らせても構いません」
『ウン!』
「《王国が来る》とか」
『ウン』
「《地上と戦争》とか」
『……』
「なぜ今黙りました?」
『イワナイ!』
「考えましたわね!?」
ガレンたちの笑い声が。
地下管理室へ響く。
三百年ぶりの地上との通信。
その歴史的な一日は。
領都側では。
結局。
いつも通りの騒がしさで終わった。
◇
だが。
地上では。
そうはいかなかった。
冒険者ギルド地下。
通信が切れたあと。
支部長ヘルマンは。
その場にいる全員へ。
厳しい声で告げた。
「今聞いた内容は、許可なく外へ漏らすな」
誰も答えない。
当然だ。
第九十四階層。
生存したAランク冒険者三名。
三百年前の管理設備。
魔物の領民。
最下層の町。
温泉。
そして。
処刑されたはずの。
セレスティア・アルヴェイン。
「……何から報告書を書けばいいんだ」
副支部長が。
心底困った声で呟いた。
ヘルマンも。
同じ気持ちだった。
「まず三人の生存だ」
「その次は?」
「転移設備」
「その次は?」
「……」
ヘルマンは。
頭を抱えた。
「悪女が百階層を領地にした件は、最後にしろ」
「最後でいいんですか?」
「最初に書いたら、その先を誰も読まん」
誰も。
反論できなかった。
一方。
第九十四階層では。
セレスティアが。
すでに。
明日の通信へ向け。
転移試験用の石を選んでいた。
地上と最下層。
三百年ぶりに繋がった一本の線は。
まだ。
声しか通せない。
けれど。
次に通すのは。
物。
その次は。
人。
そしていずれ。
世界最難関ダンジョンの最下層にある領都へ。
地上から。
本当の客がやって来る日も。
もう。
それほど遠くはなかった。




