第12話 地上へ帰る三人に、お土産を持たせますわ
領都。
世界最難関ダンジョン《終焉迷宮アビス》の最下層に、そんな名前が付いた翌朝。
セレスティアは役所の会議室で、三人の冒険者を前にしていた。
「改めて確認いたします」
机の上には、帰還用の物資が並んでいる。
保存食。
水袋。
治療薬。
包帯。
魔石。
予備の武器。
ゴルド特製の硬焼き菓子。
そして第九十九階層のアラクネが編んだ、一枚の蜘蛛糸布。
「ガレン」
「おう」
「脚は?」
「問題ねえ」
そう言って立ち上がり、軽く屈伸する。
骨折していたとは思えないほど滑らかだ。
まだ激しい戦闘を連続して行うのは避けるべきだが、通常の移動なら支障はない。
「リシェル」
「魔力はほぼ満タン」
「ノルド」
「杖も使える。地上まで保つかは分からないが、九十六階層までなら十分だ」
「よろしいですわね」
セレスティアは頷いた。
帰還準備そのものは、整っている。
問題は。
「九十六階層」
そこだった。
現在、セレスティアの領地は第九十七階層まで。
第九十六階層は未管理。
しかも、以前調べた情報では氷属性魔石が大量に埋蔵されている。
「第九十八階層の冷却設備を本格化させるためにも、九十六階層は確認したいところです」
ガレンが腕を組む。
「つまり」
「はい」
「俺たちを帰すついでに、また領地増やす気だな?」
「決めつけないでくださいませ」
「違うのか?」
「現地次第です」
「ほぼ肯定じゃねえか」
リシェルが笑った。
「もう私、驚かなくなってきたよ」
「何にです?」
「一階層上がるたび、住民が増えること」
「まだ増えると決まったわけではありません」
セレスティアはそう言ったが。
ノルドは遠い目をした。
「九十六階層の魔物が『休みたい』って言ったら?」
「話を聞きます」
「『ご飯食べたい』って言ったら?」
「食事環境を確認します」
「『領地に入りたい』って言ったら?」
「条件を満たせば編入します」
三人が黙った。
「ほら」
「何です?」
「完全に増える前提だろ」
「困っている方を放置する理由がないだけですわ」
セレスティアは。
本気でそう思っていた。
◇
「それから」
セレスティアは机の端へ置かれた蜘蛛糸布を持ち上げた。
「こちら」
『……』
部屋の入口にいたアラクネが。
少し緊張したように脚を揺らす。
「地上へ持っていってくださいませ」
リシェルが受け取った。
「本当にいいの?」
『ウン』
「売っちゃうかもしれないよ?」
アラクネは少し考えてから。
『ホシイ、ヒト、イル?』
「いると思う」
『ジャア、イイ』
「でも、ちゃんと値段は調べるからね」
『ウン』
セレスティアも続ける。
「最初から売却しなくても構いません。まず冒険者ギルドか信頼できる商人へ鑑定を」
「信頼できる商人……」
ガレンが渋い顔をする。
「何です?」
「深層素材って分かったら、絶対騒ぎになるぞ」
「でしょうね」
「出所を聞かれる」
「正直に説明してください」
「またそれか」
「嘘を重ねても後で面倒になりますもの」
「『第九十九階層の蜘蛛が休日に編みました』って?」
「事実です」
『キュウジツ』
アラクネが頷く。
「本人が肯定してるのが一番おかしいんだよな……」
ノルドが額を押さえた。
リシェルは。
布を丁寧に畳みながら尋ねる。
「名前とか付ける?」
『ナマエ?』
「商品名」
『……』
アラクネが困った。
「無理に決めなくてもよろしいですわ」
セレスティアが助け舟を出す。
「作った方の名前を付ける方法もあります」
『ワタシノ?』
「《アラクネ織り》など」
アラクネの脚が。
ぴたりと止まる。
『ワタシノ、ナマエ、ナイ』
セレスティアが目を瞬いた。
「個体名が?」
