第11話 領都を作れと言われましても、まず役所が必要ですわ
「領都候補を選択してください、と言われましても」
セレスティアは、第百階層の中央広間を見渡した。
食堂がある。
宿がある。
温泉がある。
休憩室がある。
最近では色とりどりの布を巻いたゴブリンが走り回り、骸骨兵たちは自分専用の箱について熱心に相談し、厨房からは朝食の匂いが漂ってくる。
以前の殺風景な最下層を知る者が見れば、同じ場所だとは思わないだろう。
だが。
「これを都市と呼ぶのは、少々無理がありますわね」
『マチ?』
ミノタウロス・ロードが、焼いた肉を挟んだパンを両手で持ちながら首を傾げた。
「領都です。領地の中心となる町のことですわ」
『ココ、マチ?』
「まだ違います」
『メシ、アル』
「あります」
『オンセン、アル』
「あります」
『ネル、トコ、アル』
「ありますわね」
『ジャア、マチ』
「あなたの町に対する条件が少なすぎます!」
ミノタウロスは不思議そうだった。
彼にとっては、食べられて、眠れて、温泉へ入れるなら十分らしい。
近くで朝食を取っていたガレンが笑う。
「俺も最近ちょっと分かるぞ、その気持ち」
「あなたまで何を言っていますの」
「少なくとも冒険者にとっちゃ、そこまで揃ってりゃ立派な町だ」
「普通の町には役所も倉庫も商店もございます」
「百階層に役所があるほうが普通じゃねえと思うけどな」
「これから必要になるのです」
セレスティアは真剣だった。
第九十七階層の編入によって、領民は一気に増えた。
正確な個体数を確認すると、現在セレスティアの管理下にいる住民は百六十七。
数日前まで。
彼女が知っていたのは、ミノタウロスとケルベロスと数体の骸骨兵程度だった。
それが今では。
鍛冶師。
料理人。
建築担当。
採掘担当。
茸栽培担当。
裁縫希望者。
掃除好き。
歌いたい者。
踊りたい者。
そして箱を作りたい者までいる。
「百六十七名分の勤務表を、わたくし一人で毎日確認するのは……」
セレスティアは管理画面を見る。
そこには。
未処理。
未処理。
確認待ち。
申請。
要相談。
新規希望。
ずらり。
「……無理ですわね」
三人の冒険者が。
一斉に彼女を見た。
「今、何て言った?」
リシェルが聞く。
「無理です、と」
「セレスティアが?」
「わたくしを何だと思っていますの?」
「全部自分でやる人」
「だな」
ガレンも頷く。
「昨日だって七十三人の希望、全員自分で聞いただろ」
「必要でしたもの」
「でも今日もやる気だったよね?」
ノルドまで加わった。
「……」
セレスティアは。
少しだけ目を逸らした。
「最初は、その予定でした」
「ほら」
「ですが」
セレスティアは咳払いした。
「一人で全部抱えることが、効率的とは限りません」
以前なら。
分かっていても。
やっていた。
自分が確認したほうが早い。
自分が直したほうが確実。
誰かへ頼んで間違えるくらいなら。
自分でやればいい。
そうやって。
王宮では仕事が増え続けた。
けれど。
ここへ来て。
ミノタウロスに三時間も寝かされ。
ゴルドには好きな仕事にも休みが必要だと説き。
領民たちへ。
仕事を分けることを教えている。
それなのに。
領主だけ全部やるのでは。
「……示しがつきませんわね」
セレスティアは小さく呟いた。
◇
「ということで」
朝食後。
セレスティアは第百階層の住民を集めた。
「役所を作ります」
静かになった。
『ヤクショ?』
「領地の仕事をする場所です」
『セレスティアノ、シゴト?』
「今までは、ほとんどわたくしがやっていました」
『ウン』
「今後は分担します」
ざわめき。
「勤務表の管理」
一つ。
「物資の記録」
二つ。
「貢献票の集計」
三つ。
「食料の在庫」
四つ。
「宿泊客の受付」
五つ。
「各階層からの要望」
六つ。
「その他、諸々」
数えるのをやめた。
赤布ゴブリンが。
