第15話 二号館を建てる前に、宿泊客と領民を分けますわ
朝。
領都の役所には、開庁前から列ができていた。
もっとも、並んでいるのは人間ではない。
白い羽毛に包まれたスノーガルーダ。
氷の毛皮を持つ狼型魔物。
ふわふわと宙に浮かぶ雪精霊。
身体の半分が氷でできた小型ゴーレム。
さらに、昨日は見なかった種族まで混じっている。
彼らは皆、第九十五階層から降りてきた者たちだった。
「……どうして昨日より増えておりますの?」
役所の入口に立ったセレスティアは、まだ扉を開けていないというのに、すでに疲れた顔をしていた。
その隣では赤布ゴブリンが、珍しく少しだけ申し訳なさそうに視線を逸らしている。
『ウワサ』
「誰が広めました?」
『ミンナ』
「便利な言葉で逃げないでくださいませ」
『ホント』
「では、最初に誰が話したのです?」
赤布ゴブリンは少し考えた。
そして。
『オレ』
「やはりあなたではありませんの!」
朝一番から、セレスティアの声が役所前へ響いた。
列に並ぶ魔物たちは、誰一人として逃げなかった。
むしろ。
『オンセン、ハイル』
『メシ、タベル』
『ネル』
『ヤスム』
自分たちの目的を口々に伝えてくる。
「分かりました、分かりましたから、まず順番に!」
セレスティアは額を押さえながら役所の扉を開けた。
◇
「現在の宿泊可能人数は、人間用三名、小型魔物用十二名、大型魔物用六名、寒冷種族用六名です」
役所の会議室。
セレスティアは石板に数字を書きながら説明していた。
参加者は、ガレン、ノルド、リシェル。
さらに宿の管理を手伝っているゴブリン二体と、食堂代表のゴルド。
大型種族側からはミノタウロス・ロード。
そして第九十五階層から来たスノーガルーダの代表。
「昨日の宿泊希望は?」
ノルドが尋ねる。
「三十八名です」
「今日増えた分は?」
「今のところ二十七名」
ガレンが頭を抱えた。
「完全に足りねえな」
「ですから二号館という話が出るのです」
「昨日は言ってないって否定してたじゃねえか」
「状況が変わりました」
「一日で?」
「一晩です」
「もっと短いじゃねえか」
セレスティアは無視した。
だが。
単純に宿を増やせばいい。
そういう話でもない。
「その前に、制度を整理します」
リシェルが首を傾げる。
「制度?」
「領民と宿泊客です」
これまで。
第九十九階層。
第九十八階層。
第九十七階層。
第九十六階層。
そこに住む者たちは、基本的に領地へ編入後、そのまま領民になった。
勤務。
休日。
貢献票。
食事。
住居。
それらを。
領地側が整える。
「ですが、第九十五階層の皆様は違います」
セレスティアはスノーガルーダを見る。
「あなた方は、こちらに住みたいわけではありませんね?」
『ウン』
「第九十五階層へ帰る」
『ウン』
「たまに休みに来たい」
『ウン』
「でしたら、領民ではなくお客様です」
スノーガルーダは。
少し考えた。
『オキャク』
「はい」
『シゴト、シナイ?』
「宿泊料を払うなら、こちらで働く義務はありません」
『……』
「もちろん働きたいなら、別です」
『オンセン、ハイル』
「入れます」
『メシ』
「食べられます」
『ネル』
「泊まれます」
『ジャア、オキャク』
「理解が早くて助かります」
ミノタウロスが。
横から。
『オレ、リョウミン』
「ええ」
『オンセン、ハイル』
「入れます」
『メシ』
「食べられます」
『ネル』
「寝られます」
『ジャア、オキャクモ、リョウミンモ、オナジ』
「違います」
『ナゼ』
「領民は働いて領地を支えます」
『ウン』
「お客様は料金を払ってサービスを受けます」
『……』
ミノタウロスは考える。
『オレ、ハタラク』
「はい」
『メシ、タベル』
「はい」
『オンセン』
「はい」
『オキャク、ハタラカナイ』
「基本的には」
『メシ、タベル』
「はい」
ミノタウロスの目が。
少し細くなった。
『ズルイ』
「違います!」
セレスティアは机を叩きかけて止めた。
「お客様は料金を払います!」
『オレ、ハラワナイ』
「その代わり働いています!」
『……』
理解したのか。
していないのか。
分かりにくい。
『ジャア、オレ、ヤスミノヒ、オキャク』
「なれません」
『ナゼ!?』
「自分の家で自分へ宿泊料を払ってどうするのです!」
『オンセン、ハイル』
「いつも入っています!」
ガレンが。
とうとう。
笑いを堪えられなくなった。
「駄目だ、こいつ交渉の方向がおかしくなってる」
「誰が教えたと思っていますの!」
セレスティアは怒鳴った。
『コウショウ、ダイジ』
「そこだけ覚えすぎですわ!」
◇