『ウン』
管理画面では。
種族名。
個体識別番号。
それしかない。
「……そうでしたの」
今まで。
ミノタウロスも。
ケルベロスも。
種族名で呼んでいた。
ゴルドやバルガには名前があったため、深く考えていなかった。
「お名前、欲しいです?」
アラクネは。
長い間考えた。
『ホシイ』
「では、ご自分で決めます?」
『ワカラナイ』
「好きなものから取るのも一つです」
『アムノ、スキ』
「編むこと」
『キレイナノ、スキ』
「綺麗なもの」
リシェルが。
少し考える。
「リーネ、とか?」
アラクネが彼女を見る。
「古い言葉で、糸とか布に近い響きの名前。人間にも使う名前だよ」
『リーネ』
一度。
口の中で転がすように。
『リーネ』
「嫌なら別の――」
『スキ』
リシェルが笑った。
「じゃあ、リーネ」
『ウン』
セレスティアは。
管理画面を開く。
「個体名の登録は?」
――可能。
「リーネ」
――登録完了。
その瞬間。
アラクネ――リーネの表示が変わった。
ただの個体番号ではなく。
《リーネ》。
『……』
本人は。
何度も。
自分の表示を見ていた。
『ワタシ、リーネ』
「ええ」
『リーネノ、ヌノ』
「そうなりますわね」
『……』
八本の脚が。
嬉しそうに揺れた。
『モット、キレイニ、ツクル』
「楽しみにしております」
こうして。
地上へ持ち出される最初の商品には。
作り手の名前が付いた。
《リーネ織り》。
まだ。
価値も。
評判も。
誰も知らない。
けれど後に。
王都の貴族たちが一枚を巡って競い合うことになるとは。
この時点では。
もちろん誰も知らなかった。
◇
「次です」
セレスティアは。
今度は小さな木箱を取り出した。
「何だ?」
「試供品です」
蓋を開く。
中には。
小袋がいくつも入っていた。
「ゴルドの硬焼き菓子」
『オオ!』
入口から。
本人が顔を出した。
「どうして毎回、料理の話になると現れますの?」
『キニナル』
「厨房は?」
『モグ、イル』
「任せられるようになったのですね」
『ウン』
これは。
いい変化だった。
ゴルド一人しかいなかった料理担当に。
パン作りを希望するモグが加わり。
さらに数名。
調理を学びたい者も出ている。
ゴルド自身も。
少しずつ。
人へ任せることを覚え始めた。
「この菓子も、地上で反応を見てきてください」
ガレンが一枚つまむ。
「これ普通に売れると思うぞ」
「本当です?」
「ああ。保存食でこれだけ旨いなら、冒険者は買う」
ノルドも頷いた。
「水分が少ないから保存も利くし、重くない」
リシェルは袋を見た。
「包みも可愛いね」
「赤布ゴブリンたちが作りました」
『オレ!』
どこからともなく。
赤布ゴブリンが現れる。
「あなたもですの!?」
『フクロ、シバッタ!』
「そこだけ?」
『キレイニ!』
「大事な仕事ではありますけれど」
最近。
誰もが。
自分の仕事を。
少し誇らしげに話すようになった。
それが。
セレスティアは。
結構好きだった。
◇
「それから」
三つ目。
セレスティアが取り出したのは。
小さな瓶だった。
透明な液体。
リシェルが覗き込む。
「これ何?」
「温泉です」
「持っていくの!?」
「成分を調べてもらえません?」
「温泉を?」
「回復効果の正確な数値が分かれば、料金設定にも使えます」
「商売する気満々だな」
ガレンが笑う。
「施設の維持には必要です」
「でも」
ノルドが瓶を見る。
「地上で調べれば、相当な騒ぎになるぞ」
「それほど?」
「疲労回復だけなら珍しくない。でも魔力回復まで確認されたら」
魔力を回復する薬は。
高い。
特に。
短時間で回復できるものは。
上級冒険者や宮廷魔術師でも常用できる価格ではない。