勢いよく手を上げる。
『オレ!』
「はい?」
『ハナシ、ハコブ!』
「ああ」
確かに。
彼はすでに各階層を行き来し。
誰が何を欲しがっているか。
誰がどこで困っているか。
勝手に聞いて回っている。
しかも。
報告が早い。
「では、連絡係をお願いします」
『レンラクガカリ!』
「各階層からの伝言を集めて、こちらへ持ってきてください」
『ウン!』
「ただし」
セレスティアは。
指を立てる。
「勝手に決定してはいけません」
『キメナイ!』
「聞いた話を大げさにしない」
『……』
「今、なぜ黙りました?」
『チョット』
「やっていましたのね!?」
赤布ゴブリンは。
目を逸らした。
どうやら。
温泉の噂が異常な速さで広がった理由が。
また一つ。
判明した。
「報告は正確に!」
『ウン!』
「本当に頼みますわよ……」
続いて。
鍛冶師バルガが手を上げる。
『オレ、カジ、ミル』
「工房の責任者です?」
『ウン』
「お願いします」
『キュウリョウ、キメル?』
「部下の分まで勝手には決めません。勤務実績を記録してください」
『ワカッタ』
茸栽培を希望していたオーク。
掃除好きのゴブリン。
箱職人のコボルト。
それぞれが。
自分の担当を持ち始める。
セレスティアは。
その様子を見ながら。
少しずつ。
管理画面へ権限を割り振っていった。
「……できますのね、これ」
――副管理者権限を設定可能。
「もっと早く教えてくださいませ」
――問い合わせがありませんでした。
「尋ねなかったわたくしも悪いですけれど!」
今まで。
何でも自分で操作していた。
だが。
限定された権限なら。
住民側へ渡せる。
鍛冶場の在庫管理。
食堂の食材申請。
清掃予定。
休暇希望。
必要なものだけ。
担当者が直接処理できる。
ノルドが。
感心したように言った。
「急に組織っぽくなったな」
「急にではありません」
「昨日まで領主が全員の勤務表見てたぞ」
「今日改善したのです!」
◇
問題は。
役所をどこへ置くかだった。
「宿の隣?」
リシェルが尋ねる。
「候補ではあります」
「食堂にも近いし」
「近すぎます」
「駄目なの?」
「仕事中に、ずっと料理の匂いがします」
厨房から。
肉を焼く匂いが漂ってきた。
『イイ』
ミノタウロスが言う。
「あなたには聞いていません」
『シゴト、ガンバレル』
「逆に集中できません」
『オナカヘル』
「でしょうね」
第百階層には。
まだ大量の未使用区画がある。
その中から。
中央広間。
食堂。
宿。
各階層への階段。
すべてへ行きやすい場所を選ぶ。
「ここですわね」
かつて。
武器庫として設計され。
ほとんど使われていなかった大部屋。
「役所へ用途変更」
――承認。
石壁が動く。
内部に。
いくつもの窓口を作る。
「受付はこちら」
長い石の台。
「その奥を事務区画」
机。
椅子。
記録用の棚。
「会議用の部屋も必要ですわね」
隣室と繋げる。
「倉庫は?」
ガレンが尋ねた。
「別です」
「なんで?」
「役所へ全部持ち込むと、在庫確認のたび荷物が溢れます」
「経験ある言い方だな」
「王宮で何度もありました」
書類を置くはずの廊下に。
食料袋。
献上品。
壊れた家具。
なぜか甲冑。
何でも持ち込まれ。
最後には誰の物か分からなくなる。
「倉庫は用途別に分けます」
「細かいな」
「食料と鉱石を同じ場所へ置くほうがおかしいでしょう?」
「それはそうだ」
「それから記録庫」
「まだ増える?」
「増えます」
リシェルが苦笑する。
「本当に町作ってるね」
「町を作っているのではなく」
セレスティアは反論しようとして。
止まった。
役所。
宿。
食堂。
温泉。
工房。
倉庫。
これから商店まで作る。
「……」
少し考え。
「領地を整備しているだけですわ」
「同じじゃない?」
「違います」
「どう違うの?」
「気持ちの問題です」
◇
昼過ぎ。