制度を整理した結果。
領地の住民登録。
短期宿泊客。
長期滞在客。
商人。
臨時労働者。
いくつかの区分を作ることになった。
ガレンが。
石板へ増えていく項目を見ながら言う。
「一気に本物の町っぽくなったな」
「人が増えれば当然です」
「人じゃないのがほとんどだけどな」
「住民です」
セレスティアは即答する。
「種族で制度を分けすぎると、後で管理できなくなります。身体的な条件は別として、基本的な身分区分は共通にします」
「人間も?」
「もちろんです」
「将来、人間が住みたいって言ったら?」
「条件を満たせば」
「領民に?」
「なれますわ」
三人が。
少しだけ。
意外そうな顔をした。
セレスティアは地上へ戻る気がない。
人間に裏切られ。
処刑され。
最下層へ捨てられた。
それでも。
人間そのものを排除するつもりはない。
「誰でもよろしい、とは申しません」
セレスティアは続ける。
「他の住民を傷つける方、ルールを守らない方、領地を奪おうとする方はお断りします」
リシェルが頷く。
「でも種族は関係ない」
「ええ」
「人間でも?」
「人間だからというだけで断るなら」
セレスティアは。
ほんの少し。
目を伏せた。
「わたくしを悪女という呼び名だけで処刑した方々と、大して変わりませんもの」
部屋が。
静かになった。
ガレンたちは。
すぐには何も言わなかった。
セレスティア自身も。
それ以上。
昔の話をするつもりはなかった。
「ですから」
少し明るい声へ戻す。
「規則で判断します」
石板へ書く。
種族ではなく。
行動。
契約。
滞在目的。
それで。
決める。
「これなら分かりやすいでしょう?」
「まあな」
「セレスティアらしい」
リシェルが笑った。
「どういう意味です?」
「好き嫌いより、まず制度にするところ」
「領主ですもの」
◇
そして。
ようやく。
二号館の話へ移った。
「候補地はこちらです」
第百階層。
領都。
第一宿泊棟の東側。
以前は兵站用倉庫として使われていた空間。
「かなり広いな」
ガレンが周囲を見る。
「天井も高い」
「大型魔物も入れます」
セレスティアは管理画面を開く。
「ですが」
少し考える。
「一棟で全部対応するのはやめます」
「なんで?」
「種族ごとの適温が違いすぎます」
人間。
ミノタウロス。
スノーガルーダ。
火属性種族。
氷属性種族。
同じ部屋では。
必ず誰かが。
暑い。
寒い。
となる。
「ですので」
中央。
大きな共用広間。
その周囲へ。
複数の宿泊区画。
「部屋ごとに温度設定を変えます」
ノルドが感心する。
「環境調整権限を使うのか」
「ええ」
「魔力消費は?」
「確認します」
――小規模区画ごとの温度調整は可能。
――魔力消費:低。
「問題ありませんわね」
「何度まで?」
「試してみましょう」
寒冷種族用。
十二度。
人間用。
二十二度前後。
火属性種族用。
三十度。
「三十度でも涼しいって言う奴いそうだな」
「第九十八階層の皆様なら」
「だろうな」
「湿度も変えられる?」
リシェルが尋ねる。
「できるようです」
「じゃあ羽毛のある種族とか、乾燥しすぎると嫌かも」
「なるほど」
セレスティアは。
新しい項目を追加する。
「宿泊時に適温と適湿度を確認しましょう」
ガレンが。
遠い目をした。
「高級宿みたいになってきたな」
「快適に眠るためです」
「一泊いくら取る気だよ」
「これから計算します」
「本当に高級宿になるぞ」
◇
二号館の工事には。
思った以上に。
多くの住民が参加した。
建築担当。
石工。
運搬。
蜘蛛糸を使った寝具担当。
清掃。
家具作り。
さらに。
箱職人まで。
「なぜ宿泊室に箱が?」
セレスティアが尋ねる。
『ニモツ』
箱職人のコボルトが答える。
「荷物入れ?」
『ウン』
「なるほど」
言われてみれば。
宿泊客の荷物を。
床へ置かせるよりいい。
『フタ、カギ』
「鍵付き?」
『デキル』
「それは必要ですわね」
また。
一つ。
設備が増えた。
さらに。
リーネから。
蜘蛛糸の小さな布。
『マクラ』
「枕カバー?」
『ウン』
「売り物では?」
『シサク』
「試作ですのね」
触れると。
柔らかい。
丈夫。
しかも。
少しだけ。
ひんやりしている。
「寒冷種族には向きません?」
『アツイヒト』
「なるほど」
寝具まで。
種族別。
ガレンが。
もう笑うしかない顔をしている。
「これ、地上の王侯貴族よりいい部屋にならないか?」
「そこまでは」
「温度自由」
一つ。
「蜘蛛糸寝具」
二つ。
「回復温泉」
三つ。
「ゴルドの飯」
四つ。
「深層素材の家具」
五つ。
