第13話 寒いなら、暖かい休憩所を作りますわ
第九十六階層《氷晶洞》。
床も壁も天井も青白い氷に覆われたその場所で、セレスティアは厚手の外套を羽織りながら、目の前のフロスト・トロルを見上げていた。
「皆様、本当に寒いのですわね?」
『サムイ』
「寒冷地に適応していても?」
『タエラレル』
「耐えられるだけ?」
『ウン』
予想していた答えだった。
いや。
第九十八階層で、火の魔物たちが「暑い」と答えた時点で、だいたい察してはいた。
環境へ適応できることと、そこで快適に暮らせることは別なのだ。
フロスト・トロルは寒さに強い。
氷狼も。
雪の精霊も。
氷甲騎士も。
だから迷宮は、彼らを極寒環境へ配置した。
ただし。
それだけだった。
「寝床は?」
『コオリ』
「またですの?」
『ウン』
「食事は?」
『クロイノ』
「また栄養塊ですの!?」
セレスティアの声が氷洞へ響く。
少し離れたところで、ガレンが首を竦めた。
「完全にいつもの流れだな」
「ここまで来ると安心するね」
リシェルが口元を緩める。
「何が安心ですの?」
「セレスティアが怒ってると、次に何ができるか分かるから」
「わたくしを建築予告装置のように言わないでくださいませ」
しかし。
否定しきれないのが腹立たしい。
セレスティアは管理画面を呼び出した。
――第九十六階層。
――平均気温:氷点下十九度。
――一部区画:氷点下三十一度。
「……住む温度ではありませんわね」
――寒冷適応個体の活動範囲内です。
「活動ではなく生活!」
――……
「また黙りましたわね?」
迷宮は返事をしなかった。
「セレスティア」
ノルドが近づく。
「暖かくする方法はある」
「本当です?」
「ああ。ただし第九十八階層とは逆だ」
ノルドは壁に埋まる氷属性魔石を見る。
「この階層は魔石自体が冷気を放ってる。だから、休憩区画だけ魔石の影響を遮断すればいい」
「遮断?」
「石壁だけじゃ足りない。魔力を通しにくい層を挟む」
バルガが反応した。
『デキル』
「材料は?」
『クロイシ』
「黒石?」
『キュウジュウナナ、アル』
第九十七階層で採れる、魔力伝導率の低い黒色鉱石。
今までは使い道がほとんどなく、壁材程度にしか考えていなかった。
「それなら」
セレスティアはすぐに考えを組み立てる。
「黒石を壁の内側へ」
『ウン』
「床下にも?」
『ウン』
「天井にも」
『デキル』
「内部の熱源は?」
ノルドが答える。
「第九十八階層から熱魔石を持ってくる」
今度は。
セレスティアが止まった。
「……つまり」
第九十八階層には。
熱が多すぎる。
第九十六階層には。
冷気が多すぎる。
「両方を交換すればよろしいのでは?」
ノルドも黙った。
「……あ」
「熱魔石をこちらへ」
一つ。
「氷魔石を第九十八階層へ」
二つ。
「余剰を互いに回せば」
三つ。
「両方の環境改善ができますわね」
ガレンが深く息を吐いた。
「また始まった」
「何がです?」
「資源交換」
「当然でしょう?」
「それが当然に見えてきた自分が怖い」
◇
作業は。
その日のうちに始まった。
第九十七階層から黒石。
第九十八階層から熱魔石。
第九十九階層から運搬担当。
そして。
第百階層から。
『メシ!』
ゴルドまで来た。
「どうしてあなたが?」
『サムイ。アッタカイ、メシ、イル』
「……」
正論だった。
『スープ、モッテキタ』
巨大鍋。
湯気。
その香りに。
第九十六階層の魔物たちが一斉にこちらを見る。
『アレ、ナニ』
「食事です」
『アッタカイ?』
「温かいですわ」
フロスト・トロルたちの視線が。
鍋へ集中した。
『……タベタイ』
「どうぞ」
『イイ?』
「冷める前に」
ゴルドが。
大きな器へ。
地下芋と肉を煮込んだスープを盛る。
フロスト・トロルが。
それを両手で受け取った。
『アツイ』
「気をつけてくださいませ」
ふう。
ふう。
巨大なトロルが。
息を吹きかけ。
少しずつ。
スープを口へ運ぶ。
『……』
止まった。
「どうしました?」
『……アッタカイ』
「ええ」
『ナカモ』
「身体の中が?」
『ウン』
もう一口。
もう一口。
食べる速度が上がる。
『ウマイ』
その一言で。
周囲がざわついた。
『オレモ』
『ワタシモ』
『クウ』
行列ができる。
「順番です!」
セレスティアが声を上げる。
「全員分ありますから!」
『オカワリ?』
「まず一杯!」
『ニハイ』
「ミノタウロスではないのですから交渉しない!」
『ミノタウロス?』
フロスト・トロルが首を傾げる。
赤布ゴブリンが。
どこからともなく胸を張る。
『ニク、スキ!』
「何の説明ですの!?」
だが。
その場に。
