10 侍女は手を回し、助け出される
教えを請う代わりに、ちょっとした雑用を手伝った相手へ楚々と頭を下げる。
「ありがとう存じます。どうぞ、そちらの若様にもよろしくお伝えください」
「ああ、こちらこそありがとう。……その、良ければ今夜食事でも……」
ニッコリと微笑んで小首を傾げると、見上げた顔がじんわりと赤くなっていく。
「申し訳ございません。お嬢様に用を申しつかっておりますので」
そう答えると、目の前の男は、「そ、そうか」と慌てたように頷き、ではまた今度と誘いを引っ込める。
それに曖昧に微笑みながら、男の前から辞した。
これで、何とか道筋は作れた。
あの男の従兄弟が、下働きとして学院に勤めているらしい。
そこからとっかかりを作って、学院のもうひとつの働き手の階層に接近していけば、何とか人脈を作ることは出来るだろう。
まったくうちのお嬢様は無茶ばっかり言いやがる。
しとやかな足取りは乱さぬまま、オレは深々と溜息をついた。
オレはシアという名前で、グイシェント家のお嬢様付きの侍女をやっている。
正確に言えば、シャーリンお嬢様の便利な道具として働いている。
以前はとある貴族に雇われて、密偵としてお嬢様の周りを探っていたのだが、それを当の本人に見抜かれた。
てっきり騎士団に突き出されるか、あるいは見せしめとして報復を受けるものと思っていたのだが、何をとち狂ったのか、あのお嬢様はオレに手駒になれと言う。
そんなふざけた話があるかと思ったが、お嬢様は大真面目だった。
自分を利用しろと言ったのだ。願いを叶える為に使ってみろ、と。自分もオレを便利な手駒として利用するから、ときた。
あのお嬢様は変人だ。はっきり言って、まともな令嬢ではない。
普通の令嬢は、密偵の符牒を解読したりしないし、己の野望の為に血道を上げたりしない。
このところもそうだ。
朝の支度を手伝いに部屋に入ると、寝台はもぬけの殻になっている。
と言うか、いないから適当に不在を誤魔化しておいて欲しいと言われている。
シーツは冷え切っているし、いったいいつ抜け出して何処に行っているのやら。
夜も遅くまで勉強なり、何らかの小細工なりまでしているのに、随分と勤勉な事だ。
オレはシャーリンお嬢様の姿を脳裏に思い浮かべる。
結い上げるのに苦労させられるサラサラの銀髪。象牙色の肌は、聞けば東方の血が混じっているらしい。普段はしおらしく伏せがちな癖に、企みごとをする時にはキラキラと輝く紅水晶の瞳。
見た目は小さく可愛らしいのに、あの素っ頓狂な中身は何なのか。
ただ、不幸中の幸いと言うか、良く聞く貴族のご令嬢のような傲慢さはない。
いや、傲慢は傲慢だ。
自分なら何でもできると思っていやがる。オレにやらせている事だって、自分の手が回らない時の雑用程度だ。
だが、このところ交流する他の侍女や使用人から聞くような、貴族以外の人間を下に見るような事はない。
むしろ、こちらを妙に持ち上げてくるし、待遇も桁違いに良い。
何かしら裏があるのではないかと、勘ぐってしまう程だ。
だが、お嬢様が奇妙な野望を持っているように、オレにはオレのやるべきことがある。