「……」
セレスティアが黙る。
「どうだ?」
「少し豪華かもしれませんわね」
「少しじゃねえ」
◇
夕方。
二号館の一部。
十二室だけ。
先行して完成した。
初日の宿泊客。
スノーガルーダ三体。
氷狼四体。
雪精霊六体。
氷ゴーレム二体。
そして。
「あなたは?」
受付に。
一体。
見慣れない魔物が立っていた。
身体は小さい。
人間の子供ほど。
全身が白い毛で覆われ。
頭には短い角。
背中には。
大きな荷物。
『キュウジュウヨン』
「第九十四階層?」
『ウン』
セレスティアの顔が。
ゆっくり。
固まった。
「……なぜ?」
『ウワサ』
「またですの!?」
赤布ゴブリンが。
受付の奥で。
そっと。
目を逸らした。
「あなたですね?」
『チガウ』
「では誰です!」
『キュウジュウゴ』
「一階層ずつ口コミが上がっておりますの!?」
小さな魔物が。
背負っていた荷物を。
下ろす。
『コレ』
「何でしょう」
袋。
開く。
中には。
淡い緑色の果実。
「果物?」
『ウン』
リシェルが。
一つ取って。
匂いを嗅ぐ。
「これ」
「知っています?」
「たぶん《月雫果》」
ノルドが。
すぐ反応した。
「本物か?」
「似てる」
「何ですの?」
ノルドの顔が。
少し真剣になる。
「上級魔力回復薬の材料だ」
セレスティアの動きが。
止まった。
「上級?」
「ああ」
「九十四階層に?」
『タクサン』
小さな魔物が答える。
『タベル』
「普通に食べているの?」
『ウン』
ガレンが。
思わず笑う。
「地上じゃ一本の薬に金貨何十枚って素材だぞ」
『キンカ?』
「分からないですわよね」
セレスティアは。
果実を見る。
「それを」
『シュクハク』
「宿泊料として?」
『ウン』
「何泊希望です?」
『イッパク』
「一袋全部は多すぎます!」
価値を知らない。
だから。
大量に差し出す。
それを。
そのまま受け取ってはいけない。
「一泊なら」
セレスティアは。
果実を数える。
「……一個でも高すぎますわね」
ノルドが頷く。
「地上価格ならな」
「こちらでの価値も考えます」
住民向け。
薬。
魔力回復。
食材。
「一個で、今後数泊分の前払いにしましょう」
『……』
「納得できません?」
『イイ』
「では残りはお返しします」
『イラナイ』
「いりませんの?」
『タクサンアル』
「それでも」
セレスティアは。
袋を戻した。
「価値があるものを、価値を知らないまま渡してはいけません」
『……』
「次に来るまでに」
少し笑う。
「こちらでも適正な交換条件を考えます」
小さな魔物は。
セレスティアを見る。
『ヘン』
「最近よく言われます」
『デモ』
袋を。
また背負う。
『イイ』
「ありがとうございます」
そして。
宿泊帳へ。
新しい客が。
記録された。
出身。
第九十四階層。
目的。
宿泊。
温泉。
食事。
「……」
セレスティアは。
その記録を。
しばらく見つめた。
「何だ?」
ガレンが尋ねる。
「いえ」
セレスティアは。
第九十五階層。
そして。
第九十四階層へ続く。
まだ見ぬ道を思う。
「わたくしたちが上へ行かなくても」
少し。
困ったように。
「向こうから降りてくるようになりましたわね」
「楽でいいじゃねえか」
「よくありません」
「なんで?」
「帰還路の確認になりませんもの!」
ガレンが。
少し考え。
「じゃあ明日は九十五階層へ?」
「行きます」
「その次は?」
「九十四階層」
小さな魔物が。
すぐ反応した。
『クル?』
「その予定です」
『メシ、ナイ』
「……」
『ネル、イワ』
「……」
『ヤスミ、ナイ』
「……」
ガレンが。
顔を覆った。
「もう分かった」
リシェルも。
笑いを堪えている。
「次の領地候補だ」
「まだ決まっておりません!」
セレスティアは。
否定した。
だが。
小さな魔物が。
最後に。
『ミンナ、キテホシイ』
そう言った瞬間。
セレスティアの顔から。
反論の勢いが。
少しだけ。
消えた。
「……分かりました」
静かに。
答える。
「明日、伺いますわ」
地上へ帰るために。
上へ進んでいる。
そのはずだった。
だが。
領都には。
今や。
領地の外から。
休みに来る者がいる。
食事を楽しみに来る者がいる。
温泉へ入りに来る者がいる。
そして。
自分たちの階層も見てほしいと。
助けを求めに来る者までいる。
世界最難関ダンジョンの最下層に作られた宿は。
いつの間にか。
ただの宿ではなくなっていた。
疲れた者が。
種族を問わず。
帰ってきて。
休める場所。
領都という名前の意味に。
その町自身が。
少しずつ。
近づき始めていた。