「これが湯に入るだけで回復するって知られたら」
ノルドは。
少し言葉を選んだ。
「国が動いてもおかしくない」
セレスティアの表情が。
わずかに変わった。
「王国が?」
「ああ」
「……」
静かになった。
リシェルが。
少し心配そうに。
セレスティアを見る。
「嫌なら持っていかないよ」
王国。
その言葉。
セレスティアを処刑した者たち。
自分を捨てた地上。
そこへ。
この領地の情報を渡す。
一瞬。
迷いがあった。
けれど。
セレスティアは。
温泉の瓶を見る。
「持っていってください」
「いいの?」
「ええ」
「でも国に知られたら」
「いずれ知られます」
冒険者を受け入れるなら。
隠し続けることは不可能だ。
「それに」
セレスティアは。
少しだけ笑った。
「ここへ来るかどうかを決めるのは、王国ではありません」
三人が黙る。
「ここは」
セレスティアは。
はっきりと言った。
「わたくしの領地ですもの」
王国から。
爵位を与えられたわけではない。
承認された領土でもない。
けれど。
この場所で。
働き。
暮らし。
休み。
笑っている住民がいる。
「誰を泊めるか」
一つ。
「誰と取引するか」
二つ。
「何を売るか」
三つ。
「こちらで決めます」
以前。
王太子の婚約者だった頃。
何かを決めるたび。
王家の許可。
貴族会議。
慣習。
派閥。
無数の制約があった。
けれど。
ここでは。
「王国が欲しいと言ったからといって」
少し。
目を細める。
「差し上げる義理はありませんわ」
ガレンが。
ゆっくり笑った。
「そういう顔してると、ちょっと悪女っぽいな」
「失礼ですわね」
「いや」
リシェルも笑う。
「今のは格好いい悪女」
「褒めております?」
「かなり」
「でしたら受け取っておきます」
◇
荷造りは。
昼前に終わった。
三人の背負い袋は。
来たときより。
むしろ充実している。
保存食。
薬。
予備装備。
商品見本。
温泉水。
そして。
「これも」
セレスティアが。
三枚の小さな金属板を渡した。
「何だ?」
表面には。
領都の文字。
裏には。
簡単な紋章が刻まれている。
蜘蛛糸。
鍋。
湯気。
「……紋章の統一感がないな」
「住民投票です」
「結果これ?」
「はい」
最終候補には。
肉。
箱。
温泉。
鍋。
蜘蛛糸。
赤い布。
茸。
なぜか魚。
いろいろ出た。
まとめた結果。
こうなった。
「これは宿泊証です」
「宿泊証?」
「次回お越しになった際、最初の三名であることを証明できます」
リシェルが目を丸くする。
「次回来る前提?」
「来ないのです?」
「……」
三人が。
顔を見合わせる。
ガレン。
ノルド。
リシェル。
誰も。
すぐには答えなかった。
「俺」
ガレンが先に言う。
「また温泉入りたい」
「私はゴルドのご飯」
リシェル。
「俺は九十七階層の鉱石を調べたい」
ノルド。
セレスティアは。
少し笑った。
「では、またお越しくださいませ」
その言葉に。
三人の表情が。
ほんの少し柔らかくなった。
最初は。
事故で落ちた。
死ぬと思った。
帰れないと思った。
それなのに今は。
帰ったあと。
また来る話をしている。
◇
「本当に行くのか?」
ガレンが。
第九十六階層へ続く階段の前で尋ねた。
「何度目ですの、その確認」
「だってよ」
今回。
同行者は。
セレスティア。
三人の冒険者。
ミノタウロス・ロード。
そして。
新たに鍛冶師バルガ。
『コオリノ、マセキ、ミタイ』
九十六階層にあるとされる氷属性魔石。
鍛冶や加工へ使える可能性があるため。
バルガ本人が同行を希望した。
「リーネは?」
リシェルが振り返る。
『キョウ、ヤスミ』
本人は。
第九十九階層で。