役所の仮受付が完成した。
そこへ。
最初の相談者が来た。
アラクネだった。
『セレスティア』
「はい」
『コレ』
差し出されたのは。
蜘蛛糸で編まれた布だった。
以前見せてもらった脚飾りより大きい。
淡い銀色。
細かな花のような模様が入っている。
「まあ」
リシェルが。
すぐ寄ってきた。
「綺麗!」
『……』
「これ、あなたが作ったの?」
『ウン』
「すごいよ。地上の店に並んでてもおかしくない」
アラクネが。
少し嬉しそうに脚を揺らす。
『ウリタイ』
「決めたのですね」
『ウン』
「では」
セレスティアは。
品物を受け取る。
「価格を考えましょう」
だが。
そこで問題が生じた。
『イクラ?』
「……」
セレスティアが止まる。
貢献票なら。
領内価値として設定できる。
しかし。
地上へ売るなら。
王国貨幣だ。
「リシェル」
「うん?」
「地上なら、いくらくらいです?」
リシェルは。
布を手に取った。
「素材だけでも高いよ」
「どれくらい?」
「普通のアラクネ糸でも、これくらいの布なら金貨数枚」
「まあ」
「でも」
布を光へ透かす。
「これ、普通のアラクネじゃないよね?」
「第九十九階層のアビス・アラクネです」
「だよね」
リシェルが。
難しい顔になる。
「たぶん素材だけでも、金貨二十以上」
『ニジュウ』
アラクネが。
何も分からない顔をしている。
「加工込みなら、もっといく」
「三十?」
「買う相手によっては五十でも」
ガレンが。
口笛を吹いた。
「宿何泊分だよ」
セレスティアは。
蜘蛛糸布を見る。
一枚。
金貨五十。
それだけあれば。
現在の宿泊収入など。
簡単に上回る。
「……」
アラクネは。
不安そうに。
セレスティアを見る。
『タカイ?』
「かなり」
『……ウレナイ?』
「逆です」
セレスティアは。
すぐに答えた。
「価値が高すぎます」
『……』
「安売りしてはいけません」
アラクネの脚が止まる。
『ワタシノ、コレ』
「ええ」
『ソンナニ?』
「地上の市場価値を考えるなら」
セレスティアは。
布を丁寧に返した。
「あなたが思っているより、ずっと価値がありますわ」
『……』
アラクネは。
自分の作品を見る。
戦闘。
蜘蛛糸で敵を捕らえる。
毒で倒す。
それしか。
価値として見られたことがない。
けれど。
自分が好きで編んだものに。
金貨五十。
『……モウイッコ、ツクル』
「無理して量産しなくていいのですよ?」
『チガウ』
「では?」
『タノシイ』
アラクネは。
小さく。
誇らしそうに言った。
『ダレカ、ホシイ、イウノ、ウレシイ』
「……そうですわね」
セレスティアは。
微笑んだ。
「では地上へ戻る三人へ、一つだけ持っていっていただきましょう」
「俺たち?」
ガレンが驚く。
「はい」
「売ってくるのか?」
「いきなり売却する必要はありません」
セレスティアは。
少し考える。
「まずは冒険者ギルドで鑑定を」
ノルドが頷く。
「それがいい。深層素材なら出所を聞かれる」
「そこも問題ですわね」
「なんて答える?」
三人。
セレスティアを見る。
「正直に」
「第九十九階層の巨大蜘蛛が休日に編みましたって?」
「そうですが」
「信じてもらえないだろ」
「では」
セレスティアは。
一瞬考えて。
「信じていただくまで説明してくださいませ」
「丸投げ!?」
「地上担当は皆様です」
「いつ決まったんだよ!」
「今です」
「役所作った途端に役割分担覚えすぎだろ!」
◇
夕方。
役所の受付に。
小さな札が掛けられた。
《相談受付》
その前へ。
さっそく列ができている。
『フロ、ジカン、フヤシタイ』
「却下です」
『マダ、ナニモ――』
「ミノタウロスでしょう?」
『ブモ……』
「一時間です」
次。
『ハコ、フタ、フタツ、ホシイ』
「蓋を二つ?」
骸骨兵が。
力強く頷く。
「用途は?」
カタカタ。
「気分で替える?」
カタカタ!