やすやすと懐柔されたりはしないぞ、と思いながら女子寮に向かって歩いていたのだが、ふいに嫌な気配を覚えた。
ここは学院の中であり、治安は王都の中では最も良い場所だ。
だがそれは、飽くまで生徒に関しての話である。
使用人には使用人の、危機管理が必要になる。
日差しは暖かいが、時折り油断を攫うように冷たい風が吹く。
使用人はなるべく人の少ない道を使うものだが、試験前の学内は普段よりも人の通りがまばらだ。
「へぇ、思ったより可愛いじゃん」
オレはサッと振り返る。
「あんたグィシェント家の侍女だろ」
「これ、磨けばそこそこ見れるようになるんじゃね?」
ニヤニヤと笑いながらこちらを囲い込むように近寄ってくる、数人の男たち。
品性の欠片もないが、制服を着ていると言うことは学院の生徒で間違いないだろう。
ちらりと周囲を窺うが、他の生徒は遠巻きに眺めるだけか無関心かのどちらかだ。視界の端で、下女のお仕着せの裾が翻るのが目に入ったような気がしたが、どちらにせよ助けは期待しない方が良さそうだ。
「何の御用でしょうか? お嬢様への取次でしたら、私からは致しかねます」
「はぁあ、真面目だねえ」
「所詮は使用人の仕事だろ?」
「そんなん適当にして、俺らと遊ぼうぜ」
徐々に包囲を狭めてくるのを、さりげなく後退りして、何とか逃れる道を探す。
「私はグィシェント家の侍女です。他家の方の御用をお伺いすることは出来ません」
「は? なに俺らに逆らうとか言うの? 何様のつもり?」
グィシェント家の名前を出しても引く様子がない。と言うか、オレをグィシェント家の侍女と認識した上で声を掛けてきたようだ。
ウチのお嬢様なら、顔を見て何処の家の子息か分かるかもしれないが、オレにはまだ無理だ。
「お戯れはおよしください……」
首を振って、さらに数歩後退りしつつ、オレは対処方法を考える。
このニヤケ面を一発ぶん殴って、即座に踵を返せばこの場を逃れることは可能だろう。
だが、そんなことをすれば大騒ぎになってしまい、侍女としての仕事も、手駒としての働きもやり辛くなってしまうだろう。
そもそも、お嬢様は目立つことが好きではない。
目立たぬように、影に潜むように事をなすのが好みなのだ、あの女は。
それをオレが台無しにする事は、果たして許されるのか。
「オタワムレハオヨシニナッテ! だってよ」
「かーわいいー」
こちらが抵抗出来ないのを良いことに、生徒たちはますます強気になっていく。
「大人しくしてれば、イイ目見せてやるって言ってんじゃん」
「俺ら全員満足させてくれたらだけどな」
ギャハハと品の無い笑い声を出してはしゃぐ彼らに、本当に貴族なのかと疑いを持つ。だが、得てして貴族とはこういう物だったと思い直した。
このところ、そばにいる奴が特殊過ぎたのがいけない。
「どうせなら、こいつの主人とも一緒に遊んでもらうとかどうよ」
「あ、俺知ってるぜ。グィシェント家のご令嬢って、かなり立場ヤバいらしいじゃん」
「じゃ、今なら好きにできるんじゃね?」
(は? なんだそれは?)