笑いが起きた。
氷の洞窟に。
今までなかった。
食事の匂い。
話し声。
笑い声。
「……やっぱり」
リシェルが。
小さく呟いた。
「何です?」
「場所って、ちょっとしたことで変わるんだね」
セレスティアは。
周囲を見た。
氷壁。
魔石。
巨大な魔物たち。
それ自体は。
何も変わっていない。
でも。
湯気の立つ器を持つだけで。
ここは。
少しだけ。
住む場所に見え始めていた。
「そうですわね」
セレスティアは。
静かに笑った。
◇
休憩区画の建設には。
半日かかった。
黒石の断熱層。
熱魔石。
石造りの長椅子。
寝床。
水場。
そして。
入口には。
厚手の仕切り布。
「二十二度」
ノルドが。
温度測定用魔道具を見る。
「かなり上がった」
「外は?」
「氷点下十九」
「十分ですわね」
扉を開ける。
暖かい空気。
フロスト・トロルたちが。
恐る恐る。
中へ入る。
『……』
一体が。
石の長椅子へ座る。
『アッタカイ』
別の一体が。
寝床へ触れる。
『ヤワラカイ』
氷狼が。
床へ丸くなる。
青白い毛並みが。
ゆっくりと。
緩む。
『……ネル』
「どうぞ」
『ココデ?』
「そのための場所です」
氷狼が。
そのまま目を閉じた。
数分もせず。
寝息。
セレスティアは。
少しだけ目を細める。
「よほど疲れていたのですわね」
フロスト・トロルが。
セレスティアを見る。
『コレ、ズット?』
「領地へ編入できれば、正式に維持します」
『ヘンニュウ』
「ただし」
セレスティアは。
いつもの説明を始めた。
「休暇は作ります」
『ウン』
「交代勤務」
『ウン』
「食事」
『ウン』
「負傷時の治療」
『ウン』
「そして」
氷魔石を見る。
「採掘をお願いします」
『ホル?』
「必要な量だけ」
『ゼンブ?』
「全部は駄目です」
『ナゼ』
「資源がなくなります」
『マタイツカ、デキル?』
「おそらく魔力で再生成されますが、速度を調べてからです」
バルガが。
氷魔石を叩きながら言う。
『トリスギ、ヨクナイ』
「そうですわね」
鍛冶師として。
素材を大切にしたいのだろう。
『イイノ、エラブ』
「お願いします」
フロスト・トロルは。
少し考えた。
『オレタチ、ホルノ、トクイ』
「採掘です?」
『ウン』
大きな腕。
太い指。
確かに。
氷壁を掘るには向いている。
『イマ、タタカウ、ダケ』
「では」
セレスティアの答えは早い。
「採掘担当を希望する方は、そちらへ配置しましょう」
『ホント?』
「ただし全員ではありません。警備要員も必要です」
『オレ、ホル』
一体。
『オレモ』
二体。
『ワタシ、マセキ、エラブ』
「選別?」
『ウン』
『オレ、ハコブ』
「運搬」
また。
仕事が。
増える。
いや。
本当は。
最初からそこにあった。
ただ。
誰も。
仕事として認めていなかっただけだ。
◇
――第九十六階層。
――住民承認率、九十二パーセント。
「高いですわね」
――温熱休憩区画への評価が極めて高い。
「食事も?」
――食生活改善期待値、高。
「分かりやすいですわね……」
セレスティアは。
編入を承認した。
光が。
第九十六階層全体を走る。
――第九十六階層を領地へ編入。
――資源採掘管理権限を解放。
――階層間物流設定を拡張。
「物流?」
新しい表示が開く。
各階層。
資源。
食料。
魔石。
工具。
転送可能量。
「まあ」
第九十八階層。
熱魔石。
第九十七階層。
黒石。
第九十六階層。
氷魔石。
相互転送。
「自動化できますの?」
――一定量まで設定可能。
セレスティアの目が。
明らかに変わった。
ガレンが。
即座に察する。
「何か見つけたな」
「物流を自動化できます」
「うわ」
「第九十八階層へ氷魔石」
一つ。
「こちらへ熱魔石」
二つ。
「第九十七階層の工房へ必要鉱石」
三つ。
「第百階層の食堂へ食材」
四つ。
「これなら」
セレスティアの指が。
管理画面の上を。
止まらない。
「毎日運搬担当へ個別に指示を出さなくても済みますわ」
「……楽しそうだな」
「当然です!」
セレスティアは。
珍しく。
少し興奮していた。
「必要な量を必要な場所へ自動的に!」
「そこまで嬉しいものか?」
「嬉しいです!」
王宮では。
一つの倉庫から。
別の倉庫へ。
小麦袋を五十袋移すだけで。
申請。
確認。
承認。
運搬手配。
受領記録。
場合によっては。
責任者の印が三つ。
「夢のようですわ!」
三人の冒険者が。
顔を見合わせた。
「セレスティア」
リシェルが。
少し心配そうに言う。
「今までどんな職場だったの?」
「王宮です」
「それだけでなんとなく分かった」
◇
その後。
ガレンたち三人は。