「……箱職人へ相談してください」
次。
『アカイヌノ、モット、ナガイ』
「赤布ゴブリン?」
『カッコヨク、シタイ』
「勤務中に引っ掛からない長さまでです」
『ウン!』
次。
『ウタ、ショクドウ、ウタッテイイ?』
「夕食時は静かな方もいるでしょうから、食後にしましょう」
『オオ!』
次。
『キノコザケ、デキタ』
「もうできましたの!?」
相談ではない。
報告だった。
しかも。
少し嬉しい。
「……試飲は明日です」
『キョウ』
「明日」
『キョウ』
「交渉しません!」
役所開設初日。
相談は。
予想以上に多かった。
そして。
予想以上に。
くだらないものも多かった。
だが。
セレスティアは。
嫌ではなかった。
王宮で届いた要望書は。
税。
土地。
爵位。
予算。
派閥。
誰かの利益と。
誰かの面子。
そんなものばかりだった。
ここでは。
風呂を長くしたい。
箱の蓋を増やしたい。
赤い布を長くしたい。
歌いたい。
酒を飲みたい。
「……平和ですわね」
思わず。
笑ってしまった。
◇
その夜。
セレスティアは。
一人で役所に残っていた。
今日の記録。
住民配置。
建設予定。
食材在庫。
そして。
三人の冒険者の帰還計画。
「九十七階層まで安全化」
石板へ書く。
「次は九十六階層」
まだ。
地上までは遠い。
だが。
確実に。
道は伸びている。
そのとき。
『セレスティア』
声がした。
「まあ」
ミノタウロスだった。
「どうしました?」
『ヨル』
「そうですわね」
『シゴト、オワリ』
「あと少しだけ」
『ダメ』
「……」
『セレスティア、イッタ』
嫌な予感。
『シゴト、ワケル』
「……言いましたわ」
『ヤスム』
「でも」
『ヤスム』
有無を言わせない。
後ろには。
ケルベロスまでいる。
三つの頭が。
じっとこちらを見ていた。
「皆様」
『オンセン』
「今から?」
『ウン』
「わたくしは――」
『セレスティア、キョウ、ハイッテナイ』
「なぜ知っていますの」
赤布ゴブリンが。
入口から顔を出した。
『ホウコク!』
「そこまで報告しなくてよろしいです!」
『レンラクガカリ!』
「職務熱心すぎますわ!」
結局。
セレスティアは。
仕事を切り上げさせられた。
「……分かりました」
石板を置く。
「今日はここまでにします」
『ウン』
「明日の朝、続きを」
『ウン』
ミノタウロスが。
満足そうに頷く。
役所を作った。
仕事を分けた。
そして。
領主自身も。
ようやく少しずつ。
人へ任せることを覚え始めていた。
◇
翌朝。
――領都候補を選択してください。
再び表示された。
「忘れておりませんでしたのね」
――必須設定です。
「でしたら」
セレスティアは。
第百階層を選んだ。
宿。
食堂。
温泉。
役所。
住民たち。
そして。
ここから。
上へ伸びる道。
「第百階層を、領都とします」
――承認。
光が。
階層全体へ広がる。
――領都設定完了。
――都市名称を設定してください。
「……」
また。
新しいものが出た。
「名前まで必要ですの?」
――必須です。
セレスティアは。
困った。
公爵領の町なら。
歴史ある名が最初から存在していた。
自分で。
都市へ名前をつけたことなどない。
「皆様は何かございます?」
『オンセン』
「却下です」
『ニク』
「却下」
『ハコ』
「却下!」
骸骨兵たちがしょんぼりする。
ゴルドが。
『ゴハン』
「食べ物から離れてくださいませ!」
すると。
リシェルが笑った。
「じゃあ、セレスティアが決めなよ」
「わたくしが?」
「あなたの領都なんだから」
セレスティアは。
周囲を見渡した。
処刑され。
捨てられ。
最初は。
ただ。
地上へ戻りたくないと思った。
けれど。
今は。
ここに。
帰ってくる者がいる。
食事をする者がいる。
眠る者がいる。
働く者がいる。
笑う者がいる。
「……では」
セレスティアは。
少し考え。
名前を入力した。
――都市名称。
――《ネスト》。
「ネスト?」
ガレンが聞く。
「古語で《巣》という意味です」
「巣?」
「ええ」
セレスティアは。
静かに笑った。
「帰ってきて、休める場所という意味で」
――登録完了。
――領都を設定。
その日。
世界最難関ダンジョンの最下層に。
正式な名前を持つ町が誕生した。
まだ。
地上には。
誰一人。
その存在を知らない。
だが。
もう間もなく。
三人の冒険者が。
地上へ帰る。
温泉の話を。
料理の話を。
魔物の話を。
そして。
処刑されたはずの悪役令嬢が。
世界最難関ダンジョンの最下層で。
町まで作っているという。
信じがたい話を持って。