思わず目の前が赤くなる。
シャーリンお嬢様は。
あの、一風変わった、自分の野望の為なら手段を選ばない変人は。
こんな下劣な奴らに好き勝手されて良い人間ではない。
「ま、いいや。まずはこいつだろ。そう言う約束だったはずだ」
男の一人が無造作に手を伸ばす。何の気遣いもなく乱暴に腕を掴まれ、痛みに思わず声が出る。
「痛っ……」
その時だ。
「あなたたち、やめなさい!」
凛とした女の声が、周囲に響いた。
腕に腰を当て、堂々と自分たちを睥睨する女の顔には見覚えがあった。
アイリス・ミラルディア。
うちのお嬢様が敵視してやまないご令嬢だ。
そしてその後ろを慌てた様子で追いかけてくる男は、テオドール・ヨゼフ。こちらも見知った顔である。
何しろ、元々は彼女らの情報を得るために、シャーリンお嬢様の侍女をやっていたのだ。
「寄ってたかって一人の女の子を虐めるなんて、最低だわ! 恥を知りなさい!」
「はあ? 何だよ、てめえ」
「あ、おいっ。やめとけ、こいつミラルディアだ」
きっぱりと彼らを批難し、オレを庇うように間に立ちふさがる。
背丈こそシャーリンお嬢様よりは高いものの、それでも彼女だってほっそりとしたご令嬢だ。それなのに、何も臆する事はないとばかりに彼らを睨みつける姿には、確かに威厳と呼ばれるものを感じられた。
男子生徒らは、最初こそ反発を見せたものの、彼女がアイリス・ミラルディアだと知ってすぐに威勢を引っ込める。
ミラルディア家は侯爵位だ。木っ端貴族には太刀打ちできないし、そもそも彼女自身が王子殿下の寵愛を受けているのは有名な話だ。
テオドール・ヨゼフが追いついたのもあり、彼らはとっとと退散した。
「大丈夫だったかしら?」
「は、はい。ありがとうございます」
オレは深々と頭を下げつつ、ちらりと目の前の女を窺う。
遠目から確認した事は何度もあるが、まさかこうして直接話しかけられることがあるとは思っても見なかった。
顔立ち自体は、飛び抜けて整っているという訳ではない。だが、丁寧に櫛削られた癖のある茶髪。よく外に出るせいか日に焼けてはいるものの、侯爵家で念入りに手入れをしているからか、肌ツヤの具合は庶民とは比べ物にならない。普段より少しやつれて見えるのは、試験勉強に根を詰めているからか。
何より貴族のご令嬢とは思えない程に屈託のない笑顔や、こちらを真っ直ぐに見据えるキラキラとした眼差しは、なるほど。確かに高位貴族の坊ちゃんたちの心を捕らえて放さない、というのが分かる。
「アイリス、駄目だよ。一人で走って行ってしまっては。危ないよ」
「だって彼女が心配だったんだもの」
そのうちの一人であるテオドール・ヨゼフが眉尻を下げて苦言を呈するが、アイリスはきょとんと瞬きして首を傾げる。
助けて貰った立場で何だが、そういう人の忠告を一切聞かないあたりが、うちのお嬢様の疳に触るんだろうなあと理解できる。
「えっと、君はシャーリン嬢の侍女だよね?」
テオドールのその言葉に、オレはうなずきながらも驚きに息を飲む。
何でこいつらがオレのことを知っているんだ、と。
「えへへ。勉強の気晴らしに散歩に出て良かったわ。シャーリンの大切な侍女の子を助けることができたんだもの」
「学内を歩いていたら、下女の子に声を掛けられたんだ。シャーリン嬢の侍女が、タチの悪い男子生徒に絡まれているから助けて欲しいって」
間に合って良かったよ、テオドールはホッと息をつく。
しかし、オレは内心訝しさに首を傾げる。
下働きの人間たちと繋がりを作ろうとしているものの、それはまだこれからだ。オレをグイシェント家の侍女と知り、助けてくれる知り合いはいないのだが。
「まだ怖いよね? 女子寮まで送って行こうか?」
アイリスはそう言うが、オレは首を振る。
このご令嬢は試験勉強の気晴らしに出たと言っていた。シャーリンお嬢様は彼女の勉強の進捗状況にもだいぶ気を揉んでいた。あまり時間を取らせるのも良くないだろう。
「いいえ、大丈夫です。お気遣い誠に有難うございます。この御礼はいずれ何らかの形で……」
「気にしなくっていいのよ。シャーリンによろしく……って、この後勉強を見にきてくれるんだった」
早く戻らないと、サボっていたのバレちゃうとアイリスは飛び上がる。
「大丈夫だよ。シャーリンはそれくらいで怒ったりしないし、何なら僕が取りなすから」
そんなことを話しながら校舎へ向かう彼女らを見送り、自分も女子寮に向かう。
先ほどの生徒らが待ち伏せしている可能性もあるので、警戒しながら歩く。
そして、見慣れた女子寮が見え、ホッと息をついたところで、オレは傍らの建物の陰に引き込まれた。
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