第九十六階層の出口。
その先。
第九十五階層へ続く階段を見ていた。
「……なあ」
ガレンが。
ぽつりと言う。
「何でしょう?」
「俺たち、今日こそ地上へ帰る準備を進める日だったよな」
「進みましたわ」
「どこが?」
「一階層上がりました」
「その代わり領地も一階層増えた」
「結果として」
「休憩所もできた」
「必要でした」
「採掘場も」
「必要です」
「物流まで始まった」
「便利でしょう?」
「だから」
ガレンは。
階段を見る。
「このまま九十五階層行ったら、また何か増えるんじゃねえか?」
「決めつけはよくありません」
「前も聞いた」
リシェルが。
笑いながら階段を覗く。
「九十五階層って、冷気を発生する魔物がいるって言ってたところだよね?」
「ええ」
「第九十八階層の冷房に使いたかった」
「そうですわね」
「じゃあ、行く?」
セレスティアは。
少し考えた。
今日は。
もう。
かなり動いた。
第九十六階層を整備し。
編入し。
物流まで設定した。
以前なら。
「行きます」
と。
即答していただろう。
だが。
後ろ。
暖かい休憩室。
そこでは。
フロスト・トロル。
氷狼。
バルガ。
ゴブリンたち。
皆。
昼食を取っている。
自分も。
朝から。
ほとんど休んでいない。
「……今日は」
三人が。
セレスティアを見る。
「第百階層へ戻ります」
ガレンが目を丸くした。
「え」
「何です?」
「いや」
「帰らないのです?」
「帰るけど」
リシェルが。
にやにやしている。
「セレスティアが自分から休むって言った」
「今日は仕事が一区切りついただけです」
「うんうん」
「その顔は何ですの」
「成長したなあって」
「あなた、わたくしの何なのです?」
ノルドまで。
小さく笑った。
「いいんじゃないか」
「何がです?」
「俺たちも」
ノルドは。
まだ先の長い階段を見る。
「地上へ帰るには、体力を残さないとな」
セレスティアは。
一瞬だけ。
その言葉に止まった。
「……そうですわね」
休むのは。
仕事をしないことではない。
次へ進むために。
必要なこと。
自分が。
領民たちへ教えたことだった。
◇
夕方。
領都。
温泉。
『ブモオオオ……』
「ミノタウロス、静かに入りなさい」
『キモチイイ』
「それは結構ですけれど」
セレスティアも。
少し離れた女性用浴場で。
肩まで湯へ浸かっていた。
リシェルが。
隣で大きく息を吐く。
「やっぱりこれだよね」
「何がです?」
「地上に帰りたくなくなる原因」
「帰ってくださいませ」
「まだ言ってないのに」
「顔に書いてあります」
温泉。
身体の疲れが。
少しずつ。
抜けていく。
「セレスティア」
「はい?」
「地上へ帰ったら」
リシェルは。
湯気の向こうを見る。
「私たちのこと、信じてもらえると思う?」
「難しいでしょうね」
「即答だ」
「百階層に町があり、魔物が働き、宿と温泉があります、と?」
「うん」
「わたくしなら疑います」
「自分でも?」
「証拠がなければ」
だから。
持たせる。
リーネ織り。
温泉水。
深層素材。
宿泊証。
「でも」
セレスティアは。
少し考える。
「信じていただけなくても、構いません」
「いいの?」
「ええ」
すぐに。
客が殺到する必要はない。
まだ。
宿の部屋も少ない。
従業員も。
制度も。
整っているとは言えない。
「来たい方が」
一人。
二人。
「少しずつ」
この場所を知ればいい。
「そのほうが」
セレスティアは。
湯へ肩まで沈みながら。
静かに言った。
「こちらも準備できますもの」
リシェルは。
少しだけ笑った。
「商売人だね」
「領主です」
「似たようなものじゃない?」
「違いますわ」
そのとき。
壁の向こう。
『セレスティア!』
ミノタウロスの声が響いた。
「浴場で叫ばない!」
『タイヘン!』
セレスティアの表情が変わる。
「何です?」
『ヤクショ!』
「役所が?」
『ヒト、キタ!』
セレスティアとリシェルが。
同時に顔を見合わせた。
「人?」
「私たち以外?」
『ニンゲンジャナイ!』
「では誰です!」
『キュウジュウゴカイ!』
セレスティアは。
数秒。
黙った。
「……まさか」
嫌な予感。
『ツカレタ! ヤスミタイ! ッテ!』
リシェルが。
温泉の縁へ額をつけた。
「向こうから来た」
「……」
『スズシクシテ! ッテ!』
「第九十五階層は冷気の魔物では!?」
『デモ、サムスギルッテ!』
「またですの!?」
温泉に。
セレスティアの声が響いた。
地上への道は。
まだ九十五階層。
そして。
彼女が上へ進む前に。
今度は。
上の階層から。
領民候補のほうが。
降りてきてしまった。