新しい布を編むらしい。
「ちゃんと休みを使ってるんだ」
「趣味をしているだけですけれど」
「それでいいんだよね?」
「ええ」
セレスティアは頷く。
「仕事として強制していないなら」
それぞれ。
自分の時間を。
自分で使う。
簡単なこと。
だが。
この迷宮では。
つい最近まで。
存在しなかった。
「では」
セレスティアが。
階段へ足を掛ける。
「参りましょう」
◇
第九十六階層へ近づくほど。
気温が下がった。
「寒っ」
ガレンが肩をすくめる。
第九十八階層では。
暑いと言っていた。
たった二階層。
それだけで。
今度は吐く息が白い。
「極端すぎません、この迷宮」
「そういうものだ」
ノルドが答える。
「階層ごとに環境が変わるダンジョンは珍しくない」
「ですが四十七度の次に氷ですの?」
「冒険者を殺すには効率いいだろ」
「住民にも優しくありませんわ」
「またそっちか」
階段を上がり切る。
そして。
目の前の景色に。
全員が止まった。
「……まあ」
第九十六階層。
そこは。
巨大な氷の洞窟だった。
天井。
壁。
床。
すべてが。
青白く輝いている。
氷柱。
凍った地下湖。
壁の奥には。
宝石のように輝く青い魔石。
バルガが。
目を見開いた。
『イイ』
「分かりますの?」
『スゴク、イイ』
鍛冶師の顔になっていた。
『コレ、ツカエル』
「何に?」
『ブキ』
一つ。
『ドウグ』
二つ。
『レイキャク』
三つ。
セレスティアが。
すぐ反応する。
「第九十八階層へ使えます?」
『ウン』
「温泉の湯上がり部屋にも?」
『ウン』
「食材保存にも?」
『ウン』
セレスティアの目が。
明らかに輝いた。
「素晴らしいですわね」
ガレンがため息をつく。
「まず敵を確認しろよ」
「あ」
「忘れてたのか!?」
直後。
氷の向こうで。
何かが動いた。
ぎし。
ぎし。
巨大な影。
白い毛。
太い腕。
そして。
人間の倍以上ある身体。
「フロスト・トロル……」
ノルドが。
低い声で言う。
一体ではない。
二体。
三体。
さらに。
氷壁の上。
青白い狼。
雪の精霊。
氷の甲冑をまとった騎士型魔物。
次々と。
姿を現す。
「セレスティア」
リシェルが。
杖を握る。
「今度は、いきなり暑いか聞けないよ」
「当然でしょう」
「じゃあ何て聞くの?」
セレスティアは。
目の前の。
寒冷地の魔物たちを見る。
そして。
少し考えた。
「そうですわね」
一歩。
前へ。
「初めまして」
フロスト・トロルが。
唸る。
『ニンゲン……』
「セレスティアと申します」
殺気。
ガレンたちが。
緊張する。
だが。
セレスティアは。
周囲を見渡した。
氷。
氷。
どこまで行っても。
氷。
「皆様」
『……』
「寒くありませんの?」
沈黙。
ガレンが。
顔を覆った。
「結局同じこと聞いた!」
しかし。
フロスト・トロルは。
しばらく黙ったあと。
『……サムイ』
「やっぱり寒いんですの!?」
『サムサニ、ツヨイ』
「それと快適なのは別!」
『……ウン』
リシェルが。
その場でしゃがみ込んだ。
笑っている。
「もう駄目」
「何がです?」
「この迷宮の魔物、全員環境に我慢しすぎ!」
そして。
セレスティアの顔が。
また。
あの顔になる。
困っている者を。
見つけてしまった顔。
「では」
ガレンが先に言った。
「待て」
「何です?」
「分かってる」
「何が」
「お前が今から言うこと」
ガレンは。
第九十六階層の魔物たちを見た。
そして。
諦めたように。
笑った。
「暖かい休憩室、作るんだろ?」
セレスティアは。
にっこり微笑んだ。
「話が早くて助かりますわ」
地上への帰還は。
また。
一階層だけ。
遠のいた。




